第68話 届かぬ報告
ヴァルツ伯爵は、朝から不機嫌の極まりであった。
しかし、性格的に怒鳴り散らすようなことはできない。その分だけ、書類の些細なミスを指摘することが増え、机上の乱れを注意する口調が冷たくなるだけだ。とはいえ部下にとっては十分に恐ろしい。
それであっても、マシーンのように正確で几帳面なヴァルツ伯爵が、仕事絡みで感情を出すのは珍しかった。
部下たちは、その原因を言葉にはしないが、何となく想像はしていた。
――嫁に出した娘は親に手紙もよこさない。やっと王都に出てきても、全く会いに来なかった。
それは、広く知られた事実である。エレーナという一人娘は、病弱だという話だったが、社交を求めるあらゆる連絡を夫のアルヴェイン侯爵自らが断っている。
わざわざ訪問した、公爵夫人すら、はね除ける徹底ぶり。
そこに、あることないことの噂を重ねてみれば、伯爵の気持ちを想像するのは簡単だと、部下たちは信じた。
――娘が心配で仕方ないのだろう。
部下たちの想像は全くの正反対方向だが、半分だけ当たっているとも言える。
王妃からの通知文を受け取ってから、不安と戸惑いが昂じ、ついに今日、怒りとなって爆発したのだ。
つきつめれば、ヴァルツ伯爵の怒りの理由は次のひと言。
「報告が無い!」
その怒りの中心は、手紙一つよこさない娘の行動に対してである。
「仕事をする上で、報告、連絡、相談は基本だぞ。いくら不出来な娘でも、基本は教えておくべきだった。だが、どんなに怠け者でも、返事くらい出すのは常識だろう」
家庭管理者に命じて、何度か侯爵家へ手紙を出させていた。しかし「返事が届いた」という連絡は一向に入ってこなかった。
そのため、今日の夜会の意味が、少しも読めない。
手元にある文章を、ためつすがめつ読み返しながら、ため息を落とすのも珍しい。
先週届けられた「カシアン侯爵を労う」という、王妃が主催する夜会の「通知文」であった。
夜会など興味は無い。
邸に届く「招待状」であれば、オデットに任せて放置。よんどころない場合は、最初だけ挨拶をして、すぐに職場に戻るのがいつものこと。
だが、先週届けられたのは「王妃様からの通知」である。これだと、そうはいかない。
事実上「出席せよ」との業務命令だった。
しかも、通常とは違い、王妃様の独り言を侍従が聞き取ったという言葉まで添えられていた。
『領地における、侯爵夫人の成果を広く知らしめるとともに、その功績に対して、ご夫妻には特別の祝福を与えたい』
すぐさま「アルヴェイン侯爵領における成果とは何か」を調査させた。
娘と違い、部下たちは、すぐさま報告書を上げて来た。
――若く、美しい侯爵夫人が、考案・実施した政策によるもの
そう言い添えながら部下は報告書を差し出してきた。
「寡婦たちの就労と、孤児たちの待遇と教育について」
分厚い報告書は、目を瞠るような成果が記されている。
「我が娘だけあって、実に見事だ。しかし、これほどのことができるなら、なぜ、父に連絡をしないのだ」
いち早く知らせてくれば、他の領でも実施させていたものを、と思えば、怒りもつのるというもの。
ただちに、叱責と「事実関係の報告」を求める手紙を、部下に命じてアルヴェイン侯爵家のタウンハウスへと届けさせた。
だが、とうとう、返事は届かなかった。
まもなく、夜会が始まる。
王妃様が開く夜会の定番通り、王宮の小ホールである。
業務のための出席とは言え、服装を整えるのも仕事のウチ。先日、わけのわからぬことで職場にやって来たオデットが到着するのを待って、服装を整えた伯爵は、いち早く会場入りしたのである。
「何かあったのかね?」
伯爵は社交を担当しているはずのオデットに尋ねた。
周囲の目など気にしたことが無い伯爵ですら気付くほど、周囲の対応が異様であった。
誰一人近寄らない。儀礼上、必要な相手に挨拶に向かえば、最低限の言葉をかわしただけで、誰もが露骨に逃げ出していく。
仕事上の敵は、どうしても多くなるため、一部の相手が近づかないのはわかる。今までもそうだった。
だが、今日は、好意的だった派閥も分家筋も、全てに避けられる。
そして、あちらこちらの塊から向けられる視線は「好奇」に満ちていた。
困惑した夫からの問いかけに、オデットは顔色を白くしたまま――厚塗りした化粧で、それとはわからないが――答えた。
「わかりません…… 先日はすみませんでした。ひょっとしたら、その件かもしれません」
「ああ、君の娘が、卒業できなかったことか」
先日職場までやって来て、べったりした声を出していた。
だが、リセの学費まで出してやって、それ以上どうしろというのかと、すぐさま追い返した。
だが、周りから「孤立」した状態となった伯爵は、この手持ち無沙汰の時間を、その娘について考える事に使ったのだ。
仮にも長期の契約関係にあり、家を任せた人間の娘だ。あまりにも冷たい対応をするのも考え物だろう。
「何年も我が家にいたのだ。メイドのマネゴトくらいは覚えたのだろう?」
オデットは、途端にオロオロとして見えた。
どうやら、しっかりと教えていなかったのかと、伯爵は見切りを付ける。
「本来なら、分家筋で侍女見習いにでも紹介してやりたいが、学園を卒業できないという汚名があると、そうもいかん」
「申し訳ありません」
「いや、私は構わないが…… 最低限の読み書き、計算くらいはできるはずだな」
「は、はい。それはもう、しっかりと勉強させましたので」
しっかり勉強していれば、卒業できないわけはない、という理屈を言うほど、伯爵は人が悪くなかった。
「であるなら、我が家で暮らしていたという『名』を使って構わん。どこかの商会のメイドか、事務見習いにでも押し込んでやりなさい」
その瞬間、オデットの顔に、絶望が浮かんだのだが、伯爵は読み取る必要性を感じてはいなかった。
楽団の演奏が一時止まり、式典官が、その瞬間宣言したのである。
――諸君、今宵の星が姿を現す。アウレリア王国王妃、コルネリア・アウレリア陛下が、ご光臨である!
満場の拍手の中、豪奢なドレス姿の王妃が登場した。
華やかな夜会の始まりである。




