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トリスティアの怪しい魔法使い  作者: 安籐 巧
第一章:自由交易都市トリスティア
17/22

エピローグ

 


 かつてこの世界には多くの神々がいた。

 人々は神々の庇護の下で繁栄を続けていた。

 しかしある時神々の頂点に立つ二柱の神、その一柱である黒の神がその状態に異を唱える。

 黒の神は自分たちよりはるかに劣る人間たちを守ることに疑問を抱いたのだ。

 黒の神は自身につき従う神々と支配する人間を率い白の神たちに戦いを挑んだ。

 黒の神たちはそれぞれが強力であったが、数の多い白の神たちの方が優勢であった。

 しかしある時を境に状況は一変する。黒の神が魔物を生み出したのである。

 この世界になかったそれら生き物は神々とは比べものにならないとはいえ、神々が使う力の一片を持っていた。

 神々に対しては弱すぎるそれらは、しかし人間たちに対しては強すぎた。

 世界のあらゆるところにばらまかれた魔物たちは人間を襲い、人間たちを守るために白の神たちは分散せざるをえない。

 そして分散した白の神たちを黒の神たちは殺していった。

 白の神側の神が幾柱も消え、人々もまた魔物に住処を奪われ数を減らしていった。

 このままでは白の神側は敗北する、そんな時に白の神たちに守られている人間たちがこういった。


 “自分たちも戦いたい”


 ただ守られるだけであった人々が立ち上がり武器をとった。

 そして白の神は自らたちの力の一部を人々が使えるようにした。

 神々の力を得た人々は魔物と戦えるようになる。

 あくまで魔物と戦えるようになっただけであり、負けることも多かった。

 しかし人々は連携を取り、効率的に力を使い、魔物の体から武器を作るなどして強くなっていった。

 その結果、人々は神の手を借りずとも自分たちの身を守ることができるようになる。

 しかし数で勝っていた白の神たちは、いまや白の神ただ一柱であった。

 黒の神たちも数を減らし続け、残りは黒の神一柱である。しかし黒の神の力は白の神を上回る。

 このままでは負ける、そんな時に一人の人間が立ち上がる。

 あくまで神は神にしか倒せない、そんなことは認めないと神々に挑んでいったのだ。

 誰もがその人間の敗北を予期し、しかしその人間は勝った。

 あくまで神々の力の一片しか持たないはずの人間が神々に打ち勝ったのだ。

 その人間に希望を見出した白の神はその人間のもとに向かいこういった。


 “我では黒の神にはかなわない。我らの希望を勇者に託そう”


 白の神はその人間、勇者に己の武器たる聖剣を託した。

 そして勇者と仲間は黒の神たちに戦いを挑み、ついには黒の神を倒す。


 “認めん!我が人間如きに負けることなど!”


 そう言い放ち黒の神は消え去った。

 そうして戦いは白の神の勝利で終わった。

 しかし白の神も自分達はもう人々のそばにいるべきではないと判断した。


 “人間は我が守らずとも大丈夫でしょう”


 そういい、白の神はその加護を人々に残したままこの世界から消え去った。

 彼らがいずこに消えたのか、それは私たちにはわからない。

 しかし私たちは忘れてはならない。消え去ってもなお私たちを守っていてくださる白の神のことを。






 そこまで読んで本を閉じた。今まで読んでいたのは『私たちと白の神』という名の、まぁ、絵本である……

 今いる場所は先日も来たトリスティアの図書館である。司書さんに六色神について知りたい、と伝えたところこれを薦められたのだ。低年齢向けの絵本は非常に大雑把であるが端的にまとめられていて、確かに何の知識も持っていない私にとっては有用だった。読んでいる間、自分に向けられる視線が気になることを除けば。

 閉じた本を元の場所に戻して町に出る。

 既に日は傾きつつある。異世界でも夕日は変わらず赤いので目に映る街並みも赤色に染まって見える。


 既にアレス君とリシアちゃんの誘拐事件から既に数日が過ぎていた。

 その間私はナイフやロープといった冒険者の仕事にあると便利な物を調達したり、今日のように図書館で調べものをしたりしていた。

 今日調べた物はこの世界の神話、この世界の成り立ちを説明するには欠かせないと言われる超メジャーらしい神話である。

 どうやら先日の誘拐犯が宗教がらみであるということなので調べたのだが……


「白の神、それに勇者、か……」


 人が魔物と戦えるようにと渡されたという神々の力。

 確かに魔物と戦うためにはそういった物も必要だろう。たとえ重火器があったとしても確実に勝てるとは言い難いような連中ばかりなのだし、そんな特別な物でもなければ人間はとっくに滅ぼされていてもおかしくない。

 ただ気になるのはアポカリプス・オンラインにおいては特にそんな設定はなかったということだ。確かに日本のゲームらしく世界各地の神話をもとにしたものやオリジナルの神々が敵や味方となって戦うといったことはあったが、白と黒の神だとかそういう話は聞いたことがない。もしかしたらまだ実装されてないフィールドやクエストなどでそういう物があったのかもしれないが、今はもう確認のしようがない。


 さらには勇者である。

 果たして神がいかほどの力を持っていたかは定かではないが、少なくとも魔物よりも弱いということはあるまい。それに打ち勝った勇者とははたしてどんな存在なのか。もしかしたら私と同じ、という考えが頭に浮かぶ。


「……考えてもしかたないな」


 まあ正直考えてもわかるわけがないので思考を切り替える。

 考えるのは昨日の、トリスティアに戻った後の事だ。


 アレス君とリシアちゃんを連れてこの町に戻ってきた時、この格好のせいで誘拐犯に間違われたがすぐに誤解は解けた。仮にアレス君が起きていなかったら話はもっとややこしくなっていただろうが……

 それはともかく、アレス君と目を覚まさないリシアちゃんは警備兵に歓喜の魚亭に送ってもらい私はそのまま事情聴取ということになった。黒いローブの誘拐犯やリルガンと名乗った魔法使いの話をすれば彼らの目の色が変わり、そのまま洞窟までの案内を頼まれた。

