第七話 紫色の湖
前回の更新から一か月も過ぎてしまいました……
そろそろ忘れられてしまっていそうですが更新。
6/8 シャドウとリルガンの会話を少し変更。シャドウはヴィヴィアンの戦闘を見ていません。
「私から離れるなよ」
「はいヴィヴィアンさん」
洞窟の奥へと走りながらアレス君に言う。
今までと違いアレス君の走る速度に合わせるために少し遅めである。
とはいえアレス君の走る速度はなかなかに早いためそこまで気にしていない。
商人にも体力が必要だとは思うが、正直アレス君の体力は予想以上である。
「アレス君、けっこう鍛えているのか?」
「いえ、特にそういうことは……」
走りながら話してもたいして息を切らすこともない。
まあこの世界の平均レベルというものがわからないからすごいかどうかはわからないが、彼がついてこれるかいちいち確認せずに済むのは助かる。
リシアちゃんの情報を聞きだして部屋を飛び出した後はひたすらまっすぐ進んでいる。
道はゆるやかに地下に向かって進んでいるうえに空気がだんだん淀んできた感じがする。
奥にいる、としか聞かなかったが奥になにがあるのだろうか?
「ヴィヴィアンさん、あれ!」
「ああ!」
道の奥に扉が見えた。
両開きの扉に手をかけ開けようとするが開かない。
アレス君も追いつきいっしょに力を入れるがびくともしなかった。
「くそっ!鍵がかかってやがる、リシアっ!」
アレス君が扉の向こうにいるだろうリシアちゃんに向かって叫ぶ。
よく見れば扉にはいくつもの南京錠がかけられ、さらには扉自体も相当頑丈そうに作られていた。
「アレス君、どいて」
――《ショック・ウェーブ》
扉に向けてブラスティング・ロッドの特殊能力を使う。
文字通りに人を殴り飛ばせる腕力でもこの扉は壊せなさそうな気がするので素直に武器を使う。
衝撃波が直撃し重低音が狭い通路に響きわたる。
見た目通りに頑丈なのか一撃で開きはしなかったが、無傷ではなく大きく歪み扉の先が少し見えていた。
それを確認して二撃、三撃と続けて衝撃波を放つ。
二撃で蝶番が緩み、三撃で蝶番が埋め込まれた岩壁に亀裂が走る。
「これ、でぇっ!!」
最後は気合を込めて杖を振り下ろした。
外れかけの扉に衝撃波を使えば扉が飛んで危ない可能性もあるので手加減した。
さんざん浴びせられた衝撃波により壊れかけていた扉はそのまま斜めに倒れて見た目に合った重低音を響かせる。
その音が聞こえたか聞こえないかといったタイミングでアレス君は先に駆け出す。
扉から出た先はドーム状のかなり広い空間だった。
あの洞窟は少しずつ降って行くようになっていたため、いつの間にかけっこう地下深くまで来たということだろう。
見上げれば天井まではかなりの距離があり地下でありながら閉塞感はあまり感じない。
その開けた空間のちょうど中央にある石でできた台の上で少女が眠らされていた。
「リシア!」
その少女を見たアレス君がそう叫ぶ。
どうやらその少女が件のリシアちゃんであっているようだ。
幸いというべきか、見た限りでは暴行を受けたような痕跡はない。
「リシア!おい、リシア!!」
「う、う~ん……」
必死に名前を呼ぶアレス君に対してまさに寝起きといった感じの声を返すリシアちゃん。
少し間抜けなその様を視界の端に収めながら、私はあたりの異様な光景を見渡していた。
私が破壊した扉からは上り坂になっていたために見えなかったが、このドーム状の空間の半分ぐらいは水に沈んでいた。
地底湖とでもいうべきなのか、おそらく水深は深いと思われる。
おそらく、と前置きが付くのは水に濃い色がついているために全然水の中が見えないからだ。
「紫色?」
この空間は壁に光を放っている苔のようなものがびっしり張り付いているために明かりには困らない。
そのおかげで異様な色をした湖がしっかりとよく見える。
この広い空間の半分を埋め尽くす水は毒々しく光を反射している。
なんだ、ここは?
