第72話 拒絶
王宮には、役職に応じて借りられる馬車があった。
もちろん、伯爵家として、邸の方には馬車もあるが、もう数年使ってない。第一、呼び寄せるのが面倒だ。
いつもの通り王宮の馬車を使った。
形式通り、伯爵家の紋章のプレートが、所定の位置に取り付けられ、輝く。
一目で、高位貴族が乗っているのだとわかるから、他の馬車は、避けていくのでいざこざ知らず。
王都の道も整っているし、王宮に仕える、馴染みの馭者だ。各家の位置も道のりも知り尽くしている。
あとは寝ていても、着く。
しかし、家に帰るのはやはりためらってしまった。
理由は単純だ。先ほどの手紙で動くのが業腹だったからである。
使用人が一度に十四人も辞職というのは、確かに珍しい。だが、慌てて帰るほどの事でもないと思えた。
それに、自然と、昨夜の夜会を思い出してしまう。
王妃に国王。そして、エレーナ。
自分の娘が国王の前で称賛されるなどという事態は、自身の長い官僚生活の中でも、予想したことのない出来事だった。
妻の名を国王陛下が呼んだときは、背中がゾクリとした。愛する妻の名を、あのような場で聞けるなんて。
愛おしさと、哀惜の痛みが胸をかき回すようだ。
しかし――
娘に対する怒りが、改めて蘇ってしまう。
何一つ本人からの報告が無いとは、なんたることか。その一点が、どうにも腹立たしい。
国王にまで話が届くほどの施策を行ったのなら、父である自分に一言あってしかるべきだ。
それがないということは……
センスはあっても、仕事と言うことを理解してないのだなと、伯爵は眉を下げた。
ついつい、愚痴になる。
「国王陛下にまで認められ、国是となったという事実の重大さを、少しもわかってない。困った娘だ」
父としての誇らしさよりも、腹立たしさの方が先に立った。
だが同時に、浮かぶのは「昨夜の空気は奇妙だった」ということ。
あの場にいた貴族たちは、皆、自分を避けた。同時に、何かを知っているような顔をしていた。
もしや、自分だけが知らないことがあるのではないかという疑念が、胸の奥に小さく残る。
ヴァルツ伯爵は、馭者に命じた。
「アルヴェイン侯爵家へ向かえ」
まずは、娘に会う必要があると判断した。これは間違ってないはずだ。
馬車は方向を変え、やがて、侯爵家の門前に到着した。
門番が誰何し、馭者が「ヴァルツ伯爵である」と告げた。
心の中で「何のためにプレートを着けているのだ」と、イラつくが、何しろ突然の訪問だ。先触れを出してないだけに、自分が非礼な行動をしている自覚はある。
ただし、心のどこかに「自分は義父である」という気持ちがあったため、モヤモヤしつつも、行動しているだけだった。
しばし待たされてから、キビキビと動く守衛たちが馬車を囲むようにして、馬車廻しまで案内した。
何人ものフットマン、あるいは侍従らしき者達が、たちまち近寄ってきた。
馬車が止まった瞬間、フットマンによってステップが取り付けられ、丁寧な声をかけてきた後、ドアがゆっくり開けられる。
出迎えのアーチ。そこには騎士も混ざっていた。
そして、正面には、珍しいことに女性が現れてカーテシー。
「侍女のリディアと申します。ヴァルツ伯爵閣下」
「うむ。突然の訪問、失礼する」
「本日は、どのようなご用件で」
「侯爵にお目にかかりたい」
リディアと名乗った侍女は、即座に応えた。
「申し訳ございません。ご面会を承ることができません」
言葉とは裏腹に、頭一つ下げてない。
「取り次いでもらうだけでもよい」
「既に、ご命令を承っております」
仮にも義父である自分との面会を、侍女に断らせるだと? いくら身分差があるとは言え、あまりにも失礼な対応ではないのか、と腹立たしくなるのは当然のこと。
しかし、感情を抑えることなど、官僚としては普通のこと。
目的を達成するために、どうすれば最短かを、考えて言葉を出す。
「では、娘に会わせていただこう。父親だぞ」
言わずもがなとは思うが「父親」を強調しないと、会わせて貰えない気がしたのだ。
「当主より、お断りするようにと申し付けられております」
思わず眉を寄せてしまった。ありえない返事だ。
「私の名――アルベルト・ヴァルツ伯爵を知った上で、断るのかね」
「はい。承知しております。ゆえに、お断りいたします」
侍女は、冷然とした表情を、まったく変えない。そのうえ、取り付く島のない対応は、まるで氷の壁の前に立っているかのようだ。
だが、相手は「王国の英雄」であり、格上の侯爵家。明確な拒絶の前に、どうにもならないと語るしかない。
「……そうか」
そこで、侍女は「僭越ながら申し上げます」と冷たい声を出した。
「何だね?」
「ご自宅にはお戻りになりましたか?」
「これからだが」
「我が主の対応が理解できないようでしたら」
そこで言葉を切った侍女は「本当に理解できませんか?」と、念を押してきた。その一瞬だけ、その侍女の感情が見えた気がして、ハッとなってしまった。
しかし、意味のわからぬ念押しに、思わず言葉をためらった。
そんなヴァルツ伯爵を見て、なぜか、その侍女は口角を上げて見せてから、言った。
「昨日の両陛下のお言葉を含めてお考えいただき、ご自宅を…… 閣下が娘だと思っていた人の暮らした部屋を、ご覧になることをお勧めします」
何だそれは、と今度こそ伯爵は、驚愕する。
昨日の両陛下の言葉が、何の関係がある? まして、なんだその「娘だと思っていた人」だと?
「それでは、ごきげんよう」
ありえないことに、たかだか侍女の身でありながら、伯爵である自分に「帰れ」だと?
しかし、その無礼な物言いが侯爵の命令であることを考えると、ここで怒りを見せるのは「正しくない態度」にも思えてしまった。
「わかった。そなたの言うように、部屋を見てみよう。だが、もしも、それで何も無ければ」
最後の脅しまがいの言葉を、つい、出してしまったが、侍女は冷然とお辞儀をするのみであった。
「我が屋敷へ行け」
馬車はゆっくりと動き出した。
この時の伯爵は、まだ知らない。
自分がこれから見ることになるものが、どれほど不可解で、どれほど理解しがたいものなのかを。