 既に日はとっくに沈み本来であれば調査などは翌日にすべきだとは思うのだが、私としてはわざわざ断る理由もないということで引き受けた。

 あっという間に装備を整えた彼らとともにさっき歩いてきたばかりの森を歩いた。


 特に問題なくたどり着いた件の洞窟。しかし私が去った時とは違い、独特の鉄くさいにおいが立ち込めていた。それに警戒しながら進む私たちが見つけた物は……


 もとの形もわからないほどに無残な死体の山であった。


 壁にはべったりと赤く染まり、ところどころに肉片が飛び散っている。

 洞窟中がそんな地獄絵図であり、私が拘束しておいた連中は例外なくその一部になっていた。洞窟内には動物の毛らしきものが残っていたために、おそらくは私が去った後に魔物が入ってきたのだろうと予測された。

 とりあえずそのまま中を捜索するのは危険だと判断されてそのまま帰ることとなった。入口を近くから運び出した岩でふさいだのち、後日改めて調べるらしい。


 被害者は無事、誘拐犯は全員死亡。

 それが今回の誘拐事件の結末であった。


 その後、私が倒した連中の中に賞金がかかっていた者がいたらしく、その賞金をもらう際に『黒の救済』という名前を聞いた。どうやら奴らが宗教組織という予想は外れていなかったらしい。いつの世も宗教がらみのことは面倒くさいというのは同じらしい。


 とはいえそんな陰鬱な事を考え続けるのも嫌なので楽しいことを考えることにする。

 考えることはこれから食べる夕食のこと、あの事件から泊まっている宿屋で食べる夕食はおいしいのである。トリスティアには世界中からいろいろな物が集まるらしく食物もまた例外ではない。腕のいい料理人がいる場所を選べばかなりいい物が食べられるとはアレス君の言葉だ。

 そして今現在私が泊まっている宿の料理人は腕がいいと評判であり、ここ数日それを食べている私も既にファンの一人なのだ。





「あ、ヴィヴィアンさんお帰りなさい。遅かったですね」


「ただいま、アレス君。ちょっと調べものがはかどっていたから時間を忘れてしまってね」


 ここ数日で既に聞きなれたアレス君の声に出迎えられながら部屋に入る。


 当たり前のようにアレス君がいるがそれも当然だ。私がここ数日泊まっている宿屋とは『歓喜の魚亭』、それもこの兄妹と同じ部屋なのだ。ちなみにかつて二人が泊まっていた二人部屋ではなく三人部屋なのでベッドはちゃんと三つある。

 あの事件の後、私はクライドさんに非常に感謝された。行方不明になったと聞いてすぐに探しに行った、というのも好印象だったのだろう。おかげで冒険者向け宿でもないにかかわらず私を泊めてくれると言ってくれたのだ。私としては念願の個室を手に入れるチャンスであるので飛びつかないわけがない。

とはいえ一つの誤算があった。アニーちゃんがかなり必死に私と自分達を同じ部屋にしてくれとクライドさんに頼みこんだのだ。いくら信用を得たとはいえクライドさんも難色を示したが……


『部屋がいっしょじゃなかったら、私がヴィヴィアンさんの部屋に行きますよ!』


 クライドさんも折れざるをえない熱意であった。

 まあ三人部屋でワンセットにした方が宿としては助かるということもあっただろうが結果的に私と兄妹は同じ部屋になった。

私としても既に素顔を知っている二人であれば同室で問題はないので承諾した。

ただ一つ、アニーちゃんの決意表明を聞いた時、クライドさんはしょうがないなぁ、と言わんばかりの顔をしていた。あの微笑ましいものを見る目は絶対に何か勘違いしていた。

 とはいえ下手に言い訳して最も隠したいことばらすはめになったら嫌なのでアニーちゃんには悪いがそのまま放置させてもらった。


 そんな経緯で住むことになった宿屋の一室である。

後ろ手に扉を閉めて、フードを勢いよく取っ払い、そしてローブの中に入れていた髪の毛も一緒に外に出す。首筋に空気が当たる感じが気持ちいい。隠者のローブは不自然なほど着心地が良く、中が蒸れるということもない、しかし一日中フードを被りっぱなしというのは気分的には嫌になるものだ。

 しかしこの隠者のローブは特殊な力で私の性別を誤魔化してくれるわけだが、しかしその力はフードを取った場合は働かないようであるので外すことは出来ないのだ。おかげで落ち着いて外せるのはすでに私の顔を知っているアレス君やアニーちゃんの前だけである。

 

「ふぅ……。ってどうしたアレス君?」


「…………いっ、いや何でもないですよ!」


 そんな私を見て赤くなっているアレス君に声をかける。

 彼は既に何度も私の顔を見ているというのにいまだになれる様子はないようだ。

 今のこの顔のありえない美人さはつい先日のある出来事(・・・・・・・・・・)で改めて思い知らされたがいい加減慣れてほしいものである。私にとって数少ない素顔で話せる兄妹の片方がこれでは私にとっても寂しい。


「いい加減慣れてくれないか、いちいち顔を赤められていたら私の方も恥ずかしくなる」


「い、いや、それは、その……。って、もうとっくに夕飯時ですし早く食堂いきましょう!アニーも待ってますよ!」


「…………、そうだな」


 あからさまに話題を変えてきたが実際もうすでにいい時間である。

 アレス君の強引な話題転換に乗っかって歓喜の魚亭の食堂に行くことにする。





 食堂には既に何席も埋まっている。宿の食堂といっても昼時と夕飯時には宿屋の客以外にも開放しているため混み合うのだ。


「あ!ヴィヴィアンさん、お兄ちゃん!」


 そんな食事をする客たちの話声で賑わっている中、アレス君の声と同じく聴きなれてきたアニーちゃんの声に迎えられる。

 既にいくつも人で埋まっている机の間を彼女は両手に料理をのせた皿を持って回っている。見ればわかるがアニーちゃんはこの食堂にて給仕を行っているのだ。


 あの事件の後、アニーちゃんは歓喜の魚亭で手伝いを始めた。

 最初は倒れたリシアちゃんの代わりに入っていただけのようなのだが、その後正式に雇ってもらうことにしたらしい。クライドさんの厚意で部屋に泊めてもらっているわけだがさすがにいつまでも頼っているわけにはいかないと部屋代を稼ぐために働きたいと申し出たそうだ。

