プロローグ
9/18 改訂
あの森でエルダートレント・ロードを倒してから数日が経った。
あの後私たちは一度盗賊たちの根城に戻り休息を取った。
私は初めての命のかかった実戦につかれていたし、アレス君たちも命の危機にさらされたことで非常に疲れていたからだ。
一晩しっかり休養を取り、次の日の朝に私が作った朝食を食べた後にアレス君は私にこう頼んだ。
『俺とアニーをトリスティアまで護衛してほしい』
私は二つ返事でそれを了承した。
私としては人の住む町へ案内してもらえるのなら願ってもないことだし、なによりこの二人を見捨てる気にはならなかったからだ。
この森、エルディアの森は自衛手段を持たない子供二人には危険極まりない場所であるし、街道にでても危険は零ではない。
エルダートレント・ロードから助けたのにその辺の盗賊に殺されましたでは寝覚めが悪すぎる。
だがしかし、トリスティアに行くにあたっていくつか問題が生じた。
まず第一にトリスティアまで行くための足がないことだ。
魔物がすみつくこの森には馬は絶対に入ろうとしないためか、盗賊たちは馬も馬車も持っていなかった。
『トレント戦士の木剣』という武器を持ちながらあの大人数というのは馬車なしでも手に入れた金品を運べるようにするためだったらしい。
アレス君たちが旅をしていた時に使った馬車も壊されてしまったようだ。
幸いアレス君たちの両親が持っていた金品などは回収できたが結局自分たちの足でトリスティアに向かうしかなさそうだ。
第二に、私には野営の仕方などさっぱりわからないことだ。
仮に馬車があればそれに乗って夜を越せばいいだろう、しかしそんなものはない。
自分たちの足で歩く以上トリスティアには数日かかる。
そのため何度か絶対に野営を行わなければならないのだ。
とはいえそれは私の持つアイテムが解決してくれたのだが。
インベントリにしまってあった、その名も『キャンピングハウス』というテント。
ゲーム内においてはフィールドにおいて時間経過で回復できるようになる、それだけのアイテムだったがリアルになった今ではこれ以上ないほどに便利なものになった。
見た目は四人ぐらい入るのが精々といった感じのテントだが、中身はまるで現代のホテルの一室といった空間が広がっているのだ。
キッチン、バスルーム、ベッドルーム、トイレはもちろんリビングまでついていて至れり尽くせりである。
トイレに関してはいったいどこに流れているのかさっぱりわからないのが少々不安だったが……
ともかく野営の心配は無用になったのだ。
私は今、そんな『キャンピングハウス』の中で……
「それじゃあインベントリを使える人はあまりいないんだな」
「はい。インベントリを使える人は希少で、しかも使える人は豪商や国のお抱えになる人も多いですから普段は目にすることはほとんどありません」
「私ができる装備の即時変更も?」
「そちらはさらに数が少ないです。歴史上でも使い手は数えられるぐらいしかいません。今は王国の騎士団長様ただ一人だけです」
アニーちゃんからこの世界の常識を教わっていた。
実はこれもまた二人の護衛を引き受けた理由の一つだ。
この世界の常識を知るにはこの世界の人間に話を聞くのが一番だ。
だから私はアレス君とアニーちゃんにこの世界の常識について町につく前に聞くことにしたのだ。
多少変なことを聞いても私に頼らざるをえない今なら大抵の事は見逃してくれると思ったからだ。
しかし予想外なのはアレス君たちがやたらとこちらに親切なことである。
最初に世間の常識について知りたいといった時こそ驚いた顔をしたものの、その後はこちらの質問に快く答えてくれ、むしろ質問せずともいろいろ教えてくれるくらいの親切さ。
とてもありがたいのだがどうしてここまで親切なのかが気になってしまう。
「トリスティアはいろんな行商の人たちが来るのでそれをめぐるだけでも楽しいんですよ。ヴィヴィアンさんもついたらいっしょに露天めぐりしましょう!」
そんな私の思考を気にせずアニーちゃんはそういって笑顔で私に提案してくる。
あの森で両親を失った二人だが、私と接しているときにはその悲しみをほとんど感じさせない。
しかし彼らがどんなに両親を愛していたかは、彼らの遺体を埋めるときに十分に分かった。
二人とも両親が死んで悲しいところを、私に心配をかけさせないようにか絶対に涙を見せない。
まったく、これじゃ逆に心配したくなるというのに……
そんなことを考えながらアニーちゃんと話をする。
ちなみに話に入っていないアレス君は現在キッチンで料理をしている。
最初は野営の時の料理も私がやろうと思ったのだが、それを言ったらアレス君が……
『いや料理は俺がやるから、ヴィヴィアンさんはアニーと話をしてやってくれ』
