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夢の通い路

 



 目前に、見覚えの無い光景が広がっている。

 ― これはきっと夢だ…。

 緩やかな丘陵の中腹に寝巻き姿のまま立ち尽くす私は、これは夢に違いないと思った。草木萌える丘には、古めかしい石段が霞がかった霧の向こうまでのびている。そして丘の上を見つめると、遠く、彼方からは管弦の音が響いてくる。まるで、段々とこちらに近付いているかのように。徐々に鮮明に。

 ― お祭り…?

 聞えてくる、祭囃子に似た音色に惹かれるように、私は丘を登り始めた。管弦の音はどんどん近付いてくる。

 この石段はお祭りの通り道なのだろうか。

 だとしたら遮るのも悪い気がして、石段を逸れ、横の草地を登った。登るにつれ、霧霞に隠されていた景色が徐々に姿を現していく。

 ― うわあ…。

 丘の上には、荘厳な神社。

 満開の桜に囲まれるように佇むその造りは、御柱も鮮やかな朱に彩られ、境内に舞う淡色の花びらの中によく映える。

 幽玄の音色の中に見上げるその神社は、他に例えようも無く神秘的に見えた。

 まるで、本当に神が御坐す聖域のように。

 ― なんて綺麗なんだろう…。

 神社の境内には、ちらほらと人影が見える。皆一様に緑の直衣を纏っていた。そして不思議と、彼等の誰もが木製の面を被っていた。

 ― どうしてこんな夢を見ているのかな…。寝る前に、古典の教科書を読んだから…?

 私は明日の予習のために開いていた古典の教科書を思い出し、こんな綺麗な夢が見られるなら勉強もたまには悪くないかな、と思った。

 楽の音が、いよいよ大きくなっていく。やがて神社本殿の扉が開き、中から楽器を手にした人々が躍り出てきた。これまた緑の直衣に、木製の面を被っている。

 そしてその後ろから、大きな龍の作り物を掲げる人々が出てくる。まるで中国の芸能のように、楽の音に合わせて蛇行しながら、彼等はこちらに向かってくる。

 しかし目を凝らしてよく見ると、彼等が掲げているのは私が知っている、いかにもハリボテ然とした派手な彩色の龍ではなく、青白く仄光る白銀の龍だった。

 ― ちがう…。“あれ”は作り物じゃない…。

 最初、彼等が操っているかに見えた龍は、よく見ると彼等の手から離れていた。彼等の手には龍を操る棒などが一切無い。

 龍は、自分の意思で蠢いているのだ。人々がそれを祭り、囃してこちらに導こうとしている。

 ― こわい…。

 どうしてそんな風に思ったのか、わからない。

 けれど私はすっかりこわくなって、龍の首がこちらを向いたのを見た瞬間、早くここから離れなければという気持ちになった。

 祭りの一行は、石段のあるこちらの方向に向かって来ようとしている。その進行に行き合ってしまったら、その祭りを邪魔してしまったら、私はどうなってしまうのだろう。

 夢だと、これは夢だと解っているはずなのに、私は怖かった。いや、夢だからこそ、理由もわからない恐怖にただただ怯えてしまったのかもしれない。

 私は丘を降りようと、下を振り返った。

 ― っ!!

 瞬間、私は絶句する。先ほどは確かに誰もいなかった丘の裾野に、緑の直衣に木製の面を被った人々が丘を取り囲むように並んでいたのだ。

 ― どうして…、

 どうして彼等がここにいるのだ。

 どうしようかと困惑して、彼等の様子をじっと見つめる。その時、私は一つの事実に気付く。はっきりと姿を見た彼等の体は皆一様に小柄で、まるで猿のようだ。とりあえず、人間ではない。何故なら、木製の面と思っていた顔は面ではなく、あれが彼等の顔だったのだ。

