第一話(3)
結局放課後になっても、織子の額から痣は消えなかった。むしろ、より色が鮮やかに濃くなっている気がする。
けれどどんなに考えても、この痣が何なのか。どうして自分以外には見えないのかわからない。
答えの出ない問いに、織子はすっかり匙を投げ、考えることを諦めた。
別に、痛みがあるわけでもない。放っておけばその内消えるだろうと、気楽に構えることにしたのだ。
(くよくよ悩むのはもう終わり。それより、今日は何を作ろうかなあ…)
織子の趣味であり特技は、お菓子作りだ。
高校でも調理クラブに所属している。が、調理クラブの活動は週一なので、クラブのない日は家でお菓子を作る。
織子のお菓子はクラスでも評判だった。作ること自体が好きなので、たくさん作ってはいつも友達に配ってしまう。
運動部でいつもお腹がすいた~と言ってくる友達には、腹持ちの良いずっしりとしたお菓子を。
今ダイエット中だという友達には、カロリーを抑えたお菓子を。
レシピを集めたり、レパートリーを増やしたり。
やり方を工夫したり、いろいろなアレンジを試したり。
そうして作り上げたものを、美味しいと、喜んでくれる人がいることが嬉しいのだ。
それに、もちろん自分で食べるのも大好きである。
(紀子が春っぽいお菓子が食べたいって言ってたからなあ…。春…春と言ったらやっぱり苺かなあ。でも、桜を使った和菓子っていうのも…)
今日帰ってから作るお菓子について考えながら、生徒玄関を出る。
(よし! やっぱり苺にしよう!! 確か親戚からいっぱいもらったってお母さんが…)
「橘さん!」
「え?」
玄関を出たところで、織子は突然呼びとめられた。
振り返ると、そこには今日織子がぶつかってしまった少年、風切二葉が立っている。
「よかった、間に合って」
二葉は「はい、これ」と、織子に何かを差し出す。
「あっ」
「これ、橘さんのじゃない?」
差し出されたそれは、ピンクのマカロンのついたストラップ。
ペンケースに付けていたものだ。
「気付かなかった…」
「あの後、床に落ちてるのを見つけたんだ。もしかして、橘さんのじゃないかと思って」
どうやら二葉は、織子の教室にまで寄ってくれたらしい。
けれど織子はおらず、それならまた明日渡しに行こうと思ったが、ちょうど帰り際に姿を見かけ、声を掛けたという。
「あ、ありがとう。ごめんね、色々面倒かけて…」
「いいよ。気にしないで」
初めて会った時と同じく、二葉はにっこりと優しく笑う。
織子はその笑顔に少しどきどきしながら、受け取ったストラップを鞄に付けた。
そして二人は、帰り道が同じ方向ということもあって、自然、一緒に帰ることになった。
「橘さんのストラップ、可愛いよね。それ、お菓子でしょ?」
「うん、マカロン。これ、自分で作ったんだ」
少し恥ずかしそうに言うと、二葉はへえ~っと感心したように揺れるストラップを見つめた。
「前にね、調理クラブの皆で。簡単なんだよ。粘土で作るの」
「それ、僕にも作れるかな」
「え?」
二葉は意外にこういう物が好きなのだろうか。
織子がきょとんとすると、二葉は苦笑して、
「実はね、ウチの妹がこういうの好きなんだ」
「へえ~。妹さんがいるんだ」
「うん。あと、双子の兄もね。妹とは年子で、今高一。でも最近身体を壊しちゃって、入院してるんだ」
二葉の微笑が曇る。
妹のことを、よほど大事に想っているらしい。
「それで、見舞いにこういうの作ってもってってやったら喜ぶかなあって、ちょっと思ったんだ」
「そうなんだ…。これね、制作キットとかも売ってるから、本当に簡単に作れるよ」
「そういうのって、どこに売ってるの?」
「手芸屋さんに置いてあるよ。この辺だと…」
どの店がいいだろうかと、真剣に考え込む織子に、二葉は思わずぷっと笑ってしまう。
「ありがとう、橘さん。でも手芸屋に男一人で入るのって結構勇気がいるなあ。ねえ、よければ…」
二葉の手が、織子の手に触れる。
「一緒に行ってくれる…?」
手をきゅっと握られ、にっこりと微笑まれる。
その瞳から目が離せない。ただ手芸屋に付き合うというだけの話なのに、どうしてこんなに頬が赤く染まってしまうのだろう。
織子はただこくりと、頷いた。それが精一杯だった。
「…ありがとう、橘さん」
より一層甘く、二葉は微笑む。そしてきゅっと、織子の手を握る力を強めた。
「…っ」
織子はあまり、男の人に免疫がない。
クラスの男子と話はするが、友達は女の子ばかりだし、自然、女の子同士で行動する。恋人もおらず、またいたこともなく。
だから、こんなに近くに男の人がいるのは…、
(初めて…)
の、はずだった。
(…初めて…じゃ…ない…?)
刹那、よみがえるのは、
あの不思議な夢の、記憶。
「橘さん?」
あの夢の中で、あの不思議な青年は自分に…、
「…あ、ごめん。ぼうっとしちゃった…」
(馬鹿だなあ私…。あれは夢なのに)
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「気分が悪いなら、あの公園で少し休んでいく?」
二葉が指差したのは、帰り道にある小さな公園。
ブランコと滑り台があるだけの、本当に小さな公園だが、大きな常緑樹の木陰にベンチがある。
織子が返事をするより早く、二葉は織子の手を引いて公園へと向かった。
さっとベンチの上を手で払い、そこに織子を座らせる。その自然な仕草に感心して、織子は素直にそこへ座った。
「ごめんね、強引に。実はさ、橘さんともっと話したいなって思って」
「え…?」
きょとんと二葉の顔を見つめると、二葉は苦笑する。そして、織子の長い髪を一房手に取り、
「橘さんって、良い匂いがするよね…」
耳元に、そう囁いた。
「!!!!????」
突然の事に、反射的に身体がびくっと震える。
しかし二葉は構わず、織子の瞳を見つめた。
「特に…」
甘さを含んだ視線は、織子の瞳の、そのさらに上に移される。
「その額の、痣から…」
「…っ!? み、見えるの…? 風切くん」
誰にも見えなかったのに。
自分以外、誰にも…。
「見えるよ。だってそれは…」
二葉の手が、額に伸ばされる、その時。
「えっ…」
視界の端に光が走ったかと思うと、その直後。
大気を割り裂くような轟音とともに、
二人の間に、雷が落ちた。
予想を上回る勢いで二葉が飛ばしています。
これだけ読むとちょっと二葉×織子の高校生の恋愛モノのような気がしないでもありませんが、織子のお相手は龍です(笑)