恋の季節の放浪記。いつの間にか革命にも疲れ、芸術活動へと生きることを決意していく。
第3章 恋の季節の青春白書
二時限目、一〇二号教室へ向かう。その教室も前の少し暗い廊下で、村山三郎をみて笑いかけてきた女性がいる。シンシア・トンプソンさんである。「久し振り!」と村山は驚きながら素っ頓狂な声を思わず出した。「久し振りって、昨日見たよ!」「昨日?」「そう昨日学校に来てたんよ」「いやこの間だったわ」とぐりぐりとした大きな目を愛嬌たっぷりに村山に向けながら笑っている。
少したじろぎながら村山は、「二時限目は何か授業をとっているの?」と聞いた。すると「ううん」と彼女が応える。この返事の答えは二週間前に既に確認済みのことで、良く知っていたのに改めて聞いて閉まった自分を、どうかしていると思った。
取り留めのない話をして、講義を受け、終わるや否や「さようなら」とあっさり別れた。
村山は最近独りで思考の回路に入り込んでしまうときがある。今日もそうである。
「俺はどうして生きているのであろうか。こんな汚れた体を引き摺り、皆に嫌われながらも、どうして生きていかなければならないのであろうか。家族が居るからだというやつがいるけれど、家族がどうしたというのであろうか。離れて暮らしている家族のことなんか考えて何の得になるのであろうか。勝手に苦労したければしたらいいのである。俺はそんなこと知らない。」と心の中で叫んでいた。さらに次から次へと湧き上がるように脳裡から言葉が絞り出されるように出てきた。
「俺は俺のことが嫌いなのである。こんな俺を創った神様がいるならば、出てこい。俺がぶん殴ってやる。おれはこんなに苦しんでいるのである。なぁ、大宰治さん、俺も死んだ方がいいのであるなぁ。違うのかい。教えてくれよ。あなたも家族も何もかも捨てて死んだではないのか。結局、こんな世の中どこにも生きる価値などないのであるよ。
何、お前は宇宙を否定するのかって。死ぬことは宇宙を否定することなのか。馬鹿な事を言ってはダメだよ。俺は宇宙が憎いのであるよ。宇宙なんか殺してやりたいのである。それにしても、どうせ死ぬと決めたら、ひとつデッカイことをやってみたい気になる。全人類の幸福のためになるのならば。死にたくない奴等を幸せにしてやろうではないか。俺のちっぽけな全人生を賭けて。
救世主である神よ我を救い給え。あなたしか我を救うことはできない。俺は死にたい。けど生きることが面白いならば、生きてみたい気はある。カミュよ、君を意識することで、不条理を守りつつ、生きていける人などいないよ。いたらそいつは馬鹿か、よっぽど賢い奴だ。俺は馬鹿にもなれないし、賢くもない。だから死ぬしか道はないのである。生きることに意味などないのであるよ。ちくしょう。どうして俺は生きなければならないのであるよ。そうりゃぁ、家族の連中は皆愛おしいよ。でもどうにもならないのであるよ。俺が俺であることの意識をやめない限り、普通の人々のように生活だけのために働くことはできないのである。金儲けだけの人生は虚しい。おれは白々しい人生なんか生きたくないのであるよ。俺は一体どうすればいいんだい。」
今日は二時限目、俺たちのフォークグループの練習日に当たっていた。場所は、空き教室であった。三一一号教室が空いていたのでそこに集まることになった。しかし、リーダーの下山がまだ来ない。待ち合わせ時間の六時四十五分を二十分も経過した。下山がよくパニクルので、村山たちは、また何か急なことでもあってパニクっているんだと思った。今日は練習は中止にした。
村山は、その時限、実は講義があったが、出席する気は頭からなかったので、そのまま、ギターの弦を買うために天六商店街へと向かうことにした。第三弦が切れかかっていたで、このままだとあと数回つま弾けば切れると思ったからだ。天六商店街は相変わらず賑やかであった、仕事を終えた人々が夜の街へたくさん繰り出してきていた。その雑踏の中を縫うように歩いて五分ぐらいのところに楽器屋さんがあった。そこで第三弦を買った後、もう授業に戻る気にはなれなくて、行くあてもなくぶらぶらと商店街をぶらつき、大学近くの道すがらにあるパチンコ店に立ち寄ることにした。この店はいつ来てもガラガラである。この店の去年の秋の新装開店を狙って数回立ち寄ったが、全然玉が出てこない。普通は新装開店では出玉を多くしているのであるが、この店は違った。金もない時で、当てが外れたショックと自分に対する腹立ちで、全体としては淋しい気持ちになった。それ以来、この店は立ち寄らないようにしていた。
結局今日もダメだったが、二,三回玉を買って投入したが、出たり入ったりで、一進一退であった。調子が良くなったと思ったら、止まり、もう少し我慢すればまた出るという繰り返しで、へんてこな台であった。最終的には、煙草の「ハイライト」一箱とチョコレートを一箱と交換した。
