第三話 各々の休日
冒険者には明確に決められた休日というのは存在しない。
彼らは冒険者ギルドに所属しているものの、冒険者ギルドは月に一定の額分の品物を入れるならば他は問わないからだ。ゆえに彼らの休日とは彼らが休みたいときである。
彼らの仕事は少しの疲労が命取りになりうるので、休日はわりと頻繁にとられる。
まあ休み過ぎていると冒険者ギルドからの査定に響いてランクアップが遠のいたりもするので限度はあるのだが。ともかく冒険者は疲れたと思ったら基本的に休みを取るものなのだ。
だからここ数日ひたすら兎と戯れていたアレスたちだったが、ヴィヴィアンの提案でこの日は冒険者お休みである。
「…………451っ! 452! 453! ……」
朝早くから威勢の良い掛け声とともに空気を裂く音が響く。
トリスティアは冒険者の町である。そのために冒険者が鍛錬するために開放されている公園といったものがいくつかある。この場所もまたその一つである。
「はぁ……はぁ……。っ476! 477! 478! ……」
芝生が広がる場所でアレスは素振りをしている。
冒険者の鍛錬用に開放されているといっても万が一があっては困るために中で本物の武器を振り回すことはできない。よってアレスが振り回しているのも入口で貸し出されている模造剣である。
模造剣といってもすべて鉄で作られ、重心の位置などにも気を使い本物そっくりに作られたものだ。切れないという以外には本物との違いはほとんどない。それを休みなくひたすら振っていたアレスは既に息も上がり体中から汗が噴き出している。
「……498っ! 499っ! ご、ひゃくっ!」
ひとまずの目標を終えたアレスはそこで電池が切れたように芝生の上に倒れる。ぜえぜえと切れた息を整えようとするも、なかなか元には戻らない。
投げ出されたような大の字の少年と傍らに転がる模造剣がなんともいえない空気を生み出していた。
「はあ……はあ……。まったく、ただ振ってるだけだってのにこんなに疲れるもんなんだな……」
何回も大きく息を吸っているのにまだ息は切れたままである。倒れたままの状態だが、上から見ても胸の部分が何度も上下しているのがわかるだろう。
といっても絞り出されたような声になっている理由は決して肉体的な理由だけではない。
「こんなんじゃあまだまだ……、休んでなんていられっかよ……!」
ここ数日ヴィヴィアンとともに魔物と戦っているアレスだったが、その結果はいいものとは言えない。ライフアーマーがあるので怪我らしい怪我はないものの、魔物相手にも傷らしい傷をなかなか負わせられないのだ。
こうして何もしていない時にアレスが思い出すのは自分の中でも鮮烈に覚えている一戦、ヴィヴィアンとエルダートレントロードの戦いである。ヴィヴィアンは最初こそ殴られっぱなしであったが、装備を変えてからは終始相手を押して倒してしまった。
それに対して兎を相手にして満足に倒せない自分、無力感というものをひしひしと感じるのだ。
「…………はぁー……っし。息も整ってきたし、次は1000回だな!」
何かに集中している間は無力感を覚えることはない。ゆえにアレスは素振りをする。
休むための休日だということは頭の中にさっぱりなかった。
その頃ヴィヴィアンはトリスティアの町をとぼとぼ歩いていた。
(アレス君も疲れ気味だったから休みにしたけど、することが本当にないな……)
相方が休むべきなのに休んでいないことも知らずのんきな事を考えている。
この世界、アーネスには当然のことながらゲームやテレビといった物は存在しない。
スマートフォンやパソコンだってもちろんない。ネットになれた現代っ子には娯楽が足りな過ぎる世界である。
ある意味、ヴィヴィアンにとって魔物との戦いはゲームと似たようなものであるが、それの疲れを取るための休みなので一人で町の外にでて魔物狩りをするつもりはない。
あるいは図書館にでも行けばいいと思うかもしれないが、何日も通いつめているのでせっかくの休日に行きたいところではない。
なので、今ヴィヴィアンは猛烈に暇なのだった。
(アレス君は朝からどこかに出ちゃったしアニーちゃんは宿屋の仕事。クライドさんたちは言うに及ばずだし、当たり前だけど知り合い少なすぎるな、私……)
異世界に単身飛ばされたので当然だが、ヴィヴィアンには友達どころか知り合いすら少ない。おかげで友人と語り合うといったこともできない。
(部屋でだらだらしてると働いてるアニーちゃんと比較して自己嫌悪してしまうから外に出たけど本当にすることがない……。やっぱり宿屋に戻ろうかな)
家事をしているお母さんの視線に家を追い出される学生みたいな理由で町を散策していたヴィヴィアンだったが本格的にやることがないので、もう戻るかと考え始める。そこに――
「おや、お久しぶりですね」
