ふたりで行列
「えっ、これに並ぶの?……言い方悪いけど、たかがラーメンでしょ」
早くも尻込みをつくケンタに対してマコトは構おうともしなかった。
「ここまで来てやめるわけにもいかないでしょ。ほら、並びましょ」
長蛇の列に対して片や渋々、片や燃えあがる。対照的な反応を見せる二人は列の最後尾にまわった。
流行りに助けられている面もあるのだろうが超がつくほどの人気ラーメン店。終日客が途絶えることはなく、数々の雑誌ですでに取り上げられている。もちろんマコトたちもそれらの宣伝に誘惑されて来店したクチだ。
マコトがケンタと付き合うようになってから早くも一年が経つ。恋人たちが行くような定番スポットと呼ばれる近場は行き尽くし、近頃は遊びに行こうにも決定までに時間がかかりがちだった。そしてこの頃から、ケンタの意見も尊重しようと努力していたマコトにも、毎度どこでもいいと煮えきらない彼氏に対しイライラしだしていた。しかしこのフラストレーションは良い方向に向かってくれた。マコトは都合がいいと捉えることにしたのだ。自分の行ってみたい場所に問答無用でケンタを連れ回す。今回のラーメン屋もそんなマコトの独断だ。文句?自分で決められないケンタにそんな権利はありはしない。
「だけどさぁ、みんなよく並ぶよな。周り見渡せば飯屋なんていくらでもあるのに」
ケンタが周囲の飲食店を見渡しながら感心したように言う。
「それだけここが美味しいってことじゃない?私たちのように初めてのお客さんもいれば当然リピーターも大勢いるでしょうから」
そうだ、リピーターが多いということはそれだけ病みつきの味のはずだ。……まずい、期待が膨らんできてしまった。こういうときは期待しすぎないほうが良かったりするのに。
「旨いだろうな~」
「ダメよ、期待しちゃ」
同じように期待を口にしたケンタにマコトはすぐさま牽制した。
「え、何で?」
「自分で勝手に味のハードルを高くしちゃうからよ」
「ふ~ん、そんなものかね」
「そうよ、気をつけて」
「どうやって気をつければいいかよくわからないけど、わかったことにする」
周囲からはそうは見られないのだが(どうやら叱っているように見えるらしい)、マコトにとってケンタとのたわいない会話はたわいないくせに楽しい。時間を忘れさせてくれる。今もぞろぞろと動く列の中間は知らないうちに過ぎてしまっている。
「そろそろメニュー表とか配られてくると思うけど、席はどうしよっか?バラバラでも構わないよね?それとメニューは今から考えておくこと、ケンタは決めるの遅いんだから」
どうせ食べる時間は二十分少々、わざわざ二人分の席がまとめて空くのを待つ必要もないとマコトは考えていた。
「……あのさぁ」
「何?もしかしてケンタそれじゃあ寂しい?」
「そうじゃなくて!俺も席が別々になるのは構わない。だけどさ、男と女で言うべき台詞が逆だろ、そこは」
ケンタは片手で頭をぐしゃぐしゃと掻く。
「え、もしかして[あたしはケンタ君の隣じゃなきゃイヤだよ~」とか言って欲しかったわけ?」
「そんなマコトだったら俺たちは付き合わなかっただろ」
「だよね」さも当然だというケンタの態度に少し安心するところもある。「けどさ、できたら一緒に食べようね」
「おう」
ケンタがぶっきらぼうになるときは照れている証しだ。
――お二人様ですね?