パチンコ店を出たときは、午後八時五分であった。三時限目には「米英文学史」を受講していたので、また。気晴らしもできたようで、授業を受けることにした。校舎へ入り中庭まで来たところで、シンシアさんが芝生の上に座っているのが見えた。暗くて遠くからははっきりと確認はできなかったが、近づいてみるとやはりシンシアさんであった。今日の三時限目の講義に出る楽しみは、シンシアさんに出会えることもその理由であった。この「米英文学史」は本来、二回生で受けるべき授業であるが、三回生の今、村山たちはなお受けているのである。昨年も履修届は出していたのであるが、村山のミスで授業が受けられずになっていたので、今年に再挑戦することにしていたのである。
シンシアさんの横に腰掛けて、しばらく芝生の上で、ギターの話などをした。彼女は自分が音痴であると、村山に告白した。長い間歌うことをしていなければ、うまく歌えない。実は自分も音痴だと告白した。彼女は笑った。村山も笑った。彼女は今度は村山たちにフォークソングを聴かせてくれと言った即座にその申し出に承諾した。
その講義が終了した後。村山たちは一緒の帰ることにした。彼女は奈良の桜井から大阪市の北区の天神橋のはずれにある大学まで通学している。一番近くの駅は、国鉄の天満駅である。途中、地下鉄の入口があった。村山は、この地下鉄と繋がっている阪急電車に乗り淡路まで通学している。
天満橋まで送って行くといったら、彼女は気の毒だからいいと断った。無理強いして言うと嫌われても嫌なので、彼女のそれ以上、なにも言わずに、別れを告げた。しかし、
帰りの電車の中では、何故か切ない気持になった。彼女はわたしのことなどなんとも思ってはいないのである。胸が痛んだ。一度は彼女のことは諦めていたのであるが、また、恋の虫が騒ぎだしたようである。
死と悲しい直面をしながら村山は、自殺をし切れない圧倒的多数の人々のために、その生命活動の価値を提示し、幸福の生涯を送ってもらえるように、祈りつつ、哲学を続けている。その一番の問題が、物質的生活の根本的優位性を説くマルクス主義哲学であり、そして精神的生活の重要性を説く実存主義哲学である。しかし、村山は、その双方の理論を人間としての観点から眺めてみれば、どちらも真理であることは否定できない。
それなのに、マルクスは、排他的ともいえる方法で、観念的哲学の一切を排除する。村山はそれが悲しい。また、実存主義は、実存が本質に先立つことの真理を、マルクス主義を認めても、実存主義の旗を降ろすことはできない。いったん旗を降ろしてしまうと、マルクス主義哲学の中に、一切の精神的真理は奪われ、彼らに支配されてしまうのであろう。カミュもそうであった、日本の実存主義的文学者の椎名麟三もそうであったように、彼らは、マルクス的闘争の中に身を委ねることはできなかった。
そう考えると、双方とも真理であるという二つを生かす道はないものかと考える。人類の幸福と平和のために何か新しい解決策、理論、哲学が出てきてくれることを期待したい。
毎月二十五日が給料日である。今日は五月の給料日であった。湧き出るような愉しい気分である。それでも、心のどこかから聞こえてくる寂しい声はどうしてか。素直には喜べない自分がいる。給料が入っても何に使ったらよいか分からない。何の目的もない。村山の友人は今日はデートだと言っていた。村山には彼女はいない。ガールフレンドはいる。でもやはり彼女じゃなくては奢る気になれない。
村山は、去年の秋の夜以来、シンシア・トンプソンさんを好きになってしまっている。二十二歳になろうとしているのに、高校生見たいな考えの自分が恥ずかしい。でも、本当に高校生見たいに女性を好きになってしまうのである。これは村山にとっての愛とも言えるかもしれない。そしてその恋する命は燃え盛り、窒息しそうになっている。この愛が燃え上がるにまかせて燃え上がれ。
現実に振り返ってみると、村山には彼女と言える存在の女はいない。何て淋し過ぎる給料日なのであろう。他の連中が羨ましく思える。
一時限目の講義を終えての帰路、偶然にもシンシア・トンプソンさんに出会った。今までの打ちひしがれていた自分の命が、一転霧が晴れたように、明るくなった。現金なものである。彼女はサクランボのような可愛い眼を村山に向けて、もう帰るの? と聞いてきた。村山は、自分の心の変化を気付かれないように装いながら、「うんそうだ。」と冷静に応えた。
「シンシアさんは二時限目は受けているの?」と村山が尋ねると、村山の眼を覗き込む様な仕草で、「うん」と言った。
このときに村山の本心は喫茶店にでも誘おうとしていた。今日は給料日彼女にこのすべてを奢ってあげようと考えていた。村山たちは人通りの多い路上でじっとお互いを見つめ合っていた。通りすがりの人々はそれを横目で見ながら通り過ぎて行った。しかし、気の弱い村山は一言、思っていることを伝えることができなかった。
そして、心に思うことと全然違うことを喋っていた。
「歯の痛み治った?」
先週彼女は歯が痛いと言っていたのを思い出したからである。なおも村山は喋り続けた。
「早く歯医者に行った方がいいよ」
そのあと、何も自分の心の言いたいことを言えずに、彼女とは別れてしまった。言いようもないぐらいの悲しみと後悔の念が村山に襲いかかってきた。給料袋の重たさが、なぜか足取りまでも重くさせ、半泣きになりながら下宿へと向かった。