と頼んでインベントリから出した食材を持ってキッチンにこもってしまったのだ。
その後の野営でも似たようなやりとりを繰り返し今ではアレス君が料理係となってしまった。
いったいなにが彼をそこまで料理に走らせるのか、さっぱりわからない……
まあなんにせよ、この二人はいい子で私は二人を気に入っている。
しばらくはこの子たちの面倒を見るのも悪くない。
「おーい、ご飯できたぞー」
そんなことを考えているとキッチンからアレス君の声が聞こえてきた。
すでに何度か食べている彼の料理はなかなかの味であったことだし、今回の料理も楽しみだ。
* * * * *
目の前でスープをすする美女、私たちの命の恩人であるヴィヴィアンさんを見ます。
彼女は今は食事のために普段深くかぶっているフードとマフラーを外し、その人間であることを疑ってしまいそうなほどに整った顔を私たちにさらしています。
(本当に美人です……)
この旅の間の野営中になんどか顔を見る機会はありましたが、何度見ても見惚れてしまいます。うらやましいとかそんな嫉妬や羨望も抱かせないほどの圧倒的な美しさです。
この旅の最初のころなど、顔を見るたび硬直してしまい何もできなくなってしまいました。今こうして顔を見ながら食事ができるのはかなり進歩した証です。
(お兄ちゃんも何度も顔を赤くして動かなくなるし……)
女である私すらもそうなので、男である兄など言うまでもありません。
私は最初から少なくとも顔を直接見なければ普通に接していられましたが、兄はヴィヴィアンさんが話しかけるだけで顔を赤くしたりどもったりと忙しそうでした。
(いくらなんでも挙動不審すぎると思います)
そんなことを考えながらヴィヴィアンさんを見ます。私の視線に気づいたのか不思議そうな目で私を見返す彼女。
こんな美女だというのに彼女は同時にとてつもなく強い魔法使いでもあります。
今でも思い出すと震えてしまうあの化け物たち。
彼女はたった一人でそれらをすべて殺しつくしてしまいました。
そして同時にとても優しい人です。
無残な姿になってしまった両親を埋める私たちを手伝い、そしていっしょに涙を流してくれました。
魔物を倒し弱き者を救う、まるで物語に出てくる聖女様のような彼女。
でもそんな彼女にも弱点がいくつかありました。
一つは常識が欠如していることです。
あの化け物たち相手に使った魔法の一つでも見せれば世の魔法使いは絶句することでしょう。
彼女が当たり前のように使って見せたインベントリは今では使える人はかなり希少です。
今私たちが使っているこの『キャンピングハウス』など王侯貴族ですら容易く買えるかどうかわからない値段がつくことでしょう。
彼女は自身の魔法や道具がどれほど価値のあるものかを理解していないようでした。
とはいえヴィヴィアンさんにも自分が常識知らずな自覚があったのか私たちによく質問してきます。
私も兄も恩人であるヴィヴィアンさんのためになるならと喜んで教えていますが、彼女の常識のなさは驚きをおぼえるレベルでした。
二つ目は料理の腕が壊滅的だということです。
今までにヴィヴィアンさんの料理を食べる機会は二度ありました。
そしてその二回ともまともに食えたものではありませんでした。
なんというか、普通にまずいんです。
同じ料理なのになぜか味が濃くなったり薄くなったりしたりするんです。
本人は普通に食べるからなおさら性質がわるいというか……
三つ目は自身の美貌の価値を理解していないことです。
それを感じたのは初めての野営の時。私が無理を言って一緒にお風呂に入ってもらったのですが、なんですかあの洗い方は!
『キャンピングハウス』には石鹸の類も備えてあったのですが、髪も体もごしごしこすって、傷んでしまったらどうするんですか!
あとはタオル一枚で風呂の外に出ないでください!お兄ちゃんも固まってないで目を瞑るなりそらすなりしてください!
ヴィヴィアンさんはいろいろとアンバランスな方です。
その強大な力とは裏腹に子供でも知っているようなことも知りません。
兄はそんなヴィヴィアンさんについていろいろ深く考えているようですが私はどうでもいいことだと思います。
彼女は私たちの命の恩人です。少しおかしなところがあったところでそれは変わりません。だから彼女が常識を知らないがゆえに困っているのであれば何も聞かずに教えます。
いつかはヴィヴィアンさんの事情も知りたいですが、それは彼女が自分から話してくれるまで待ちましょう。
それよりもまずはヴィヴィアンさんに体の洗い方を教えようと思います。いつまでもあんな洗い方をしていちゃいけません。お風呂でしっかり直接教えてさしあげます!