「あ、あなたは……」
「数日ぶりですね。以前渡した本はお役にたちましたか?」
「はい、わかりやすくて助かりました。ありがとうございます」
先日図書館であったメガネをかけた女性、アンがいた。
彼女は柔らかな笑みを浮かべながらヴィヴィアンに話しかける。まるで親しい友人のように。
ヴィヴィアンはちょっとだけうれしい気持ちになった。うん、私だって別に友達できないわけじゃないしといった感じで。
「ヴィヴィアンさんは今日は休みですか?」
「確かに仲間といっしょに休みを取ってるんです。といっても宿屋で休むのも性に合わないから出たはいいものの、やることがなくて暇なんですが……」
「ふん……。それじゃあ、あっちの公園までいっしょに行きませんか? たしかちょうど屋台が新作を出したそうです。私も一人で食べに行くにはどうかと思ってたんです」
「それじゃあ、ご一緒させてもらいます」
どうせすることもなかったのでヴィヴィアンはご相伴にあずかることにした。
「どうです、おいしいでしょう?」
「確かに……、おどろいた……」
日差しがさんさんと降る公園で二人は腰を下ろして並んでクレープを食べていた。アンがヴィヴィアンに薦めたクレープはたくさんの果物と生クリームが入ったオーソドックスな物だが、とてもおいしくヴィヴィアンを驚かせた。
彼らが腰を下ろしているのは広い公園の中央にある噴水のへりだ。この日は少し日差しで暑く感じるくらいの気候のせいか、子供が何人か服を脱いで水に入っている。
この公園はアレスが訓練していた所と違い一般向けに開放されている場所である。今も何人かの一般人らしき人が歩いている。
「ふふふ。初めて食べた人はたいてい驚くそうですね。かくいう私もトリスティアに初めて来たときには食べ物のおいしさに驚いていたたちですが」
「そうだったんですか」
「はい、いろいろな土地に行っていますがトリスティアほど常においしい物に出会える場所はそうありません。トリスティアは食べ物においても世界で随一ですからね。魔具が一番とびぬけているのは言うに及びませんが、食べ物関係でもトリスティアは優れているんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ、冒険者が危険域で手に入れてくる物といったら魔物の皮や特殊な鉱石のイメージが強いですが、食べ物だってすばらしいものがあります。マナが豊富な土地でそだった果実や動物の肉は他の土地で育てられた物よりもおいしいと言われています。だからこのトリスティアの中にある果樹園や牧場なんかの物はどれも外では高級品扱いされるほどの味です」
危険域の中にある町というのは冒険者以外にも利点があるということだ。
そうでもなければたったの20年で世界有数の都市にはなれないということだろう。
「と言っても危険域の中でしか育たない植物や魔物などから手に入れる食べ物の方がよりおいしいんですけどね。それらは養殖ができないので供給は冒険者頼りになる、だからまた冒険者の方が有名になるので町の外ではあまり評価されていません。やっぱりトリスティアの物なら冒険者の取ってくる物の方がいいとイメージされてますから……」
すこしばかり悲しそうにアンは語った。
牧場主などに知り合いでもいるのだろうか、とそう思いながらヴィヴィアンは話を聞いていた。
「彼らもどうにかして危険域原産の種を養殖しようと頑張ってはいるんですが、なにぶん成功例がありません。だから外から持ち込んだ物を育てるしかないんですよ。それでもこれだけおいしいんですが……」
そういってクレープを食べ終わったアンはハンカチを取りだし手を拭いた。
ヴィヴィアンも食べ終わったが、ハンカチなんて物は持っていないので噴水の水を少し手にかけて清める。
ちょっと教養の差を痛感しているヴィヴィアンにアンは本題とばかりに話を切り出した。
「ところで、どうやらあなたは何か身の回りのことで悩んでいるんじゃあるんじゃありませんか?」
「顔に……、いえ。なぜそう思うんですか?」
顔に出てますか、と聞こうと思ったがありえないと考え直して言い換える。ヴィヴィアンの顔は魔具である隠者のローブの力で見ることはできないからだ。
「これでも本を書くためにいろいろな人を見てきましたので」
前髪で良く見えない顔でもわかるドヤ顔である。一瞬メガネがキラッと光った気がした。
「これでも本を書くために冒険者についても調べてますから、そこらの人より詳しいつもりです」
「えーと、それじゃあ……」
冒険者についても詳しい、という一言におされてヴィヴィアンはこれまでのことを少しばかり話す。
知り合いの子が冒険者になりたいというからつきあっていること。ただ魔物との戦いが上手くいかず、それを教える当てもないので困っているということだ。
