十五年の軌跡
家に着くころには、すっかり日が落ちていた。
扉を閉め、そのまま背中を預ける。
「……はぁ」
ようやく一人になれた。誰にも見られていない。それだけで、体の力が抜けていく。
しばらくそのまま動けなかったが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「……で」
視線を落とす。細い手。軽い体。見慣れない輪郭。そして――指に食い込むようにはまったままの指輪。
「……外れろっての」
軽く引っ張る。回す。爪をかけて無理やりこじる。
――びくともしない。
「っ……」
わずかに痛みだけが走る。
「……だよな」
分かっていた結果に、小さく息を吐く。
諦めて、部屋の奥へと進んだ。この家は、狭い。
木の床はところどころ軋み、壁には古い傷が残っている。机と椅子は片方ずつ。寝床は藁を詰めた簡素なベッド。
それでも、雨風はしのげるし、寝る場所もある。一人で生きるには、これで十分だった。
「……十五年、か」
ぽつりと呟く。この世界に来て、十五年。
思い出せるのは三歳から。それ以前は、ぼやけている。だが、ひとつだけ確かなことがある――頼れるものは、自分しかいなかった。
三歳のとき、気づいた。
自分の中に、ここではない記憶があることに。
見たこともないはずの景色。
高い建物。夜でも明るい街。見知らぬ文字。
そして――“自分はここで生まれた人間じゃない”という、はっきりとした違和感。
(……なんだ、これ)
幼い頭でも、それが異常だと分かった。
目の前にあるのは、汚れた木の床と、ひび割れた壁。
なのに、頭の中にはまったく違う世界の記憶がある。
(ああ……これ、違うな)
ここは、自分の知っている場所じゃない。
そう理解した。
だが、それ以上は何もない。
名前も、顔も、どうやってここに来たのかも思い出せない。
ただ、“前にいた場所があった”という事実だけが残っている。
だから――考えるのをやめた。
五歳。家にいても、何もない。食べ物も、金も、勝手に湧いてくるわけじゃない。
親は日々の喧嘩や借金に疲れ、気づけば自分は一人で屋根の下に置かれていた。
あの頃、もう「親」という存在は自分を守らなかった。
だから、外に出た。森に入り、落ちているものを拾う。最初は遊びのつもりだった。
だが、ある日、拾った金具を石で叩いて歪みを直すと、店に持って行けることに気づいた。
「ガキ、こんなもん持ってきてどうすんだ」
店主に言われたが、手に汗を握りながら差し出すと、銅貨二枚を置かれた。
(……売れた)
それだけで、十分だった。拾う。直す。売る。それを繰り返す。それが当たり前になっていた。
七歳。
街の広場で、リオ――当時は村のガキ大将格だった――に石を投げられた。
「おい、またゴミ拾いかよ!」
笑いながら投げつけられる小石。避けても、目立つほど痛くはない。
だが、皆の前で笑われる恥ずかしさは強烈だった。
「……別に」
そう返すと、リオは鼻で笑い、他の子供たちもクスクスと笑う。
小さな屈辱が積み重なっていった。
何度も絡まれ、持ち物を覗かれ、鼻で笑われる。
ある日、拾った小さな石を見せると、
「こんなの何に使うんだよ」とリオが鼻で笑った。
だが――その石は後に銀貨に変わった。
(……見る目、ないな)
心の中でそう思ったが、口に出すのは無駄だ。面倒になるだけだから。
十歳。
生活は少し安定してきた。腹が減って倒れることはないし、屋根の下で眠れる。
拾ったものの中に“当たり”が混ざることもある。それが分かるだけで、希望になった。
そのころ、リオの態度は少し変わった。からかいは相変わらずだが――
「……それ、いくらになった?」
ふと聞いてくるようになった。
「……さあな」
適当に流す。
すると、リオは少し眉を寄せる。
「ケチだな」
「そうかもな」
短いやり取り。しかし、リオの視線には探るような色があった。
(……なんで聞くんだ)
十五歳。気づけばこうして一人で生きている。特別なことはしていない。
ただ拾って、生きてきただけ。それで十分だった。
――今日までは。
「……はぁ」
現実に引き戻される。視線の先には、今の自分。“ユーナ”の姿。
「……これが、増えるのか」
もう一つの人生。望んだわけじゃない。だが、手に入れてしまった。指輪は外れない。
つまり――逃げられない。
「……まあ、いいか」
ぽつりと呟く。今までだって、なんとかなってきた。これからも、多分そうだ。