本年度の前期授業が開始したが、村山はほとんど授業には出ていない。第一、教科書すら一冊も買っていない。参考書はいわずもがなである。金がないから買えないのではあるが、絶対買えないかと言えばそうではない。買おうと思えば買える。毎月の小遣いを減らせばいい訳であるから。
しかし、その都度における購買欲求は抑えることはできない。せめてもの慰めを何かを買うという購買欲求で紛らわせているからである。村山の購買欲求というのは、世間の奥様方によるヒステリックなまでものショッピングではない。もっと人間的なものである。
村山はまた、ペシミストである。生への意味も何にも感じられない。村山は生きているが、死のうと思えば、何時でも死ねる。それでも村山は生きる。全宇宙的な生命の存在意義を覆すことはできない。破壊することはできない。生物的存在意義は自然淘汰とか常住壊空とかという真理は否定できない。
ペシミストになるのは、人間だけである。他の諸動物は、生きることしか運命付けられていない。他を殺してでも生きていく弱肉強食の世界で生きている。生命連鎖のなかで生きている。人間だけである。自分で自分を苛み痛めつける動物は人間のみである。
人間は悲しい存在である。荒涼とした砂漠の真ん中でひたすら水を求めて生きている生物みたいである。死ねば水を求めて苦しむこともない、楽になれる。しかし、人間は死ねない。その日その日を満足はなくても息をし、水を飲んでいれば生きられると思っている。血潮まで沸き立たせる太陽の焼きつけるような暑さを耐えつつ、この砂漠もいつかはきっとオアシスになると信じている。その人たちは知識人階級に多いように思う。馬鹿な話である。砂漠はいつになっても砂漠のままである。逆に砂漠が進んでいるとも聞く。それでいいのである。無理にオアシスを造ろうと熱心に殺戮合戦までやっているのは愚かとしか言うことができない。ここまま、そっとしていてくれと、村山は叫びたくなる。
ああ自分は一体何を言っているんだろう。村山の頭の中は苦悩の破片で、ごちゃごちゃになっている。その中で最も大きい破片は恋病である。村山は職場の女性が好きになった。その子は二十歳で村山の二つ年下である。ミニスカートがとても良く似合う色白の可愛い子である。名前は瀬川玲子という。それまでは全然眼中になかったのに、急に村山の目の前に現れてきて、気が付けば村山の心を占領してしまっている。そして、今や、学園のマドンナであるシンシア・トンプソンさんを凌ぐぐらい好きになってしまっている。今では息もつけないぐらい胸が苦しいまでに恋が芽生えてしまっている。村山は、自分は本当に気が多い男であるとつくづく思う。どうしたらいいのか自分でも分からないぐらい女性を好きになってしまう癖がある。こんな自分もまた自分という存在なのであると思いこんでしまうのが常である。
しかし、例によって、その女性の方は村山を全然気にしない。片思いである。彼女は村山の同僚の高藤茂二を好きなようである。その高藤よりは村山の方が、彼女のことを熱烈に好きなのであるが、そんなことは彼女にとって一向に関係がない。その高藤はモテ男である。モテ男の要素をすべて身に付けている。身長は百六十七センチあるかないかで低いほうだが、顔はジョージ・チャッキリスのような甘い笑みをいつも浮かべている。彼にはちゃんとした彼女もいる。伊達男の象徴みたいな奴である。
その男は、村山の片思いの瀬川玲子さんを、弄ぼうとしているように見える。村山はどうしたらいいのか分からない。その男は、慣れた素振りで彼女を取り込み、巧妙に自分の手元に置いているようにも見える。彼女が不幸になろうとしているのを、黙って見過ごすことはできない。高藤が彼女と仲良くしているのを見るのが、辛く腹立たしく、胸が痛む。こんな苦しい想いはシンシアさんには感じなかった。一体どうすればいいのであろう。
腹の立つことのみ多くありけり、苦しさ募る日が続きけん。われは淋しきなり。好きな彼女には好きとは言えず、臆病な男なのか、悲しさだけが身にしみる。
今日は、その悲しみ苦しみから逃れるために大阪国税局で働いている藤山一平君と飲みに行った。藤山一平君は九州男児で、なかなか男気があり、男前である。彼と話をしていると不思議に心が落ち着く。村山より一つ年上の兄さんであるが、それ以上に大きな存在に見える。藤山君のお陰で少し生きる勇気をもらえた。自分の彼女に対する真心を持続しさえ続けておれば、いつかきっと分かって貰える日が来る。その日まで、こちらは誠意を尽くせばよい。それが理解されないような女とならさっさと別れたほうが良いと藤山はアドバイスをしてくれた。彼と話をしていると落ち着く。さあ今日からまたがんばるぞうという気持ちが湧いてくる。
七月も十日となった。日記は言うまでもなく、小説・詩・短歌などの文芸、現象学、実存主義などを中心とする村山の勉強は、五月下旬から下降状態である。そのどん底のスランプから今ようやく抜け出し掛けている。長かった。辛かった。悲しかった。この一か月と十日間、一体何をしてきたのであろうか。自分のよって立つべき座標を失い、人生の放浪者であった。今もまだ放浪の身には変わりはないが、フォークグループ「白い羽根」の活動が開始したことにより、そのメンバーの一人として、自分の立ち位置が出来てきた。自分の地盤ができてきたのである。
