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うしろ  作者: 真弥
7/8

■秋田誠の場合■

「ありがとうございました」


 そう言って、誠は後部座席のドアを開けた。


 スーツの女性は軽く会釈をし、車から降りた。


 ドアを閉めると、誠は運転席と助手席との間を見つめた。


 そこには窪みがあり、そこにお金が乗っている。


「ワンメーターくらいでタクシー使うなよ」


 誠は溜息を吐きながら置いてあったお金を握り締めた。


 誠がこの仕事を始めてから、一年くらい経過しただろうか。


 二年前、当時働いていた会社でリストラに遭い、三十五歳で再就職先を探し、今のタクシー運転手になった。


 この業界も不景気で、前の会社の二分の一程の給料しかもらえなかった。


 歩合制で乗せた客の支払いが良ければもっと多くの給料をもらえることもあるが、基本そんなもんだ。

 

 次の客を探すため、道路を走っていると、黒い革ジャンを着た男性が道端で手を挙げていた。


 誠はその男性の目の前に車を止めると、後部座席のドアを開けた。


 男性は無言で腰を掛けると、じっと窓の外を見ていた。


「お客さん、どちらまで?」


 誠がバックミラー越しに男性を見た。男性は顔をゆっくり前に向けて、誠の視線に合わせた。


「行きたい場所の住所わからないんです。とりあえず、このまままっすぐ」


 生気の無いような小さな声で、男性はそうお願いした。


 誠は言われるがまま、車を走らせた。

 

 暫くの間沈黙。男性はまた窓の外を見ている。


 無表情、無気力。その男性を表現するとそんな感じだった。


 誠は何も言わず、ただ黙って車を走らせた。


「お客さん。どこに行きたいんですか?」


 5分ほど走った頃、沈黙に耐えられず、誠が聞いた。


 バックミラーを見ていると、男性がまたゆっくり顔を前に向け、フロントガラスより先を注視した。


「まだまっすぐです」


 誠は少し気味が悪いなと思った。でも仕事は仕事。誠は車を走らせる事に専念した。


「運転手さん……」


 次に言葉を発したのは、以外にも男性だった。誠はバックミラーで男性の顔を見た。


 男性も誠を見ている。


「人生に絶望した事……あります?」


 突拍子も無いその質問に、誠は唖然とした。


 急に何を言い出すのだろうか。ますます気味が悪く思った。


 でもまた沈黙になるのも怖かったので、誠は話に乗る事にした。


「そりゃありますよ。こんな人生楽しくないって何度思った事か……」


 誠の素直なその言葉に、男性は少し微笑んだ。こんな表情も出来るのだと誠は思った。

 

 信号が赤になり、車を停車させると、後ろの男性が、身体を前に乗り出してきた。


 運転席と助手席の間に顔を出し、両腕をそれぞれのシート後ろに回した。


「僕は今、この世界に絶望しています」


 今まで以上に低い声で、男性はそう言った。


 誠はその言葉に少し恐怖を感じた。


 顔はすぐ横にあるのだが、そちらに顔を向けるのが怖かった。まるで悪魔の呟きのように。


「こんな世界無くなってしまえばいいと、僕は思っているんですよ」


 男が言った。誠は恐る恐るバックミラーを見た。


 男は笑っていた。いや、正確には口元だけ笑っていた。


 目は深淵のように暗く底が見えないほどだった。


 何を考えているのか、その表情からは微塵も理解できない。


「運転手さん。僕はね、人生がつまらなくなった。だから今からちょっとしたゲームをしようと思ってるのさ」


 男の言葉が誠の動揺を誘った。


 ゲーム……何を言っているのだろうか。誠は恐怖に怯えていた。


「運転手さん、このまままっすぐ進んで」


 誠は正面を見た。誠が運転する車は、まっすぐ進んでいく。


 何故だろうか、こんな時に限って、信号で止まる事すらない。誠はハンドルを握り締めた。


「簡単なゲームさ。運転手さん、このゲームに参加してくれるよね?」


 誠の身体が一瞬にして強張った。


 誠の米神に冷たいものが触れたからだ。


 それが何なのか、誠はバックミラーで確認していた。


 後ろに座った男が、拳銃を握り締め、その銃口を誠の米神に押し当てていた。


「お……お客さん……ご冗談を……」


「冗談? 僕は冗談なんて言わないよ。僕はいつだって本気さ。試してみるかい?」


 ゆっくりと男の指が引き金に伸びた。


 誠は慌てて首を振った。男の目は真剣だった。誠は悟った、この拳銃は本物だと。


「運転手さん、あなたは物分りが良くていい。ゲーム、参加してくれるよね」


 誠は頷いた。頷く事しか出来なかった。


「簡単なルールさ。運転手さん、あの先に何があるかわかるかい?」


 男は顎先で窓の外を示した。道の先には、道の両端に巨大な倉庫が並ぶ埠頭が見える。


「運転手さんは、このまま真っ直ぐタクシーを走らせてくれればいいだけさ」


 誠は耳を疑った。誠はこの道が続く先に何があるのか知っている。それは海だ。


「気づいているようだね。そう、この先の海まで行ってくれればそれでいい。真っ直ぐ、止まる事も無く。ただ真っ直ぐ」


 銃口を頭に突き付けられたまま、誠はどうする事も出来ずアクセルを踏み続けた。


 何故俺が? 質問しても誰も答えてはくれない。


 このまま自分がどうなるのか。考えただけで寒気がする。


 誠は背後で微笑む狂気の言葉を待った。


「運転手さん。いいかい? 一度でもブレーキを踏んだら、運転手さんの負けさ。僕はこの銃の引き金を引く。ブレーキを最後まで踏まなかったら、運転手さんの勝ち。助かる事もあるかもしれないが、きっと二人で死ぬ。つまり、一人で死ぬか、二人で死ぬか。そんなゲームさ」