「やだ…、なんなの…、この夢…」

 変な夢だ。

 おかしい夢だ。

 何故目の前の光景は非現実的なのに、裸足に伝わる草の感触もこの胸の動悸もこんなにリアルなのだ。

「やだ…」

 たまらなく不安で、たまらなく怖い。

 思わず頭を抱えてしゃがみこんだ私に、その時ふいに優しい声が響いた。

「迷ったのかい? 娘さん」

 突然かけられた声に、私はばっと振り返る。

 一体いつの間に傍に来たのか、優しげな顔をしたおじさんが一人、すぐ傍に立っていた。あの緑の直衣の者達とは違う、渋い銀灰の着物にちゃんと人間の顔。

 大丈夫。この人はあいつらとは違う。

 私は少しだけほっとして、少しだけ警戒心を解いた。

「ご、ごめんなさい…。あの、気がついたらここにいて…」

 邪魔するつもりは無かったんです、と頭を下げると、おじさんはぽんぽんと慰めるように私の頭を撫でた。

「悪気が無かったことはわかっている。だがここは危険だ。ここは異界、本来なら“一族”の者のみが入って来られる場所…。だがごく稀に、迷い込んでくる者がいる…」

「異界…?」

「そして、今日は日が悪い。よりによって“祀り”の日に迷い込んでくるとは…」

 おじさんは眉をしかめ、考え込むように私を見つめた。

「あ、あの…! どうしたら帰れますか? 下は通っても大丈夫なんでしょうか…?」

 私は丘の裾野にちらりと視線を向け、恐る恐る尋ねてみた。

「…いや、もう手遅れだ。あの者達はここから“あれ”を出さないための楔。すでに道は塞がれている」

「そんな! それじゃあどうすれば…」

 夢と思っていたことも忘れて、私は真剣に問うた。

「反対側に回って、裏手から上の神社を目指しなさい。そこの本殿に鏡がある。“あれ”が戻って来る前に、それに触れるんだ。そうすれば、君は元居た世界に帰れる」

「鏡…?」

「そうだ。いいかい、けして“あれ”に見つかってはいけないよ。どうなってしまうか、わからないからね」

「は、はい…」

 おじさんの言う、“あれ”…。

 それはあの白銀に輝く龍のことだろうか…。

 ― そうかもしれない…。だってあれが、一番こわい…。

 おじさんが、ついと石段の上の方を見上げる。つられて私も視線を向けると、祭りの一行はいよいよ石段を降りてくるところだった。

 ― 大丈夫。今ならまだ見つからない…。

 私はだっと、石段とは逆の方向に駆け出した。

 ― 大丈夫。龍も楽士達も私に気付いていない。

 もうそろそろ、石段の反対側に出ただろう。私はほっと安堵し、後を振り返った。

 ― そうだ。おじさんにまだ、お礼言ってない。

「振り向くな!!」

「え?」

 おじさんが声を荒げて叫ぶ。そのとき、

 そのとき、石段をゆっくりと蛇行して進んでいたはずの龍が、紅い双眸をこちらに向けていた。

 ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。

 刹那、龍が今までのゆっくりとした動きから一転、物凄い勢いで私に向かってくる。

「ひっ!」

 冷たい、爬虫類のような目が私を見据える。蛇に睨まれた蛙のように、体が竦んで動かない。

 龍はもうすぐそこまで迫っている。

『どうなってしまうか、わからないからね』

 おじさんの忠告が蘇る。

 ―どうしよう、私どうなってしまうのだろう、こわい、こわい、こわいっ!!

「…っ!!」

 龍が私の体に飛び込んできた瞬間、青白い光が弾けた気がした。

 衝撃、熱、光。

 私は固く目を閉じ、身を縮めるようにしてその衝撃に耐えた。

 そして、意識を失った。



  さらり

 衣擦れの音がする。私は重い瞼をゆっくり押し上げ、自分の額に乗せられた冷たい手の持ち主を見上げた。

 ― これは、夢の続き…?

 目覚めた私は、自分が男の人の胸に抱かれていることに気付いた。

 長い銀の髪を下ろした和装の青年が、微笑を口元に浮かべて私を見つめている。その双眸は紅。そして、その顔にはどこかあのおじさんの面影があった。

 けれど、あのおじさんとは何かが決定的に違う。それは纏う空気や雰囲気など、言葉にすれば曖昧なものだったけれど。

吾妹わがいもには、この姿の方が似合いだろう」

 不思議な声だ。風のように清廉に、心に残る。

「名を教えてくれないか…? 異界に迷い込んだ、稀有な娘…」

 ― 名前…?

 どうしてそんなことを聞くんだろうと、ぼうっとする頭で考える。

吾妹わがいもが名を教えてくれれば、誓い《うけい》は成る。教えてくれ、娘」

 ― ウケイ…?

「…私…は…、織子しきこ…。橘織子たちばなしきこ…」

「シキコ、織子か」

 青年はにいっと笑って、私の額に唇を寄せた。

「っ!?」

「織子は俺を受け入れてくれた。俺の問いに答えてくれた」

 額に吐息が掛かる距離で、青年が囁く。

 そしてそのまま、額の中央にそっと接吻けた。

「…っ、ぁっ…」

 じゅっと、焼けるような痛みが額の中央に走る。

 その熱と痛みと共に、何かが自分の中に流れ込んでくるような気がした。

「これは誓いの証だ、織子」

 ―ウケイの…証…?

 痛みに朦朧とする私の体を、青年がぎゅっと抱き締める。

 どこかで嗅いだ事のあるような匂いが、鼻を掠めた。

 ああこれは…、桜の花の香りだ…。

「あ…なたは…、誰…?」

「俺か? 我が名は銀星ぎんせい、真名は         」

 青年、銀星は私の耳に唇を寄せ、囁いた。

 けれど私の意識はまた消えていく寸前で、その響きを覚える前に瞳を閉じた。

 額の痛みと熱を冷ましてくれる、青年の手の冷たさが心地いい。


 これはきっと夢だ。

 だからこの心地よさも痛みも何もかも、目覚めればきっとなくなる。


 なくなる、はずだった…。



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