村山は若かった、何も知らな過ぎた。それもそのはず。村山は若者なのである。不安、葛藤や暗夜の放浪など、若者の特権であるのである。自分がこの人生を無鉄砲なまでの若き血潮をたぎらせ生きている若者であることを忘れてはならない。やっと今そのことに気がついた。
勉強もよかろう。遊ぶことだっていいだろう。しかし、若者である特徴を活かせずに、気難しく老練な文学者や哲学者を目指し、焦っていた自分は若年寄のような人間であったのである。しかし、村山を責めないでほしい。村山は一生懸命なのである。少しでも早く、自分の生活の安定を得、家族の幸福はもとより、全人類の幸福や平和にまで貢献できる人間になりたいのである。一度、この人生を否定した村山が、今残された道は、ただ一つである。それは、この尊い生命を全人類のために、死ねない人々のために貢献することである。
少しでも楽しく、安定した生活ができる国を建設するために、この命を捧げよう。そう思った村山は、まず、マスコミの世界に飛び込もうと考えた。それが、一番効果的な方法であることを知っているからである。
村山は焦り過ぎたようである。文学においても、自分でもかなりの勉強をし、研究もできたことは間違いない。また、哲学においても、現象学を出発点として、実存主義、マルクス主義を統括的に捉えた理論を打ちたてられることが分かってきた。
とにもかくにも自分が大切なのであろうか全人類のためとは言っても、生きている限り、村山は自分という一人間なのである。生身の人間なのである。自分の生活を犠牲にしてまでも全人類に貢献することが果たしてできるのであろうか。それができるのは、キリストかお釈迦さまぐらいであろう。
頭の中だけでは、理想は言える。しかし、現実は厳し過ぎる。頭の中だけで知っていることだけでは何もできない。人生は苛酷なまでに牙を剥いて襲いかかってくる。例えば失恋という心の痛手である。今だかつて恋愛経験はないに等しい。好きなひとはできるが、その女に受け入れたことはない。求愛すらしたことがないのである。自分に自信がないのである。もし、求愛した後で断られたらどうしょうと考えると勇気を出して、行動には移せない。弱虫なのである。軽くアタックすることはできる。このジャブのような軽いアタックで様子を見るのである。そうは言っても、自分は突っ張っている。嫌いな振りをしてしまうのである。これが駄目なんだ。
村山は一生女性から愛されることはないのか。こう考えるとものすごく悲しくなってくる。鏡に自分の顔を映したら、目には涙が溢れていた。それを見てさらに噎んでしまう。それでいいのである。そうすると、カタルシスというか気が楽になる。自然に心も落ち着く。ナルシストなのかもしれない。自分が好きなのである。明日にはいいことがあるように願いながら、今晩も長い夜を迎える。
梅雨もこのときばかりとよく降る。いつもよりは激しく荒れ狂っているようにも思える。日本各地では大きな災害が次々と生じている。死者も大分多く出た模様である。家屋も被害が大きく、京都の清水寺の中のとある堂も全壊したというニュースが流れた。
自然災害は何と恐ろしいものか。過去、人間がこの世に現れてからは、我々人類はその自然の脅威との戦いを繰り広げてきた。しかし、自然の脅威に勝てた試しはない。現代においてもその脅威からの克服はされていない。
恐ろしいことは自然災害に限ったことではない。人工的災害ともいえる原子爆弾の製造である。核兵器開発の脅威である。この問題は今後さらに大きく村山たちの生活を不安定なものとするであろう。
さらに、交通災害がある。交通事故死は一万人を超えている。これは戦争である。これらの人間が作り出した脅威である。もともとは人類を幸せにすべき科学が守るべき人間に対して牙をむく。人間の愚かさはこの上もない。
今日は人間の心の複雑さ難しさについて考えている。人間の心は全く不可解にできている。自分のことすら、何も分からない、ましてや他人のことなど分る筈がない。人間の幸福を追及する宗教や政治がいくら頑張ってみても、心の中まではどうしょうもない。
人間はその善意を示そうとするとき、行動に移さない限り、他人に認めてもらえない。いくら他人に見せても誤解をされる場合もある。特に村山はそのくちである。
村山は一生懸命、全人類の幸福を考え、その観点から行動を起こす。しかし、日常の生活ではそんなことは全く不必要と思える。日常生活においてはお付き合い主義を実行する人が、最も信頼され、善玉であるとされる。反対に全人類の幸福とか何とか言って政治活動を始めるような人は大抵悪玉とされる。
いつも上司からは白い目で見られ、同僚からは馬鹿な奴だと言われる。このギャップが切なくて淋しい。この悲しさや過酷な沈黙と対決をするのである。彼の周りの人は誰も彼の真意をしらない。彼は知らせようと躍起になる。しかし、躍起になればなるだけ、彼は日蔭者扱いをされる。
彼とは、もちろん村山のことである。縁の下の力持ちと言えば聞こえは良い。反対側から言えば日蔭者ということになる。切ない世の中である。