 結構いっぱいあった賞金もあることだし、自分が払うといったのだが……


『そこまで頼るわけにはいきません。自分達の分は払いたいです』


 と言われてしまい、どうあっても譲る気はないようなので私が折れた。部屋割りのこともそうだがアニーちゃんは決めたことは人に何を言われようと曲げないタイプのようだ。


 ちなみにアレス君はアレス君で何かしているようであるが詳しくは知らない。

 本人が喋る気はないようだし、アニーちゃんからも気にしないでくださいと言われたので探ることはしていないのだ。たぶんアニーちゃんと同じく何かしら職を探しているのだろうとは思っている。

 はたして両親を亡くした二人がどういった選択をするかはわからないが、できれば応援してやりたいと思っている。


「いらっしゃいませ!今日はいいお肉が手に入ったからごろっとシチューに入れたそうです。おすすめですよ」


「あ、じゃあ俺はそれで」


「私もそれを」


「はい、わかりました。クライドさーん!シチュー二つでーす!」


 席を薦め、注文を取るアニーちゃん。数日やっているためか既にだいぶ慣れているようだった。ちなみにほかのお客さんからの評判も上々らしい。別に彼女の親でもなんでもないがなんとなく嬉しい。

 そうして席についた私たちだが、当然のことながら隠者のローブを着ている私は非常に目立っている。食堂に入ってきたときから視線がいくつも刺さっている。

 そして私に視線を向ける人たちの一人が口を開き……


「おう兄ちゃん!あんた今日も図書館に居たってな!」


 とてもフレンドリーに話しかけてきた。


「本ばっか読んでっとカビ生えちまうぜ!男ならなぁ……」


「いやいやこの兄ちゃんにそれいう必要はないだろ。なんせ子供助けるために単身郊外に飛び出すくらいだからな!」


 ちげえねぇ、と周りの男も賛同し一転ガハハハと大勢の笑い声があがる。

 見てる限りそこまで酒を飲んでいないのにこのテンション、最初のころは圧されるばかりであったが既に慣れてきた。


 しかしなぜこんなにも親父たちがフレンドリーに話しかけてくるかといえば、それはあの誘拐事件以降、私についての噂が広がったからである。

 数年前から続いていた行方不明事件の解決という話題は瞬く間にこの町中に広がり、それを解決した私についても人々の口にあがったのである。

 アレス君たちが誘拐されたと聞くや否や飛び出したのがよかったのか、広がった噂は信じられないほどに好印象なものであった。

 実力を持った冒険者であり他人を助けるために無償で尽力する人格者である、とそんな評価をされているのだ。おかげでこの食堂の人達のように温かい言葉をかけてもらえている。

 しかし評価はいいとはいえ、こんな格好に対して思うことはないのだろうか。

 そんなことを考えてアレス君に聞いてみたところ……



『もっとすごい格好の冒険者もいるからな』



 冒険者という職業のイメージが変わってしまいそうだった。

 たしかに武具屋には見た目がすごい鎧もあったが、しかし真面目にそれを着て道を歩く人がいるのか。信じられないと思ったがよく考えると自分も同じ穴のムジナだった。

 ともかくそんな背景のもと私はこの町に『冒険者ヴィヴィアン』として受け入れられたのである。


 と、ここまでで終わればよかった。

 しかし私の身の回りの変化は、まだ一つだけ残っているのだ。


「あの、ヴィヴィアンさん……」


 声の方向に振り向けばそこにいるのは、ここの看板娘のリシアちゃん。

 給仕が一段落ついたからかその手には料理を持っていない。だからこそ話しかけてきたのだろうが、しかし緊張からか口ごもり次の言葉を言えないようだ。

 その顔は若干赤らみ、その心内を表すかのように猫耳がピクピク動いている。年頃の少女のそんな態度は非常に微笑ましく、まわりの親父たちも少し声を潜めて見守る。むろん顔にはこれから起こることへの興味があふれている。


「えと、あの、その……」


 緊張をごまかすためか体の前で両手を遊ばせるリシアちゃん。なんどか言おうとしては止めることを繰り返し、しかし一度目を閉じて息を深く吸えば決心がついたのだろう。

 キッと目を開き私に……


「ヴィヴィアンさん! お姉様について何か知っていませんか!?」


 最近ずっと聞かされているセリフをまたのたまった。


 わぁー、またかよー……


 わりとうんざりしているためにこんな反応を頭の中で返してしまうのも仕方ないと思う。

 さてなぜ私はこんなことを彼女に言われるのか、そもそもお姉様って何、ということを説明するためには話を誘拐事件翌日まで戻さなければならない。






 アレス君たちを助けた翌日、私は二人の様子を確かめに歓喜の魚亭に向かっていた。

 洞窟内では解毒薬を飲ませておいたがやはりその後の経過は気になる。加えて、私の素顔を見たリシアちゃんにそのことを話さないようにと頼むためでもある。


「いらっしゃいませ……、あ、あなたは!」


 歓喜の魚亭に訪れた私を迎えたのはクライドさん。彼は入ってきた私を確認するや否やカウンターから出てきて手を取り感謝の言葉を告げる。


「ヴィヴィアンさん、娘とアレス君を助けてくれてありがとうございます。本当にあの時はどうしたらいいかと思って……」


 初めて会ったときは知り合いの子供のそばにいる怪しい奴、ということで固い対応であったが今は違う。こちらの手を握り頭を下げるその姿からは純粋な感謝が伝わってくる。


「いえ、アレス君は私にとっても知り合いですし。それでですが、アレス君たちは大丈夫ですか?昨日はいろいろありましたし……」


「二人とも元気ですよ。娘も今朝方目を覚ましました。それでも大事を取って二人とも部屋で休ませてますけどね」


 そういいながら嬉しそうに笑うクライドさん。

 そんな彼に二人に会わせてもらえないか聞こうとすると……


「ヴィヴィアンさん!」


 奥から現れたのはアニーちゃん。ただその手にはシーツらしきものが山のように積まれていた。そのまま私に近寄り、しかし自分が抱えているものに気づいたのか立ち止まる。そのまま手の中の物をどうするか悩んだようだが、結局そのまま私と話すことにしたようだ。


