表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

僕に止まった、一頭の蝶

作者: 食人さん
掲載日:2025/11/09

 人は、人を誰一人確かに信じていない。

 嘘だと思うだろう。だって現時点で僕は親を信じている、そう宣言する人もいるだろう。

 だが、それは本当にその人なのだろうか。

 信頼とは理想の押し付けであって、褒められたことじゃない。そう思ったことがある。今思えば僕は捻くれ者だっただけなのかもしれないが、でもそれでも今もなお、信頼とは何かを掴めずにいる。



僕に止まった、一頭の蝶



 彼女は蝶のような人であった。様々な花に飛びつくような軽率な虫であり、様々な人を魅了する無垢な絵画でもあった。彼女と知り合ったのは高校一年の時、同じクラスになった時だった。

 初めは、お互いに言葉を交わすことも多くなかった。当然だ。僕らはただ顔見知りとなっただけ。お互いを気にかけることなんてなかったし、彼女にはきっとその余裕もなかっただろう。何せ美人だった。いつも、人間関係というものの構築と制御に勤しんでいるのだろう、きっと当時の僕はそう考えたはずだ。

 その何もなかった関係性が変わったのは、いつだっただろうか。ただ、席が隣になって、話し相手に困っていた僕が彼女に話しかけたような、そんなことが始まりだったのだろうと思う。ただ僕が変なことを言ったり、問題の相談をしたり。そんな話題だけで話していたのは覚えている。彼女は、そんな話題でも、笑ってくれていた。

 彼女だけでなく、隣の席になった人とは例外なく会話を交わしてきたし、笑い合ってきたから、ただそれだけのことでは僕の中では関係性が変わったとは感じていなかった。彼女側もそうだ。昼休みになればお互いがお互いの仲良しで集まって、会話など交わさない。友人だってそんなものなのだから、まして知人だったらそうなるのは当たり前のことだった。

 ただそんな会話の中で、一度、会話の方向性がかなり暗い方向に進んだことがあった。生き死にの類の、しょうもない話だった気がする。そこで僕は自分の考えを言った。僕は昔からそういう考えをしてきていたし、それが自分だけのものだと思っていた。でも彼女は、僕に凄く共感を示して、彼女の考えを話し始めた。僕はそれに、自分の考えを被せたり、その考え方を受け入れたりした。そうした会話の中で、

「頭いい人と話すのは違うね」

と言われた。彼女にとって僕は理解者になったし、同時に、彼女の悩みを解決するための道具になったのだろう。

 当時の僕にはそれが楽しかった。僕はこういうことを考えるのが好きだったから。でも、時間が経つにつれてだんだんと自分が変わっているのを感じた。

 例えば僕は、自分だけにしかできなかったであろうことを、昔からやってきていたつもりだった。小説を書いたり、曲を作ったり。今思えば厨二病の延長みたいなことばっかりやっていた。でも僕にはそれが幸せだったし、今でもやっている趣味である。でも、だんだんとそれが出来なくなってきているのを感じていた。昔ほど死にたいと思っていないし、昔ほど苦しんでもいない。昔ほど自分だけの考えを持っていないし、昔ほど自分だけの世界も保てていない。端的に言えば、僕には自分だけのものがなかった。ネットに触れ、人と話す過程で、だんだんと自分だけだと思っていた感情が多くの人も味わってきたものだと知り、だんだんと僕は殺されていった。昔ほど生き死にを気にすることも無くなって、考えなくなった。

 そう、高二以降別のクラスになった彼女と、高三になってもう一度話す機会が出来てしまったときに、その感情が、表に出てしまった。

 僕は彼女から逃げた。逃げてしまった。話を聞いてほしいんだ、そう言われたのに、そう言ってくれたのに、僕はそこから逃げてしまった。

「僕はきっと昔ほど頭が良くない」

その一心で。昔ほど生き死にに興味がなくなった今、彼女と話しても何も意味はないと思った。僕の底の浅さを知られるだけ。失望されるだけだとそう思って逃げた。彼女の腕にできていた、青痣にも目もくれずに。

 思えば僕は彼女から信頼されていたわけだ。彼女は僕に昔の僕を幻視していた。この人ならきっといい答えを出してくれるだろうと、そう思ってくれていたわけだ。次の日以降、彼女が僕の前に現れることはなかったから、きっといい相談相手を見つけたのだろうと、そう思った。僕の信頼は無くなってくれたのだろう、と。


 自分は信頼されているのだろうか。自分はどう思われているのだろうか。他人と比較したときに自分の優先順位はどれくらいなのだろうか。そう気になり始めたのは、彼女に話しかけられてすぐのことだった。

 昔から、僕はあまり優先される側ではなかったことは覚えている。会話は話しかける側であることが多いし、親友と言い合った相手であろうとそのうち相手にもっと仲良い人ができて、親友なんていう言葉は飾りでしかなくなった。

