第76話 天道は巡る
一度は叩き出した母子の行方を、ヴァルツ伯爵が探そうとした時、意外なところで発見した。
発見したと言うよりも「クラリスという平民について、ご存じないだろうか」という問い合わせが来たのである。
やってきたのは王宮警務の担当者。ヴァルツ伯爵が真っ先に尋ねたのは不思議だったからだ。
「貴族の問題しか扱わない王宮警務が、なぜ担当するんだね?」
伯爵家の当主であり、高級官僚でもあるヴァルツ伯爵を相手にした担当者は、腰を低くして答えた。
「貴家で暮らしていると主張するクラリスという平民が、伯爵家を継ぐと高言するのみならず、それによって結婚相手を求めていました」
「確かに、クラリスという名前の者はいた。だが、平民だぞ」
「その者は閣下の奥様の結婚前の実子ということに間違いないでしょうか?」
一瞬顔をしかめたのは、今さら「奥様」という言葉を面と向かって言われることが腹立たしかったからである。
もちろん、形式的には正しいし、否定するわけにはいかない。だが「それ」の娘が、家の中だけではなく、そこまでバカなコトをしていたのかとは思った。
しかしながら、この確認事態は重大である。クラリスが結婚後の子どもであれば、伯爵家の血を引くことになるからである。
もちろん、担当者も調べているはずだが、高位貴族である伯爵の答えは、無視できないと判断したのだろう。
役人は、確認と手順を重視するものなのだから。
ヴァルツ伯爵は、役人同士の確認作業にふさわしい明確さで答えたのである。
「クラリスは、私とオデットとが知り合う前に生まれ、我が家に来た。我が一族の血は一滴たりとも流れてはいていない」
担当者は、わかったという代わりに「ご理解賜りありがとうございます」と、まるで上司に答えるように頭を下げてみせた。
事実確認さえすめば、後は「余談」である。
「あれが伯爵家を…… 我が家を継ぐと言っていたのかね?」
あきれ果てた声を、担当者は、自分に対する抗議と受け止めたのか「いえ、あ、えっと」としどろもどろ。
「もちろん、そんなはずはないと思いましたが、確認は必要でして」
「必要な手続きだ」
「はい。左様でございます」
役人は、わかりきっていることでも確認は必要である。ヴァルツ伯爵は、誰よりも知っているつもりだった。
「書類は調べてあるね?」
ついつい、クセで、部下に対するときのように手順を点検してしまう。
「もちろん。貴族院の養子関係の手続きは一切行われておりませんでした」
「そうだろうな。一切、していないし、そのつもりもない」
伯爵の意向を確認したことで、クラリスの罪は確定した。
重大事件――「クラリスという平民が伯爵家の跡継ぎを詐称していた」ということ。
どこの国でもそうだが、平民が貴族を詐称することは重く咎められ、普通は死刑である。
同時に、伯爵自身も、初めて理解した。オデットとクラリスは伯爵家を乗っ取ろうとしていたのだと。
本人にそのつもりがあったのかどうかはともかくとして、形式上、そうだとしか思えない。
そこで改めてゾッした。
――もしもエレーナが早くに病死していたら、すり替わるつもりだったのか?
すり替わったクラリスが、地方都市にでも嫁に行く。その後、アルベルトが死んだ場合、自動的に「エレーナという娘」が伯爵家を継ぐことになる。
事実として、あちこちの次男、三男に出した「伯爵家の婿にならないか」という手紙を、王宮警務は多数、手に入れていた。
クラリスの母・オデットは、ヴァルツ伯爵家へと嫁入りして貴族籍にはある。しかし、平民の娘が詐称した手紙を送りつけることを認めていたということで共犯である。
この時点で、手紙という物的証拠がある以上、母子ともに死刑以外になかった。
裁判が異様なスピードで進むことに、誰も異を唱えなかったのは事実である。そして、その「わけ」について噂する命知らずの貴族は、さすがにいなかった。
ただ、少々、法務に詳しい貴族は「ヴァルツ伯爵家の正式な娘」に対しての証言を求めないのか、という意見を提示した。しかし「既に他家に嫁に出ており、親子関係も不存在である」と説明されれば、それまでである。
これで幕引きとする、ということは、あらかじめ決められていたのだろう。
国王による決裁が直ちに行われ、即日、刑は執行された。
ヴァルツ伯爵自身は、監督不行き届きの責を問われるのは当然であった。それも、けっして軽くない罪である。
あの日、部下たちが自分との距離を置きたがった理由を、初めて理解した伯爵は「全てを受け入れる」という態度となった、
しかし、長年、骨身を惜しまない王宮での貢献は誰もが知るところである。王宮の要職を辞職することで、その罪を清算することが許されたのは、政治的な配慮ではあったのだろう。
そこでようやく王宮が声を上げたのである。
一連の決裁をする以外、公式には一切の沈黙を保っていた国王の発言であった。
「長きにわたり己を顧みず、功績を挙げたヴァルツ伯爵の労をねぎらうため」
そんな理由を口にして、与えられたのは、北の辺境地における執政官であった。
伯爵は、黙って頭を下げ、受け入れたが、言葉はなかった。
ただしかし、現職場への別れの挨拶をする時、このひと言で絶句したのだという。
「己を顧みず、とは……」
聞こえなかった語尾に、伯爵が何を語りたかったのか。誰にもわからないことであった。
ただ、伯爵が王都を出立するにおいて、背中を丸めた伯爵の姿を、多くの元部下たちが証言していた。
「馬車の中で、小さなコップのようなものを大切に抱えていた」
それが、王都における伯爵の最後の姿であった。
都落ちとなったとは言え、国王がヴァルツ伯爵の仕事上の能力を信頼していたのは事実とされた。
その証拠が、後に発表された第三王子・リシュアンについてである。
長く謹慎していたリシュアンが総督として派遣されるのは、いみじくも、伯爵の治める北の辺境地であった。
一方、オデットの実家については、別の動きとなった。
伯爵という高位貴族家の財産を、平民が横領した罪は重かった。元々は、王都で店を構える中堅の商会が、規模を拡大し、失敗したというお決まりのコース。その借財の穴埋めとして伯爵家の財産が使われたのだ。
間接的に、オデットとクラリスの「伯爵家乗っ取り」に加担したものとして、財産を没収された。一族の主立つ者は強制労働の刑とされた。
没収された財産は、伯爵家の借金の返済に充てられ、わずかばかりの残りに、王妃が私財を投じて基金を設立した。
王都における貧民対策に使用されると発表されたが、貴族達は、それが事件の幕引きの象徴だと受け止めたのである。
全てのことが収まる前に、カシアン侯爵とエレーナは、とっくに領地に戻っていた。
まるで「一切の関心が無い」ことを体現したかのような振る舞いであると「王宮雀」たちがさえずっていたのであった。