「おはようアニーちゃん。ところでそれは?」


「これですか?リシアちゃんがお休みだから私が手伝ってるんです。ただで泊まらせてもらうのは申し訳ないですから」


 昨日と違い明るく笑うアニーちゃんを優しい目でクライドさんは見ている。私もけなげなアニーちゃんに和んでいた。


「それよりも、お兄ちゃんに会いに行ってくれませんか。お兄ちゃんもお礼を言いたいだろうし……」


「こちらからもお願いします。娘も命の恩人にお礼をいいたいでしょうから」


 とんとん拍子でお見舞いに行くことが決まり二人がいる部屋に案内される。アニーちゃんは運んでいるシーツを置いてから合流するということでいったん別れることになった。





「アレス君、それにリシア。起きてるかい?」


 扉を開けて声をかけるクライドさんに続いて部屋に入る。

 ちなみに場所は客室の一つである。今は盗賊騒ぎで人が少ないために客室の空きが多いとはいえ、クライドさんは結構子煩悩のようだ。

 その中でアレス君もリシアちゃんも上体を起こして二人で話をしているところだったようだ。見る限りでは二人とも元気そうである。

 しかしアレス君、なぜ君はそんなにも苦い顔をしているんだ? そんなにベッドに縛り付けられているのは嫌なのだろうか?


「起きてるよお父さん。アレス君もね」


「俺もう大丈夫ですからベッドから出ていいですか?俺もリシアも普通に動けますよ」


 なぁ、と同意を得ようとするアレス君に対してリシアちゃんは苦笑いを返している。おそらくは私たちが来る前から繰り返していた会話なんだろう。


「まったく、アレス君ってば本当に元気ね。あんなことがあったばっかりだっていうのに……」


「いや、元気だからっていうより早くお前から離れたいんだって理由なんだけど……」


「ほらほら二人とも、話はそこまでにしておきなさい。ヴィヴィアンさんがお見舞いに来てくれたんだから」


「え!」


 大柄なクライドさんが傍にいるからか私に気づかなかったアレス君が慌てている。妹や良く知るクライドさんはともかく私相手に子供っぽいところを見せるのは恥ずかしいだろう。


「元気そうだね、アレス君」


「は、はい。おかげさまでこの通りです」


 そういって力瘤を作ってみせるアレス君。毒を吸っていたようだし心配していたが杞憂だったようだ。

 しかし、彼は苦い顔をするのは止めたが、何やら物言いたげな目で私とリシアちゃんを交互に見ている。いったいなんだというのだろう。


「ほらリシア、こちらがお前を助けてくれたヴィヴィアンさんだよ」


「助けていただいてありがとうございます、ヴィヴィアンさん。もう知っているかと思いますが、リシアと言います。最後に見たのがあの魔物に吹き飛ばされたところだけだったので心配だったのですが、そちらも大丈夫なようで良かったです」


 そんなアレス君の態度に気づかなかったようでクライドさんが私をリシアちゃんに紹介し、それにリシアちゃんのお礼と続く。リシアちゃんは同時に魔物と戦った私の身の心配もしてくれているようだ。


 クライドさんの娘ということだが別にマッチョということもなく、むしろ小柄な方と言えるだろう。綺麗な赤毛と、それと同色の猫耳、加えてまだ子供っぽさが抜けないものの整った顔立ちをしている。正直猫耳以外でクライドさんとの血縁関係をはかれそうにない美少女である。

 猫耳美少女とくれば、日本の男であれば反応せずにはいられまい。そんなリシアちゃんから向けられる純粋な感謝。別にそれが理由で助けに行ったわけではないが、役得だと言っておこう。


「あの、それでヴィヴィアンさん。一つお聞きしたいことがあるのですが……」


「っ! それは昨日の事でかな?」


 こくん、とうなずくリシアちゃん。

 フードで隠れた私の顔をじっと見つめるその目は、絶対に質問に答えてもらおうとする意思の固さを伝えてくるようだ。


彼女が私に質問することといったらまず間違いなく洞窟でみた私の素顔、あるいは戦闘力の事に違いない。というかそれ以外には思いつかない。

 そのことに関しては私自身話すつもりであったわけだが、今は同室にクライドさんがいる。正直あまりそれらについて知っている人を増やすのは嫌だが、ここでいきなりクライドさんに出ていってくださいと頼むのはおかしすぎるだろう。

 まあ、娘の命の恩人という立場であれば知られても口を閉じているよう頼めば大丈夫だろう。それならばそのままこの場で私の都合とか話してしまったほうがいいかな、と思っていたら……


「お姉様を知りませんか!?」


「……へ?」


 予想外な質問に驚いた。

 いや、まて。もしかしたら聞き間違えかもしれない。落ち着いて、もう一度質問を聞くんだ。


「……すまない。もう一回言ってくれるか?」


「ですから、あの洞窟の化け物を倒してくれたドレス姿のお姉様について何か知りませんか? あの後、私は気絶してしまってあの人に会えていないんです」


 聞き間違えではなかったようである。どうやらアレス君が先ほどから私に向けていた物言いたげな視線はこれが原因らしい。たぶん同じ質問を彼女にされていたのだろう。

 どうやら彼女は目の前にいる私とドレス・オブ・ヘルを着た私を同一人物だと思っていないようだ。はて、どうして? と考えればその理由は一つだけ思い当たる。


 私が吹っ飛ばされた時、あの場は濃い紫色の毒霧で覆い尽くされていた。

 目の前にいる化け物から目を背けることもできず、さらには毒霧によって視界を遮られている状況。彼女には私の装備変更のタイミングを見ることが出来なかったに違いない。

 そうなれば後は簡単な話である。化け物の一撃、彼女から見れば人がくらって生きていられるはずがないようなもの、を受けて吹き飛ばされた私に変わり新たな人が現れた、といったところか。


