第50話 兆し
三人の子どもが暗くなり始めた街を歩いていた。
痩せてはいるが、表情は明るい。
「なんとかできたね」
「ああ。まだ、できることが少なくて申し訳ないけど」
「早く字が書けるようになれば、できることだってもっと増えるさ」
昼だけではなく、夕食までご馳走になってしまった。
最初の話では「お昼ご飯を食べて良い」という話だったのに。
「あんたたちが、一生懸命働くから、他の連中が恥ずかしがって、普段よりも働いているからね。こいつはお礼だよ」
おかみさんは、言い訳のように、言った。自分達がホームで食べない分、チビたちが余分の食べられるはず。
そう思えば、申し訳なくても、ご馳走になるしかなかった。
「美味かったな」
「あぁ、肉って、ああいう味だったんだなぁ」
「覚えているよりも、ずっと、ずっと美味かった」
「「あぁ」」
三人とも、隣国との戦争が始まってばかりの頃に父親を亡くした。だから、まともな食事にありつくのも、ずいぶんと久しかった。
しかも、掃除や品物の片付け、配達の手伝いといった、単純な仕事ではあっても、全力で働いただけに、ほんの少しだけだが役に立てた実感はある。
充実した気持ちと、膨れたお腹。
――文字を覚えれば、もっと働ける
明日への夢が見られたおかげで、三人の足取りはヒドく軽かった。
「これも、奥様が声を掛けてくださったからだぜ?」
他の二人も「絶対、恩返ししないとな」と、言葉に出さずに誓い合った、その時だった。
「おい。お前たち、ホームのガキどもだな」
見回り中の兵士が、突然、行く手を塞ぐように立ちはだかったのだ。
相手は五人。
とっさに逃げようとしたのに、お腹を膨らませ、明日への夢で胸を膨らませていたせいだろう。
逃げられなかった。
頭のどこかに「オレたちは悪いことなんてしてない」という思いも手伝っている。
「そ、そうだけど、なんだよ。オレたち、悪いことなんてしてないぞ」
「ん?」
兵士たちは「ギャッハッハ」と、一斉に笑った。
「すまねぇ。そういうつもりじゃねぇんだ」
思ってもみないことに兵士が「すまねぇ」などと謝ったものだから、子どもたちは、ポカンとした顔になる。
「おめぇら。今までと違って、良い服を着てるだろ」
働くために、あまりにみすぼらしい服装では、ということで、急遽、手配された「お仕着せ」を、子どもたちは着ていた。
小綺麗な、お揃いの、動きやすい子ども服は、それなりの値段だが、マルセルが密かに気配りした結果だ。
「これは、ちゃんとホームでもらった服だ!」
「あぁ、わかってるって。通達があった」
「通達?」
「ご領主様からだ。おめぇらが、ボケッと歩いていると心配だから、街で会ったら見ていてやれ、だとよ」
「ご領主様!」
領主が不在だから、などと言うことは庶民には関係ないこと。
しかし、子どもたちは、とっさに考えた。
――違うよ! きっと、あの優しそうな奥様が、考えてくださったんだ!