周囲を見渡しながら考える。
そもそもなぜあの黒ローブたちはアレス君たちを誘拐したのか。
リシアちゃんを見つけることだけを考えていたせいでそれをまったく考えていなかった。
時間をかけていられなかったとはいえ迂闊だったと言わざるを得ない。
今更ながら嫌な予感がしてきた。
「おい!いい加減起きろ!!」
「う~~……、あれ、ア、アレス、君?」
リシアちゃんが目を覚ましたようだ。
深く眠らされていたためかまだ寝起き特有のぼんやり顔であるが。
父親とよく似た髪の毛と同じ色の赤毛の猫耳がぴくぴく動いている。
「ね、ねぇ、アレス君。ここは……?」
「大丈夫か!けがは、あいつらに何かされなかったか!」
どうやらリシアちゃんにここまで連れてこられた時の記憶は無いようで今の状況がよくわからないようだ。
そんなリシアちゃんの身を心配するのに必死なアレス君に対して戸惑っている。
ほほえましい光景ではあるものの、それを悠長に見ている場合ではないかもしれない。
「アレス君、話は後にして。とりあえず彼女を連れてここから……!」
唐突に背筋に冷たい物が走るような感覚に襲われる。
その感覚に従い湖を見やれば、その色がどんどん変化していっている。
もとより濃かった水の色がより濃く、毒々しい色に染まっていく。
水面は先ほどまでと打って変わって激しく波立っている。
そして私の肌にもぴりぴりとした感覚、エルダートレント・ロードと相対していた時と同じ感覚が走る。
そしてそれがわかった瞬間、水面から何かが勢いよく飛び出してきた。
同時に紫色の水が勢いよく津波のようになだれ込んできた。
「動くなよ!」
――〈アイスウォール〉
アレス君たちのそばに近寄り波に対して氷の壁を生み出し防ぐ。
壁は見事に役割を果たし毒々しい水から私たちを守り切った。
しかし代わりに横から流れて行った水はこの空間の唯一の出口を水で満たしてしまった。
扉のあたりは横から見ればちょうどUの形の底の部分にあたるようで自然に水が引いてくれる様子はない。
なにより、水が引くのを悠長に待っている余裕はないようだから。
「な、なにあれ…………」
リシアちゃんが呆然と呟く声が遠くに聞こえる。
湖からは先ほどの波の原因になった存在が顔を出していた。
水から飛び出してきた存在は一言で言えばとても大きいオオサンショウウオである。
ただしその皮膚から絶えず流れている粘液は毒々しい紫色、この巨大な地下湖を染めているものと同じである。
緑色の皮膚から紫色の毒を垂れ流すその怪物はゲームの中でであったことがあるモンスターだ。
「ヴェノムサラマンダー……!」
こんな場所で遭遇するとは思いもよらなかったボスモンスターである。
こいつはゲームでは毒沼のダンジョンの最奥で戦える奴だったはずだ。
それがこんな場所にいるとは……
「ヴィヴィアンさん!」
アレス君の声に考え事を止めて目の前を見る。
ヴェノムサラマンダーはその濁った目でこちらを見つめている。
サンショウウオの表情なんてわからないが、どう考えても友好的とは言い難い雰囲気である。
というよりもそれは道中の魔物たちと同じような……
「アレス君!リシアちゃんを連れて逃げろ!」
そう叫ぶのと同時、ヴェノムサラマンダーがその口を開けてこちらに突っ込んできた。
その巨大な体躯にふさわしく巨大な口の中にずらりと並ぶ鋭い歯がしっかりと目に映る。
「ちっ!」
――〈アイスウォール〉
氷の防壁をヴェノムサラマンダーの目の前に作り出す。
とはいえこの魔物はエルダートレント・ロードほどではないが上級のボスであるためこの程度では足止めにもならない。
実際、その巨体がぶつかった途端に砕けて消えてしまった。
――〈ピアース・アイシクル〉
「リシアちゃんといっしょに離れて!こいつはやばい!」
壁にぶつかって一瞬動きを止めた巨体に氷柱を叩きこむ。
しかし人の長さほどの氷柱が数本刺さろうとも、ヴェノムサラマンダーは何も問題はないと言わんばかりに尻尾を振り回している。
――〈ピアース・アイシクル〉
それを確認しながらもひたすら魔法を放つ。
今度は相手と自分達の間に落とすように魔法を放ち、こちらに近づくことを防ぐ。
とはいえいくらかの魔法は相手に当たっているのだが相手はほとんど傷ついたように見えない。
まったく効果がないわけではないためか足止めはできているが、いずれは無理してでも突っ込んで魔法を使う私を倒すという選択肢を取る可能性が高い。
火力が足りない!
今の状況はその一言に尽きる。
『ヴィヴィアン』はひたすら魔力を高めた、火力タイプの魔法使いである。
しかしこのレベルの魔物相手になるとただの中級魔法では足止めぐらいにしかならない。
とはいえ前衛となって攻撃を防いでくれる人がいない以上、詠唱が必要な上級以上の魔法は使えない。
使うためには装備を変える必要があるが、今装備を変えようと魔法を止めれば確実にこちらを倒しに来るだろう。
とりあえずアレス君たちが安全圏に逃げたらどうにかして……
そんな私の考えをあざ笑うようにヴェノムサラマンダーがいきなりその身を震わせ始める。
そして喉元までこみあげているものをこらえるように身をすくませ……
「……!早く逃げろ!!」
アレス君をせかすが遅かった。
ヴェノムサラマンダーの口から濃い紫色の霧が噴き出す。
その霧の勢いはすさまじくあたり一帯をたちまち紫色に染め上げた。
「な、何、何なの……!ゲホッ、ゲホ、ゲホ!」
「リシアっ!大丈夫か!」
紫色の霧を吸ったリシアちゃんが激しく咳き込み、アレス君はそんな彼女を支えている。
