5話
事件のすべてが終わった。
遺体は搬送され、供述調書は提出され、報告書はPDFで送信された。
庶務係からは「押収品の返却手続きを早く」と催促が来た。
田所は、署の階段を降りながら、ふと立ち止まった。
ドラマなら、ここで刑事が背中を見せて去っていく。
夕焼けの中、BGMが流れ、誰かが呟く。
「俺たちの正義って、なんだろうな……」
だが、現実では、階段の踊り場にプリンターの紙詰まり警告音が響いていた。
エアコンの風が、報告書の角をめくった。
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「先輩、終わりました……」
田所は、静かに言った。
三枝は、カップ麺の残り汁をすすりながら答えた。
「おう。次は窃盗だ……って言いたいとこだが、あれは盗犯係の仕事だ。俺ら強行犯は、だいたい“血が出る系”だ」
「……走らないんですね、刑事って」
「走らない。走るのは、ドラマの中だけだ。現実では、走ると腰を痛める。あと、現場に走って行っても、だいたいもう終わってる」
「じゃあ、崖の上で説得することも……」
「ない。崖は風が強いし、音声が録れない。あと、犯人は崖に行くほどドラマチックじゃない。だいたい団地の階段で“すみません”って言うだけだ」
「じゃあ、特別捜査本部ができて、警視庁のエリート達が乗り込んでくるとか……」
「ない。特捜本部は、もっと大きな事件でしか設置されない。今回みたいな“家庭内のもめ事”じゃ、所轄で完結だ。エリートは来ない。来るのは、腰痛持ちの鑑識と、書類を急かす庶務係だけだ」
「じゃあ、刑事の勘とか……」
「勘は使う。でも、報告書には“勘”って書けない。書けるのは、“状況的に不自然と判断した”だ」
「じゃあ、刑事の信念は?」
「信念はある。でも、語る時間はない。語るより、書く。書くより、出す。出すより、次の事件」
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田所は、署の玄関を出た。
外は曇り空だった。
ドラマなら、ここで夕陽が差し込む。
だが、現実では、空はグレーで、風は冷たかった。
三枝が言った。
「田所、お前、刑事ドラマ好きだったんだろ」
「はい。ずっと憧れてました」
「じゃあ、これからは“現実の刑事”を演じろ。地味で、静かで、でも確かなやつをな」
田所は、少しだけ笑った。
「……はい。演じてみます。走らない刑事を」
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これが、現実の捜査のすべてです。
崖もない。科捜研も来ない。屋台もない。涙もない。
特捜本部もない。エリートも来ない。
あるのは、布団の上の遺体と、プリンターの音だけ。




