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身代わりで嫁いだ死神侯爵に、異常なほど溺愛されています ~虐げられ令嬢は最恐英雄の唯一の花嫁でした~  作者: 新川さとし


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第46話 未来のために

 国境が近づくにつれて、春の匂いが薄くなっていく。


 大地にすっくと立ち塞がるような山並みは、まだ白い部分が大きかった。


 カシアン侯爵が率いる二十四騎は、和やかな会話を大声で交わしているが、その実、視線は鋭い。


 これは「視察」と呼ばれる任務だ。


 和平は結ばれた。けれど、まだ「戦争」は残っている。国境沿いの山々に近づくにつれて「何か」は、起きやすい。


 だからこそ、油断しているように見えるその姿に乗じた『何か』の、どんな変化も見逃すまいとしている。


 これは、命懸けの「無駄話」ではあるが、かと言って、張りつめるばかりでは、集中力は続かないものだと、皆が知っている。


 並んで馬を進める副隊長が、笑顔で声を一段、張り上げた。


「隊長~」


 完全に「気負い」を抜いた声は、歴戦の強者だからこそできる。


 そして「隊長」と呼びながらも、そこに一切の隔意がないのは、戦場で命を預け合ってきた者だからである。


「なんだ、ロラン」


 ロランという名は、どこにでもある名だった。生まれた街を本人すら知らない。


 前の戦で父親が死に、流れ流れて兵士となった。


 以来、戦場で生き、おそらく「戦場で死ぬ」と思い定めているのだろう。


 この世界に身寄りなどいない。あるのは、惚れた女と戦友だけの男だ。と言っても、その「惚れた女」は、たどり着いた街ごとに変わるのがご愛敬というものだろう。


 ロランは、笑顔を作っているが、その視線は、あちこちの物陰を油断なく見つめていた。


「やっぱり、奥さん美人だったよなぁ」

「そうだな」


 この会話は、見送った「夫人」を皆が見て以来、この行軍の間、何度も繰り返されている。そろそろ、周りも飽きているだろうとロランは、さらに突っ込むことにした。


「美人ってだけじゃない。優しそうだ」

「違う」

「え?」


 妻の優しさを否定? 心から驚くロランに、カシアン侯爵は真面目な顔を向けた。


「とても優しい」


 息を潜めて聞いている部下たちは、思わず吹き出しかけて、慌ててこらえた。


 なんとも反応に困る。あえてその感情をひと言にすれば「困惑」だっただろう。


 敵に一切の容赦なく、味方に頼もしい「死神」が、のろけるだと?


