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身代わりで嫁いだ死神侯爵に、異常なほど溺愛されています ~虐げられ令嬢は最恐英雄の唯一の花嫁でした~  作者: 新川さとし


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第10話 私の時間

 ちょっとした合間があると用意される上質なお菓子とお茶。


 ティールームに、私のお部屋、そしてサンルーム。


 私がお茶に行くのではない。

 私のいる場所に、静かに用意される。


 それが自然なのだと、疑いなく思わせてくれるリディアだ。


 驚くほど、何も起こらない一日だった。


 命令も、急かす声も…… まして怒声も叱責も聞こえない。

 

 ただ、時間だけが、静かに流れていた。


 それが、どうにも落ち着かなかった。


 椅子に腰掛けたまま、手を膝に置いてみても、胸の奥がそわそわする。


 何かをしなくてはいけない気がして、何をすればいいのかわからない。


 ――叱られる前に、動かなくちゃ。


 その考えが、まだ、身体の奥に残っていた。


 ランチの後にお部屋でお茶を飲んでいると、控えめなノックがあった。


 リディアが微笑を覗かせる。


「奥様。お疲れではありませんか」

「いえ……あの……」


 言葉に詰まった私を見て、リディアは少しだけ首を傾げた。


「もし、よろしければ、図書室など、いかがでしょう」

「図書室?」


 思わず、その言葉を繰り返したけれど、胸がトクンと動いたのは確かだ。


 本が、ある。


「静かな場所ですし、お好きな本がございましたら、ゆっくりなさっていただけます」

「行って、いいのですか?」


 慎重に、と思っているはずなのに、思った以上に声が弾んでしまった。


 リディアは、迷いなく頷いた。


「もちろんでございます。奥様のお時間ですから」


 その言葉で、胸の奥にしまったはずの「あこがれ」が少しだけほどけた気がした。


 案内された図書室は、邸の奥まった場所にあった。


 高い天井。壁一面を覆う本棚。


 深い色合いの木製の棚は、どれも手入れが行き届いていた。


 扉を開けた瞬間、紙と革と、ほのかに木の香りが混ざった空気が流れ込んできた。


『あぁ、なんて落ち着くのだろう』


 学園時代から遠ざかっていた「知」の時間が再び流れ込んでくる気がした。


 私の目は学園時代にも見覚えのある本をすぐに見つけ、その隣に、思わず手を伸ばしたくなる本が並んでいることにも気づいた。


 はぁ~


 歓声ともため息ともつかない声を漏らしたときだった。


「いらっしゃいませ」


 静かな声がして、私ははっと顔を上げた。


 本棚の間から現れたのは、白髪混じりの年配の男性だった。

 背は高くないが、背筋が伸びていて、動きに無駄がない。


「ごめんなさい」

「めっそうもありません。奥様でいらっしゃいますね?」

「え、えぇ」

 

 まだ、くすぐったい呼ばれ方だ。


「であれば、このお部屋は、奥様のためにあるも同然です。どうぞ、ご遠慮なく、ゆっくりと、ご覧いただければ何よりでございます」


 私は、図書室を見回した。


「こちらは、普段あまり使われませんが、それなりに充実に努めております」

「そう、なのですか」

「はい。それに」


 男性はにこやかに声を切った。


「静かな場所を好まれる方には、良いかと」


 それだけ言って、男性は軽く一礼した。


 名乗りも、説明もない。

 けれど、失礼だとは感じなかった。


 むしろ――安心する。


 私は、本棚の前に立った。


 背表紙が、整然と並んでいる。

 歴史書、詩集、哲学書、古典文学。


『素晴らしいわ。こんなにたくさん』


 思わず、目を見開いた。


 伯爵家にも書庫はあったけれど「私が触ってはいけない場所」だった。


 埃を払うことも、窓を拭くことも、床を掃除することも許されていたけれど、本を開くことは、許されなかった。


 私は、指先で、そっと背表紙をなぞる。


 ――この並び。


 無意識に、一冊の本を見つけていた。


 ぱらっと紙の擦れる音。


 開いたページを見て、息が止まる。


『覚えてる』


 これは学園時代に読んだ詩だ。


 いえ、正確には――クラリスの課題のために、何度も読み込んだ詩。


 私は、気づかないうちに、続きを追っていた。


 声には出さない。


 けれど、意味は、すっと頭に入ってくる。


「ほう?」


 低い声がして、我に返る。


 いつの間にか、年配の男性が、少し離れた場所に立っていた。


 私の邪魔をせず、けれど必要とあらば、そっと手を差し伸べてくれそうな距離だ。


「その詩集を選ばれるとは」

「変…… でしたか?」


 慌てて本を閉じかけると、男性は小さく首を振った。


「いえ。あまり、手に取られない本ですので」

「そう、なんですね」


 一瞬、沈黙が落ちる。


 気まずさは、なかった。


「その詩をご存知なのですね?」

「はい。リズムと、そして言葉の選び方がとても美しくて好きなのです。これは、古典に出てくるあの詩が元なのだろうななんて思えたら、いろいろと想像が広がってしまって!」


 口にしてから、はっとする。


 ついつい、言葉が過ぎたかも知れない。あまりにも懐かしくて、そして嬉しくて、はしゃいでしまった。


 けれど、男性は、驚いたように目を瞬かせただけだった。


「そこに気づかれる方は、少ない」

「そう、なのですか」

「ええ。言葉の美しさだけで、読み終えてしまう方が多い」


 彼は、少しだけ微笑んだ。


「奥様は、本を読むのがお好きなのですね」

「昔、少しだけ」


 それ以上は、言わなかった。

 聞かれもしなかった。

 それで、よかった。


「どうぞ、ごゆっくり」


 男性はそう言って、また本棚の奥へ戻っていった。


 私は、椅子に腰掛け、本を開く。

 静かな時間。

 誰にも邪魔されない時間。


 読めば読むほど、胸の奥が、ゆっくりと落ち着いていく。


『ここなら』


 ふと、思った。


 ここなら、何もせずに、いてもいい。


 名を呼ばれなくても、

 役に立たなくても、

 叱られなくても。


 窓の外から、柔らかな光が差し込む。


 遠くに、白い花が見えた。


 名を呼ばれないまま、

 ただ、そこに在る白。


 私は、しおりを挟み、本を閉じた。


 心の奥が、静かだった。


 それだけで――


 今日は、十分だった。

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