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作者: 笹木 人志
掲載日:2025/11/25


 K君は、休日となれば、健康の為に公園でジョギングをしたり、独りで低山に行ったりするが、だれかを誘うということはしたことがない。若くて遊び盛りの頃に、日々仕事に追われ、休日出勤も余儀なくされ、しかも今ほど残業時間の縛りがきつくなかったために、休みや金曜の夜でも、同期からの誘いを断わってばかりいた。そんな生活が続いたものだから、彼女もできないし、誘っても無駄だと同期からの誘いもすっかり来なくなったから、休日があってもアパートの部屋で、妬みと孤独に打ちひしぐれていたものだった。


 しかし慣れというものは恐ろしいもので、いつの間にか、孤独がしっかり身にしみてしまうようになってしまったK君。残業時間のしばりが厳しくなり、ようやく休日もしっかり休めるようになってくると、休日を持て余し気味になってきた。

 

 もとより、仕事がらPCを一日中操作しているせいか、家にあるPCも携帯電話もあまりいじる気になれない、TVは一昨年故障して、この世の情報はラジオと新聞だけ。ネットで個人が発している情報は、面白おかしくても、真に受けるのはアホらしく思っていた。



 日が昇れば、洗濯やら掃除をする。それが終ると、今日一日をどう過ごそうかなと考える。そこで、K君は、Tシャツに短パンに着替え、すり減ったランニングシューズに足を入れて、近くを流れる川の土手の上に整備されたサイクリングロードでジョギングをするようになった。健康に良さそうだし、時間はつぶせるし、独りでもできるし。

 これ以上に最適な時間つぶしがあるだろうか、いかにも自分に相応しい活動だと、K君は自分の行動を肯定させるに至った。


 孤独には慣れきってしまったK君は、自分が自分であろうとするなら、孤独の中にしかないだろうと信じるようになっていたので、淡々と走るだけというのも当然の帰結だろう。


 さて、K君の何時ものコースは、下流に進んで、橋を渡り河の反対側のサイクリングロードを上流に向って走って、また橋を渡って、出発地点に戻るというもので、それで約10キロあった。ほぼこれを1時間ちょっとでこなしていた。


 ある日のこと、その最初の橋を渡り、戻る過程に入った時のことだ。休日だし、ランナーは沢山いる。各自のペースで走っているので、当然追い抜いたり、追い越されたりするのだが、さっきから、たんたんとK君と同じ歩調で付いてくる足音がする。


 だいたいこういう時、後ろのランナーは前の走者を風よけに使って、呼吸が落ち着いたタイミングで一気に前に出たりするものだが、ずっとK君の後ろをぴったりと付かず離れずと尾行するように付いてくる。


(まいったな、調子が狂う)と感じたK君は、後ろの足音の主を先に行かそうと、ややペースを落としたら、後続者も同じようにペースを落としたから、心穏やかではいられない、振り向けば、似たような服装の男が2メートルくらい後ろについていて、男はKくんが振り向いたことに気がつくと、すっと速度を上げると、K君と併走するかたちで声を掛けてきた。


「良い天気ですね」息が上がっているが、ありきたりの挨拶だ。


「そうですね・・・」と同じく息が上がっているKくんは、そう答えるだけだった。自分の中に、他人との間に壁を作ろうとする気持ちもあったので、さっさとこの人物に去って欲しい気持ちもあった。


しかし、休日に同じ時間、同じコースばかりを走っていると、出会う場所は少しずれても、なにかしらこの人物と顔を会わすことも増えてきた。会話は、走りながらなので多くは出来ない、ありきたりの季節の挨拶程度だ。


 しかし、互いのペースが分ってくると、走る事に対する話題が混ざり始めてきた。K君は、別に陸上をやっていたわけではないので、とくにこだわりはないが、それがいちばん安上がりの健康維持だと思っていた程度だった。そこへ、すこしはこだわりを持つ男ー彼は、Mと自己紹介をしたーが現れ、K君もどこか感化されてしまい、靴やウエアーを新調する事になってしまった。


 そして、K君が自分のゴールとする自宅前まで、M氏が付いてくるとー

「Kさんの実力なら、ウチのサークルに来てみませんか?日曜に朝にF橋の下で集合して、一緒に走るだけなのですけど・・・」と誘われるままに、サークルへの参加もした。


 色々な人達と走って居る間に、徐々にタイムも縮んでいった。しかし、どこかしっくりこない気もしていた。タイムがよくなって、自分が成長しているような気もするのに、奇妙な違和感。記録がよくなって、サークルの中で持ち上げられて嬉しいのに・・・それが分らずにサークルの一員として、例会には参加していた。


 ある休日のF橋の下、多くのランナーが集まる中で、K君は、何人かが顔をよせあって、賑やかにしているのが気になって、そこにそっと顔を出してみた。


「何かあるのですか?」その輪に居たM氏にそっと訊いてみると


「最近のスマートウォッチで、活動量を見ているんだよ」とM氏は自分の手首についた時計をK君に見せた。目標を達成すると、メールが送られてきてね、とM氏はスマホを彼に見せた。

ーおめでとうございます。全走行距離が○○に達しました。今回のタイムは歴代2位です。グループ内の順位は8になりました。ー


「グループでここのですか?」M氏はサークルの中でもトップクラスだ、8位ということは無さそうに思える。


「いや、このグループは個人や他のサークルの人も入っているから、全部で300人は居るかな。ここのサイクリングロードで走っている人だけだね」


「へぇ・・・面白そうですね」


「強制はしないけど、使うとさらにタイムが良くなるみたいだね」M氏は、スマホの画面を変えた。「私のタイムの履歴も見れるんだ」そこには横軸に日にち、縦軸にタイムの目盛りがうたれた折れ線グラフになっていた。所用時間がすこしずつ減ってゆくのが一目で分った。