あっ!逃げちゃだめですよヴィヴィアンさん!
* * * * *
アニーとヴィヴィアンさんは風呂場へと言ってしまい急に周りが静かになった。
そんな中で今までのことを思い出す。
いつもと同じトリスティアに商品を買いに行く途中に盗賊たちに襲われた。
雇っていた傭兵たちは手も足も出ずやられ、家族全員盗賊たちにさらわれて、その後親父たちだけが連れ出されアニーと二人で暗闇の牢屋で過ごした。
そのまま数日をすごし、唐突にすさまじい寒さが俺たちを襲い少しでも耐えようとしたが意識を失った。
その後ヴィヴィアンさんに介抱されて、俺は一人親父たちを探しに行き……
脳裏に浮かぶのは一人の女性の裸体。
美しくきらめく銀の髪、宝石のごとききらめきの金色の瞳、そして輝くような肌が描き出す芸術的なライン……
違う、そうじゃない!
頭を振って思う浮かべた映像を追い出す。
考えるのはあの大樹の化け物とヴィヴィアンさんのまるで神話のような戦いだ。
あきらかに尋常のそれじゃなかったな……
あの威力の魔法を連発する魔力もそうだが、彼女が持つアイテムもなにもかもが規格外の物である。
自身の身を一瞬で癒した薬、今泊まっているこのテント、そして彼女が姿を隠すのに使っているローブ。
そのどれもがすさまじい価値を持つ一品で、仮に売ったとしたら金貨が比喩抜きで山のように積みあがるだろう。
そして彼女が戦いの中で身にまとっていたドレス、あれはもはや金額に換算できないものに違いない。
しかし同時にありえないほどに世間知らずでもあった。
己の魔法の腕やアイテムが価値あるものと理解はしていたようだが、実際にどれほどの価値があるものかはわかっていなかった。
そのありえないほどの美貌と合わせ、あらゆる点で有名でなければおかしい彼女。
しかし自分は一切彼女についての噂などを聞いたことがない。
それに加えて超が付くほどの常識知らず。
それらを考えると彼女の素性は一つしか浮かばなかった。
魔導国家ノースティア、その貴族かあるいはそれ以上の秘された存在か……
ここより北に位置する魔導国家ノースティア、大陸に存在する五大国において唯一他国との国交を完全に絶っている国である。
誰一人生きたまま入った人も出た人もいないと言われるかの国の情報は民間にはまったく出回らない。
ゆえにヴィヴィアンさんはそこの箱入り娘かなにかだというのが自然だろう。
だがそれだと不思議なのはなぜそんな彼女がこんな場所にいるかということだ。
貴族というのであれば御つきの者の一人もいないのはおかしいし、そもそも誰一人出たことがない国から出ているという時点で怪しいにおいがぷんぷんする。
一介の商人の息子には想像もできない複雑な理由があるのかもしれない。
もしかしたらそれが理由で俺たち兄妹に被害が及ぶ可能性もある……
「まあ、だからといってどうこうしようとは思わないけど」
口に出して呟く。
そこまで考えても結局俺はヴィヴィアンさんをどうこうしようとは思わない。
ヴィヴィアンさんが命の恩人だからとか、両親を失ったアニーがかなりヴィヴィアンさんに懐いているとか理由はいろいろある。
しかし一番の理由はヴィヴィアンさんがとても『いい人』だからである。
彼女は見ず知らずの俺たちを助けるために魔物の群れの中に飛び込み、両親の死を悼む俺たちを見て一緒に泣いてくれるような人だ。
それに妹もなついているしな……
大好きな親父たちが死んでどうなるかと思った妹は彼女のおかげか予想していたよりかなり精神状態がいい。
これだけの恩がある人に対して何かあるかもという理由でなにかしようとは思わない。
というか今の自分にとってはそれよりも……
『だからねヴィヴィアンさん、ここはこうやって……』
『いやそこは自分でやるから触らな……、ひゃん!』
連日風呂場から聞こえるこんな声をどうやって耳から追い払うかのほうが重要だ。
* * * * *
三人がそれぞれの事を考えながら夜は更ける。
自由交易都市トリスティアまであと少し。
ヴィヴィアン「この子たち気に入った。でもなぜこんなに親切なんだ?」
アニー「いろいろ不思議な人。でもそんなことより女らしくしようぜ!」
アレス「いろいろ怪しい人。でもそんなことより声自重」
三人の考えていることはこんな感じ。アレスくんに少し勘違い入りました。