4話
事件は終わった。
だが、田所の机には、報告書・供述調書・実況見分調書・捜査報告書・被疑者供述要旨・被害者関係者聞き取り記録・現場写真台帳・証拠品目録・押収品管理簿・証拠品送致票・鑑定依頼書・鑑定結果報告書・捜査経過報告書・捜査本部設置記録・捜査本部解散記録・捜査員配置表・捜査員活動記録・捜査協力者名簿・捜査協力者謝礼支払記録……が山積みだった。
田所は、書類の束を前にして言った。
「先輩、これ全部書くんですか?」
三枝は、プリンターの紙詰まりを直しながら答えた。
「そうだ。事件は“書類が終わるまで終わらない”。ドラマだったら、エンディングテーマが流れるけど、現実は“プリンターの音”が鳴るだけだ」
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田所は、供述調書を書きながら気づいた。
犯人の言葉をそのまま書くと、文法が崩れる。
感情が強すぎると、法的に曖昧になる。
だから、調書は“感情を排除した文法的な殺意”で構成される。
「兄に対し金銭的要求を行ったが拒否され、感情が高ぶり、首を絞めた」
それが、事件の“公式な物語”になる。
田所は、ドラマで見たような“刑事の直感”や“犯人の叫び”が、調書には一切反映されないことに気づいた。
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「この報告書、誰が読むんですか?」
「検察官が読む。あと、裁判官が“必要なら”読む。だいたいは、要旨だけ見て終わる」
「じゃあ、現場写真は?」
「裁判で“現場状況”を説明するために使う。でも、だいたい“見ない”。見ても、“ああ、畳ですね”で終わる」
「じゃあ、実況見分調書は?」
「“遺体の位置”と“布団の向き”が書いてあるだけだ。芸術性はない」
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田所は、初めて裁判所に行った。
法廷では、被告人が静かに座っていた。
傍聴席には、記者もいなかった。
ドラマで見たような“真実の叫び”も、“涙の訴え”もなかった。
「被告人、何か言いたいことは?」
「すみませんでした」
それだけだった。
判決は、静かに言い渡された。
ドラマのような“衝撃の逆転”も、“証人の乱入”もなかった。
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庁舎の玄関に、地元紙の記者が現れた。
田所は、ドラマで見たような“刑事が記者に捜査情報を漏らす”場面を思い出した。
「先輩、記者が来てます。何か話すんですか?」
三枝は即答した。
「ノーコメントだ。あと、“捜査関係者によると”って書かれたら、誰かが処分される。現実では、記者に話すと懲戒対象になる。ドラマみたいに“警部が記者にこっそり話す”とか、やったら終わりだ」
「じゃあ、“記者と刑事の友情”とか……」
「ない。記者は“情報”を求めてるだけ。刑事は“沈黙”を守るだけ。友情は、報道協定の中にしか存在しない」
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田所は、事件の一連の流れを振り返って言った。
「結局、家政婦も探偵も教授も来ませんでしたね」
三枝は言った。
「来ない。家政婦は家事をする人だ。探偵は浮気調査が主業務だ。教授は大学にいる。あと、作家も喫茶店マスターも来ない。現場に来るのは、鑑識と警察官だけ。あと、たまに近所の犬」
「じゃあ、警部が現場で指示を出すとか……」
「それやったら、係長が怒る。現場に来るのは係長か、暇な副署長だ。警部は会議室にいる。しかも、現場の状況は“報告書で確認”する」
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田所は、事件の終わりにこう言った。
「じゃあ、最後に“刑事手帳を机に置いて去る”とか……」
三枝は即答した。
「それやったら、紛失届を出さなきゃいけない。あとで署長に怒られる」
「じゃあ、屋上で“俺たちの正義ってなんだろうな……”って語るとか……」
「屋上は立ち入り禁止だ。あと、正義は語るもんじゃなくて、報告書の中に埋まってる」
「じゃあ、背中を見送るシーンは?」
「誰も見送らない。むしろ、庶務係が“早く出して”って言ってくる」
「じゃあ、BGMは?」
「流れない。流れるのは、エアコンの音とプリンターの紙詰まり警告音だけだ」




