第48話 今を生きるために
寡婦たちの暮らす長屋は、「ホーム」から、それほど遠くない。
というのも、この長屋に住む子持ちの女性は、自分で育てきれなくなった子どもをホームに預けるケースが、決して少なくないからだ。
一度ホームに入れた子どもは、「親子」としては認められなくなる。それが、この国の決まりだった。
せめて、遠くからでも見守れるように――そう考えた先々代の侯爵が、この場所に長屋を作ったのだという。
ミレイユから聞く限り、それは今も「美談」として語り継がれているらしい。
「そういう事情も、あるのね……」
今回は、日賃仕事をしている女性たちを、私が「雇う」形で来てもらった。
本当に、ささやかな金額で良いという現実に胸が痛む。それでも、彼女たちは、こうして集まってくれた。
――そんな、わずかなお金すら、以前の私は、自由に使うことができなかった。
だからこそ、今、私ができることをしたいと思った。
どの家も――長屋だから、実際には「部屋」と呼ぶ方が近い――狭い。
そこで、寡婦たちの話を聞くなら、とセドリックの提案で、騎士たちが使う簡易テントを、あらかじめ張ってもらっていた。
女性たちが六人。私たちが、セドリックも入れて四人。
護衛は、テントの外に立ってもらっている。
中は、十分に広かった。
「ありがとうございます……」
中に入ると、女性たちが一斉に頭を下げた。
一様に、髪が短い。
女性の髪は、高く売れる。その現実が、胸に突き刺さる。
「どうか、みなさん。お座りになってください」
ミレイユが、丁寧な態度で場を整えてくれる。
それは、あらかじめ決めていた役割だった。
「さっそくですが――」
ミレイユが穏やかに切り出す。
「ご領主様の奥様は、みなさまが、どんなことで困っているのか。今日は、それを聞きに来られました」
女性たちの間に、ざわりとした緊張が走る。
責められるのではないか。あるいは、何かを――この住まいを――取り上げられるのではないか。
そんな不安が、はっきりと伝わってきた。だから、私は、先に言葉を置いた。
「私は、みなさんの話を聞きたいだけです」
一瞬の沈黙。
やがて、お互いが目配せをし合った後、いかにも世話焼き顔の女性が、恐る恐る口を開いた。
「子どもが、小さいうちは、働けません」
それは、絞り出すような声だった。
「でも、働かないと、生きていけない。だから……」
別の女性が、俯いたまま続ける。
「だから、子どもを、ホームに……」
女性は、そこまで絞り出して、下を向いてしまった。他の女性たちも恐らく似た境遇なのだろうと、聞くまでもない。
働くために、子を手放す。
子を育てるなら、働けない。
選びようのない選択肢しかない。
「一度、ホームに入れた子は」
また、別の声。
「母親だって、名乗れなくなるんです」
「そうなったら、どこかの商人の……くらいしか」
言葉にするのをためらったのは「ご領主様の奥様」への気遣いだ。
厳しい現実。
テントの中の空気は、重く沈んだ。
私は、ゆっくりと、しかし、必要な言葉だと信じて尋ねた。
「お子さんを手元に置いて……働きたいのですよね」
全員が、黙って頷いた。
その頷きに、迷いはなかった。
「つらかったね」
その言葉は、思わず出てしまった言葉だ。だけど…… だからこそ、ここにいる女性たちに響いたのだと思う。
何度も何度も頷きながら、涙が混じった。
だから、私は言った。
「では、お子さんと別れなくていい形を、考えましょう」
女性たちが、顔を上げる。
「昼の間だけ、誰かが預かれば」
一瞬、期待していた顔に「なんだ」というガッカリ感が浮かぶ。
そう…… お互いに、あずかり合うなんてことは、既に、みんなでしているはずだ。
しかし、技術があるわけでもない、女一人の手間賃は、驚くほど安いのが現実だ。「お互いに」あずかり合っても、すぐに日干しになってしまう。
だから、私は、続けた。
「子どもを預かる役目を、お仕事にすればいいんです」
戸惑いだろう。「子守り」が仕事になる?
ざわめき。
「子育てを終えた方、あるいは、少し年上で、今は力仕事が難しい、けれども気立ての良い方を」
全員が私を見つめている。
「その方々を、私が雇います」
息を呑む音が、あちこちで重なった。
「私が雇った方に、昼の間、子どもたちを見ていただく。そうすれば、他の方は、働きに出られる」
「……そんなことが、許されるのですか?」
誰かが、震える声で尋ねた。
私は、頷いた。
「王国法には、こうあります」
自然に、その一文が口をついて出た。
「戦によって夫を失った者、その子どもが、飢えず、学び、働く道を閉ざされぬよう――領主は、最善を尽くさねばならない」
言い切った後で、少しだけ視線を落とす。
この言葉は、図書室で、何度も読んだ条文だった。
「これは、慈善ではありません」
私は、顔を上げる。
「貴族としての義務です」
静まり返るテントの中で、誰かが、嗚咽を漏らした。
「そんなふうに、言ってくれる方は、初めてです」
私は、首を横に振った。
「私が、初めてなのではありません」
この地を治めてきた人たちがいる。この長屋も、作るところまで、完全に善意だ。
人々を守ろうとしてきた人がいる。
それを引き継いで「少し」上に載せるだけ。でも、それを説明するよりも、彼女たちにとっては、今の現実が大事なはず。
「今まで、形になっていなかった部分を、私が形にします。子どもを育てるには、親が必要です。でも、親にも生きる術がないと、育てられませんから」
それを、形にするのが、今の私に与えられた役目だと、思っている。
「ただし、預かる女性は誰でも良いわけではなくて、厳しく見定めようと思っています」
――そうしないと、子どもたちの地獄になってしまうから。
私が言葉を止めたのを受けて、ミレイユが静かに言った。
「詳しい話は、これから一緒に詰めましょう。無理のない形で」
私は、後ろに立つセドリックに視線を送る。
セドリックは、深く、深く頭を下げた。
「心より、お引き受けいたします。奥様」
「お腹の大きい人は、安心するように伝えて。それとホームの方も、少しだけ変わります。それで少しでもみなさんが……」
その言葉に、女性たちは、ようやく実感したのだろう。
涙ながらに口々に礼を言いながら、頭を下げる。
よかった……
*
ここにいるのは、ただの「優しい貴婦人」ではないことを、セドリックは気付いたのだ。
侯爵不在のこの邸で、判断し、決め、責任を持つ――女主人となる方なのだと。
もちろん、これを「奥様の費用で」だけやらせるのは、とんでもない。侯爵家全体でなすべきこと。
お館様がお帰りになり次第、急いで、協議しなくては。いや、まずは、マルセルに実務レベルで打ち合わせが先か。
どっちにしても、胸の弾むような忙しさが訪れるのだと胸が温かくなる。
それにしても、とセドリックは内心でニヤリとした。
――坊ちゃんがお帰りになったら、どんな顔をするやら。