アレス君は大丈夫そうだがリシアちゃんの方は歩くこともままならない様子だ。
「二人ともこれ飲め!それでなるべくこの霧を吸わないようにしろ!」
アレス君とリシアちゃんに解毒薬を投げ渡しながら指示をする。
あたり一帯を覆い尽くす霧に対してどうしろとも思うが、私自身も結構余裕がない。
私もまたなにやら体の中がじくじく痛むような感覚に襲われていたからだ。
目の前のヴェノムサラマンダーがゲームと同じ能力をもっていると考えるなら、この霧は見た目通りの毒霧だろう。
そしていま私たちを襲っている症状が毒状態だと思われる。
とりあえずリシアちゃんのように動くこともままならないという状態にならないのはライフアーマーのおかげだろう。
ライフアーマー、効果としてはゲームみたいな戦い方ができるというだけの物であるが現実的に見ると相当すごい代物である。
とはいえそれで身を守れるのは自分だけ、彼らはそのまま毒を浴びている状態だ。
この毒霧の中ではいくら解毒を行ってもしばらくすれば再び毒状態に戻るためにそもそも毒状態にならないような装備をするしか対処法がなかった。
リシアちゃんたちに解毒薬を渡したのも結局気休めにしかならない。
だからこの場合、毒の元を絶つことが最善策なのだが……
「ヴィヴィアンさん!」
アレス君がこちらを見ながら私の後ろを指差す。
それに反応を返す前に背中に巨大な何かがぶつかり、そして自分の体が勢いよく吹き飛び岩壁に激突する感覚を味わった。
全身に激痛が走る。
その痛みに体をこわばらせている間にさらに頭上から崩れた岩壁の破片が降り注いだ。
しくじった。
アレス君たちを気にするあまり魔法を撃つことを止めてしまった。
その隙をつかれて接近されて尻尾あたりで殴り飛ばされてしまった。
アレス君たちに薬を渡すことと、ヴェノムサラマンダーに対しての牽制を並行して行えなかったからである。
当たり前のことなのだが自分は戦い慣れしているわけではない。
魔法を自在に扱えるために忘れがちだが、自分は決して戦いが上手いわけではないのだ。
仮に銃で百発百中で的に当てる技術を持った人がいても、その人が戦場で無敵かといえば決してそうではないだろう。
今の攻撃に対してだって決して対処のしようがなかったわけではない。
杖術スキルの中には回数限定だが相手の物理攻撃を受け流すスキルだって存在するのだから。
技術があることと、その技術を活かすことは別物だ。
魔法を上手に使えるからと言って上手に戦えるとは限らない。
そのことを思い知らされてしまった。
とはいえ……
「『change,equip→ドレス・オブ・ヘル』」
だからといって必ずしも負けるとは限らない。
今すぐ戦いの技術を会得するのは難しい、であればより一層ステータスを強化する。
技術がないならば技術がなくても大丈夫なようにするだけである。
誰かもこういっていた、戦いは火力、と……
* * * * *
「ヴィヴィアンさん!」
吹き飛ばされたヴィヴィアンさんに向けて声を上げるも答えは返ってこない。
この濃い紫色の霧のせいで良く見えないが、岩壁のところまで吹き飛ばされたようだった。
いますぐ駆け寄って安否を確かめたいが、それをさせてくれない存在が目の前にいた。
「ひ、ア、アレス君……」
隣でリシアが震えながら俺の体を掴んでいる。
ヴィヴィアンさんを吹き飛ばした化け物、ヴィヴィアンさんがヴェノムサラマンダーと呼んだそれはあたりを首を動かして観察している。
おそらくはヴィヴィアンさんのようなものがほかにいないか警戒しているのだろう、確認が終わればすぐに動き出すに違いない。
リシアの方を見れば先ほど投げ渡された薬のおかげで動くぐらいはできそうであるが本調子とは言えないだろう。そもそも走って逃げたところでこの化け物から逃げられるとは思えないが。
水に沈んでいる出口の方を見やる。
紫色の水に沈んでいて自然に流れ出す様子はない。
そしてたぶんあの水は毒なのだろう。潜って出口を通るのはリスクが高すぎる。
そうであれば、選択肢は一つだけである。
できるだけ化け物の注意をひかないよう小声で話をする。
「リシア、今すぐヴィヴィアンさんが飛ばされた方に行ってあの人を起こせ」
「ヴィヴィアンさんって……、今のローブの人だよね。だけどあっさりやられちゃったよ?」
そんな人を起こしてどうするの、と疑問顔のリシア。
俺にとってもヴィヴィアンさんがあれほどあっさりやられてしまったのは予想外であった。今回の場合は俺たちがかなり近くにいたから気にし過ぎていたのかもしれない。こういったように守りながら戦うことには慣れていないのかもしれない。
それはともかく、俺がヴィヴィアンさんにしてほしいことは戦ってもらうことではない。
「あの人は青属性の凍結魔法を使える。だから出口の水を凍らせて砕けばここから出られる」
彼女の魔法を使えば毒を浴びずにここから脱出することもできる。あの狭い通路をこの化け物が通れるとは思えない以上、ある程度離れれば安全圏といってもいいだろう。万が一、周りの壁をひたすら壊すなどして通ってきたとしても、通路にはほかにも餌がたくさんあるためそちらに気を取られる可能性も高い。
我ながら下種な発想ではあるが、そもそも俺たちをこいつの餌にしようとした連中のことを考慮してやるつもりはない。
「わ、わかったけど、アレス君は?」
「それは……」
何も言わず行ってくれればいいのにリシアが俺の事を尋ねてくる。
あくまでヴィヴィアンさんのもとに行かせるのが自分だけということが気にかかったのだろう。
「少しでも時間を稼ぐさ……」