「ふーん、それはそれは……」
「どうすればいいんでしょうかね?」
「難しい問題ですね、少し待ってください」
考え込むように腕を組むアンだったが、おもむろに一冊の本を取り出す。
そのままページをぺらぺらめくり始めた彼女だったが、少ししたら本を閉じた。
「今の本は……」
「ああ、今の本は今私が書いている物です。それに取材内容なんかも一緒に書いているので……」
それを調べなおしたといった所だろう。
「本来なら原稿に書くべきなんでしょうが、私は本に直に書かないとやる気がでない性質でして……。それはともかく、その彼を冒険者として大成させたいのなら、やはり師匠を見つけるのが先でしょうね」
「やっぱりそれしかないでしょうかね?」
「はい。少しでも基礎があるのならともかく、まったく知識のない少年がただ剣を振っているだけでは強くなるのに時間がかかり過ぎてしまいます。ここは彼が剣で冒険者を目指すのだったら師は必要です」
「やっぱりそうなるか……。しかし師匠はどう見つければ……」
「それはやはり、どこかの冒険者チームに入るのが一番手っ取り早いですね」
ヴィヴィアンの頭に浮かんだのはグレゴリーだ。ほかには知り合いの冒険者などいないからだが。
「これは新人の冒険者たちがよくやるのですが、自分がなりたいタイプの冒険者がいるチームにポーターとして雇ってもらうんです」
「ポーター?」
「ようするに荷物運びですよ。冒険者たちは魔物と戦わなければならないので重くてかさばるものなんて持っていられません」
戦利品で両手がふさがってたら剣なんて振れないでしょう、とアンは笑う。ヴィヴィアンにはインベントリがあるために不要な心配だが、実際冒険者たちにとって戦利品をどう運ぶかはかなり重要な問題なのだ。
「だから荷物持ちの人を雇うんです。新人はたいていまずこのポーターをやります。先輩の冒険者たちの戦いを見たり、あるいは直接戦い方を教わったりして独り立ちするんです。それにポーターをやっていれば時間はかかりますがライフアーマーを得られますしね」
「それじゃあ、アレス君とはチームを解散して、腕のいい剣士のいるチームに彼を売り込むべきと?」
「うーん、それはそれで難しいですね。腕のいいチームにはポーターの申し込みだってたくさんありますし、繋がりがないなら難しいです」
稼ぎのいいチームには相応に質と量がそろった売り込みが来るのだ。そのチームとのコネがあるならともかく、実績のないアレスが売り込んでも雇ってはもらえないに違いない。
「ならとりあえずはどこかにポーターとして売り込むことにした方がいいんでしょうか?」
「いえ、あなたがいらっしゃるんですからそれはもったいないと思います。こうするのはどうでしょう、彼にはまずポーターとしての練習してもらうんです」
「どういうことですか?」
「ポーターと一口に言っても求められることはたくさんあります。魔物との戦いで仲間の邪魔にならないように動いたり、手に入れた戦利品を傷つけないよう攻撃を避けるといったところですね。それにポーター自身が木の実や薬草なりの知識を持っていれば採集を任せて他は周囲を警戒するといったこともできます。そういった熟練のポーターはどこのチームにでも入れるほど貴重です」
冒険者になろうとする人はほとんどの場合魔物と戦うことを選ぶことが多い。理由は様々だが、やはり華のない役割を担当したくはないといったところだ。それに体を張って魔物と戦う戦闘職とポーターでは
最初はポーターとして初めても、慣れてきた時にはライフアーマーを手に入れ戦闘職に移るのが普通である。
「なので、いいチームに入って勉強したいなら先行投資として採集の練習をした方がいいかもしれません。仮にポーターにならないとしても冒険者になるなら何が金になるか、金になるものをどう扱うかの経験は悪い物ではありませんから」
「そうですね……。彼とも相談して決めてみます」
「そうしてください。ああ、それと今の時期の採集でしたら実りの森なんていいと思いますよ。たしかちょうどミリティが旬ですから」
「ミリティ、ですか?」
「はい。おいしいですよ。ちょっと森の奥までいく必要がありますが、その労力に見合うとてもおいしい果物です。噛みしめるととても甘い果汁がじゅわっとあふれる、貴族にも愛好する人がいるほどの物です。いや本当においしかった……」
うっとりと話すアンを見ていると、ヴィヴィアンも猛烈にそれを食べてみたくなった。
「ただ衝撃で傷みやすい果物でもあるので市場にはあまり出回らないんですよね。利益を考慮しないのであれば採集と運搬の練習にはちょうどいいと思いますよ。上手く運べたというのなら実績にもなります」
「そうですか。何から何までありがとうございました」
