第47話 挿話 ある日の侯爵領
侯爵夫人がホームを訪問して、しばらく経ってからのこと。
兵士たちの詰め所に、初めて「出勤」したホームの子どもたちは8人だった。
一番年長のトビー(十歳)が、最初の挨拶をする役だ。
しかし、見るからに恐ろしい顔をした男が、剣を持って歩いている場所だ。
――こわい。
街に出ると、孤児たちは汚い服、痩せた身体をしているせいで、あちこちで睨まれている。
何もなくても「盗んでないな?」と、聞かれることだってしょっちゅうなのだ。
村や町を守る兵士たちはおっかない。
それが、頭にあった。
トビーは勇気を出した。しかし、恐る恐る覗き込むのが、精一杯。
ほんのわずか、顔を覗かせた瞬間だった。
「バカやろう! 覗き込むヤツがどこにいやがる!」
怒鳴り声だ。
とっさに逃げ出したくなったが、自分が逃げてしまえば、ホームの幼い後輩たちが困るに違いない。
チビリそうになりながらも、涙目で耐えた。
「ごめんなさい」
中から出てきたのはひげ面の、怖そうなオジサンだった。
「おう、おめえらが、今日から来るガキどもか?」
ワラワラと現れた兵士たちに、あっと言う間に取り囲まれた。
「は、はい。ボクはトビーって言います」
それから、年下たちが、次々とトビーに倣って名乗った。教えられていた挨拶の言葉なんて、頭から飛んでいる。
「おい、ガキ、その腕を見せてみろ」
「え? あの、ボク、何も盗んでなんて」
「良いから見せてみろつーの。お~ 見ろよ、こんな細腕で、力仕事なんてできるわけねぇ~よ、なぁ~」
そんな! できます! 頑張ります!
次々に、子どもたちが声を上げるが、まともに取り合う気も無さそうに「ガキどもは、まず、こっちだ」と、後ろから抱えられてしまった。
とっさに顔を巡らすと、他の子たちも、同じように抱えられていた。
「ぼ、ボクたちに、何を!」
「離して!」
「いやぁあ!」
子どもたちが暴れても、屈強な男たちは無視。
荒々しい動きで奥へと連れ込まれた。
そのくせ、奥にあったイスにトビーを、そっと下ろした男たちは「決まってんだろ!」と決めつけてきた。
「いったい、ボクらをどーするんですか!」
男たちが、ギラギラした目で、ニヤリと笑った。
「食え。そんな痩せた身体で働けだなんて、無理に決まってんだろうがよ」
「え?」
一番年少のキキが「わ~ お肉だ~」と無邪気な歓声を上げた。
確かに、目玉焼きにソーセージ。美味そうな丸パン、それに白いのはシチューだろうか?
「さあ、食え。パンとシチューは、まだまだある。遠慮なんてしてっと、ぶっ飛ばすぞ」
なにがなんだか、わからない。だけど、ソーセージの焼けた美味しそうな匂いを嗅いだら、もう、無理だった。
恐る恐る、しかし、一口目を食べたら止まらない。ソーセージに卵、シチュー。
こんなのを食べたのは、どのくらい前だろう?
しかし、さすがにトビーは、考えた。
ボクたちは働きに来たはずなのに……
どう考えても、変だ。働きに来て、いきなりご馳走してくれるなんて。
しかし、トビーの口も、喋るよりも食べる方に忙しいせいで、聞くに聞けない。
その疑問は、全員が、シチューのお代わりまで食べ尽くした後で、教えてもらえた。
「実はな、オレは孤児だったんだよ」
「え?」
「街は違うがな。兵士には、案外と多いんだ」
そして、奥から、エプロンを着けた兵士が出てきていった。
「それによ、もしも、オレが戦に出て死んだら、ウチのガキも、きっとお世話になるんだよ」
周りの男たちは、エプロン兵士の言葉に、小さく肯く。
「だからな、お前たちと話はしたかったんだけどよ」
無理だ。
街で兵士に会ったら、絶対に逃げる……
「ま、これも良い機会だ。メシを腹一杯食ったら、今日の仕事は一つ、終了だ」
「仕事、なの? これが?」
「おうよ。れっきとした仕事だ。ま、このあと、食った皿は自分達で洗う。ついでに、流しの周りも掃除していけ」
「え? 他には?」
「帰りには、パンを持ってけ。おっと忘れてた。大事な仕事だ。しかも、奥様から直々に申し付けられた仕事だぞ」
「ええええ! 侯爵様の奥様?」
「ああ。良いか、おめぇたちはオレたちの名前を覚えろ」
「そんな簡単な?」
「いやいやいや、なかなか大変だと思うぞ」
男たちはニヤリと笑った。
「オレたちの名前を書けるようになれってことだからな」
こうして、トビーたちは、ホームで覚え始めた文字を「仕事場」で初めて役立てることになったのだった。
侯爵領に、新しく吹き始めた、小さな小さな薫風だったのかもしれない。