昨夜までの雨はどこへ行ったのか。今日は雲は多いながらも、空は明るくなってきている。今日は、ドイツルネッサンス、アルブレヒト・デューラー展を鑑賞しようと、地下鉄扇町駅に朝の九時に集合した。集合したのは、フォークソンググループ「白い羽根」のメンバーである。しかし、あにはからんや集合時間にきているのは、シンシア・トンプソンさんだけであった。まあ、彼女がいればそれで十分で、野郎たちは来なくても別にいいと思いかけた途端、シンシアさん振る白い手が一瞬にして残酷な斧に変化した。あっという暇もなく、村山は、「いや、いや・・・・・・。それはどうも。・・・・・残念だなぁ。」という具合に驚愕と寂寥との混沌とした中で、ただうろうろするばかりであった。
そんな村山の深層心理に気がついたか気が付いていなかったのかは定かではないが、彼女は村山に言った。
「自分も残念やけれど、しょうはあらへん。友達が夕方来ることになっていたのが、今朝になったんや。ごめん。かんにんやでぇ」
しかし、彼女の口から発せられる言葉も上の空で聞いていた。悲しき天使の飛翔するのを、目に一杯涙を溜めて、ただ茫然と眺めるしかなす術はない。今度行われる予定のクラス会有志のよる「大台ケ原登山」を承諾して、もういちど電話を頂戴とだけ言い残して立ち去っていった。
その後、空虚な時間が流れた。あとは、「白い羽根」のリーダーの下山良郎の到来を待つばかり。彼なら、我に救いの手を差し伸べ、我を慰めてくれるだろう。しかし、一時間過ぎても救いの主は現れない。あの真面目な几帳面な彼が現れぬ。悲しみは更に深まり、悲嘆の涙を拭いつつ、独り立つ駅前は、この世の悲しみを全て吸い込んだかのような色に染まっていた。
思い悩んだ末、クラスメートの黒木千尋さん、木村幸代さん、薮田ひとみさんを誘おうと思い、電話ボックスへと急いだ。いざ受話器を外し、電話を掛けようと思ったが、残念なことに電話番号が見当たらない。これはいかんと思い、再び悩んだ末、藤山一平さんに電話をし、電話番号を聞き出そうと思った。しかし、こんな時にどうしてこのように悪いことが重なるのか、藤山は不在であった。打つべき手は打ち、考えられることはすべてした。最後に残された道は、一旦下宿へ戻り、電話番号帳を捲ることしかない。
やっとのことで、小渡千里さんに連絡が取れた。彼女が一緒にデューラー展に行ってくれることになり、招待券は締切日の今日に間に合い、無駄にせずに済んだ。小渡さんは、その後、淡路の東邦映画館の下にあった喫茶店で、時間を過ごし、将来のことや、村山の文学の話などをした。彼女は非常にしっかりしている。岡山出身の女性はみな顔立ちがはっきりしている。彼女もそうで、気性も同じぐらいはっきりとしている。強い女性である。きっと素晴らしい妻となっていくに違いないと思えた。
ところで、デューラー展はどうだったかと言えば、これもとんとん拍子に話が進んだわけではない。開催場所の京都国立近代美術館を捜すのも一苦労であった。昨日、そこへの行き方を教えてもらったばかりであったのに、全然分からない。それでも、小渡さんを横に引連れている手前、無様な姿は見せられない。あくまで知ったか振り。彼女も安心した顔付きである。しかし、そんなことがいつまでも続くわけではない。歩いていた方向に行止まりがあり、引き返し手元の道へ戻ったり、散々な目にあった。彼女もついに不安そうな顔をしながらも、こっちへこっちという村山の後を追い掛けるように健気に付いてきてくれる。
あまり申し訳ないので、通りがかりのハンサムなお兄さんに道を尋ねた。ほとんど哀願するような気持であった。お兄さんは、良く分からないといいながらも、西の方向へ行けばいいと教えたくれた。彼女もすっかり疲れた様子で、申し訳ないと思いながらも西へと向かった。そこで、再びガードマンを捕まえて、最後の力を振り絞るように聞いてみた。それで、やっとのことで場所が分かり、ぎりぎりセーフというか、なんとか辿りつけたわけである。彼女の脚も村山の脚も棒の様に硬くなり、もうこれ以上歩いて館内を回るだけの体力は残されていなかった。
デューラーの「悲しみのキリスト」の絵が妙に心に残った一日であった。左手には受難の刑具を持ち右手は頬にそえられ全身からは血が流れ、頭には荊の冠を被っているキリストの像。人類のすべての苦難と不幸を独り背負っているその小さな絵から、村山は強い衝撃を受けた。自分の人生はこのキリストのような生き方はできないが、自分が背負っている苦しみや悩みがこの絵の中でカタルシスのように感じてしまう。自分が考えたり思ったりしていることは、あまりにも稚拙であるが、気持ちが少しは楽になったようにも感じた。村山を誘ってくれた小渡千里さんには本当に感謝の気持ちで一杯である。
先週の木曜日に村山はミナミの地下鉄千日前線の出口の近くにある音楽喫茶「ウィーン」で、またまた一人の女性を好きになってしまった。このすぐに女性を好きになる癖はどうにかならないものなのか。本当に気が多く、誰でも好きになってしまい、自分でも嫌に思えるときがある。好きになった女の子は、その店のウェイターである。