今すぐ襲ってくる気配はないが俺たちが動き出せば目の前のヴェノムサラマンダーも動き出すだろう。そうなればヴィヴィアンさんの元にたどり着けるかどうかすら怪しくなる。そうならないためにも奴の気を引く囮が必要だ。俺はなぜかこの毒霧を吸っても体がじんじん痛む程度だからリシアよりも囮はできるだろう。
「そんな!そんなの無理だよ!」
「いいから早く行け!」
リシアが思わずといった様子で叫び、それに反応するようにグリン、と俺たちの方を見るヴェノムサラマンダー。これ以上余裕はないだろう。リシアの言葉を無視して気を引くために奴の目の前を走る。
「グフゥッッ!!」
激痛が走る。
俺の目には見えない速度で何かが当たり、その結果俺もまた吹き飛ばされた。幸いにも手足がなくなってるだとかいうことは無いようだが、今までにないほどに体に力が入らない。今の一撃で活力のすべてを奪われたかのような感じだ。
「アレス君!!」
「……ば、か……。さっさ、と……」
そんな俺のそばにリシアが駆け寄ってくる。
ばか、さっさとヴィヴィアンさんの所に行けよ、そんな言葉も満足に口に出せない。そんな状態の俺を必死に揺さぶるリシアだがそれに反応するだけの力もない。しかも吹き飛ばした俺をじっと見つめる濁った目があるというのにリシアは俺から離れる様子がない。
「リ、シア……。はや、く……」
「そんな!アレス君を置いてなんて!!」
後ろの濁った目に気づいた様子もなく叫ぶリシア。
そんな俺たちに静かに近づいてくるヴェノムサラマンダーにここまでか、と覚悟してしまったその瞬間。
「遅くなった」
その声とともにヴェノムサラマンダーの顎下からその頭並みに太い氷の柱が勢いよく飛び出す。
先ほどまでくらってもほとんど反応しなかったヴェノムサラマンダーだったが、これにはさすがに耐えきれなかったのだろう。掬い上げるような一撃でのけぞりながら浮かび上がり背中から水面に叩き落とされた。
最初に起こされた以上の波が起こるが続けて地面から生えるように現れた氷の壁をそれを全てはじいた。
「……え?え?」
「あとは任せろ。これなら、あの程度に負けはしないから」
リシアはいきなりの展開についていけずおろおろし、逆に俺はこれを成した人に心当たりがあるために冷静だった。
そしてなけなしの力を首に入れて声がした方向に回せば、予想した通りの姿がそこにあった。樹の化け物と戦った時の青い燐光を放つドレスを纏ったヴィヴィアンさん。その輝きは紫色の霧の中でもくすみことなくきらめいている。手に持った杖も先ほどまでの木の杖ではなく象牙のような物と水晶で作られた不思議な輝きを持った杖である。
リシアもようやく彼女に気づき、そしてその美しさに固まっていた。
うん、初見なら仕方ない、とはいえ状況を考えろリシア。
それだけでもうそんなあほなことを考えられるぐらいに余裕を持ってしまう俺もどうだろうと思うが、それでもそれだけの安心感を今の彼女は持っていた。
そこまで考えて俺の意識は闇に落ちた。
* * * * *
「私の後ろにいろよ」
ぽけー、とこちらを見つめてくるリシアちゃんにそういいながら前に立つ。
女性に対してもやはりこの顔は衝撃的なようである。後頭部のあたりに視線を感じながらも注意をヴェノムサラマンダーに向ける。勢いよく吹っ飛んだヴェノムサラマンダーだがさすがにこれで死んでくれるほど軟ではない。ボスモンスターの体力は通常のモンスターの比ではないのだ。
ざぱぁ、と水をかき分けて再び顔を出すヴェノムサラマンダー。最初のように勢いよく突っ込んでくるということもなくこちらを観察している。あんな外見でもそれなりに頭は回るのだろう。
ヴェノムサラマンダーの緑色の皮膚にさらに黒い斑点のような物が出てくる。ヴェノムサラマンダーの攻撃色である。先ほどの攻撃で本気にさせてしまったようだ。
そして同時に自分に対して危険な攻撃をできる相手に近寄るのは危険と判断したのか、口を開けて勢いよく舌が飛び出してきた。異様に長いそれは蛙のそれを思わせる物で速度もまたそれ並みにあるものだ。
「でも弱そうなところで攻撃するのはどうかと思うが」
――〈フリーズ・エクスプロージョン〉
私とヴェノムサラマンダーの間に冷気の爆発が起こる。赤属性の魔法の〈エクスプロージョン〉の青属性版といったそれは範囲内の物を容赦なく凍らせて砕いてしまう。ヴェノムサラマンダーの舌も例外ではなかった。自身の舌が凍り付いた痛みに耐えかねたのか表現しがたい絶叫のようなものを上げてのた打ち回っている。
二等級魔法は先ほどまで使っていた中級以下の魔法とはけた違いの威力を誇る。
等級が一つ上がるごとに魔法の威力はどんどん上がっていくので当然のことだが、七から五等級までの中級魔法と四から二等級までの上級魔法では単純な等級差以上に威力に差が出るのだ。
ましてや装備は先ほどまでと違い魔法力を極限まで強化する『ドレス・オブ・ヘル』に杖の『ザ・ブルー』である。ここまで牽制にもならないちまちました攻撃ばかりされていたヴェノムサラマンダーにとっては予想外過ぎるだろう。
「しかし痛みにのた打ち回るとか、やはりゲームとは違うか……」
まあ生き物なら口の中は痛いよな、と思いつつも攻撃の手を緩めるつもりはない。
――〈ブリザード〉
――〈ハンマー・ザ・コキュートス〉
それぞれが青属性の上級攻撃魔法だ。
〈ブリザード〉によりヴェノムサラマンダーの周囲が範囲内のすべてを凍らせんというかの如く凍てつく。それにより粘膜ごと凍り付いた皮膚を巨大な氷のハンマーが叩き、皮膚に蜘蛛の巣のような罅を走らせる。