――大丈夫、お二人とも一緒に入れますよ。
――いらっしゃせー。
店内の作りはカウンター席がほとんどを占めていたが、マコトとケンタのような二人組の客も多くいたおかげで二人は並んでラーメンを啜ることができた。それでも周囲の雰囲気もあったせいか、会話は「旨いな」「そうだね」という簡単な感想と、「ちょっとペース早い、もうちょっとゆっくり食べて」「ごめん」くらいで、あとはひたすら食事に没頭した。
会計を終えて店を出てから二人はようやく一息つく格好となった。
「どうだった?」
「旨かったけど、今回限りでいいかな」
マコトの問いかけにケンタはこれといった感動もなかったと答えを返した。だがマコトも残念ながら同意せざるを得なかった。
「こってりしすぎなのかな」
「かもな。マコトがスープを飲み干せなかったくらいだし」
「そうなんだよね、このあたしがスープを残すなんて相当よ。この店女性客の獲得は無視してるのかなあ」
「雑誌ではそんな記事書いてなかったのに」
「そうだよね、なんかガッカリした。ハードルは高くしたつもりなかったのにな」
「まぁ不味いわけじゃなかったし。とにかくマコトの食べたいっていう目的は達成されたわけだろ?良かったじゃないか、店員も感じ良かったしな」
ケンタが店側のフォローに入ってきた。これは彼が愚痴や文句を終わらせたいサインだ。
「それもそうね。ゆっくりはできなかったけど二人並べて座ることもできたし。ね?」
マコトはケンタを見上げ、ニコリと笑った。
「そういうの、やめろよな」
「そう?ほっぺた緩んでるよ」
マコトがわざとらしくからかうと、ケンタは悔しそうに頬をごしごしと擦った。
「ところでさ、ちょっと付いてきてほしいところがあるんだけど、今からいい?」
帰路、ケンタからの申し出にマコトは少なからず驚いた。彼にもまだ私を連れて行きたい場所があるのか、と。
「ケンタからなんて珍しいね。どこ?」
「それは着いてのお楽しみということで」
「だけど時間は大丈夫なの?お店とかなら急がないと閉まっちゃうんじゃないの?」
「あ~、それは大丈夫。そういう所じゃないから」
――夜景かな。マコトの喉まで出かけた言葉は出してしまえば粋ではないと判断し、ぐっと呑み込みこれ以上の質問は控えることにした。
「わかった。あたしは付いていくだけでいいんだね?」
「おう」
「楽しみにしてよう」
時間はそうかからなかった。徒歩にして二十分程度だろうか。退屈はもちろんしなかった。
ケンタに連れてこられた場所は、神社だった。
「ここ?」
「そう、ここが目的地」
「でもここ……神社じゃん」
「そうだよ?何か別のものに見えるのか?」
夜景ではないとしても、夜に映える場所を期待していたマコトには意外だった。まさか神社とは。別の意味では確かに映える。人気のない夜では罰当たりな言い方になってしまうがホラースポットだ。たまには主体的に動いてくれたと感心した結果がこれか。
「寒くない?」
マコトの不安、そして幾ばくかの失望をよそにケンタは的外れな心配をしている。しかし確かにこの時期の夜はかなり冷え込む。
「大丈夫だけど、背筋が寒くなってきた」
マコトの返事にケンタは笑った。
「ビビるなよ。変なことをするつもりじゃないし、安心しろって。出たとしても神様だ」
「ちょっと心配になっただけよ。で、何?ケンタはどうしてあたしをここに連れてきたわけ?しかもこんな夜遅くに」
マコトの詰問に、ケンタは夜空に向かってむずがゆそうに返事をした。
「ここ、縁結びの神様が祭られているんだって」
その後しばらくの沈黙に先に耐えられなくなったのはマコトだった。
「……あたしまで恥ずかしくなったんですけど」
「俺だって恥ずかしいの我慢して言ったんだ」
「なんで夜?」
「だって、日中にわざわざ行こうなんて言えないだろ。だから用事のついでということにしたかった」
あたしの彼氏はどこかおかしな意地を持つな、とマコトは呆れた。
「気持ちはわかった。だけどさぁ、門、閉まってるよ」
防犯のためだろう、神社の境内への入り口は門で堅く閉められていた。
「反省してる。正直ミスった。俺の田舎の神社なんていつでも入り放題だったからさ、「神社が閉まる」なんて夢にも思わなかった」
ケンタは深く肩を落とした。どうやらマコトに喜びと驚きを与えることができると張り切っていたらしく、その分ショックが大きいようだ。
「ここからでもお参りしようか」見かねたマコトの言葉でケンタは顔を上げた。「ここからでもお願いの一つくらい聴いてくれるでしょ。なんといっても神様だし」
このような時間帯ということもあり、他に参拝客はいない。むしろ願いが届きやすいかもしれない。
「マコト」
「何?」
「おまえ、いい女だな」
「知ってる」
「惚れ直した」
「嬉しいけど、男と女で言うべき台詞が逆でしょ」
先ほどのお返しとばかりに、マコトはケンタの肩を小突いてやった。
夜とはいえ道端であったこともあり多少の逡巡はあったが、二人は閉められた門の向こう側へ並んで礼拝した。願いはもちろん――二人同じく――決まっている。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。