ちょうどその日に、「泉谷しげる+古井戸」のフォーク・ジョイント・コンサートの前売り券を買うために、心斎橋筋商店街の中にある「三木楽器店」の店 内に設けられている「プレイガイド」へ出掛けたが、すでに受付時間の六時を過ぎていたため買えなかった。
仕方なく折角難波まで来たのであるからと思い、その帰りに立ち寄ったのが音楽喫茶「ウィーン」であった。この店はかなり以前から、ライブラリー和男くんや堀田学くんなどのクラスメートと何度も足を運んでいる行き付けの店でもある。クラシック側の席とポピュラー側の席があり、その日は初めてポピュラー側の席に座った。そこで、偶然にもウェイトレスの可愛い彼女、名前は神さんという。その時、村山は三木楽器店でもらった吉田拓郎のコンサートのパンフレットを持っていた。それを見たウェイトレスの神さんは「たくろうのコンサート行ってきたのですか?」と人なつきやすい黒く眼で村山の眼を覗き込むようにして見てきた。すこしたじろいだが、すかさず村山は応えた。
「いいえ。ちょっと。そこのプレイガイドまで、フォークコンサートの券を買いに行ったんですが、間に合わなかったんです。それで、このパンフレットを貰って来たんですよ。たくろう好きなんですか?」
神さんは、大きな眼をさらに拡げながら「大好き!」と叫んだ。
その後、その店で一時間ほどポピュラーソングを聞きながら、読書をして帰った。
明くる日、村山はどうしても、喫茶ウィーンの神さんのことが頭から離れなかった。そして、思い付いたのが、「泉谷+古井戸」のジョイントコンサートに神さんを誘ってみようと考えた。そう思うとすぐに、喫茶「ウィーン」へと向かった。二日連続して顔を出せば、疑われはしないであろうか、彼女に嫌われはしないだろうかとあれこれ思案しながら、店の中へと入っていった。今日も彼女が来てくれた。偶然が二日も重なるものではない。これは必然なのである。彼女も村山に興味を示しているんだと思った。しかし、本の間に挟んだままのチケットはなかなか取り出して渡せなかった。どんな音楽が流れているのかもコーヒーの味がどんな味だったかもわからないぐらいの気持ちで、一時間も費やしてしまった。
もうこれ以上は粘れないと考え、村山は席を立ち上がって、カウンターへと向かって歩いた。その途中にでも彼女にチケットをカウンターでレジをしている女性に預けようと考えた。そう思いつつも実行されない。勘定は済ませた。そのあと少しだけカウンターの前で佇みながら思索した後、レジの女性に声を掛けた。
「あのう、すみません。この券をあの黒い服を着ているウェイトレスさんに渡してもらえますか。お願いします。」
もう村山の胸は高鳴り張り裂けそうであった。承知してもらえた。その四日後ぐらいに彼女から電話がかかってきた。
このコンサートは結果失敗に終わってしまった。それというのも村山が悪いのである。待ち合わせ場所を指定でき損なったのである。地下鉄堺筋線の北浜駅のホームの上に四時とか言ったのであるが、ホームがあまりにも広くどこにいるのかもわからなかったのである。それっきり彼女とは、会っていない。
八月に入り暑い日が続いている。ところで、今日という今日は我が身の汚さを思い知らされた。村山は些細なこと、取るに足りないことで自分の心を費やしている自分の愚かさを知らされた。今までは、清らかで美しき理想に燃え、全人類の愛と平和のために、我が身を全て投げ出し、全宇宙のなかで我一人立つという意気込みでいた。しかし、その理想も、現実的実際的には、村山の行動は全然駄目である。全人類はおろかたった一人の人間に対しても、その思想を実践することができない。とびきりの大馬鹿野郎と自分を苛んでも、苛み切れない悲しみが横たわっている。人間は現実を直視し、ひとつずつ、蝸牛のようにゆっくりでも良い、日前進し続けることが大事である。そうすればそれなりの素晴らしい人生を築けることは間違いない。
村山の行動は、五月上旬に以前から書き始めていた小説「座標のない生活」を書きあげた。それから何かが大きく変化したように思う。それまでは、大きな夢や希望というアドレナリンが頭の中にあったお蔭で、自身の矮小さ醜さ愚昧さを隠すことができた。しかし、今はそのアドレナリンが消えてしまい、観念的生活の中だけでは生きていけず、現実の生活にぶつかってしまっている。この現実という実態が、村山の観念的生活の仮の象徴である夢や希望という偶像を破壊してしまうことになりはしないかと悩んでいる。
自分では、実存主義とマルクス主義の融合を目指し、その理論を見つけて、まさに希望に燃え全人類の幸福のために出発しようと思っても、現実の生活の壁が襲いかかってくる。
一番問題なのが、村山があまりにもその仮の象徴である夢や希望の偶像の世界にうぬぼれてしまうことである。これが人類最後の究極の哲学であると思い、舞い上がり、自分は世界一の偉い男であると思ったりすることは、あまりにも独善的自己中心的である。
自分が例え凄い思想なり哲学を掴んだとしても、一人の市民として、まずしいアルバイト学生であるということは忘れてはならない。
そんなことも忘れ、現実という実像と夢という仮像のギャップに苛立ち怒りながら「てめえら、いくら偉そうに言ったって俺より馬鹿なんだ」と叫んでみてもそれは自分の頭の中のことでしかない。外には一歩たりとも飛び出していないのである。空想の観念的世界なのである。このギャップが村山の今のスランプを作り出していると思う。