 後ろの人間達は、互いに目配せで「どうする?」と狼狽えるほど。


 だが、ロランは、手を…… いや、口を止めなかった。 


「奥さんに甘すぎて、帰るまでに、邸がドレスで溢れてるんじゃないっすか?」


 隊の後ろで、何人かは、さっきまでとは別の意味で息を殺した。このツッコミに、笑っていい話かどうかを測っている。


 カシアン侯爵は、表情を変えないまま即答した。


「溢れても構わん」


 そのキッパリとした断言に、ロランが目を剥いた。


「……構わんって。そこはせめて、衣装部屋が溢れるくらい、とか。第一、貴族の奥様が着るドレスってのは、すげぇ、お高いんだろ? それこそ一着で……」


 さすがに、そこで言葉を切ったが、侯爵夫人が着るドレスと言えば、庶民なら数年、楽々暮らせるレベルだというのは、子どもでも知っていること。


 しかし、侯爵はこともなげに「確かに高いが」と言葉を続けた。


「侯爵家の金は、使うためにある。妻が必要だと思うなら、それでいい」

「必要…… ねぇ……」


 ロランは、わざとらしく言葉を伸ばした。


「隊長は、奥様が必要だ~って言ったら、領の予算までつぎ込んじゃいそうですね」


 カシアン侯爵は、そこで初めて、わずかに目を細めた。


「必要なら、そうする」


 少しも冗談に聞こえない口調だった。

 ロランは、軽く肩をすくめる。だが、その横顔は真面目だった。


「奥様とは毎日、愛してるって?」

「帰ったら言うつもりだ」


ゴクリ、と息を呑んだロランだ。侯爵様の愛妻は、何かご事情がおありだ、というのは、辛うじて、ウワサで知っている。


 ロランは「帰ったら」と言う言葉に込められた、わずかばかりの気負いを、鋭く見抜いたのだ。


 見抜いてしまえば、それ以上、触れることはできなかった。


 ただ、ロランは、ふっと山側に視線を送った後、短く言った。


「必ず帰りましょう。隊長」

「当然だ」


 その返事を聞く時に、二人は素早く目で、考えを伝え合ったのである。


 ロランは叫んだ。


「よーし。左手に敵影。断固として、これを排除する! 戦闘態勢を取れ!」


 全員に声が伝わる前に、カシアン侯爵は、ヤリを鞍から外したのであった。



 *


 セドリックは、さすがに、言葉で確かめねばならなかった。


「明日は、どちらをご訪問の予定でしょう」

「領内にある、孤児たちのホーム。そして、寡婦たちが暮らす一角よ」


 セドリックの目は、ほんの僅かに細くなる。


「孤児と寡婦たちのところ…… ですか?」

「はい。私が行くべき場所だと思いました」


 言葉は柔らかいが、キッパリとしていた。

 セドリックは、短く頷いた。


「畏まりました。護衛は――」

「お任せします。ただ、相手が怖がらないようにということだけは、お願いします」


 穏やかな声のエレーナは微笑んでいた。


 *


 翌日、侯爵夫人を乗せた馬車は、ミレイユとミハルを乗せ、少し街から外れた方向へと進んだ。


 窓の外の景色が変わった。


 整った店先や花飾りは消え、石壁の色が増え、道が少しだけ荒くなる。人の笑い声も薄くなる。


 ホームが見えてきたとき、ミハルが小さく呟いた。


「知ってるよ。どこの街にもある……」


 エレーナには聞こえないと思ったのだろう、ごくごく、小さな声は「辛いところだよね」と呟いていた。


 エレーナは言葉を挟まなかった。ただ、その呟きを「侯爵夫人の自分」として受け止めるだけ。


――だから、できることをする


 決意を固めたエレーナが馬車の窓から見ると、シスターとおぼしき人が転がるように慌てふためいて飛び出してきた。


 先触れの騎士に聞いたのだろう。

 

 セドリックが、先に陪乗席から降りる。年を感じさせない軽快な動きだ。


「侯爵夫人のご来臨だ」


 出てきたシスターたちが、頭を下げて出迎えてくれた。


 エレーナは、まず礼をして「頭をお上げください」と言った。


「突然お伺いしてすみません。私はエレーナ・アルヴェイン。今日はお話を聞きに来ました」


 年かさの……五十ガラミのシスターは目を白黒させた。次いで、その表情が極度の緊張に変わった。


 ご領主様の奥方がこのような場所に!


 言葉にはしないが、シスターたちは、全身でそう言っている。


 しかも「慰問」ではなく、話を聞きに来たと言うだけで、面倒ごとが起きる決まっていた。


 早く言えば、シスターたちは、なんらかの問責ではないかと考えたのだろう。


「まあ、エレーナのことは知らないものね」


 最近は、お互いだけの会話では名前で呼び合っている。どうやら、ミレイユは耳打ちで励ましてくれているつもりなのだろう。

  

