第25話 図書室にあるもの
やはり、図書室が落ち着く。
何もしなくて良いと言われても、結局、何かをせずにはいられない。この時間を使って、何かを学びたいという気持ちが、自分を動かしているのだろう。
クラリスの課題をやるとき以外、本に触れる余裕なんてなかった。だから、こうして本に囲まれる生活はコレージュ以来。
縁遠かった「知の空間」にいられることが嬉しかった。
図書室のどこにどんな本があるのか、おおよそ把握できたと思う。
午前中は、侯爵家に関連した学びを優先し、午後は自由な学びに当てる。合間には、広々とした中庭を散歩して、サンルームで侍女と少しだけおしゃべりをする。
少しずつ、少しずつ、世界が広がった気がした。
だからだろう。存在は知っていても「セドリックに案内されてから」と選択肢から消していた「中2階」に、初めて脚を伸ばしてみた。
小さな大冒険。
大丈夫。ここで自由に過ごしていいと言われているんだもの。
けっして、責められない……と思える自分を認めたいと思った。
高い窓から差し込む光が、棚と棚の間に細い帯を作り、埃一つ動かない空気の中で、紙の匂いだけが満ちている。
階段を一つ、一つゆっくりと上る。
狭い、そこは、他の場所とはずいぶんと趣が違っていた。
ここは、他の場所とは少し趣が違う。大型本や、明らかに古書や稀覯本と思われるものが並んでいる。
コレクション…… だろうか?
「きっと大事なものなんだわ」
だとしたら、自分が勝手に見たら、叱られるかもしれない。あるいは、セドリックだったら文句は言わないまでも、困った顔をするかもしれない。
ピタリと足を止めたとき、それが目に入った。
本棚の正面、視線が自然に集まる位置に、ひとつだけ――額が掛けられている。
「なに? 絵ではなくて…… 文字だわ」
それは、色紙だった。
厚みのある上質な紙に、整った筆致で書かれている。
一目で、それが「詩」だとわかった。
飾りをそぎ落としたような…… それでいて凝った設えの額に収められている。
どこか緊張感のある額は、なぜか、異様なほど目を引いた。
まるで宝物のように飾られている。
不思議だった。
確かに上質な額に納められているが、飾られているのは単なる文字なのだ。
誰か、有名な人の文字なのだろうか?
無意識に近づくと、一行目を読んでいた。
『あなたの手の中のこの軽やかな花びらは』
え?
『そよ風に揺れる、小さな命』
ドキン
わたし、これ、知っている……
息を止めた。
ううん「知っている」のではない。これは――書いた。
わたしが書いた詩だ。
戦地への慰問として、授業中に手紙を書いたことがある。
テストはまだしも「提出物が私よりもデキが良かったら、わかってるわね!」と、クラリスに、いつも言われていた。
だから、装い続けるしかなかった。
けれど、命懸けの人たちに贈る手紙を、どうしても適当に書くことができなかった。幸い、教室の中で書き上げられた。
学園で、初めて心を込めて書いた詩だ。
白い花――この国の国花をモチーフにして、帰還を願う祈り。
「無事に帰って、また、一緒に、この花を見よう」
そんな、気持ちが綴られた詩。
たまたま読んでいた、古典の本で学んだ詩の技法を使って書き上げた詩は、教師達から絶賛された。
……テストの点はともかく、学校では「装う」ことを強いられたため、数少ない、褒められた経験だ。
わたしは、額から目を離せなくなった。
なぜ、ここにあるのか。
なぜ、こんな形で。
「奥様?」
背後から、控えめな声がした。
振り返ると、セドリックが立っている。
いつも通り穏やかな表情だが、視線が一瞬だけ、額装の詩に向いた。
「あの……これは……ごめんなさい」
なぜか、見てはいけないものを見てしまった気がした。
「めっそうもございません。奥様が、この邸でしてはならないことなどございません。そのお言葉は無用でございます」
「で、でも、あの、この詩って」
言葉が途切れた。
戸惑いは表情に見せてないが、少しだけ間を置いてから答えてくれた。
「それは――お館様が、特別に大切にされた詩です」
説明の続きを待ったが、それだけだった。その先を語るつもりがないらしい。
思わず重ねて尋ねてしまった。
「なぜ、これがここに?」
セドリックは、静かに、けれども明確に首を横に振った。
「それについて、私から申し上げることはできません」
柔らかい口調だけど、はっきりと線を引く答え方だった。
「お館様が、ご自身で語られるまでは」
その言葉で十分だった。
これは、偶然見つけていいものではなかったのだ。
けれど、見つけてしまった。
セドリックは一礼し、話題を変えるように言った。
「ここをご覧いただくのも構いませんが、奥様が先日、お求めの本が、つい先ほど届きましたので、いかがでしょう?」
「え? 先日の本?」
「ご覧いただいた本の続きでございます」
求めるも何も、チラッと「これの続き、楽しみですね」といっただけ。それも、数日前のこと。
手に入れてほしいとも言ってないのに王都から取り寄せてくれたんだ……
わたしの心を読んだようにセドリックは柔らかく言った。
「少しでも、ご興味の湧いた本は、どうぞ、ご遠慮なくお申し付けください。お館様も、奥様のご希望を叶えることをお望みですので」
温かな笑顔を浮かべてる。
わたしは、セドリックに従って、下の書棚に向かった。
けれど、視線はどうしても、あの中二階に戻ってしまう。
あの詩が…… 自分が、学園時代に書いた一編が、なぜ、侯爵家の図書室の「中心」にあるのか。
その答えは、まだ教えてもらえないらしい。侯爵様に直接聞くべきなのだろうか?
勇気が出ない。
けれども、この屋敷で、自分が「偶然、迎え入れられた存在ではない」ことだけは、はっきりと理解できた気がした。
理由は、まだ分からないけれど、自分がここに迎えられたのは、侯爵様の確かな意志なのだと、初めて感じ取った午後だった。