両方とも当てやすいがために選んだ魔法であったが面白い結果である。
ゲーム内ではいくら強い冷気を浴びせようともモンスターが凍り付くことも皮膚が砕けたりすることもなかった。確かに状態異常『凍結』といった物はあるが、それはあくまで行動が少し遅くなるぐらいの効果でしかなかった。ボスモンスターたちはゲーム内のそれとほぼ同じであるが、現実になった今では生物らしい弱点も備えてしまったようである。
これならボスモンスター退治も結構楽になるかも。
そんなことを考えているのが悪かったのか、次の相手の行動に対しての反応が遅れてしまった。いや、相手の攻撃に対しては注意していた。たとえどんな攻撃、たとえゲーム内ではない攻撃だったとしてもたぶん対処できたとは思う。しかしさすがにこの行動は予想外過ぎたのだ。
「逃げた……」
後ろでリシアちゃんが呆然と呟く声が聞こえた。私の方はあまりにもあんまりな行動に対してわずかの間思考が止まってしまっていた。いや、ボスモンスターが逃げるってなんなの。確かにあそこまで痛そうな傷を負えば逃げるのは確かにわかるんだけど。
ゲームではいくら不利になろうが決してボスが逃げ出すことなどなかった。
やはりこの世界はゲームとは違う、と改めて認識したところでどうするかを考え……
――〈フリーズ・エクスプロージョン〉
「やっぱり無理か……」
とりあえず高威力の魔法を一発。
爆発は広範囲の湖を凍らせるものの潜ったヴェノムサラマンダーに当たった感じはしない。さすがに二等級魔法の攻撃でも湖の底にまでは効果は及ばないようである。
まあしかしここで無理をしてヴェノムサラマンダーを倒す理由は実はない。あくまでここに来た目的はアレス君とリシアちゃんの救出であってあれの討伐ではない。潜って出てこないなら無視して入口を塞ぐ毒水を排除して悠々と帰ってもいいのである。
とまあ考えたわけだが……
「やっぱり、ここで始末しておくべきだな」
あの洞窟の黒ローブたちはこいつに人間を与えていたのだろう。
はたしてそれがどういう目的のためかはわからない。
餌付けして飼いならすのか、はたまた単純にあれを信仰して生贄をささげるこの世界の宗教組織なのかもしれない。
情報が少なすぎるためいくら考えても特定はできない。
しかしどちらにしてもあれをそのままにしておけば同じことが起きる可能性は否定できないのだ。
だから、ここで始末する。
「リシアちゃん、私の前に出ないように」
「あ、は、はい。え、なんで私の名前……」
気絶したアレス君を抱えるリシアちゃんに一言警告してから詠唱を始める。これから扱う魔法は詠唱省略が不可能なのだ。
「我が求めるは青の力、契約に従い我がもとに」
とはいえ奴は今水の中に潜っている。この濃く濁った水の中にいる奴の居場所はわからない。私の謎レーダーでも無理だ。
「無情の凍土よ、我が言霊に従いこの地に具現せよ」
さらに言えばすでにかなりの傷を負っている以上、もう自分から浮かび上がってくるかどうかは怪しいものだ。
「大河の、大地の、大空の、卑小なるもの達の時を停めよ」
水の中にいても問題ない魔法を使う。
〈フリーズ・エクスプロージョン〉の巨大版、あらゆるフィールドオブジェクトごと凍らせてしまう爆弾のような一等級魔法。
「其は氷に鎖された世界なり、〈アイス・エイジ〉」
特に爆音が響くということはない。ただ、目の前の湖のすべてが瞬時に凍り付いた。波打っていた水面もその形のままに凍り付いている。ただただ毒々しい紫色であったが、氷になっていると紫水晶みたいですこしはましになった気がする。
「は、へ、ふぇ……?」
そんな目の前の光景、一瞬前とは完全に異なった湖に理解が追いつかないのかリシアちゃんは口を開けて固まっている。人が心の底から驚くとちょうどこんな感じの顔になるのだろう。ちょっとだけ気分がいい。
それはともかくこれならヴェノムサラマンダーもただでは済まないだろう。一等級魔法とはつまり反則クラスの威力や範囲、特殊効果を持った最上級魔法である。実際最高レベルまで上げた魔法職でなければ会得はできない物だ。
しかし逆に威力、範囲に比例するように詠唱時間や魔力消費もけた違いなので使いどころが難しかったりする。会得するのに必要なスキルポイントも多いために一等級魔法を会得するためにいろいろ諦めなければならなくなるスキルもある。
魔法職は普通は二つ、多い場合は三つほどの属性の攻撃手段をそろえておくものなのだが私は攻撃手段は青属性しか持っていない。一等級魔法を複数手に入れるために諦めざるを得なかったからだ。
おかげで青属性に対して耐性を持った相手に対しては非常に厳しい戦いを強いられるわけだが……
「しかし出てこないな……」
湖は完全に凍り付いている。この中に閉じ込められてしまったら身を蝕む冷気から逃れようと氷を砕いて飛び出してくるだろう、と私は考えていた。しかしその予想に反して特にそういった兆候は見えない。
「これじゃもう出てこないかも……!」
自信を持って放った魔法が不発に終わったかも、という不安を吹き飛ばすような変化が湖に起こる。なんと今まで紫色に染まっていた湖がいきなり色を失い始めたのだ。どこからか、という風ではなく全体的に徐々に色が薄くなっていく。
「いったい何が?」
そう呟く合間にも色が抜けていき、すでに氷はかなり透明に近い色合いになっている。ついでに今まであたりに満ちていた紫色の霧も薄くなっていた。
いきなりの変化に驚きながらも思考をめぐらすうちに一つの仮定が浮かんだ。
ひょっとしてヴェノムサラマンダー死んだんじゃね?
