表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
身代わりで嫁いだ死神侯爵に、異常なほど溺愛されています ~虐げられ令嬢は最恐英雄の唯一の花嫁でした~  作者: 新川さとし


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/39

第7話 白い花のある食卓


 食堂へ向かう廊下は、静まり返っていた。


 履き慣れないヒールのある靴は、美しいけれど足元が心許ない。


 まるで、歩きにくさを知っているかのように、執事の男性とリディアは、私の歩調に合わせて、ゆっくりと先導してくれる。


 足音を吸い込むような厚い絨毯。

 壁には絵画が掛けられているが、どれも落ち着いた色合いで、主張が強すぎない。


 邸の設えは、どこもゆとりがあった。広い。そして、無駄がない。


『ここは、見せつけるための屋敷ではないのだわ』


 住む人間を落ち着いて迎え入れるための家。


 そんな印象を受けた。


 扉が開かれ、食堂に足を踏み入れた瞬間、思わず息を呑んだ。


 天井は高く、長い食卓が中央に据えられている。

 灯された照明は柔らかく、夜の静けさを壊さない。


 花?


 食卓の中央に、小さな白い花が生けられていた。


 凛とした白。

 派手ではないのに、どこか目を離せない。


『綺麗。確かに落ち着いているけど、テーブルに飾るのはどうかしら?』


 とっさに、何か意味があると思った。


 でも、理由はわからない。ただ、胸の奥が、きゅっと締め付けられた。


 懐かしいような、切ないような、名前のつかない感覚。


「こちらへどうぞ」


 案内され、席に着く。


 ほどなくして、扉が開いた。


 カシアン侯爵が入ってくる。


 昼間よりも、どこか緊張が抜けているようにも見える。


 けれど完全にくつろいでいるわけでもない。


 視線が、わずかに泳いでいるようにも見えた侯爵様。


『まさかね』


 堂々たる偉丈夫が、自分の邸で何を緊張するというのだろう。


 その目はゆっくり私に向けられると――一瞬、止まった。


 何か言おうとして言葉が出て来なかった。


 彼は小さく咳払いをして、視線を逸らした。


「とても……似合っている」


 それだけ。


 短くて、ぶっきらぼうで。

 けれど、誤魔化しのない声だった。


 胸の奥が、じんわりと温かくなる。


「ありがとうございます」


 そう答えると、侯爵はわずかに頷いた。


 食事が始まる。


 料理はどれも美しく、香りも穏やかだった。


 何より驚いたのは、料理が異様なまでに少量ずつサーブされていることだった。


 確かに、コースとなる多彩な品々をすべて食べるため、こういう席での一皿は、少なめとなる。


 それにしても、本当に少量だった。しかも、どれも食べやすい形に整えられていたことに、驚いてしまった。


 幼い頃に習ったテーブルマナーの知識をフル動員して、粗相がないようにと思った私が拍子抜けするほど。


 どれも一口サイズで取りやすいお皿になっていた。


『良かった。これなら食べきれるかもしれない』


 長い間、正規のテーブルマナーなど必要とせず「空腹が当たり前」の生活をしていた私は、一度に食べられる量は少ない。

 

 こんな風に、少しずつでなければ、きっと食べきれなかったはずだ。


 それに、こんな風に食べやすい形でサーブされていなければ、食べ方一つでも気になっていた。


 侯爵様は、前菜のお皿が引かれた後、穏やかな声で尋ねてきた。


「食べづらくはないか?」

「いえ。大丈夫です」

「そうか」


 それだけの会話。


 けれど、不思議と心が落ち着いていく。


 ほんの少量。侯爵様でなくとも、男性が食べるにはきっと足りないはず。


 しかし、私の食べるペースに合わせるように、気品ある動きで食べ続ける侯爵様だ。


 メインのお皿が引かれた時、ようやく私も少しだけゆとりが生まれた。ふと、また白い花に視線が向く。


「……その花」


 思わず、口に出ていた。


 侯爵様は一瞬、言葉を探すように視線を伏せる。


「テーブルにはあまり飾られない花かもしれないが、あえて私が命じた」

「侯爵様がですか」


 自ら、テーブルの花を指定するなんて。


「ああ」


 それ以上、説明はなかった。


 けれど、その声音には、どこか大切なものを扱う慎重さが滲んでいた。


『ただの飾りじゃないんだわ』


 そう感じるには、十分だった。


 食事が終わり、席を立つ。


 廊下を戻る途中、侯爵が足を止めた。


「今夜は」


 一瞬、言葉が途切れる。


 私は、無意識に身構えていた。


 けれど、彼は視線を逸らしたまま、低く続けた。


「今日は、休め」

「……はい」

「長旅だった。慣れぬ環境で無理をする必要はない」


 それは、命令ではなく。

 言い訳のようにも聞こえた。


「ありがとう、ございます」


 侯爵は、わずかに頷いただけで、そのまま歩き出した。

 来たときと同じようにリディアと執事に先導されて部屋に戻った。


「今夜は、ゆっくりお休みくださいませ」


 声を落として、続ける。


「ここでは、誰も、奥様を責めません」


 その言葉に、喉の奥が詰まった。


「ありがとう」


 それだけで、精一杯だった。


 部屋に戻り、ベッドに腰を下ろす。


 今日一日で、あまりにも多くのことがあった。


 怖かったはずなのに。

 不安だったはずなのに。


 胸の奥に残っているのは、奇妙なほど静かで、確かな温もりだった。


 白い花が、脳裏に浮かぶ。


『ここでなら』


 まだ言葉にならない思いを抱えたまま、

 私は、静かに目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