 ルールを聞き、誠は理解した。自分は殺される。選択肢の中に、自分の生きる道がないと。


「僕にとっては逆さ。運転手さんがブレーキを踏んだら僕の勝ち。僕は生き残る。でもブレーキを踏まなかったら、自分も死ぬかもしれない。危険なゲームさ。もし僕が勝てれば、少しでも絶望から解放されるんじゃないか。僕はそう思うんだよね」


 あまりにも理不尽なゲーム内容に、誠は憎悪を感じた。


 でもどうする事も出来ない。逆らったら、それだけで死。


 誠にはそれが理解できた。


 どうしてこの男はこんな事を決行しているのか。わからない。


 誠は自分の命の軽さに嘆くことしか出来なかった。


「さぁ、もう少しで、海に辿り着く。わくわくするじゃないか」


 男は笑った。誠は体中の血流を感じ身体が暑くなった。


 死ぬ。


 今までに決して感じることの無かった恐怖に、心が乱れた。


 混乱で自分の思考すら感じられない。


 アクセルを踏む足に力が入り、自然とスピードが上がっていく。


 何個も並ぶ倉庫の前を通り過ぎる。


 ゆっくりと視界が開けてくる。眼前に見える広い海が、誠の目に焼きついていく。


「どうする? 運転手さん」


 男が呟く。誠の心に迷いが生じる。


 どうすれば助かる? どうやっても助からない。


 心の中で二つの言葉が衝突した。


 生きたい。


 きっと今までの人生で一度も感じたことのないもう一つの気持ちの発生に、誠は涙した。


 海が太陽の光を反射させ輝いている。


 その海に向かって、誠の車が進む。


 車の走る道の先に、道が無くなり海になっている。


 きっとこのまま飛び込んだら、この車は沈み、海の藻屑となる。


 沈むまでに外に出れれば、きっと助かるが、後部座席に座る男がそれを許してくれるはずが無い。


 誠は数秒後起きるであろう未来を想像した。


「どうする?」


 また男が呟いた。心なしかさっきよりも興奮しているように感じる。

 

 アクセルを踏み込む。音を立てて車がスピードを上げる。誠は目の前に迫る海に恐怖した。


「どうする!」


 男のが叫んだ。誠は目を瞑った。


 それと同時に、無意識のうちにブレーキを踏んでしまっていた。


 耳鳴りがするほどの甲高い音が響いた。


 ブレーキを踏んだにも関わらず、車は進んだ。


 ゆっくり車体が止まった。


 誠はゆっくり目を見開いた。


 目の前には道路が無い。ただ海だけが広がっていた。車が海に飛び込む事は免れたようだ。

 

 しかし誠には安堵は訪れなかった。


 ブレーキを踏む。それを意味するものが、誠の死だったからだ。


「ブレーキ踏んだね」


 男が言った。誠の背筋が凍り付いた。バックミラーを見ると誠は男と目があった。


 殺意に満ちた男の目が、誠が視線を外す事を許さなかった。


「残念だったね。運転手さんの負けだよ」


 そう言って、男の握った拳銃が誠の米神に食い込んでいく。


 誠は自分の死を悟り、目を瞑った。


 暫くの沈黙の後、笑い声が聞こえた。


 誠が振り向くと、男が腹を抱えて笑っている。


 誠には何が起こったのか理解できなかった。何故彼が笑っているのか謎だった。

 

 暫く笑い続けた男が、ゆっくり誠に微笑みかけた。


 誠は男の次の言葉が想像できなかった。


「冗談だよ」


 冗談……? 誠は混乱する思考でその意味を理解しようとした。


 男はまた笑い出す。


 冗談……冗談だったのか。誠の身体中から滝のような汗が出始めた。


 大きな溜息を吐き、心臓の鼓動を確かめるかのように胸を握った。


 生きている。


 自分は生きている。


 そう思った瞬間、安堵した。本来なら男を恨む。


 でも誠にとってそんなことどうでも良かった。今生きている。その実感だけで十分だった。


「お客さん! 冗談きついって!」


 誠は笑いながら言った。男も笑いながら続けた。


「ごめんね!」


 良かった。誠は心からそう感じた。正面に身体を向き直し、目の前に広がる海を見つめた。


 さっきと変わらないはずなのに、今見る海は、さっきよりも綺麗に見えた。


 輝いて見える。広く見える。そして……赤く見えた。

 

 違った。海が赤いんじゃない。フロントガラスが赤く染まっていた。


 誠は目を擦った。見間違えじゃない。それに頭から何か水滴が垂れてきたのに気が付いた。


 手で触るとぬめっとした。ゆっくり顔の前に持ってくると、指先が赤く染まっていた。

 

 青ざめた顔で、誠はバックミラーを見た。


 後部座席で男はまだ笑っていた。


 笑顔で銃を握り締め、銃口を前に向けている。


 銃の先差から、薄っすらと煙が上がっているのも見える。


 何が起きたのか理解できぬまま、誠の意識が遠くなっていった。


「冗談さ……最初から、運転手さんだけ死んでもらう予定だったのさ」

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