 これは別に彼女が鈍いとかそういう訳ではないだろう。何せ全身灰色ローブの男(仮)からのドレス姿の超絶美人である。変身シーンを直接見なければ同じ人物だとは思えまい。


「ですから、気絶した私とアレス君を運んだあなたなら彼女がどうしたか知ってますよね。アレス君は見てないって言うし……」


 どうやらアレス君はそのことについては気絶していて何も知らないということにしているようだ。道中で私がこの顔を隠したがっていることを知っているからこその判断だろう。

 しかし彼女の言葉で気になることが一つ。


「あの、お姉様って……」


「お姉様はお姉様です。私の命の恩人で、それで……」


 そして一呼吸。


「今でも脳裏に容易く浮かび上がるほどに鮮烈な容姿……。輝く銀色の御髪に宝石のような金の瞳、お顔はまるでかの天女が降臨したかのように整って……。いえ、体だって素晴らしいかったです。一度目にしたら離せなくなりそうな素晴らしい肢体でした。ああ、あのお胸に飛び込めたらどれほど至福でしょう、きっとお姉様なら優しく抱きしめてくれますよね。私の体調を気遣ってくれた時の目は本当に慈愛に満ちてましたし、きっと快く受け入れてくれるはずです。それでそれで、その後はきっと優しく頭を撫でて『よく頑張ったね』って褒めてくれるに違いありません。それで……」


「あー…………」


「む、娘が……」


「…………………………」


 アレス君がついに言っちゃったよ、といった感じで空を仰ぐ。クライドさんは娘さんのいまだかつて見たことがない様子に呆然とし、私はいったいどう反応すればいいかわからずただ彼女の語りを聞いていた。

 

 いや、本当にどう反応すればいいのだろうか。ここで実はそのお姉様とは私の事だ、とでも言ってフードを取ればいいのか。

いやなんかそれやばい気がする。こう考えている間にもリシアちゃんが語り続けている内容がだんだん18才未満お断りな内容に走ってきていることと併せてそう強く感じる。


 熱っぽく語り続けるリシアちゃんはまさに恋する乙女である。しかしその目はまさに狙いを定めるハンターであった。


「おまたせしました。ちょっと片づけに手間取って……、ってなんですかこの空気?」


 そこに登場したのはアニーちゃん。シーツを片づけて急いできたのだろう、少し息を切らしている。


「あの、みなさんどうしたんですか?」


「あっ、アニーちゃん。私がちょっと話しすぎちゃって……」


 アニーちゃんの登場によりリシアちゃんはようやく語りを中断した。すでに私の精神をがりがり削るような内容になっていた語りを中断させたアニーちゃんには拍手喝采を送りたい。というかアレス君もクライドさんも顔を見る限り同じような感想を抱いていそうだ。

 そんな私たちの事情を知らないアニーちゃんはなぜ私たちからそんな顔を向けられるかを理解できず首をかしげている。


「何を話してたの?」


「アニーちゃんには後で話すね。それでヴィヴィアンさん……。お姉様について何か知りませんか?」


 さすがにまた同じ内容を話すことはなく、もう一度私に件のお姉様について尋ねてくる。

 そんな彼女に対して私は……


「……私も最初の一撃で気絶してしまって、目が覚めた時には全部終わってて私も何も知らないんだ。だからそのお姉様という人も見てないよ」


 とりあえず全部知らないふりをすることしかできなかった。






 という訳である。

 げに恐ろしきは吊り橋効果、および性別の壁を超越した恋慕を抱かせる魔性の美か。


「はぁ、お姉様……。たなびく御髪も、冷たそうな、でも温かみを感じさせてくれる金色の瞳も全部が輝いてました……」


 恍惚とした顔でお姉様(私)について語るリシアちゃん。顔は赤らみ瞳は潤み、まさに絵にかいたような恋する乙女である。

 だが、だまされてはいけない。猫とは、肉食獣(ハンター)なのである。

 この体になってから、私はすでに二回も強大な魔物相手に立ち向かうことになった。

 そのいずれも私を殺しうる暴力であり、勝てるだろうとは思ってもやはり恐怖というものを感じたものだ。

 しかし今、リシアちゃんから感じる気配はその時以上の恐怖を私に感じさせていた。


「お姉様、早くお会いしたいです……。お会いしたら、挨拶して、お礼をして、そして…………。うふふ、うふふふふ、うふふふふふふ…………」


 その時の事を想像しているのか微笑んでいるその顔は、なぜか私の背筋に冷たい物を走らせる。


 だめだ、彼女にばれるのだけは絶対にだめだ……


「うふふふふふ……。ねぇヴィヴィアンさん。何か知っていることはないですか?」


「い、いや、だから私は気絶していてその人見ていないから……」


 薄く笑いながら顔を近づけるリシアちゃんに焦りつつも知らないと言い張る。私=お姉様という結論に至っていないのは幸いだが、こう何度も問い詰められるといずれぼろが出そうで怖い。というか実は気づいているうえで、怯えている私を見て楽しんでいるとかないだろうな?

……やばい、想像したら鳥肌立ってきた。ありえそうで本当に怖い……


「本当ですか?嘘ついてませんか?何か隠し事してませんか?なんだか……」


「おい、リシア!いつまでくっちゃべってるんだ、早く運べ!」


「はーい、お父さん今行きまーす!それじゃあ失礼しますね」


 そのまま尻尾を揺らしながら厨房に料理を取りに行くリシアちゃん。

 捕食者が去ったことにより、体に入っていた力が緊張とともに抜けていく。だらしなく椅子の背もたれに身を任せながら胸中で呟く。


 どうしてこうなった……




 * * * * *




 石造りの廊下を書類を手に持ちながら歩く。

 

 調度品の類は少なく、それを知らなければここが世界に名をとどろかせる冒険者ギルド、その頂点であるギルド長の部屋への廊下とはわからないだろう。ギルド長は基本的にそういった飾りの類には無関心なのである。

 彼女曰く、『飾りなんてなくても私がいればそれで十分じゃない』とのこと。

 誰が聞いても何いってんのこいつ、と思うだろう一言。しかし一度でも彼女を見れば自意識過剰と言い切れないと理解することになる。

 とはいえ外聞というものがあるのである程度は私たちが勝手に調度品などを置いておくわけだが。御客を招く時にはそういった見栄の部分にも気を使わなければならない。昔は知らなかったことだが見栄というのはとても大事なのである。

