第56話 帰還
侯爵領の騎士たちに先導されて、カシアンと二十四騎の部下は、堂々と領都へと入った。
さすがに緊張は解けている。部下たちは、キョロキョロと見回しては隊長へと声をかけてきた。
「なんか、みんな楽しそうだ」
「隊長、愛されてますねぇ」
「なんで、こんなに違うんですか?」
街の雰囲気が他と違うと、口々に言う。
ロランがそれを引き取って聞いてきた。
「なんだか、賑やかな感じがしませんか? 出た時と違うというか」
「そうだな」
上の空で相槌を打つカシアン侯爵。
自領に入ってからは、一刻も早くエレーナの顔を見ることばかり考えているせいだ。
しかし、すぐに気付いた。
「……確かに、違う」
生きとし生けるものが、元気を取り戻す初夏ではあるが、それだけで説明できる違いではない。
何気ない顔を作りつつ見渡してみると、どうやら人々の反応が、これまでとは違う。
一行を見た街の人々の反応は、それがご領主様であるのを知ると、敬意を込めて頭を下げる。代々の領主が敷いてきた善政は、民に敬意と親しみを育ててきたからだ。
そこでは、同じ――違うのは、ごく一部の人々の反応である。
敬意は確かにある。だが、そこに「感謝」という言葉を絵に描いたような反応を載せている点が、以前と違うのだ。
しかも、周囲の人々も、その「感謝」を明らかに、当たり前のものとして受け止めている。
――いったい、何が起きている?
戸惑う隊長を理解したのだろう。馬を寄せてきた副隊長のロランは、先導する騎士たちにも聞こえぬ声で聞いてきた。
「何か問題でも?」
数ヶ月の不在は、軍に携わる貴族家では珍しくない。しかし、領主不在の間に、何事かが起きるのもまた――たいていは悪いこと――珍しいことではないのだ。
ロランは、隊長の戸惑いを「警戒」と読んだのだろう。
「いや。違う。そっちではない」
問題……ではない。むしろ逆だ。
女将さん達が井戸端会議を止めて、慌てて頭を下げる姿。行き交う荷馬車が馬を止め、道の端で頭を下げる姿。
そして、使い走りと思える子どもが、道ばたで両手を振って見せた。
――笑っている?
まるで、伏兵を探し、敵の罠を見つけようとしているときのように、カシアン侯爵の視線は、鋭い。
視線は、小さな空き地にいる子どもたちを捉える。
一行に気付かないくらい夢中なのだろう。お揃いの服を着た少年が、木の枝で地面に何かを書き、少女がそれを覗き込んでいる。
「違うよ、それは、こっちだってば!」
「ははは、いっけねぇ~」
侯爵の観察眼は、地面に書いているのが「文字」であることをしっかりと見ていた。
カシアンは先導する騎士団に、馬速を緩めるように命じた。
「文字? それにしても、あの服、見たことがない」
「え? ガキが文字を書いてるんっすか? さすが侯爵領ともなると、みんな字が書けるんですねぇ」
その時、さすがに、その子たちも気付いたのだろう。少年が顔を上げると、慌てて立ち上がり頭を下げた。少女もすぐに倣う。
キビキビとした動きは、怯えではなく、やはり「感謝」に溢れていた。
心から、相手に感謝の気持ちを伝えたいとき、人が、どのように振る舞うか――戦場で数多くの味方を救ってきたカシアン侯爵は、理屈よりも、心で理解しているつもりだ。
「いったい何があったんだ?」
それは、半ば独り言。しかし、緊張を解かない隊長に、ロランは混ぜっかえすように言った。
「わかんねぇんですけど。なんかまずいことで?」
「いや、逆だ。人々がオレに感謝しているらしい」
「ご領主様に、感謝するのはけっこうなことじゃないっすか!」
「確かにそうだが……」
理由もわからず、感謝されるのでは、どこかむずがゆい。
納得できない「隊長」に、ロランはニヤリとして「こりゃあ、愛妻のおかげかもしれないっすね」と茶化すように言った。
「ん?」
「ほら、よくあるじゃないっすか。お祈りの菓子でも撒いたんでしょ」
領主が出征すると「領主のご無事を祈る」という名目で、菓子などをバラ撒くことがあるのを言っているのだろう。
受け取った領民は、それぞれが、神に「ご領主様の無事を」祈りなさい、という話だが、果たしてエレーナは、そんなことをするだろうか?
――何となく、しない気がした。
「わからんが。それとは違うらしいぞ」
人々の「本気の感謝」の姿は、菓子を受け取ったからだと考えるには、あまりにも違いすぎる。
「まあ、いいじゃないですか。隊長は帰ってきた。領民は喜んでる。後は、美人で、とっても優しい奥さんに、熱いキスするだけでしょ!」
否定も肯定もしない侯爵は、不思議な感覚を胸に残しながら馬を進めていった。
侯爵邸の正門が見えた。
全ての騎士と兵士が揃ったのではあるまいかと思う人数が、装具をピカピカに磨き抜き、背筋を伸ばして出迎えの隊形に並んでいた。
ご苦労、という言葉の代わりに、右手を挙げて見せた瞬間だった。
「うぉおおお!」
と言う地鳴りのような歓声が、次の瞬間「お帰りなさいませ、お館様!」と声を揃えた言葉となる。
門をくぐった瞬間、侯爵の胸が少年のように高鳴った。
いる。
出迎えの家臣達の真ん中で、淡い色のドレスを着けた人――愛する妻が、立っている。
帰ってきた。
その人を見て、そう思える自分が、なぜだか嬉しかった。




