第5話 アルヴェイン侯爵領
侯爵領までは、三日かかった。
思っていた以上に広い馬車の中でたった一人。
道中、護衛の騎士は必要最低限の言葉しか口にしない。
私も、それで助かった。何を話せばいいのかわからない。
ただ一つ、泊まったお宿は、どこも最高だったけれども、考えてみれば当然だ。
私は王家の命令で嫁がされる立場だ。道中では「大切にしています」アピールをするのは侯爵家ともなると当然だから。
経験が無いからわからないけど、伯爵家のお部屋と比較しても、調度品は上等だったし、食事も最高だった。
結果的に、今までの短い人生の中で、最高の待遇を受けながら、馬車の揺れに身を任せた三日間。
何も、考えないようにしていた。
会ったこともない男の顔を。
噂だけが先に立つ、「死神侯爵」の姿を。
馬車の着く先で待つ、傷だらけで、冷酷で、血の匂いがする男を、何度も何度も頭から追い払わなければならなかった。
「夜伽で殺される」
「勘気に触れれば、殺される」
「意に沿わぬ態度で、殺される」
あらゆる言葉が頭を駆け巡るが、私に逃げ場はないのだから。
それでも、不思議と涙は出なかった。
もう、怖さにも慣れてしまったのだろう。
三日後。
陽が傾く頃、馬車はようやく目的地に着いた。
アルヴェイン侯爵邸は、想像していたよりも静かだった。
高い城壁はあるが、威圧するための装飾はない。整えられた庭と、落ち着いた佇まい。
迎えに出てきた使用人たちの動きは、驚くほど統制が取れていた。
ズラッと並んだ使用人たちが、ビシッと角度まで揃えてお辞儀しての出迎え。
『使用人のアーチなんて初めて見た』
その真ん中を小走りに、馬車まで迎えに出た初老の男性。
「ようこそ、おいでくださいました。え? 侍女の方々は?」
私が降りると空っぽになった馬車に一瞬、目を見開いたが、即座に、平静を装った。
婚家への訪問に、ドレスも身につけていない私。
それすら意に介さないように振る舞えるのは、ずいぶんと、マナーがよく、抑制心の利いた人だと思った。
恐らく、侯爵家の家宰なのだろう。
「エレーナ・ヴァルツ様。お疲れでしょう。どうぞ中へ」
その声音に、侮りも哀れみもない。
ただ、大切な客人として扱われていると感じた。
それは、私を待ち構えている運命を覆い隠そうとしているかのように思えてしまう。
胸の奥がジリジリした感覚に飲み込まれそうだった。
案内された広間で、私は彼と対面した。
「オレが、あ、いや、私がカシアン・アルヴェインである…… です」
そう言い終えたあと、彼は一瞬だけ拳を握りしめ、すぐにほどいた。
思わず、肩に入っていた力が、静かに抜けた。
噂通り、顔には幾つもの傷跡があった。
体格は大きく、纏う空気は重い。戦場の人間だと、一目でわかる。
けれど私を見下ろすその瞳に、嫌悪はなかった。
値踏みするような視線も、欲望もない。
あるのは、ひどく静かな観察。
「……遠路、よく来てくれた」
低い声だったが、荒れてはいない。
私は思わず、身をすくめる。
怒鳴られると思っていた。
威圧されると、勝手に決めつけていた。
「家令に聞いたが、侍女も着いてこなかったのか?」
「すみません」
着飾るどころか、貴族として「普段着」などありえないほどのマナー違反をしてしまった私だ。
「あ、いや、あなたを非難するつもりではないのだ。許してくれ」
え? 許してくれ? 私は、侯爵閣下から謝られた?
戸惑う私に、気まずさを感じたのか、侯爵閣下は先ほど出迎えてくれた男性に顔を向けた。
「ともかく、荷物は、もう運ばせたのか?」
男性は「お館様におかれましては、どうぞ、奥様とお話を」と頭を下げる。
とっさに「気遣われたんだ」とわかった。
確かに、服装もそうだけど、着飾ってくれるはずの侍女を、そもそも付けてない。
まして、侯爵家への嫁入りで、トランク一つ、しかもドレスすら持ってないなど、非常識の極まりだ。
侯爵閣下の言葉に逆らうような言葉を出して、大丈夫なのかと、ヒヤリとしたのも確か。
しかし、案に相違して、侯爵閣下は、怒るどころか「わかった」と肯いただけ。
私を見ると、何かを言いかけるように口を開き、閉じた。
目を逸らした侯爵閣下は、男性の方に顔を向けて言った。
「まずは、食事にしよう」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
食事?
初のお目見えに、ドレスすら着ず、アクセサリーも、いや化粧すらしてない私に、叱責でも命令でもなく?
戸惑う私に気づいたのか、カシアン侯爵は一度だけ、こちらを見た。
「……心配するな」
その一言は、不器用だったけれど。
――少なくとも、
ここで私は、すぐに殺されることはなさそうだ。
そう思えた。
その事実が、胸の奥に、かすかな熱を灯した。
まだ、それが何なのかはわからないまま。
第5話までお読みいただき、ありがとうございます。
噂だけが先行していた「死神侯爵」との、はじめての対面でした。
思っていたほど怖くない……というより、
どちらかといえば緊張しているのは、侯爵の方だったかもしれません。
次話では、食事の席で、もう少しだけ二人の距離が近づきます。
よろしければ、引き続きお付き合いください。




