第52話 遅かった
アウレリア王国の王子として生まれたリュシアンは、最高の教育を受けてきた。それぞれの分野のトップが家庭教師となるのだ。
当然のように「貴族家の観察の仕方」も、君臨する側として身につけさせられていた。
だからこそ、わかる。
――聞いている話と全然違う!
だから、その言葉は、案内に付いた家宰に向けられた質問ではなく、純粋なつぶやきであった。
「ずいぶんと、普通だ……」
驚くほど整っていた。
想像していたような「取り繕い感」が全くない。
しかも、横を歩くエレーナに対しても、自然な敬意を含んだ忠誠心が向けられていることは歴然としている。
――下手な貴族家当主だって、ここまでにはならないのでは?
どの貴族家でも、全ての仕える者が主人に強い忠誠心を持つわけではないと知っていた。まして、少しでも主人がないがしろにする「家族」に対して、負の心は発現しやすいと、教わったことがあるのに、だ。
もしも、ウワサの通りなら、エレーナはもっと、家臣と距離があるはずなのに、全く見られない。
帝王教育の一貫として教え込まれてきた知識とウワサの、どっちが正しいんだ。
リュシアンは、平然とした顔をしつつ大混乱だ。
自分の知識が間違いなのか、それとも「エレーナについてのウワサ」が間違いなのか。
――この空気の中で「一緒に王都の空気を吸わないか」は、さすがに言い出しにくいぞ。
いったん、王都に連れ出してしまえばこっちのもの。王命によって結婚させられた「可哀想なエレーナ」の気持ちを父王に代弁すれば良い。
すぐにはウンと言わないだろうが「王の命令で一人の女性に不幸をもたらすおつもりですか」とでも言えばいい。
――父は「良き王」を目指していらっしゃるからな。不幸をもたらしたとわかれば、少しは私の言うことも聞く。
その読みでやって来たというのに……
不幸の空気がなかった。
使用人たちは、王子の存在に緊張はしているものの、動きは自然で、落ち着いている。
「全ては、ウワサということか」
小さな声がエレーナの耳に入ってきたが、そのまま流すことにした。
「王族が思わず漏らした声を拾っても、ロクなことにはならない」
それは、幼い頃、すでにお祖母様から教わっている。
エレーナの平然とした様子を受け入れたくないリュシアンは、今度こそ、言葉にしてしまった。
「それにしても、ずいぶんと、邸内をしっかりと把握しているんですね」
それは、王族から貴族に向けての言葉と呼べるようなものではなかった。
いわば、同窓生の気さくさを前面に押し出したもの。
少しでも、五年の距離を縮めようというリュシアンなりの工夫である。
半歩前を歩き、案内する体をとるエレーナは「まだまだ、教わることばかりでございます」と壁を作る。
面白くなかった。
さすがに「白馬で迎えに来た王子なんだぞ!」と言うセリフは考えもしないが、期待している態度と全く違うことが残念過ぎたのだ。
エレーナにあるのは敬意であり、好意ではないことくらい、リュシアンもわかる。
結局、応接室への道すがら、いくつかの説明を聞きつつも、リュシアンが望むもの――「助けて」という表情――は、影すら掴めなかった。
座るやいなや、紅茶を用意するレディメイドの動きは、品性を保ちつつもキビキビしている。それは紛れもなく「主人の前で働くメイドの姿」そのものだ。
リュシアンの目の前にいるのは「救いを求める少女」ではなく、貴族家を取り仕切る奥方のあり方そのものに見えた。
胸の奥で、小さく何かが軋んだ。
――そんなはずが無い。
だからこそ、リュシアンは言わずもがなの話題から入らねばならなかった。
「……奥方は、大変でしょう」
当主不在で責任が集中する立場だ。
しかも自分という王族の来訪がけっして軽いものではないことを、よく知っている。
だからこそ、視察という名の会話として、そう口にした。
労わりとしては、無難でありつつ、愚痴なり不満なりを出しやすい誘い水。
しかし、エレーナは、ほんの一瞬だけ考えてから、答えた。
「必要なことをしているだけです」
王族の言葉を否定せず、しかし、はっきりと「ノー」と言い切った。
ただ、淡々とした返答は、無難であるからこそ、取り付く島が無い。
王子は、平静を保ちつつ、心には荒波が蠢いていた。
懸命に押し殺せたのは、王族に対する細やかな教育の結果であろう。
しかし、その、無難な返事にはエレーナの気負いも、てらいも、そして不満すら微塵もないことを感じずにはいられなかった。
――この邸は、彼女を中心に回っている。
そう思わざるを得ない。
これでは「王都に来ないか」という言葉は、絶対に出せない。
どれほど甘い言葉で、どれほど良い条件を並べ立てても、貴族家の中心でいる人間を誘い出せるわけが無い。
理由はわからない。
しかしエレーナは、間違いなく、実家で虐げられてきたはずだ。その上、さらに「王命による可哀想な結婚」をしたはずの過酷な運命を辿った少女だ。
それなのに――
少女は、いつのまにか、貴族家の中心となっていた。
しかも、リュシアンが知っているどの貴族家よりも、落ちいた気品と、活気に満ちあふれている。
――これでは、無理だ。
リュシアンは「もう、遅い」という言葉をハッキリと突きつけられたと感じてしまった。