 そんなことを考えながら歩くうちに目的の扉にたどり着く。重厚な、魔物が出没する危険域でとられた木材で作られた見た目以上の強度を誇るその扉がギルド長室の入口である。


「ジャスティーナです。先日の一件についての報告に参りました」


 ノックして一声をかける。そしてそのまま返事を待たず扉を開けた。

 ギルド長室はギルド長が仕事をする場であると同時に生活する場所でもある。ゆえに一般にはすさまじい豪奢な部屋が想像されるわけだがそんなことはない。別に金やミスリルで部屋が構成されているなんてことはないのだ。普通に執務机があって、その他生活するのに必要な物が取り揃えてあるだけだ。

 ただ一つだけこの部屋に入った瞬間目に入り誰もが驚くものがある。それはこの部屋の壁を埋め尽くすように作られた本棚とそれを埋め尽くす本たちだ。

 窓もなく全周囲を本で囲まれたその部屋で、ギルドにとって主要な収入源である〈魔石光〉の光を反射する背表紙の群れに人は圧倒されるのだ。窓がないのは防犯上の都合でもあるが本棚の群れは完全にギルド長のわがままである。ギルド長は無類の本好きなのだ。

 そしてそんな部屋の中でギルド長は……



 机に突っ伏して思いっきり寝ていた。



「フローレンス様、起きてください。あるいはベッドで寝てください」


「……うぅん、別に寝たくて寝てるんじゃなくて……、いつのまにか眠っちゃってるだけだから無理ぃ……」


「……騎士リュアゼリスシリーズの最新作でしたか。楽しみの本が出たからと言って睡眠時間まで削って読まないでください。あれだけの事件が起こった直後なのですからいつ連絡が来てもおかしくないんですから。また副ギルド長に何言われるかわかりませんよ」


 うぅぅ、わかったぁ、としゃべっているというより唸っているような声をあげながらフローレンス様が顔をあげる。

 彼女は本を読みたいと思えば寝食削って読み込み始めるという悪癖を持っている。こういった状況は実の所あまり珍しくない。とはいえ仕事を遅らせるといったこともしないのであまり強くは注意できなかったりする。

 突っ伏していた顔を上げてフローレンス様が目元をこする。いまだ完全に眠気が取れたとは言い難く、時折首をカクッとしている様はまさに『私は寝起きです』と言っている感じだ。

 だが、そんな状態でさえ彼女の美貌は一切損なわれているようには感じない。

 一級の人形師が丹精込めて作り上げたかのような顔は寝ぼけ眼でも人間離れした美しさを感じさせ、流れるような金色の髪もまったくその輝きをくすませていない。さらには飾りのないシンプルな室内着であるにも関わらず人の目を引き付けるであろう黄金比のプロポーションも相変わらずである。

 本当の美人とは何をやっても美しく見えると彼女に出会って初めて知った。


「起きられましたか?では先日の誘拐事件に関する報告を始めます」


「ふぁ~い……」


 本当に聞いているのか怪しい反応であるが、こういう状態の時に何を言っても無駄なので流す。彼女はこんな状態でも話は聞いているのだ。


「犯人たちが拠点としていた洞窟を調べましたが、結局あの場で見つかったのはすべて獣に食われた死体だけでした。後日改めて捜索しましたが新しい発見はありません」


「……あいつらって『黒の救済』だったのよね?」


「はい。被害者の証言によればそう名乗った者がいるそうです。更に回収された遺体の中に傀儡師リルガンの物がありましたことからおそらく間違いないかと」


「ふぅあー……。とりあえず各国にも報告しとかないとね」


 リルガンという魔法使いは人を操る〈マリオネット〉の魔法を使い幾多の犯罪を犯していた。手段を選ばず、目的のためにはどんな外道も平然と行った彼は大陸中で指名手配を受けるほどの物である。


「被害者の証言によれば、奴らは地下にいた『王』に生贄をささげるために町人をさらっていたようです。ここ数年の行方不明者もその犠牲者で間違いはないかと」


「紫色の毒のオオトカゲ、ねぇ……。まともに動き出す前にけりをつけられてよかったわ。討伐隊を編成するにしても時間はかかるし、どれだけの被害がでたことか……」


「はい。単純に襲われる人だけでなく、周囲の地下水脈が穢されることからも多大な被害がでると予測されます。さすがは『王』というべきですね」


 魔物の中には『王』と呼称される強大な力を持った個体が存在する。

 それは普段から存在するわけではなく、ある時いきなりその場所に現れるらしい。『王』は生命力、攻撃力、人間に対する敵意などが通常の魔物より遥かに高く、加えて厄介な特性を持っているものも多いふざけた存在だ。

 さらには『王』はその周囲の同系統の魔物を束ねて軍隊のような物を作る場合があり、そんな場合にはなぜか魔物が生きていられないようなマナ濃度の薄い人里まで下りてくることもある。かつては『王』のせいで首都が滅ぼされかけた国もあるほどである。今では『王』はその存在が確認されたら即座に周囲の国が合同で討伐部隊を結成するということになっているほどのものだ。


「そしてそんな『王』を倒したという者ですが……」


「白きドレスと杖を携えた絶世の美貌を持った魔法使い。颯爽と現れ窮地に陥った少年少女を救い名乗ることもなく去って行った謎のオウジサマ、ってね。女性だそうだけど」


「フローレンス様。謎の、ではないでしょう」


「あら?誰も名乗り出てこないし、私は『王』を単独かつ魔法使いという身で討伐できる力量を持った人にも心当たりは持ってないけど……」


「誤魔化さないでください。私が最近冒険者登録をしたあれ(・・)のことを言っているのはわかっているでしょう」


 あの洞窟内にいたことが確認されており、さらには森を単独で歩くことが出来る魔法使いだ。件の美貌の魔法使いの候補としてはこれ以上ないほどに怪しい。そしてそれを確かめる方法はこの上なく簡単である。そのフードを取ってやればいいだけのことだ。しかし……