この湖の紫色はヴェノムサラマンダーの毒の色だったはずだ。それがヴェノムサラマンダーの死に合わせて消滅しているのかもしれない。ゲーム内だとボスモンスターはその死とともに消失、その場に素材が残っているという演出だったし。
「えー……」
なんというかあっけない。
いや、もちろんいいことではあるのだがすごくあっけない。
しかもゲームのようにはいかないと思った矢先のゲームのような演出で死ぬ、しかも私に見えないところで。更には素材が落ちているかもしれない場所は凍った湖の中、取りに行けるはずもない。いや、砕いていけばいけるだろうが労力は半端ないだろう。
「あー……。リシアちゃん大丈夫、けがはない?」
とりあえずそのことから目をそらすためにリシアちゃんの方を見やる。
アレス君は気絶しているが見た目傷はなく、リシアちゃんもまた同様だ。大丈夫だとは思うがとりあえずそう聞いておく。その言葉に対してリシアちゃんは……
「ぉ…ぇ……」
「え?」
ぱたり
なんだか妙に赤らんだ顔、そしてうるんだ瞳でこちらを見ながら何かを呟く。とても小さな声が聞き取れず疑問の声がでる私に熱い視線を向けながらそのまま後ろに倒れてしまった。
「え、ちょ、ちょっと大丈夫か!」
急いで駆け寄り声をかけるが完全に意識を失っている。
よく考えればヴェノムサラマンダーの毒霧の中にしばらくいたのである。解毒薬を与えてからもしばらく吸っていた訳なのでもう一度毒状態に戻ってもおかしくはない。今までなんとか持っていた体力がいまちょうど尽きたといった感じなのだろう。急いで解毒薬を二つ取り出し二人の口に含ませる。
たぶんこれで大丈夫だとは思うが、それでもとっとと二人を安心できる場所で休ませた方がいいだろう。
アレス君は背負い、リシアちゃんはいわゆるお姫様抱っこの状態で歩き出す。
非常にバランスが悪いから、早くどちらか起きてください……
「う、ううん」
「起きたかアレス君」
あの洞窟から出てしばらくして背中のアレス君がようやくお目覚めである。
リシアちゃんの方は相変わらず起きる気配がないが、一人起きてくれれば十分だ。背中のアレス君を落とさないように前傾姿勢をとるのはかなり疲れるのである。
行きのときはたくさん襲いかかってきた魔物が、なぜか襲いかかってこないのが幸いである。ドレスを着ているので無詠唱で迎撃できるが心臓には悪そうだった。
「リ、リシアは!」
「ほら、ここにちゃんといるから。とりあえず歩けるなら降りてくれるとありがたいのだけれど」
起きてすぐ女の子の安否を確認する気概は褒めてしかるべきだが、背中の上で動くのはやめてほしい。ただでさえ両手がふさがっているので落としてしまいそうだ。
とりあえずその一言で自分が私におぶさっていることに気が付いたのか、いきなり顔を赤くしたかと思うと大急ぎで降りた。どうやらドレス姿のままの私と密着しているのは恥ずかしかったようである。
まあ自分としてはかなり無理して背負っていた状態から楽になってよかった。魔物が出た場合に即座に上級魔法で対抗できるようにそのままにしていたドレスを『隠者のローブ』に戻す。碌に動けない状態だったさっきまでならともかく、リシアちゃんだけなら問題ないと判断してのことだ。というか、既にこのローブの姿になれてこっちの方が落ち着くようになってしまっている。
そのままアレス君と一緒に歩きだす。
「あの、助けに来てくれてありがとうございます。ヴィヴィアンさん」
「ん?ああ、どういたしまして」
そしてしばらく歩いたところでお礼を言われた。唐突だったため面食らったがちゃんと返す。アレス君はそのまま話を続ける。
「いったいどうやってあの場所を?」
「私は人の居場所を探る術があるから。といっても限られた人相手にしか使えないけど」
「というより、ここってどのあたりですか?」
「トリスティアからそれなりに離れた森の中だね。あそこはそこに洞窟の中だった」
暗くなった森の中を二人でもくもくと歩く。薄暗い森の中だからアレス君がちゃんと歩けるか心配だったが心配は無用だった。おかげで周囲の警戒に集中できるので楽である。
「……強いですよね、ヴィヴィアンさんは」
「え、ああ。結構な……」
それまでとは質が変わった言葉に面食らう。
それなり、というには強すぎるし、当然だ、と自信満々にいうには自分に自信がない。おかげで微妙な返しになってしまったがアレス君はそんなことを気にせず考え事を始めてしまった。今の返しに何か問題があったのだろうか、と戦々恐々としつつ無言のアレス君の隣で無言のまま歩く。