「お礼なんていりませんよ。こうして調べたことを語るのは楽しいですしね。礼を言ってくれるならこれからもこうしていっしょにお話ししてくれる方がうれしいです」
いやー薀蓄を素直に聞いてくれる人って少ないんですよねとアンは苦笑する。
「……本当にありがとうございます」
朗らかに笑うアンにヴィヴィアンは軽く頭を下げた。
アレスと言いこの人と言い、自分は結構いい人ばかり出会うなあとヴィヴィアンは思った。異世界でも人情というのは存在するのだ。
ああは言われたものの、次に会った時には何かおごるくらいはした方がいいかもしれないと考えながらヴィヴィアンは宿屋への道を歩いた。
「それでヴィヴィアンさん、話ってなんですか?」
「ああ、それなんだが……」
アニーはその話をいつも通りヴィヴィアンの髪を拭きながら聞いていた。
この日はヴィヴィアンが兄の体調を慮って休みにしたわけだが、夜になりアニーの仕事が終わればいつも通りだった。
アニーが嫌がるヴィヴィアンをお風呂に連れ込み、アレスは部屋から逃げ出した。そして風呂から上がって髪を拭いている最中にアレスが帰ってくる。アレスは何度も繰り返しているうちにアニーとヴィヴィアンの風呂が終わるタイミングという物を理解してきている。
そういった方向で慣れるぐらいだったら声を聞いても平気になった方が楽だろうに。
そんな風にいつも通りの夜であったが、話の内容は違っていた。
「アレス君、他のチームに入るつもりはないか?」
「え?」
「はい?」
アレスとアニーの疑問の声が部屋に響く。
二人にとって意外な内容、アニーは昨日ヴィヴィアンにびしばし鍛えてやってほしいといったばかりであるし、アレスはヴィヴィアン以外とチームを組むことなど考えたことがなかったからだ。
「……え、と。どういう、ことですか?」
「昼間、知り合いから聞いた話なんだが……」
昼間アンに聞いた話をアレスに伝える。
剣を鍛えるなら師匠が必要であること。師匠を得るためには剣士がいるチームに入るのが手っ取り早いということ。そのためにしばらくポーターとして訓練した方がいいということだ。
全部話したヴィヴィアンは補足するように話す。
「アレス君はもう剣の武技『スラッシュ』を使えるんわけだから、剣の方向性で鍛えることは間違ってないと思う。何もやってない状態からスキルを会得できたんだからアレス君は剣に向いてるんだろうと思う」
武技と呼ばれる武器を使った技は、特定の武器を修めていく段階で会得できる武器を使った魔法のようなものだ。剣の初歩の武技であるスラッシュはただの剣による一撃であるが、それであっても、ただ剣を振っただけよりも高い威力をほこる。
さらに高位の武技となれば剣撃を飛ばしたり、切った周囲に強力な打撃効果が出たりするものもある。
そんな武技であるが、基本的に向いていない武器を使っていても会得することはできない。たとえば槍に絶望的に向いていない男が何十年槍を振るおうと槍の武技を会得できない。しかしその男が実は弓の才能を持っていた場合、それこそ簡単に弓の武技を会得できるだろう。
といってもそれは初歩の武技の話であって、高位の武技まで獲得するには才能があってもかなりの努力を必要とするらしい。
この話を聞いたときにヴィヴィアンが思ったことは、やはりゲームとは違うなということだ。ゲームならレベルアップしたときに手に入れたスキルポイントを割り振れば好きな武器の武技を会得できる。
そもそも画面の前でボタンを押しているだけのプレイヤーと命がけで戦う冒険者を比較するのが間違っているのだが、なんにせよ冒険者の中は才能という壁は結構目に見えて高いのである。
「だから君が……」
「ヴィヴィアンさんは……」
「ん?」
顔を俯かせて遮るように話し始めたアレスに違和感を覚えながらもヴィヴィアンは促す。
彼がこうやって人の話を遮ってまで話すのは彼女にとって初めての事だ。
「ヴィヴィアンさんは……、俺がそうした方がいいと思いますか?」
「ああ、これが一番いいと思ったが……」
「………………」
俯いたままのアレスはその言葉を噛みしめるように聞いていた。しばらく無言であったが、おもむろに顔を上げるとヴィヴィアンの言葉を肯定するように首を縦に振る。
「……確かに言う通りだと思います。明日からポーターとしてやってみます」
「うん、それじゃあ明日はギルドでカバンを買ってからいこう。いくらぐらいだったか……」
「…………お兄ちゃん……。」
そのまま明日の予定を立てる二人を複雑そうにアニーは見ていたのだった。
トリスティアの牧場主たちはトリスティアの外から持ち込んだ家畜を育てています。果樹園なども同様です。危険域のみでしか育たない植物や魔物は人間の手が入ると死にます。チャレンジ精神あふれる男たちは冒険者に頼んで苗木などを持ってきてもらいますが育成に成功したことがないです。




