第一話(4)
次に目覚めた時、織子は何か温かいものに包まれていた。
あの時、目の前に落ちた雷の光に似た、銀の体躯。
(ああ…また夢を見てるんだわ…)
でなければ、どうして自分が龍に抱かれているのだろう。
そう、まるで織子を護るように。龍は銀の鱗に覆われた身体で、織子を抱きしめていた。
「…織子…」
龍が自分の名を呼ぶのを、どこか遠くで聞いているような心地で、織子は呟く。
「かみなり…が…」
目の前に落ちたのだ。
今も、はっきりと覚えている。あの刹那の衝撃を。
心臓がはっと止まったと思った。
落ちた瞬間に、抗いがたい死を感じた。
「…私…死んでしまったの…?」
ここは夢の中ではなく、死後の世界なのだろうか。
だって、あんな至近距離に雷が落ちたのに、無事でいられるわけがない。
「死んでなどいない」
龍は応える。
「雷は我が司るもの。吾妹をけして傷つけはしない」
(それじゃあ…)
「…まさか、あの雷は…」
空は晴れていた。
雨雲一つなかった。
なのに、突然目の前に落ちてきた雷は…。
「…あなたが…」
背筋にぞっと、怖気が走る。
「何者かが吾妹に触れようとした。それも、誓いの証に」
(…風切くん…のことだ…)
「織子、その証を、いや、その身を何者にも触れさせてくれるな」
真剣な声音で、龍は言う。
(…いやだ…こわい…)
織子の胸に甦るのは、初めて夢の中でこの龍に出会った時に感じた、恐怖。
今織子を抱きしめているのは、否、捕えているのは人間ではない。
龍という名の…化け物…。
(こわい…っ、こわいこわいこわい…っ)
織子の瞳からぽろぽろと涙が零れる。
「…織子…?」
泣いているのか…? と、龍がどこか困惑したような声を上げる。
「泣かないでくれ…」
「…っう…っ」
する…と、織子を抱いていた体躯が身動ぎする。
そして目の前に、泣いている織子を覗き込むように龍の顔が現れた。
(…ひっ)
「泣かないでくれ、織子…。吾妹に泣かれると…俺はどうしていいかわからなくなる…」
心配げにこちらを見つめる龍は、何故か片目が塞がれていた。
初めて見た時には確かに両の目が紅々と輝いていたのに、今は一つの目しか開いていない。
「……っ…か…ざきりくんを…殺したの…?」
震える声で、織子はやっとそれだけを問うた。
「…あの時…私と…一緒にいた人…を…あの…雷で…」
殺してしまったの…?
(…そして…私の事も…)
「…殺してしまうの…?」
そこまで吐きだすと、もう止まらなかった。
嗚咽が次から次へと溢れてくる。涙も、枯れない泉のようにぼろぼろと零れた。
「…………織子、」
龍がそっと、顔を近づけてくる。
食べられる!! と、織子はとっさに目を瞑った。
「…っ」
しかし、次の瞬間戒めのようだった龍の体躯が離れ、
「!?」
織子は、一人の青年の腕の中にあった。
長い銀の髪の、美しい青年。
今朝の夢の中で銀星と名乗った彼は、その唇を織子の眦に寄せる。
その口付けは、まるで織子の涙を吸いとるように、何度も何度も寄せられた。
「…泣かないでくれ」
乞うように、銀星、人の姿になった龍が囁く。
「…吾妹と一緒に居た者は、死んではいない」
「えっ…」
殺そうとも思ったが…と、銀星は酷薄な笑みを浮かべる。
「逃げられてしまったようだ」
「そんな…」
あんな突然の落雷を、避けられるわけが…、
「俺は吾妹に嘘は吐かない。雷を落とす僅かな隙をついて、あの者は逃げたようだ。織子、あの者は…」
「それじゃあ、風切くんは無事なの!?」
「………」
突然声を上げた織子に、銀星は少し面白くなさそうな顔をする。
「あまり他の者のことを…」
「あっ、そういえば!!」
今更だけど、と織子は言う。
「ここはどこなの…!?」
「………………」
「夢なの? 夢…よね、だって…」
龍が出てきたり、その龍が人の姿になるんだもの。
でもそれなら、この龍が落としたという雷も夢…なのだろうか…。
「でも私…いつの間に眠ったのかなあ…。それとも…」
本当は自分は目覚めてなくて、ずっと夢を見続けていたのだろうか。
朝、いつもより早く目覚めたことも。
額に痣ができていて半日悩んだことも。
風切くんと一緒に帰ったことも。
全部、夢だったのだろうか。
「……確かに、ここは夢路だ。だが、吾妹の思っている夢とは違う」
「え…?」
「吾妹は雷が落ちた時、衝撃のあまり魂を飛ばしてしまった。最初に俺と出会った時と同じ、異界へと」
(…異界…?)
「ここは異界と吾妹の体とを繋ぐ道、夢路だ。今、吾妹は夢の中で俺と会っている。だが、だからといってそれは幻ではない」
現事だと、銀星は言う。
「…俺達はまだ、夢の中でしか会っていないな。だが、もうじき、会える」
(…夢だけど…夢じゃ…ない…)
「吾妹の元へ、我が下僕を遣わした。その者が、吾妹を現の俺の元へ案内するだろう」
(…現実の…龍の元へ…?)
ふるっと、織子の体が震える。
そんな、まさかと織子は思った。
現実に、龍がいるわけがない。だって龍は、伝説上の、人の想像上の生き物で。
全部全部、夢幻だと思っていたのに。
「何も恐れることはない。織子は、」
俺の、妻なのだから。
銀星の言葉が、やけに遠く聞こえた気がした。
やっと銀星さん再登場です。