早くリシアちゃん起きてこの沈黙をどうにかしてくれないだろうか……
* * * * *
「ええい!どうしてまだこの拘束は溶けんのだ!」
狭苦しい牢屋に男、リルガンの声が響いている。
リルガンはその手足を相変わらず氷に拘束されたまま、自らの予想とは違った展開に憤りを覚えていた。
「いくらなんでも時間が経ちすぎている……。まさかあいつらあの小娘を置いて逃げ出したのか!」
生贄を食べる時間に祭壇に踏み入れば、たとえ黒の教団員だったとしても喰われてしまうだろう。
それほどまでにこの地に閉じ込められ限られた食料しか与えられていないヴェノムサラマンダーの飢えはすさまじい。
そしてヴェノムサラマンダーは目の前に現れた獲物をみすみす逃してくれるような生易しい存在ではない。
リルガンの予想通りに進めば、今回誘拐した少女が喰われているときに彼らが突入、そしてそのまま食われるはずだった。
しかし予想とは異なりしばらく経った今も氷の拘束が溶けることはない。つまりはそれをかけたものは生きているということだ。リルガンにとってヴェノムサラマンダーに遭遇して生き残るどころか討伐するなど想像もできないことだからそういった結論に至ったのだ。
「まずい……、このままでは絶対に捕まってしまう……」
奴らが生きてここを出れば、いずれは誘拐犯を捕えるために警備兵を連れてくるだろう。結構な時間が経っても助けが来ないということは部下たちも同じく拘束されている可能性が高い。そうなれば自分はあっさりと捕まることになるだろう。
リルガンはそんな最悪の未来を予想して絶望する。
しかし彼にとって問題なのは単純に捕まるということではなく……
「このまま捕まってしまっては、巫女様に顔向けができない……!」
かつてリルガンが一度だけ顔を合わせたことがある『黒の救済』を束ねる巫女。
それまでは単純に己の力を正当に評価する組織に所属したうえで、財力や権力を得ることにしか興味がなかったリルガンの心を奪っていた女性である。
それからのリルガンは自身の力を『黒の救済』、とうよりは巫女のために奮うことに喜びを感じる狂信者となっていった。
そしていずれは巫女の側近として彼女のそばに、と考えていたところでこの失態である。
これではリルガンの実力でも巫女の側近どころか、本部勤めの可能性もなくなるだろう。
それがわかっているからこそ、ただ黙して捕まることなど許容することなどできない。
リルガンは無駄だと頭の片隅で理解しつつも手足に力をこめようとし……
「ふーん……。天下の傀儡師様も見る影がないね~」
「……!貴様、いつからそこにっ!」
リルガンの傍にはいつの間にか人影が立っていた。
そしてその人影の事をリルガンは知っていた。
「連絡係がいったいどういった用向きだ、シャドウ」
「そんな状態でも相変わらずだね。あんたのプライドの高さはいつものことながら頭が下がるよ」
はぁ、やれやれとわざとらしくリアクションを取りながらも人影、シャドウは笑っている。
シャドウの格好は一言で言えば真っ黒である。
全身に黒い包帯のような物を巻きつけて全身を隠し、さらにその上から黒いコートを着ているという黒一色の服装だ。
その小柄な体のすべてを覆い隠した格好のように、その名前以外の素性のすべてが謎に包まれた存在である。
そんなシャドウは各地に隠れ潜む黒の教団員たちの連絡係である。
シャドウは隠密行動が得意であり、各地に潜む黒の教団員のもとに誰にも気づかれず訪れ、そして去ることができるのだ。
そして同時に本部への報告役も兼ねており、いまだ本部勤めを許されないリルガンにとっては目の敵であったのだ。
隠密しかとりえのないこいつが巫女様のそばにいて何故私が、ということである。
「ちっ!だが今は貴様でも十分だ。この枷をどうにかして破壊しろ。そうすればこのままあいつらに追いついて、あの小僧を操って人質にすれば今度こそ……」
そんな憎らしい相手だが今の状況では救いの手に違いはない。
この枷を破壊して急いで追いかければリルガンの速さでもヴィヴィアンに追いつける可能性はあるだろう。
不意打ちで傀儡師と呼ばれる所以たる魔法〈マリオネット〉を少年にかければ、あとはそれを人質に彼らを殺し失態をなかったことに出来るかもしれない。
そう考えたリルガンであったが……
「おいシャドウ!貴様なにをしている!」
「何って……、探し物だけど?」
シャドウはリルガンの言葉を無視して彼の服を探っていた。
自身の服の中を探られているわけだが両手足を拘束されているリルガンは抵抗ができない。
