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身代わりで嫁いだ死神侯爵に、異常なほど溺愛されています ~虐げられ令嬢は最恐英雄の唯一の花嫁でした~  作者: 新川さとし


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第31話 ディスタンス

 カーテン越しの柔らかな日差しが図書室に差し込む午後。


 エレーナは、読み終わった本をそっと閉じて、ノートを確認し始めた。


「また、一つ、進めました」


 そっと呟いたのは、自らに誇りたいからだ。


 ずっと読んできたのは、リセで学ぶ教養として必読とされている本だった。その一部は、クラリスの課題のために読んだことはある。だが、今は純粋に自分の楽しみのためにだけ読める。それだけでも、気持ちが大きく違った。


 嬉しさに、心が温かくなりながら、そっと中二階を見上げた。


 私の詩が、確かに、あそこにある……そして「本物」を大切に持っていてくださった。


 あの時、大切に取り出された、ボロボロの手紙を見た衝撃は、きっと生涯忘れられないと確信できる。


 エレーナが立つべき大地をしっかりと、しかし、とても優しく固めてくれた瞬間なのだから。


 侯爵様は、結婚という王命にはしたがった。けれども、相手を選んだのは自分だとおっしゃってくれた。


 私を選んでくださった……


 その事実を考えるたびに胸が苦しい。でも、それは、ちっとも嫌なものではなかった。


 ――お母様の形見だった大切なロケットをクラリスに暖炉へと放り込まれた、あの時の、息が詰まるような苦しさとは、まるで違う。


 胸の奥がコトコトと、何か温かいものに包まれ、揺らされている気がして、ただ、落ち着かない気にさせられている。


 春のお日様を地面の下で、感じる種にでもなった気がした。


 私は、侯爵様に、そしてこの邸のみなさんに、望まれている。


 それが、どうにも私を落ち着かなくさせているのだろう。


 ふっと、カーテン越しの窓を見た。 

図書室からは見えないが、窓の外では、きっと、白い花の咲く庭が、風に揺れているはずだ。


 どこにいても、無意識に花壇のことを思い浮かべてしまう。


 いつのまにか、中二階への階段に来ていた私は、手すりに肘を置き、階段を上るでもなく、ただ、ぼんやりと上を眺めていた。


 後ろで気配がした。


「ここにいたのか」


 侯爵様が立っていた。


 仕事を終えたばかりなのだろう。上着は脱がれ、いつもより少しだけ、力の抜けた様子だった。


「はい。ちょうど、一冊を読み終えたので」


 答えになってない答えを返しながら、私は恥ずかしくなって侯爵様のお顔が見られなかった。


「なるほど」


 たったそれだけの声だけど、不思議に、侯爵様の機嫌がわかる気がした。


 ――嬉しそう。


 しばらく、二人とも黙ったままだった。

 沈黙があっても、そこにあるのは、柔らかな空気だった。


「読むのは構わないのだが……」

「はい」


 珍しく、侯爵様がモノ言いたげな気配を感じさせた。私のすること、望むことを一切、咎めるどころか注意すらしなかった侯爵様が、いったい?


 私がパッと顔を上げると、厳ついはずのお顔に浮かんでいるのは、微笑……とまでは言えないかもしれないけど、とても優しい表情だった。


「君は、つい根を詰める」


 事実を確認する言葉だけど、そこにあるのは事実ではない気がした。何の証拠もないけれども、そこにあるのは、もっと温かい感情だ。


「……そうでしょうか」

「自覚がないなら、なおさらだ」


 そう言ってから、侯爵様は一歩、近づいた。


 私は、自分が身構えなかったことに気付いた。胸の奥が、わずかに温かくなる。


「庭師のジョンの話を聞いたのだな? リディアから聞いた」

「はい」


 私が何を感じ、何を考えたかを、無理に言葉にさせようとするつもりはないのだと、その目が伝えてくる。


 だからこそ、私は自分の気持ちを伝えるべきだ。


「……驚きました」


 それでも、口を開いたのは、私の方だった。


「私の知らないところで、私の言葉が……生きていたことに」


 侯爵様は、少しだけ目を細めた。


「それは、君の言葉が、軽くなかったということだ」


 侯爵様の言葉は、事実を――事実が持っている意味を、私に伝えたがっていた。


「少し、怖くなりました」


 思いがけず、本音が漏れた。


「私の書いたものが、誰かの命に関わっていたなんて」


 侯爵様は、一つ瞬きをしてから、ゆっくりと言った。


「怖いと思えるなら、君はまだ、正しい場所にいる」

「正しい……場所?」

「自分の言葉の重さを、正しく知ることができた、ということだ」

「言葉の重さ」

「君の言葉は、君自身から離れても、君を裏切らなかった。誰かを思うやさしい気持ちを君は詩にし、正しく、それが伝わった」


 胸の奥が、静かにほどけていく。


「戦場に慰問の手紙が数多く届けられた。何百回も拝読した。ありがたいことだ」

「え?」


 事実の話なのだろうけど、突然「他」の話を始めた侯爵様に、驚いた。けれども、淡々と、話は続けられた。


「字が読めない兵に、私は時に読み聞かせもしたんだ。多くの手紙は、勝利と無事を祈るものだった。ありがたい言葉だ。もちろん、それはとても嬉しい手紙ではあるのだが」


 侯爵様は一歩近づきかけて、脚を戻して「だが、君の詩は」と、言った。


 とても深い光をたたえる愛で私を見つめている。


 怖さはぜんぜん感じなかった。けれども、とても大切なことを伝えようとしているのだと理解して、私は自然と背筋が伸びていた。


「あなたが生まれた、この地に戻って、一緒に花を見ようと言ってくれた。戦う者が帰ってくることを信じた言葉だった」


 買いかぶりだと言えたら、どんなに気持ちが楽だったろう。けれども言えない。だって「また、一緒に花を見たい」という気持ちは、本当だったのだから。


 ただ、一つ、いつか伝えなければいけないかもしれないと、自分でもわかっていた。あの詩をなぜ、自分が書いたのか――いや、なぜ「書けたのか」を。


 でも、今、お伝えすることは違う。そんな自己満足よりも、侯爵様が伝えてくれる気持ちを、きちんと受け止める方が大事なコト。


「君の詩は、君の心の奥から出た言葉だと思う。」


 私は、肯いてしまった。本当のことだから。


「約束しよう。君の心に生まれた言葉に、必ず、私も答えることを」


スッと、その言葉は私の胸に落とし込めた。だから、何も構えず、私も自然に言えたのだと思う。

 

「ここでは、安心してしまいます」


 言ってから、少しだけ後悔した。


 重すぎたかもしれない、と。


 けれど、侯爵様は表情を変えなかった。


「それでいい」


 ただ、それだけ。


「安心できる場所でなければ、人は何も考えられない」


 私を見下ろす視線は、静かだった。


 私のことを、ただ、そこにいるだけで良いのだと認めてくださる目。


 私は、ゆっくりと息を吐いていた。

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