「ご領主様の奥様をお迎えできるような場所ではございませんが」


 何度も、何度も頭を下げて言い訳めいたシスターの言葉を聞き流して中へ入った。


 空気が違った。


 カビとホコリ、そして、何か、饐えた臭いが充満している。エレーナは平然としていたが、シスターは、何度も何度も頭を下げた。


「すみません。なにぶん、建物も古く、冬場は空気を入れ換えると、部屋を暖めるだけの薪が足りず」

「構いません。それと、私が聞いている間、お土産を子どもたちに渡しても良いかしら?」

「ありがとうございます。きっと、喜びます」


事前にミハルと打ち合わせた土産は、子どもたちがその場で食べられる安い菓子を用意した。


 こういう時に「お貴族様の食べるもの」を用意するのは、後で不幸を生みかねないというミハルの意見を取り入れた結果だ。


 一方で、ミレイユは、若い――といっても倍ほどの年齢のシスターに、いつもの人懐こい口調で話かけている。


「じゃあ、私たちは、あっちで。子どもたちを集めてくださいね。あ、私たちも手伝いまーす」


「では、私は、その間に話をさせてください」


しかし、実際には、話を聞くまでもない、と思っていた。


――全てが足りない。


 日常のこと、困っていること、子どもたちの様子、あれこれを聞いているうちに、ミハルとミレイユが戻ってきた。


 視線が全てを「思った通り」と教えてくれている。


「ホームを出るまでに、文字を読めるようには?」


 シスターは申し訳なさそうに頭を下げる。


「基礎学校に通わせる余裕など、まったくなくて……」

「わかります」


 エレーナは頷いた。どうやら、予定通りに進めて良さそうだ。


「だから、ここに来ました」


 シスターが不思議そうな顔をした。


「私は、ここに三つの仕組みを作りたいです。食べる・学ぶ・働くです」


 初老にも見えるシスターが息を呑む。言っていることが急だからだろう。


 ミレイユが即座に現実へ落とす。


「食べることについては帳簿と仕入れ先の改善が必要になるでしょう。後で具体的に解決します」

「あ、あの、私たちは、私腹を肥やすなど」


 粗末なシスター服姿で、痩せた姿を見れば、そんなことは一目瞭然だ。


「まったく疑っていません。そう聞こえてしまったらごめんなさい。でも、そもそも収入が限られていそうですね。どうなっていますか?」

「それは、もちろんご領主様からもご寄付をいただいていますが、なにぶん、戦争以来、子どもの数が増えてしまって」

「それなのに、侯爵家からの寄付は増えてない。それでは足りなくなるのも当然です」

「それでは、増やしていただける!」

「侯爵家から増やすとは約束できませんが」


 途端に顔を曇らせるシスターに「収入が増えるように、約束します」と微笑むエレーナだ。


「あの、どうやって?」

「それを解決する方法が『学ぶ』と『職』なのです」


 そこからの説明は、三人で、あらかじめ考えてきたこと。


 年かさの子どもたちに文字と計算を学ばせ、商家の手伝いに出す。もちろん侯爵家が見守って、ヒドいことにならないようにするのは当然のこと。


 ただし、商家は直接、子どもたちに給金は支払わない。代わりに、夕食を…… それも家族と同じモノを、お腹いっぱい食べさせる。


「そして、給金は、私がホームに支払います。これなら商人は、子どもたちを育てる方向で見守る余裕が生まれますので」

「しかし、奥様がお金を?」

「ええ。それと文字と計算を子どもたちが学ぶ教師も、私が派遣します」

「そこまで……」


 泣きそうになるほど……実際、涙を流して感謝するシスター。


 しかし、エレーナからしたら、これに掛かる費用は計算済み。多めに見ても「ドレス2着分あれば、年間の予算ができてしまう」はずだ。


 感謝してもらえるのはありがたいが、むしろ後ろめたいほど。


 その他、細かいところを詰めるのは、任せて良いはずだ。


「お任せしますね」


 セドリックは「心より、承りましてございます。奥様」と頭を下げたのであった。


 そして、三人は――セドリックも一緒だが――寡婦たちが共同生活をする長屋へと向かったのである。


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