 でも言葉にはできなかった。言葉にしたところで引かれるだけだ。今の僕はメンヘラのそれだ。そう思って、気にしないように努めた。そうして嫌なことに気がついた。僕は、人よりどこかで優位に立っていないと、そこを話題にした会話が切り出せないから、隣の席ではなくなってしまった人とは会話ができないんだ、ということだ。はっきり言ってクソだ。優位に立っていないとまともに会話できないなんて。でも仕方がない。相手に有益でなければ、会話はする価値がない。面白い話であれば自信を持って話しかけられるが、その逆をたいして優先順位の高くない人にされたらどう思うか。なんだこいつ、としかならないに決まっている。それが嫌だから、僕は誰にとっての一番にもなれないのだと、その時気づいてしまった。同時に、昔から自分は、人にいい顔をしていたかっただけなのだと、痛いほど気付かされた。

 自分もなければ、誰かを豊かにすることもない。生きているだけのただの空気。それが僕なのだと気づいてからも、僕は変わることはなかった。ただ失望の色が深くなっただけだった。

 誰かを遊びに誘おうとか、そう言ったことを考えたことはある。だが、その人を楽しませられる自信はないし、なんなら傷つける自信さえもあった。僕は相手を信頼していなかった。いや、相手は自分に失望するという信頼をしていた。きっと相手は僕といるより、僕とは一緒でない方が楽しいだろう。そういう信頼があった。

 でも、きっとそうはならなかった。相手は「僕がいたから」という一節があろうとなかろうと、最低でもただ純粋に遊びを楽しんでくれると思った。僕だったら、きっとそうしていただろうから。

 僕は総じて「信頼」というものが許せなくなってきていた。信頼を守るために繋がりを失って、信頼があるために繋がりが増えなくなった。

「僕は僕がそこにいないからこそ、唯一の信頼の対象を虚構にせざるを得なくなり、虚構が嘘を振り撒くからこそ、世界は閉ざされてしまったのだ」

と、カッコつけて言うならばこうだ。

 信頼とは、妄信も含んでいる。幻想も含んでいる。だからこそ、人と人とは傷つけ合うしかなかった。なんとまあ、ちっぽけな世界だろうか。


 彼女にまた出逢ったのは、秋の帰り道だった。その日は模試があって、帰りがかなり遅かった。その上、資金調整をミスって地下鉄が使えず、真っ暗な雨の中歩いて帰る羽目になっていた。

 そんな中で、公園のベンチでうずくまっている彼女を見てしまった。流石に僕は、声をかけなければならないと思って、声をかけた。

「ああ、君か……」

雨が降っていて気付かなかったが、声を聞くとその声は涙まじりの声で、僕は彼女が泣いていることに気づいた。

「……何があった?」

問わずにはいられなかった。問わなければならなかった。何も力にはなれないけれど、それでも。

「……」

彼女は口を開きかけたけど、すぐにその口を閉じて、しばらくしてから、言った。

「でも君、逃げちゃうでしょ」

そう、言われた。何も言い返せないまま、ただ呆然と立ち尽くした。

「強いて言うなら、君が逃げたからだよ」

彼女がそう付け加えるのを聞いて、僕はどうしても、どう頑張っても怒りを抑えられなかった。さしていた傘をその手から落として、その手でそのまま彼女の胸ぐらを掴んだ。

「お前が……」

彼女は笑っていた。嬉しそうに僕と話していた、あの時の笑顔で。僕は彼女が好きだった。きっとそうだった。でもそれが僕のせいで失われた。そのことをまるで彼女のせいかのようにして、叫んだ。

「お前が僕に何を期待してるのかは知らないけどな、こっちだって僕のことでいっぱいいっぱいだったんだよ!

なんで僕がお前が今ここで泣いていることの原因にならなきゃなんないんだよ、ふざけんなよ!

僕はお前のための機械じゃない!

僕は神でもなんでもない!

お前の信頼は誰に向けた信頼なんだよ!!!」

彼女は、その表情を崩した。

「なんだよ、その顔……僕が、理由を話してくれないことに対しての逆ギレをするとでも思ったのかよ……」

 なんで話してくれないんだ、そう聞きたい気持ちは確かになくはなかった。彼女はきっと、自分を心配するが故の行動を切り捨てられても、それでも心配だからこそ、その切り捨てに対して怒ってくる。そんなシナリオを期待してたんだろう。

「まあいいや、とりあえず警察呼ぶからな……あとは自分でなんとかしろ」

 僕は、警察を呼んで、その人たちに後を任せて家に帰った。


 後日知ったことだが、彼女の親は虐待をしており、だからこそ僕と話が合ったのだろうと、その時気づいた。なんだが自分が普通じゃないみたいで、心が躍った。そして彼女自身は、頼れる親戚もいなかったから、成人までは然るべきところで面倒を見てもらえることになった。これが、話に聞いたことの顛末である。

 実際に目にした事の顛末もある。話に聞いた部分があってからしばらくして、高校に一度彼女がやってきた。話しかけようかとも思ったが、僕の方を見るなりさっさと逃げてしまった。そうして彼女はずっと青ざめたまま、最後に見たのは2階の窓の外だ。


 彼女は蝶のような人であった。様々な花に飛びつくような軽率な虫であり、様々な人を魅了する無垢な絵画でもあり、そして、虫のように弱い灯火で、虫のように甘い香りを妄信してやまない存在だった。

 彼女が僕を信頼しなければ、僕は信頼のなんたるかを疑問に持つことはなかった。疑問に持つことが楽しかったはずなのに、今はそれが恨めしくてたまらないのだ。

 ああ、やはり……


 僕は虫が嫌いだ。今までも、きっとこれからも。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