なんとなくK君は、いいなぁと考え、その日の午後には家電量販店に行き、早速購入をして設定を済ませてしまった。


内蔵されたAIは、時には彼の運動量を褒め、あるときには励まし、あるときは叱咤激励をした。


毎日走る度に、メールが送られてきた。タイムは良くなったり悪くなったりを繰り返しつつも、確実に良い方向に進んでいる。


会社から戻ると、まずは走る。雨の日も雪の日も、ちょっとくらい風邪気味でも、走る。そのうち、走らないと、気持ちが落ち着かなくなった。


サークルの仲間も、彼の練習量にすごいねと褒めてくれた。


しかし、ある秋の雨の日に走り。家に戻ってから、家事をしたとたん。腰に痛みが走った。

どう考えても、ぎっくり腰だ。これほどに痛くて動けないのは、初めてのことだった。

食事は、保存していたカップ麺ばかりだ。そのお湯を沸かすために、台所に立つのも、腰を曲げながら、痛みを堪え、薬缶に必要なだけの水を入れて、ガスコンロに薬缶を置く。

動くと痛いので、その場で、じっとお湯が沸くのを待つ。カップ麺にお湯を入れ、3分後に麺をすすると、布団にもぐり込んだ。


痛いのに、心は、走らないとと焦りがつのる。スマホは、練習が最近途絶えていることに関して、気を使うような文面を送りつつも、心をあおり立てる。グループ内でK君の順位がどんどん落ちてゆく


サークルの仲間にはSNSを通じて状況を伝えてあったので、毎日のようにねぎらいの言葉が届く。


M氏は、大丈夫かい?とサークルの走行会のついでに、彼の部屋に寄って、軽食を置いて帰っていった。サークルの知人たちは、一人であるいは連れだって、彼の部屋を訪れた。

ぎっくり腰だって?俺もやったことがあるけど、あまりじっとしているのも

良くないぞ。


来週には出られるかい?


今は、走り事より腰を治すことに専念したほうがいいよ


運動しないまま、食っちゃ寝を続けていたせいか、僅かな期間で、体があっという間に重くなってきた気がした。腹も出てきているのが明白だ。


それが、尋常でないような速度で太りだしていると思われた。


走らないと、走らないと・・・焦りばかりがつのる


仲間たちから、どんどん置いてゆかれる。



顔も指もむくんでいるようだった、その全ての原因が、運動を断っているせいだとK君は考えた。一生懸命走っている間に、体はエネルギーを運動で消費することを学んでしまい、消費できなかったエネルギーは、直ぐに脂肪で蓄えるようになってしまったのだろう。今は、全く運動できていないぶん、そのエネルギーは全て体に蓄えられてしまっているに違いない。


お腹も膨らんできた、腕も脚も太い。


部屋を動き回るのも、四つん這いではすまない。まるでアザラシのように、畳の上を這う感じだった。これは、救急車ものに違いないと、思った時には、指はぱんぱんにむくんでスマホの操作でさえ容易でないのだった


スマホがみたい、スマホがみたい・・・

SNSを使って、皆とつながりを保ちたい。


思いは募っても何もできない、不思議なことに、食べなくても体はむくみつづけた


走りたい、走らないと、走らねば、


スマホを見たい、触りたい、触らないと、触らねば


充電中だったスマホは、USBにつながったまま幾度となく着信音をあげる


その都度、操作したいと思うが、膨れあがった体が思う様に動かない


涙がでた。


しかし、思えば、尿意も便意さえも起きない。それはこの状況を鑑みれば、不幸中の幸い程度のありがたみかもしれなかった。


ただ、体が膨れ上がるばかりだ。僕は、一体どうなるのだろうか?誰ともつながらないまま、孤独のまま死んでゆく自分を思ったが、そもそも僕はそれほど人とのつながりは求めないまま生きていたじゃないか。


K君は、まるで哲学者にでもなったかのように、自分の内面と向き合い続けることしか出来なくかった。それでも、時折心はスマホに向う。そこに自分の不安の解消の場がありそうなのに手が届かない。くやしさ、じれったさ、


K君は、とうとう大きな風船の端っこに頭と掌と足がくっついているような有様になってしまった。


そして、汗腺からなのか、ぬるぬるとした液体が体から染み出てきて、両生類の皮膚のような感触になってきた。それはきっと膨れ上がった内部の体液みたいなのが、もう押さえ込むことが出来ずにあふれ出してきたのだろう。



体はまもなく破裂して、僕は何かを産むのだ。Kくんは、そんな気がした。



ある日、出社しないK君を心配して会社の上司やマネージャーが警察と、不動産屋さんの後ろについてやってきた。


鍵を開けると、腐臭が彼らの鼻腔を襲った。


そして、警官が事件性を感じて中に入ると畳の上には弾け飛んだK君の肉塊と畳に染みこんだ体液の跡。そしてその真ん中に白い一個の小さい卵があるだけだった。


その後、呼ばれた鑑識管の一人が、ゴム手袋をした手で卵をつまんでみた

「なんだろう、硬そうな殻だな」

と証拠物件として袋に入れると去って行った。


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