しかし、この経験を無駄にはしない。虚飾の太陽は、結局、虚飾でしかない。当たり前のことが当たり前では無くなる恐怖と自己欺瞞、これらに打ち克ち、この広漠と広がる砂漠の人生に立ち向かおう。汚れた一人の人間かも知れないが、現実の実像にしっかり対面しながら蝸牛のように少しずつ前進しよう。いま一度、理想と夢と希望を高く掲げながら歩み続けよう。
ねっとりとして、茹だるような暑さも、暦の上ではもう秋となり、すこしは和らいだようなきがするこの頃である。それと同時に村山の心の夏も、いまやその終焉に近づきつつある。この世の恋という苦しみと悲しみの重圧に押しひしがれそうになりながら、三か月も堪え抜いて来ることができた。不思議なぐらいである。もうこの世も終わりかと狂うように悩んで地団太を踏んだことが遠い昔のような気もする。しかし、まだ油断は許さない。回復の兆しが見えてきただけの段階かも知れない。まだ、心は、泥沼の底を這いつくばってのそのそと歩いているようなものである。ここまま終わるわけにはいかない。人類の幸福と平和の哲学を完成させなければならないからである。
それにしても、この言いようもない侘しさと切なさはどこから来るのか。その精神の空白を埋めようと、深夜に目を覚まし、アランドロンの映画「太陽がいっぱい」の映画音楽を聴きながら、インスタントコーヒーを入れてカタルシスのような気持を味わっている。
部屋を見渡すと、本が散乱し埃を被っている。レジ袋や紙屑、コーラーの空きビンなどがあちこちに転がっている。自分の心を映し出しているかのようにデカタンスの生活のように広がっている。村山はどうして、楽しい団欒の生活ができないのか、両手を思い切り広げて休める場所がないのであろう。この世の中で、村山の心の落ち着く場所は本当にどこにあるのであろう。
今日は村山三郎の誕生日である。楽しい筈の誕生日というけれど、村山にとっては悲しい日である。この世に生まれ来た時から悲劇が始まっているからである。産まれて来なかったら悲劇を味あうこともなかったろうに。
入学以来同じ方向に帰るクラスメートや学友と自然発生的に、仲好グループができた。男四人、女二人のグループである。英文科のメンバーが四人、後の二人は独文科である。
お互い親睦を深めるために、鍋パーティをやったり、誕生会をやったりしている。しかし、今日の村山の誕生日には誰からも電話すらかかってこない。独りぼっちの誕生日だ。別に祝ってもらうつもりはないが、なぜか淋しい。本当に友達が欲しい。なんでもわかってくれる本当の友達が欲しい。口に出さずとも理解してくれる友が欲しい。一生一大のお願いだ。
村山の下宿から歩いて十五分もかからない所にある古いアパートに住んでいる独文のマイク直也君を尋ねた。かれは寝ていた。村山の叫ぶ声にびっくりして飛び起きてきた。彼は、今日が村山の誕生日であることを知らなかった。あえて言わなかった。彼だけは本当の親友だと信じたかったからだ。
太陽は徐々に傾いていき、あの力強い光線は萎えていき、やがて秋の優しい光が枯葉の地面を照らす。厳しい夏の暑さは去り、それと同時にあの夏の思い出も一緒に去って行く。秋は、あたかも季節の寝室みたいに、安らかな心の平安をもたらせてくれる。村山は、この寝室にひっそりと入り込み独り、深夜の遠くの灯りを見ながらぼんやりと煙草を燻らせている。この静寂とした街では、一体何が行われているのであろうか。何かが行われ、何かが消え去っているようである。人生とは儚い星の輝きのようなものとは思いつつも、なお、その人生をあらん限りの生命力で生きている人々。それでいいのである。それが健全な生き方だ。
暗い屋根の下で、手元だけスタンンドライトを付けて、村山は文章を書いている。たった一度のこの人生を大事に生きようと思いながら、筆を進めている。しかし、何という多くの苦悩と葛藤がこの世には充満しているのであろうか。心の奥底にはべっとりと喰い付いて離れないコールタールのような宿命や運命の鬱陶しさ。生きるが故の苦しみ。もろく一瞬で破壊されて粉々になってしましそうなガラスのような人生。今にも悲鳴を上げたくなる様な、この気持ち。でもそれだから、この人生は美しく、煌きながら、その一生を全うしようとしているのか。なぜか、細心の注意を払いながら歩んでいこうと、一生懸命足掻くように、足を一歩ずつ前へ前へと引き摺るように動かそうとしている。
人生を愛するがゆえに苦しみ悩み、自暴自棄になってしまうことも多々ある。弱い酒を無理やり煽り、生きる苦悩からから脱出を図ろうとしたことも数多くある。味方ともいえる友人に醜い言葉を浴びせかけたこともある。田舎に住む、素朴は父母や兄弟に吐き捨てるような、この家で生まれたことに対する恨みや嫌みの数々。眠れない夜が何日も続き、吐きそうになりながら生き続けてきたこともある。それでも村山は生きようとしている。これでいいんだ。