「調べればすぐにわかるであろう案件だというのに、なぜわざわざ圧力をかけて謎の魔法使いのままで調査を終えさせたのですか」


 国が総力を挙げて対峙すべき『王』。それの単独討伐を成し遂げるだけの力量を持った魔法使い、しかもこの冒険者ギルドがまったく把握していない者となれば、その者がどういった立場であれ調査は必要だろう。

 しかしギルド長からの指令によりその『王』を倒した者についての調査は不要とされ、加えて冒険者のヴィヴィアンについては身元がはっきりしているため詮索不要とされた。


「さらにはわざわざヴィヴィアンという者の噂を広めてイメージを良くしたり、いったいあの者に対してあなたは何を見ているんですか?」


 さらにはギルド長は子飼の部下に命じて彼女のいい噂を町に流している。もとよりよそ者に対して寛容な町ではあるが、ここまで早くヴィヴィアンが受け入れられたことの陰にはこのギルド長の影響が大きい。

 数日前にこの町に訪れたヴィヴィアンへのギルド長の対応は異常といっていい。本来であれば必要な素性調査をなくしたりするなど通常はありえないことだ。仮に犯罪者を登録してしまったとなれば冒険者ギルドの信用にもかかわる問題なのだから。

 詰問すればフローレンス様は目を細めながら話し始める。


「確かに異常な対応ではあるけれど、これは私が必要だと思ったからやっているの。それ以上の説明はいるの?」


「………………」


 既に眠たげに目元をこするなさけない女はそこにはいない。

 いるのは、各国の首脳陣に陰で『化け物』とまで称される海千山千のギルド長である。別にその眼光が鋭くなったり、上位の魔物が発するようなオーラを持ったわけでもない。

 ただこの状態のギルド長を前にするといつも思うことがある。


 この人はいったい何を見ているのだろう。


 目の前にいるというのに目の前の物を見ていないような目。

 何を考えているかを読み取らせないその目は、人であることを疑ってしまいそうなほどに整った顔と合わせて恐怖とも畏怖ともつかない感情を呼び起こしてくる。

 彼女が何を見て何を考えているのかを理解することは出来ない。なまじっか意思の疎通ができるがゆえに、逆にその不可解さが際立つのだろう。


「……あなたがそうおっしゃるのならきっと必要なのでしょう。どんなに荒唐無稽に思われることだろうとも、あとで必ず結果に結びつかせてきたあなたなのですから」


 彼女が何を見ているかは私たちにはわからない。そして彼女もまたそれを教えてくれる気はない。それがこのギルドの今まででありこれからでもあるのだろう。それが最善なのだろうと思ってはいるが……


「………………」


「もう、そんな顔しないでよ」


 不満に思う内面が顔に出ていたのだろうか、フローレンス様は私に笑いかけながらも困った顔をしている。私はいつも他人に無表情だと言われる性質ではあるが、この人は付き合いが長いからかいつも私の感情を察してくる。

 困ったような顔をしながら、少しだけ思案するように顎に指を添えて目を閉じる。そして口を開ける。


「……『英雄』という者は特別なの。それは何も力がどうとかそういう次元の話ではないわ」


 『英雄』。その言葉には何かしらの思いがこもっているように感じる。その思いがどういった物かまではわからないが。


「『英雄』はただそう生まれただけで既に『英雄』なのよ。彼らが『英雄』であるためには、力だとかそういった物は一切必要ない」


「………………」


「もちろん、あった方がいいことは確かだけれどもね。でもたとえそんなものがなかったとしても、彼らは『英雄』として生まれたその時から既に『英雄』となっている……」


 いきなり話し出した内容は私には理解できない話できず、困惑する私に対してフローレンス様はうふふ、と笑うのみである。


「……そもそも英雄とは、何かしらの成果を出した者をさす言葉だと思うのですが?」


「うん、そのとおりね。まったくもって正しいわ。だからこれはただの戯言、言葉遊びに過ぎないわ。だから覚える必要も考える余地もないわね」


 怪しげな笑みを浮かべるフローレンス様は暗に、この話はこれで終わり、と語っているのだろう。恐らくはこれ以上何かをしゃべることはあるまい。

 いろいろと独断で独自に独特の策謀をめぐらせる彼女ではあるが、それは結果的に身内にとってもいい結果を出すというのが常である。そんな人だからこそ、この人はこういうものなんだ、と皆諦めながらもついていくのだ。

 今回のこれも、また最終的には皆納得することになるのだろう。途中式はさっぱりわからずとも、フローレンス様にはその結果が既に予測できているのだろうし。

 ならばあとの問題は……


「わかりました。ではこれに関してはもう聞きませんし、みなにもそういっておきます」


「助かるわ。何ども同じ説明を繰り返すのは苦痛でしかないものね」


「ええ、そのとおりだと思います。私にとっても、同じことを何度も注意するのも苦痛でしかないのですから」


「へ?」


 変わりだした空気を察したのか疑問の声を上げるフローレンス様。


「先日、近くの書店において非常に面妖な二人組のお客が本を求めてきたそうです」


「へ、へー……」


「無関係なふりをしても無駄です。また趣味の変装でもしたのでしょうが、あなたの事を知っている人物であれば一目瞭然です。そもそも、既に馬鹿弟子から仔細を聞き出してあります」


 無理やり連れ出された挙句にアリバイ工作にも協力させられていた私の弟子からは既に尋も……、もとい優しく聞き出しておいてあるのだ。素直に話してくれたために今回のお仕置きは少々軽めである。

 今頃はほんの十時間ほどぶっ続けで組手を行う程度で許してあげる私の優しさに感謝して涙を流しているだろう。その泣き顔がたまらな……、ゲフンゲフン。


「んな!ジークの奴!聞かれても答えるな、と言っておいたのに!」


「さて、以前にも言いましたが、御身が冒険者ギルドの最高権力者であるという自覚はありますか?そのあなたは様々な連中から命を狙われている自覚は?万が一、あなたの首がとんだ場合にいかなる混乱が起きるのか、それだけちゃんと考慮していましたか?」