数日前にホームに来て、―自分達に未来をくれた奥様に違いない、と思うのは自然なこと。
しかし、マルセルの心配りも、エレーナの判断がなければ、なかったわけだから、結局は、子ども達の考えが正しいのだろう。
しかし、大事なのは「誰が」ではなく「何」が起きているかだった。
「なんかあったら、詰め所に連絡しろ」
「あぁ。わかっ…… は、はい。わかりました!」
「なぁんだ。案外、ちゃんと喋れんじゃねぇか」
まだ、ポカンとした表情の消えない子どもたちを残して、兵士たちは、次々と「しっかりな」「ちゃんとやれよ」「たまには、詰め所に来い」と言葉を掛けながら去って行った。
その様子を、街の人々が、見ぬフリをしながら、見守っていることに、子どもたちは気付かなかった。
*
「アイシャ、久し振りに明るい顔だね」
繕い物を届けにいった先で、商家の女将が声をかけてきた。
本来なら、店で働かねばならないところを「チビ助がいるんだろ」と、手間賃仕事にしてくれている、優しい女将だ。
「あの……」
「ん? どうしたんだい?」
「もうちょっとしたら、こちらで働かせてもらえたりはしませんか?」
「え……」
女将は顔色を変えた。
「あんた、まさか、決めちまったのか? でも、それにしちゃ、そんな明るい顔なんて」
「あ、違うんです。昼間、ウチのチビを見てくれるアテができたんです!」
「おやおや。それなら、裁縫の腕も良くて、読み書き、計算もできるアイシャが来てくれるのは、ウチとしちゃ大助かりさ」
しかし、女将は、やはり世の中を知っている。ひとわたり喜んだ後で、念を押してみた。
「気を悪くしないでおくれよ? 本当に、チビちゃんは大丈夫なんだね?」
最悪、まだ、三歳にならない子どもを、ホームに送ることを決めて、無理して、明るく振る舞っている可能性を考えたのだ。
「大丈夫です。これも、すべてご領主様の…… 奥様のご慈悲のおかげなんです」
え? と女将は、話を聞き出してしまうのは、世辞に長けているだけはある。
その日、寡婦たちに「新しい生活のしかた」が生まれたことが、街の隅で、こっそりと噂されたのだった。
*
エレーナは、街の様子を、毎日、報告を受けることにした。
街で働く人が、見たこと聞いたこと。何気ない、暮らしの一角を知りたかった。
まだ、目に見える変化はないけれど、辛い人たちが、少しだけ明るくなってくれれば良い。
小応接室に、机を持ちこんで、連日、できる限りのことをした。
――私が、こんな風に振る舞ってるなんて、足が震えそう。
この数日の自分を振り返ると、冷や汗が出そうだ。自分でも無理していると思う。
しかし、とエレーナは思う。
「気付いてしまったのだから、私が何かをしてあげたかっただけ。私が、伯爵家で一番欲しかったもの――外からの助け」
食事が制限されると、途端に頭も回らない。少しのミスで打擲されて、萎縮していく。激しい仕事に睡眠時間が削られて……
一度、ああなると、自分でどうにかできなくなってしまうものだ。未来という前に「明日のご飯」を考えるのが精一杯になる。
エレーナは身をもって知ってしまった。
だからこそ、と思ったのが今回だ。頼れる仲間の存在も大きかった。
「ミレイユやミハルがいてくれて、本当に良かった」
ボソッとつぶやいた後で、慌てて顔を上げた。
「リディアのおかげも、ちゃんとありますから」
そこに向けてリディアが返した微笑みは、けっして「侍女の作られた笑み」ではなかったのである。
「お館様が戻られて、どんなに驚かれるか。今から楽しみです。ありがとうございます」
「え?」
お礼を言われる?
「はい。うちのお館様はお優しくて真面目、頭も極めて良い方ですが…… ふふふ。まさか、こんなに早く、拝見することができるだなんて、思ってもみませんでした」
その笑顔の意味が察せるほどには、エレーナも、大人だったのかもしれない。
エレーナが好む古典文学でも「恋」は、必須のテーマであるのだから。
とはいえ、そこで「侯爵様からの愛情」を、恋と結びつけられるほど、大人でもなかったのは、本当のところだろう。
侯爵様からの「愛情」に心からの感謝を胸いっぱいにするエレーナと、それを見るリディアの空気が、なんとも楽しい。
しかし、そこにノックと共にマルセルが現れると、空気は途端に緊張を伴った。
「奥様。第三王子殿下の一行、予定通りで間違いないそうです」
「そう……」
この場合「予定通り」とは、普通ならこんなに早く来ないぞ、という意味に近い。
貴人の出迎えは、最悪に備えるのが基本だからだ。
最も早く現れるとしたら、を予定にしていたのに、そこに現れる、ということは、相当に強行軍をしてきたはずだ。
「では、明後日の昼過ぎでしょうか?」
「明後日の朝、のつもりでいた方がよろしいかと存じます」
「わかりました」
窓のそばに立って外を見るエレーナ。
リディアの「いったい、何のために」と呟くような声が聞こえた。
それは、実際には独り言だったのかもしれない。
けれどもエレーナは振り向いて答えた。
「なんでも良いと思います」
「奥様?」
「ありのままでいましょう。まだ、何もできてないけれど」
「いえ、奥様は、すばらしいことをなさっていらっしゃいます」
ゆっくり首を振ってから、肩を少しだけすくめてみせたエレーナは、遠くの山に目をやりながらいった。
「何がどうであれ、自分ができることをします」
きっと、それを侯爵様もお望みのはず。
それだけは、信じることを自分に許したエレーナであった。




