第24話 当然なのに!
リセには、生徒が使えない会議室がいくつかある。
クラリスは、そこに招かれたわけだが、一つも嬉しくなかった。
目の前に座るのは、教務主任と呼ばれる、年配の男性教師。少々哀しげな様子の女性担任が横に座っている。
「ヴァルツ伯爵家から通う、クラリス嬢だね?」
学園での正式な名前の呼ばれ方だ。悪い話だ、それも途轍もなく……
クラリスは、いつもながら、この呼ばれ方に少々の違和感を覚えるが、この場で持ち出す話ではない。
確かに自分のことだから、クラリスは神妙に「はい」と答えた。
「今日呼び出された理由はわかっているね?」
答えたくないが「はい」と答えるしかない。
「君のお姉さんが突然の王命による結婚となった。そのため家の中が途轍もなく慌ただしくなり、課題をこなす精神的時間的余裕がなかった、と言ったね?」
担任に、そうやって言い訳をしてきた。しかし、クラリスが侯爵家に嫁に行ったのは事実だ。
クラリスは、自信を持って「はい」と答えた。
「それは担任からも聞き、我々も、そこには同情した。伯爵家で、娘を嫁に…… しかも事前の予告もなくでは、それはそれは大変だったろう。姉想いの君が、準備の手伝いや、熱を出して倒れた姉を看病した。その苦労についても、理解しよう」
そこで担任が庇うような口調で言葉を挟んだ。
「大丈夫よ。あなたがお姉さまのことを心配して、今までも、たびたびお休みしていたことや、テスト勉強が出来ないこともあるのも、コレージュから申し送りがあるの。だから、それはマクラーレン主任に伝えてあるわ」
ジロッと担任を見たのは「口を挟むな」と言う意味だろう。
「そもそもの問題として、君のテストの点数は低い。低すぎる」
確かに、良い点数を取ったことはないが、そこまで「低い」を強調しなくても良いのにと、クラリスは思った。
しかし「すみません」と謝って見せる程度に知恵はある。
そこからは長々とした、お説教が始まった。
要するに「テストが低いんだから、課題くらい真面目にやれ」という話。
このままだと、卒業ができないと言われてクラリスは慌てた。
「姉は、死神侯爵と結婚させられて便りの一通もありません。きっと毎日、泣いているのかと思うと、いても立ってもいられないんです」
泣きついて見せると、多少は同情してくれたらしい。けれども、ギリギリ、1ヶ月、締め切りを延ばせただけだった。
マクラーレン主任は最後に言った。
「君の立場を我々はよく知っている。突然、伯爵家に連れて来られたんだ。いろいろと辛かったのだろう。しかし、リセを留年したとなったら、伯爵家へのつながりを求める商人であっても、君との婚姻を望む者はいなくなってしまうぞ」
殊勝に「すみません。頑張ります」と答えながらも、思った。
『今や、私が伯爵家の唯一の娘よ? そりゃあ、留年したらみっともないけど、それだって、伯爵家の婿養子になら、子爵家あたりから、いっぱい申し込みがあるに決まっているわ』
コレージュ時代の勉強が足りてないクラリスは、貴族の婚姻について、法がどう定めているか、知らなかったから強気である。
とはいえ、留年なんてまっぴらだ。
さすがに、それを知られたら「義父」だって怒るに違いない。
家に戻ると、クラリスは真っ直ぐ母の所に向かった。
「お母様!」
「どうしたの、そんな顔をして」
母は、紅茶を口に運びながら、穏やかに微笑んだ。
「リセで言われたの。このままだと卒業が危ないって」
「あら、たいへん……」
一瞬だけ、母の目が細くなる。
「そんなに成績、悪かったかしら」
確かに、良い成績とは言えないが、それなりの評価だったはずだ。
「課題が終わらなくて……」
言いかけて、クラリスは口を閉じた。
母は、その様子を見逃さない。
「エレーナね?」
「うん…… あっ、はい」
母は、ため息をついた。
「やっぱり」