「こ、これは私が必要だと思っているからやっているの。そ、それ以上の、せ、説明は必要かしら?」


 噛みながら話すフローレンス様には、既に先ほどまでの威圧感は存在しない。ゆえにそんな返し方をされたところで……


「ええ、ぜひとも真意を理解できない私に説明をしてほしいですね。大丈夫です、既に私の仕事はあらかた終えて時間はたっぷりあります」


「わ、私の仕事が……」


「問題ありませんよね。なんせ今の今まで本読んで寝てたんですから」


「う、あ、え、その……」


 妙な格好で本を買いに行く悪癖は常々やめてもらいたいと思っていたことである。だから今回はいつもより多めにお叱りさせてもらいますよフローレンス様。

……いいえ、これは別にあなたの腹心として、私情を抜きにしてあなたのためにやっていることです。

別に腹心なのに相変わらず隠し事をされることに対する意趣返しとかそんなことはないですよ。




 * * * * *




 アレス君と部屋に戻ると同時にフードを取っ払いベッドに倒れこむ。

 ちなみにリシアちゃんはまだ食堂である。仕事はまだ終わってないのだ。


「疲れた……」


 おすすめのシチューは大変おいしかった。が、すぐそばにいる肉食獣の気配に怯えて素直に楽しむことは出来なかった。ライオンの気配に怯えながら草を食べるシマウマの気持ちがよくわかる時間であった。いつかシマウマと接する機会があれば、私は最上級の愛情を持って彼らと触れあえることができるだろう。


「どうして食事でここまで精神すり減らさなきゃならないんだか……」


「リ、リシアもしばらくしたら落ち着くと思いますから、それまでの辛抱ですよ!」


 アレス君の励ましが耳を通り抜ける。

 確かに、いずれはリシアちゃんも一向に会えないお姉様(私)ではなく普通に男に恋をするに違いない。今のリシアちゃんは思春期にありがちな、恋に恋するお年頃というやつだろう。今は性別の壁も忘れるほどに熱くなっているが、少しすれば冷めて普通に男に恋する乙女になるに違いない。


…………そうなるよね?


 自分で考えておきながら、頭のどこかであれはクールダウンすることはないだろうなと絶望的な意見が鎌首をもたげる。あのリシアちゃんの様子を見る限りは冷めるのはよっぽどのことがない限り無理だろうと。


「……………………うぇー……」


 ベッドにうつぶせになりながら力なくうめく。その体制でいると感じる髪の毛の重さにもまた気分を落ち込ませられる。


 ああ、なぜかつての自分は女キャラなんて作ったのか。男としてこの世界に来られれば、素直に猫耳美少女に慕われるというリア充展開を喜べたかもしれないのに……

 女の身で来てしまったせいで男には気持ち悪い欲望の視線を向けられ、女からの恋慕は捕食者の空気のせいで恐怖しか感じない。本当にさんざんである。


「…………これからは本格的に頑張らないとな……」


「どうしたんですか?」


「いや、明日からはしっかり冒険者として働かないと、と思ってな」


 実をいうとあの事件以来まだ町から出ていない。つまりは冒険者としての仕事はしていないのだ。

しばらくは生活に困らないほどの資金を手に入れたとか、外に出るための準備、装備や情報といった物を集めていた、という理由である。

 当面の生活資金が手に入ったこともあり、なんとなく準備を進めつつもだらだらしてしまったわけだが、一定期間以上冒険者として仕事をしなければペナルティーもかかるのでいい加減にするべきだろう。ついでに今のリシアちゃんから距離もおくことができて一石二鳥である。

 いやー、やはり人は働かないとダメなんだな、と思案している私だったが、ふとアレス君の方を見やればなんだか様子がおかしい。

 こちらの方を見つつ、何かを言いたそうにしつつ、しかし言い出せないといった感じで口を動かしている。なんか先ほどのリシアちゃんを思い出してしまいそうでちょっと嫌だ。

 なので……


「何か言いたいことがあるのか、アレス君」


 こちらから聞くことにした。

 アレス君も自分の態度がおかしいことは自覚していたようで私の質問にも少しびくっとした程度である。


「ヴィヴィアンさん。もうすでにいろんなことでお世話になっている身で心苦しいんですが、あなたにお願いしたいことがあるんです」


「なに、いったいどうしたんだい?」


 アレス君の真剣な態度に私も姿勢を正して相手をする。ここのところ、彼は私の知らないところでいろいろやっていたようだがそれと関係あることなのだろうか。

何か困っていることがあるなら何でも相談してほしいと思う。こうして相談してきたということは、きっと彼一人の手では負えない事態なのだろうし、今だったら手持ちは結構あるのでいろいろ助けられると思う。

商人になるための準備の手伝いなのかな、と頼みを予想していた私に対してアレス君は傍に置いていた鞄から最近私も見慣れてきた物を取り出す。


「冒険者カード?」


 彼が私に渡してきたのは冒険者カード。それも表面にアレス君の名前が書かれたものである。それが意味することはつまり……


「え、えっと、アレス君。これ……」


「昨日、冒険者ギルドに行って申請しました。装備に関しても、既にいくつか買ってあります」


 そういって彼はベッドの陰から細長い形状の物を取り出す。

 それはいわゆる鞘に入れられたショートソード、魔物と戦うための武器である。


「え、そのお金は……」


「親父たちが遺してくれたお金です。アニーにも納得してもらったうえで使ってます。おかげでほとんど使ってしまったので、アニーはここで仕事をすることを決めましたが」


 ああ、それでいきなりここで仕事をすることになったのか……

 ってそうじゃない! 


「ここまで頼るのは図々しということはわかってます。だけど俺にはこういうことを頼める当てがあなたしかありません」


 混乱する私をよそに話を進めるアレス君。

 冒険者になるという決意は固いようで、その顔は真剣そのものだ。


「だから、お願いします。荷物持ちでも構いません。あなたの冒険について行かせてください」


 頭を深く深く下げるアレス君の決意に、私はどう返すかも思い浮かばず呆然と立ち尽くしていた。


7/26 六色神→白の神と黒の神 に変更。六柱もいらなかった。

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