第二話(4)
鳥居を潜った瞬間、真っ白い光が視界を覆う。
あまりの眩しさに目を瞑り、そしてゆるゆると瞼を上げると、そこには思いもしなかった光景が広がっていた。
(そんな…、どうして…)
そこにもう、森はなかった。
あれほど鬱蒼と茂っていた杉の木立は消え、あるのは開けた野原と、草木萌える丘陵。そしてその丘の上に、荘厳な神社が建っている。
神社の周りには満開の桜。これは、あの時夢に見た場所だ。
龍と、初めて出会った場所。
「ここは異界です。織子様」
重國が言う。
「あの鳥居は現と異界を繋ぐ門。これは夢ではありませんよ。あなたは今、その体ごと、この異界に足を踏み入れている」
立ちすくむ織子の手を、昂がきゅっと握った。
「主様が御待ち…です」
行きましょうと手を引かれ、三人で丘を登る。
古めかしい石畳の道を進むと、風に乗って草の匂いがした。
境内まで登りきると、そこには辺り一面に桜の花びらが散っている。まるで桜の絨毯のようだ。
「織子」
突然響いた声。
織子の背に戦慄が走る。
「…っ」
「織子。会いたかった」
体が何かに包みこまれるような感触。
気付いた時にはすでに、織子は銀星の腕の中に在った。
「…っは、離して…っ」
「何故だ? 俺はもう少しこうしていたい」
「わ、私は嫌…っなの…」
なんとか逃れようともがく。と、銀星は意外にもあっさりと織子を解放した。
気分を害した風でも無く、満足そうに織子を見つめている。
「では手を握ってもいいか? 織子」
「だっ、駄目…っ」
「頬に触れても?」
「駄目っ!」
「唇…」
「駄目っ!!」
とことん拒まれ、さすがに拗ねたような顔をする。
「俺は吾妹に触れたいのだが…」
「駄目なのっ。私、あなたの妻にはなれません!」
「えっ」
驚きの声を上げたのは、それまで黙って二人を見守っていた昂だった。
織子の視線が、一瞬そちらへ向く。
昂は信じられないようなものを見る目で、織子を見ていた。
(でも、言わなきゃ)
「だから…、」
「だから?」
銀星の紅い瞳が、織子を見据える。
その視線に気圧されるが、それでも、織子は言った。
「だから私の額に在るあなたの瞳もお返しします」
「それは無理だ」
「えっ…」
あまりにもあっさりと、銀星は言った。
「たとえ俺が死ぬことになっても、誓いの証は消えないし、無くならない。吾妹を殺しでもしない限り、龍の瞳は吾妹から離れない」
「な…っ」
織子は思わず絶句する。
生きている限り、離れない。
それはつまり、龍の瞳を狙ってくる者は、すなわち織子の命をも狙ってくるということではないか。
「大丈夫だ、織子。吾妹は俺が守る。その龍の瞳は、そのためのものだ。そして、俺の下僕達も織子を守るぞ」
だから恐れなくていいと、銀星が織子を抱きしめようとする。
しかし、織子は怒りのあまりその頬を引っ叩いた。
もう我慢できなかった。
「そういう問題じゃないっ!!」
「きっ、貴様っ!! 主様のお顔に何をするです!!」
「よい、昂。さがれ」
今にも掴みかかってきそうな昂を言葉で制し、銀星は織子を見つめる。
その瞳に、大きな涙が溢れていた。
織子はいつも泣いているな、と彼は思った。いや、泣かせているのは自分なのだが。
「…っ、私は…っ、あなたの妻にはならない…。そもそも、なるなんて…一度も…言ってない…っ」
なのに勝手に妻扱いされて。
勝手に瞳まで埋め込まれて。
それのせいで狙われるのだという。命まで。
そして死ぬまで、その瞳は離れないのだ。
こんな馬鹿な話が、理不尽極まりない話があるだろうか。
「…吾妹は、俺が嫌いになったのか…?」
(そもそも好きになった事なんて一度もない!)
「…っ、きらい…です…っ」
「そうか…」
銀星の表情が、しゅん、と陰る。
『主様は、ずうっと、ずうっとこの地を守護してきた…です。僕達のような神使や辰見一族、下僕はいっぱいいる…ですけど、仲間はいない…です。伴侶も、ずっとずうっといなかった…です』
ふと、昂の言葉が頭をよぎる。
『主様はいつもお強くて、気高くて、お美しくて…。でも、いつもどこかお寂しそう…です』
(あ…、)
一瞬、なんだか自分が、とても悪いことをしているような気がした。
「…俺は吾妹が愛しい…」
心の底から慈しむように、愛しむように、龍は囁く。
「…だからこそ、無理強いはすまい…」
「………」
寂しさと、そして切なさの籠った瞳で見つめられ、織子は居心地が悪くなる。
銀星の好意に応えられないのが、なんだか申し訳ないような気がして、胸が痛んだ。そして、そんな事を考えてしまう自分にも戸惑ってしまう。
(でも、なんて言われても…。やっぱり無理だもの…)
「…ごめんなさい…」
「謝ることはない…」
銀星はそう言って、俯く織子の手をとった。
「俺が急ぎ過ぎたのだ。人の命は儚い。故に、少しでも永く、共に在りたいと願うばかりに」
「…………」
(…あれ…?)
嫌な予感がすると、織子は思った。
「だから織子、これからは俺も吾妹に想ってもらえるように、努める」
「えっ?」
「吾妹がもう一度、俺を受け入れてもいいと思ってくれるまで、俺は織子を口説き続けよう」
「…くどっ…、な…なんで…っ」
「愛しているぞ、織子」
「なんでそうなるのっ!!!」
織子の絶叫が、境内に木霊した。
当初、シリアスな感じの和風ファンタジーを目指していたのですが、なんだかラブコメっぽくなってきてしまった…(@_@;)
特に銀星とか…あれれ…?