どこか、納得した顔の母に、クラリスは「名案」を相談した。
「一度、エレーナを戻してもらえないかしら」
「戻す?」
母は首を傾げた。
「侯爵家から?」
「そうよ。きっと家に帰りたがっているわ。だから、一度家に戻ってくれば良いって言ってあげるの」
「それは……難しいかもしれないわね」
だが、含みのある否定だった。
「王命の婚姻ですもの。お父様も、そこは気にされるでしょうし」
「でも、ちょっとの間だけよ? このままだと死神に殺されちゃうかも。だから、ほんの少しだけ、家に戻ってくればいいって。今は侯爵夫人なんですもの。召使いはしなくて良いって言えば、きっと喜んで戻ってくるわ」
「そうね。でも、一度戻ってくるとなると、いろいろとあるの」
伯爵様に、それを伝えなければならなくなる。
『この間は、気になさっている感じだった。もしもエレーナと話をすると、何を告げ口されるかわからないわ』
良い厄介払いになったと思ったし、伯爵が気にするとも思ってなかった。
しかし、現実には、侯爵家からの返事が返ってきたか、珍しく問合せの手紙を送ってきたほどだ。
今、立場を喪うわけにはいかない。
だから「いったん家に戻す」のは、難しいと思った。
何かと自分に甘い母のやんわりとした拒絶に、クラリスは、眉をひそめた。
「でもぉ」
「でも?」
「課題を手伝うくらいは、当然でしょ?」
母は、紅茶のカップを置いた。二つほど、ゆっくり瞬きをした。
「ええ、そうね。姉なのだから、それくらいは、当然ね」
「でしょ?」
クラリスは、ほっとした。
それでいい。戻ってこないなら、課題だけやらせればいい。
今までも、そうしてきたのだから。
「じゃあ、手紙を書くわ」
「文面は、少し考えましょう」
母は、そう言ってから、付け加えた。
「お父様に、余計なことを知られないように」
「え?」
「心配している、という形にするの。元気でいるかと尋ねれば良いわ。そして、元気なら、このくらいは考えられますね、だから、この問題に答えてみなさいって」
「そんなの、必要?」
単純に、課題の書かれた紙を送りつけて「早く、書いて送りなさい」だけでいいと思ったのに。
「必要よ。あなたのお父様は、そういう方でしょう」
母は、静かに言った。
「形式は大事なの」
クラリスは、よく分からないまま頷いた。
手紙は、その日のうちに書かれた。
母が整えた文面の横で、クラリスは、自分の言葉を付け足す。
勉強が大変で、課題が難しいこと。
姉なのだから、今まで通り助けなさいということ。
それが、どれほど異常か、考えもしないまま、クラリスは手紙をしたためた。
一週間後、伯爵家の使いは「返事」を持って帰ってきた。
書面が戻ったことに、オデットは、まず、ほっとホッとしたが、その中身を見て、クラリスと共に、小さく悲鳴を上げた。
上質な封筒になされた「侯爵家の封蝋」を折って出てきたのは、便せんこそ、最上等のものだったが、たった一枚。
余白ばかりの便せんには、侯爵の署名とこの一文。
侯爵家として、その要請には応じられない。
それだけだった。
「……は?」
クラリスは、言葉を一瞬、喪った後、不満そうに言った。
「意味、分かんないんだけど」
「……」
母は、返事を読み、黙り込んだ。
この返信には説明する気持ちも姿勢も、ついでに感情もない。
いや、あえて言うなら「絶対零度の拒否」というもの。
これは、伯爵にどう報告するべきか。いや、今までと同じように「家庭内の些細なこと」として、黙っているべきか……
オデットは絶望的な気分で、その便せんを見つめる。
一方で、クラリスは、キィーっと、強烈な声を噴きこぼれさす。
当然だと思っていたことが、当然ではないと示されたのは初めてだった。
義姉が、思い通りにならないなんて!
手紙の向こうにある沈黙が、どれほど重い意味を持つかを、クラリスはまだ知らない。




