第18話 守るために
その書状は、朝一番で届けられた。
使者は近隣の街に宿泊し、今朝この時間に届けてきたのだ。
大事な手紙は、常に、そうやって無言のままに重みを載せる。
マルセルが恭しく文台に載せた書状を差し出してきた。
「それほどか?」
それは問いというよりも、独白に近い。
一目でわかった。
封蝋が「王家」のものから「王の私的なもの」へと変わっている。これ以上の格を付けるとしたら、次は「高位貴族に対する王命」しかない。
前回の照会と比べると、明らかに扱いが違っていた。しかも、王都との距離を考えると、こちらの返信を見て、直ちに、使者を送り出したはずだ。
侯爵は執務机の前に座り、自ら封を切る。
貴族の常識として、社交としての挨拶に始まる手紙は形式通り。しかし、伝えようとすることは簡単だった。
「また同じだ」
マルセルはやや首を傾けて、主の次の言葉を待った。
「ヴァルマン侯爵夫人を、今後どのように扱うつもりかということだな」
「なるほど」
一度、主の言葉を受け止めてから、マルセルは言葉を返した。
「王家が言わんとすることは前回と同じであり、同じではないということですね?」
こういう時の役割だ。主のために、問題点を言語化して投げ返す。
「そうだな。前回とは違う」
これは、前回の返答を踏まえた上での「次」だ。
侯爵は紙面から目を上げ、しばし考えた。
この書状が意味するのは、ひとつだ。
「王家がすでに状況を把握しているのなら、この動きは、王命で結ばせた結婚へのメンツか。それとも……」
「今になって、慌てているといったところでしょうか?」
今まで、見て見ぬフリだったのか、はたまた、別の思惑からなのか。
「失態ではあるからな。それを明らかにされれば、王家の沽券に関わるとでも考えているのだろう」
侯爵は書状を折り、机の脇に置いた。
「王家が何を言おうと、かまわん。どうしても、と言ってきたら、今度は『今さらだ』と言ってやろう」
言葉は静かだが、侯爵の目は研ぎ澄まされている。
まるで、戦場に臨む目である。
侯爵にそのつもりがなかったとしても、自ずと醸し出される殺気に、常人は平静ではいられない。
セドリックが、数歩、下がってしまったとき、ノックの音が控えめに響いた。
「入れ」
現れたのはセドリックだった。
「王家から、再度の書状が届いたと伺いました」
「ああ。内容はおそらく、お前が考えたとおりだ」
セドリックは一歩だけ進み、声を落とす。
「既に、いくつかの家が動き始めているとのことです」
恐らく、独自のパイプから掴んだのだろう。
高位貴族に仕える者は、その程度の地下の動きができねば、やっていけないのだから。
「……どこだ」
「まずは公爵家です。正式な照会は先になりましょうが、公爵夫人が奥様のご様子をしきりに心配されているとのこと。王都のタウンハウスにいらっしゃらないことを踏まえ、お茶会にお招きするタイミングを計っているのだそうです」
侯爵は、わずかに眉を寄せた。
「辺境伯家からも同様の動きが。こちらは礼の小麦の件に絡め、奥様にお贈りする品のヒントを知りたがっております」
王家の再照会という焦りが、他の貴族家を動かす合図となったに違いない。
全員が同じ一点を見ている。
ヴァルマン侯爵夫人とは、いかなる存在となるのか、と。
「早いな」
「ええ。ですが、無理もありません」
セドリックは淡々と続ける。
「侯爵家で奥様がどう待遇されるのか。あるいは、お館様が王家に何を持ち出すのか。それ次第で、彼らの態度も大きく変わるのですから」
侯爵は、椅子にもたれた。
守ってきた時間が、今、試され始めている。
それでも、と侯爵は背筋を伸ばしてから、セドリックに顔を向けた。
迷いはない。
「予定は変えない」
「承知しました」
「王家への返答も、他家への対応も、同じだ。こちらから名を出すことはしない」
セドリックは一瞬だけ目を伏せ、肯いた。
「奥様は?」
「変わらずだ」
マルセルが「図書室にいらっしゃることが多くなりました」と、主の言葉に静かに付け加えた。
その答えが、執務室の中に、わずかな安堵の空気を生み出す。
外では水面下で騒ぎが始まりつつある。だが、彼女の足元は、まだ静かでなければならない。
マルセルの目配せがセドリックを動かしたのだろう。
侯爵家の便せんが、いつの間にか机に置かれていた。
「お館様。形だけではあっても、お返事だけは」
王国一の英雄だけに、王家に対する公然とした反抗は別の憶測を生むのが政治である。
形を整えるのも、また「守る」ことに繋がる。
侯爵は、セドリックの差し出した便箋を引き寄せた。
守るために、そして、選ばせるために。
決して、下がりはしないと心に決めていた。