無抵抗に探られるまましばらく、シャドウは目的の物を見つけ出したようで弾んだ声を出す。
「やー、あったあった」
「貴様!それを今すぐ返せ!!」
ここ一番の大声を上げてシャドウを怒鳴るリルガン。
怒りのあまり体を大きく乗り出そうとし、それに反応した氷の枷がリルガンの手足にダメージを与えているがお構いなしだ。
それもそうだろう、シャドウがリルガンから奪ったのは彼にとって最も大切な物であったからだ。
「それは!私が巫女様直々にいただいたものだ!!貴様が触れていい物ではない!!」
シャドウが手に持っているのは一枚のメダルだ。
金属のような光沢を持つものの、ただの金属と言い切るにはそれが放つオーラは異様だった。
表面に彼らが奉じる神の姿が描かれたそれは教団の一定以上の幹部が持つものである。
「とっととそれを返してこの枷を砕け!そうすればその無礼を今回だけは見逃してやる!」
「やれやれ、自尊心高いのはいいけど、もうそろそろ現実を見てほしいものだね」
顔が見えなくても人の感情というものは意外と察することができる。
今、シャドウはリルガンのことをあざ笑っていた。
「何だと……」
「あんたの任務、地下のヴェノムサラマンダーに餌を与えて活性化。ある程度力を取り戻したら放置して自主的に餌を探しに行くよう仕向けるってことだったわけだが……。失敗も失敗、大失敗さ。ヴェノムサラマンダーは流れの魔法使いに倒されて消滅、トリスティアの損害は結局生贄にされた哀れな町民ぐらいさ」
リルガンの任務はヴェノムサラマンダーに餌を与えて人間の味を覚えさせることだった。飢えて弱ったヴェノムサラマンダーがある程度回復したら、あとは放置して避難する。そうすれば地下の湖からつながる水脈を通って奴は近くの町、トリスティアを襲ったことだろう。更には井戸からは毒水が流れるようになりトリスティアは人が住めない土地になる。
そういった任務であったが、ヴェノムサラマンダーがこの湖を出るようになる前に倒されてしまったせいでご破算である。
「馬鹿な!あれが倒されるなどあるわけが……」
「あるんだね、これが。さすがに餓えているあれの視界に入りたくないから儀式場まで入って戦闘までは確認できなかったけど、あいつら生贄の少女助け出して地上に出ちゃってるよ。状況的に考えれば、あのローブ野郎一人であれを倒したってところかな。あー、最悪だよ、最悪! まだ聖遺物探しの任務だって終わってないのにこれ以上仕事を増やさないでほしいよね」
あーやだやだ、と首を振るシャドウ。そして今一度振り返ると無情にリルガンに告げる。
「それでもって、あんたには処刑命令が下されたわけだ」
「なんだと!わ、私に対してそんな……」
「確かにあんたの魔法は有用ではあるけど、これは『神託』でもあるからね。つまりは最上位命令、巫女様も承認済ってこと」
それを聞いたリルガンの顔から一気に色が抜ける。
その言葉はまさに彼のすべてを根元から打ち崩すような一言だった。
「み、巫女様が……。そんな、そんな馬鹿な……」
「なんか謎の信頼を寄せているようで悪いけど、『神託』である以上むしろ巫女様はお前の処刑に積極的にゴーサイン出してるからね。巫女様が美少女だからって変な夢押し付けちゃダメじゃないか」
これだから男ってやつは、そう口に出しながらシャドウはこの部屋の入口の方を見やる。すると、入口から狼の姿をした魔物が数匹入り込んでくる。
「な、なんだ、こいつらは……」
「お前を処刑してくれる素敵な協力者たちだよ。お前は我々の敵対者に対し奮戦、しかし敗北し捕えられたところを運悪く魔物に襲撃され死亡。その無念を晴らすべき我らは戦わなければならないのだ!そんな筋書きだね」
イヒヒ、と愉快そうに笑うシャドウにさらに血の気が引くリルガン。目の前に迫ってくる死にたいしてなんとか逃れようとする。
「ま、待ってくれ!頼む、何でもする!だから……」
「イヒヒヒヒヒ、大丈夫、大丈夫。一人で死ぬのは寂しいだろうけど、いっしょに逝く仲間はたくさんいるから寂しくないよ」
「ひ……」
「よーし、いいよお前ら」
「や、やめ、やめろーーーーーーーーーー!!」
狭い部屋に肉にありつける獣の歓喜の吠え声が、つづいて咀嚼音が響き渡る。
「イヒヒ、イヒヒヒヒヒ……」
シャドウはそれを見ながら笑っている。
おまけ
「貴様!はやくその少女を離すんだ!少年も早くこちらに来なさい!なに、自分は怪しい者じゃない、だと?ふざけたことをぬかすな!この真夜中に全身隠したまま少年少女を連れている貴様のどこが怪しくないんだ!」