第64話 お忍びの訪問
侯爵家ともなると、タウンハウスの敷地も、建物の規模も別格だった。
確かに、広い。
確かに、大きい。
けれども、エレーナは見回して呟く。
「こんなに、素敵だなんて」
大きさや豪華さに驚いているのではない。
「どれも、本当に丁寧なお屋敷なのですね」
置かれている美術品が、どれも素晴らしいのは言うに及ばない。窓にドア、家具の一つずつ、玄関先に植えられた花に至るまで、全てが丁寧だった。
初めて侯爵邸に入ったときに感じた「行き届いている」は、こっちもだった、という驚きだ。
気品があり、清潔であり、選び抜かれている。それらは、文字通り「磨き抜かれた」生活を意味していた。
賛美の声を上げると、シアンは、当たり前のような顔をして、ボソッと言った。
「君の思うとおりに変えてくれて構わない」
私は聞こえなかったことにした……
第一、どこも素晴らしいから、何かを変えたいという気持ちにもなれない。
王都に着いてすぐ、到着したとの報告を王宮に出すと「どうせ、招かれるのは、最低でもひと月はかかるものだ」とシアンが嬉しそう。
確かに、国王陛下よりも多忙を極めている、と言われるのが王妃様だ。いくら招かれたとはいえ「到着したら、翌日、王宮へ」ということにはならない。
そして、シアンが嬉しそうなのは、私を王都で連れ出せるからだという。
今日は観劇、明日はオペラ、合間には、王都でも人気の楽団をお屋敷に連れてきて、コンサートが連日となる。
好みの曲を聞かれても、コレージュ時代に見聞きした範囲でしか、音楽はわからない。だから、知識としての曲名は知っていても、それが好みになるのかどうか「わからない」と答えるしかないのが残念だった。
けれども「それならば」と、いろいろな曲が聞けるようにしてくれた。シアンの気配りは細かかった。
合間には、もちろん、王都の美食巡り。でも、外食ばかりだと、タウンハウスのシェフが泣きそうになってしまうから、専ら、お昼の軽いスイーツばかりになる。
そして、張り切ったシェフの作るディナーは、どこよりも美味しかった。
夢のような五日が過ぎた日のこと。
シアンが、いつになく、騎士たちに何事かを命じた後、帯剣姿になったことに、驚いてしまった。
「敵意は感じられないものの、この邸が見張られている」
「どういうことでしょうか?」
「わからない。相手に害意があれば、今すぐにでも、全員を切り捨てるのだが」
英雄侯爵様であれば、可能なのかもしれない。ただ「危ないことはしないで」と言いかけて、それは傲慢な物言いだと、慌てて、言葉を押さえ込んだ。
――だって、私を守ろうとしてくれるのですもの。
それがわからないようではダメ。
だから、私は素直に尋ねた。
「私はどうしたらいいですか?」
「すまないが、数日、様子を見て、どれかを連れてきて、尋ねる。それまでは邸で我慢してくれ」
「我慢だなんてそんな」
シアンの表情は「断固としたことをやる」と硬い。
だから「あのっ」と大きな身体を見上げた。
「ん?」
私が耳打ちしようとした気配を感じたのだろう。シアンが膝を曲げて高さを合わせてくれた。
そのお耳に囁いた。
「外出も楽しいですけど、お部屋で二人は、もっと嬉しいです」
その瞬間のお顔が、とろけてくれたのが嬉しかった。
その時だ。
ノックの音。
「はい」
「リディアです。奥様にお客様がお見えです」
緊張した声だ。
「約束などしてないぞ」
私の方を抱きしめかけたまま、シアンが硬い声を出した。
「それが…… ともかく、お館様も、一緒にお願いします」
あまりにも例のないリディアの気配に、さすがに旦那様も、何かあると気付いたのだろう。
「わかった。オレが行く」
「奥様へのお客様です。お館様も、ご一緒が良いそうです」
二人で視線を合わせてしまう。
いつになく、リディアの様子が変だ。
二人で部屋を出ると、リディアが小さな声で報告してきた。
「お忍びでございます」
「何?」
旦那様が、本気で驚いた顔。
そして、私も、気が付いた。
お忍びと言う言葉に、侯爵様の驚き。
そして、こちらに敵意を向けない正体不明の「取り囲む人たち」が意味するものは……
その人の名を口に出すことなく「カシアン侯爵」にエスコートされて入った。
応接室に、その人はいた。
名乗らなくても、一目で、その黄金の髪と気品、そして部屋にいる全てのお付きの者がかたまってしまう威厳を持つ人。
旦那様は、私に「大丈夫だよ」と、笑顔を向けてから、その人――その方に向かって言った。
「ご無沙汰しております。王妃陛下」
突然の訪問は、アウレリア王国王妃 コルネリア・アウレリア陛下、ご本人であった。