愛する女は村山を避けて、ことさら遠くへ遠くへと旅立ってしまう。村山は、必死で、涙とも汗ともわからないもので、顔をぐちゃぐちゃにしながら、彼女を追いかける。でも、その悲しいまでもの村山の気持ちは、分厚い防音ガラスに跳ね返されたように、彼女には届かない。所詮、この世の日陰者、好きな人にも憎まれ、守ってくれる人々からも疎んぜられる。なんと悲劇的な運命の星のもとに生まれたものかと、独り自分を慰める。
しかし、とにかく何とかこうにか村山は今日まで生き延びることができたのである。そして、明日からも生きていこうとしている。心の深い痛手は、一生癒すことはできないかもしれないが、この痛手を耐え抜くことから得た心の強さは一生失うことはないのであろう。これが村山の偉大な生き方、苦しみや悲しみを楽しみや嬉しさへと転換していくことができるという、切り札とも言える究極の信念。
今までもそうであった。生まれてきてから二十二年間村山は常に堪え続けてきた。今回もまた、失った恋の苦しみの心の痛手から立ち直ることができるのであろう。これが村山の生きる信念であるから。
地下鉄御堂筋線のあびこ駅へ向かった。社内は冷房がよく効いていた。日曜日なので、シートに座っている人々はほとんど買い物か町ブラかと思われる人々で、サラリーマンや学生風に人々はほとんど乗っていない。よくしゃべる中年の女性の三人連れや、子供連れの夫婦、入り口のドア付近で少し肩と背中をドア手摺に預けるようにして立っている青年、本を読んでいる若い女性などが目に付く。
今日、アルバイトに行っている会社の先輩の西山和則さんの引っ越しがあり、その手伝いをするために、あびこ駅に集合することになっていた。残念ながら二十分の遅刻をしてしまった。運送屋のトラックも二十分遅延したおかげで、村山の遅刻は帳消しとなった。
お昼ごろまでに、一応、出発の準備を整え、運びはじめたが、引っ越し先が近所であったため、二時間ほどで案外早く引っ越しは終わったしまった。そのあと食事を奢ってもらい、夕刻には下宿へと帰っていった。
時間の経過的には、こういう一日であったが、その内容はかなり自分にとっては濃い内容であった。要約していえば、西山和則さんとその奥さんの温かい緩い生き方に感服したことである。西山さん宅の平凡であるが楽しそうな生活方式。はたまた生き方が、村山の人生にも大きな影響を与え、それが村山の生き方を一転させるかもしれないというものである。
人間ってそんなにあくせくと死にもの狂いで、悩み足掻き、重い脚を引き摺るような生き方をしなくても生きていけるんだという、質素ではあるが豊かな日常生活、温かいご飯とみそ汁、そして野菜やお肉お魚、すべてが家族や夫婦という生活を形成していることに気が付いたのである。その日常的な当たり前の生き方が、村山の今までの気難しい暗澹とした人生を温かく包み込んでくれ、生きているという実感を与えてくれたのである。ここにこれからの村山の人生の将来があるように思え希望が見えた気がした。
もう九月も八日になってしまった。村山は、独りの少女を好きになった。その女は、村山と同じ仕事場の日経新聞社の経済部の証券デスクで働いている。瀬川玲子さんである。今年二十歳になる、瑞々しい少女である。何か、子供のころに出会っていて、そのまま大人になってからも好きな人のような、懐かしく新鮮な少女である。それが最近なぜかその子を好きになってしまったことを後悔している。何か事件でもあったわけではないし、振られたわけでもないが、なにか虚しさを感じるのである。不思議なことに最近の方が自分と距離が縮まっているように思えるのにも拘わらず、村山は何かうつろな寂しさを感じる。村山が彼女に逆上せ上っていることが滑稽に思える瞬間があるのである。それがどうしてだかはわからない。
予測はできる。それは、村山が彼女を好きになることによる、自己欺瞞となり、自分らしく生きられないからだと思う。村山は、最近までは、長髪を切り落として、普通の個性のないサラリーマンのような平凡な男になっていた。それが、彼女を愛し始めたころから、だんだんと髪の毛も伸ばしだし、服装も今風のルックスに変え、表面的には格好の良い青年に見えるようになっていった。このスタイルは、自分の内心から必然的に出てきたいわゆる自然発生的なスタイルではなく、彼女の気を引こうとしたことによるものであることは確かである。よく動物の雄が羽などを大きく広げてメスの前で気を引こうとする本能的行動とよく似ている。
彼女の影響で、自分自身の今までのまじめで清潔感あふれる姿から、格好をつけた派手な青年としての生活を始めた。そのことが村山には空しく、寂しいのである。この村山の行動も一概に非難はできないかもしれない。人間と人間との接触、仏法的には「縁」というが、その人間対人間による切磋琢磨が、人間としての成長につながることを知っているからである。弁証法的にはその行動は「相互浸透」と言い、高く評価している。そんなわけでその村山の求愛行動のようなスタイルの変化は、たいして問題とはならない。
しかし、大事なことはそれが行き過ぎて過激な行動と走っていくならば、それは謝った行動と言える。そして、それが高じていくと「自己疎外」という問題に発展してしまう。内面の自己と外面の自己との疎外が生じるのである。その愛が成就して、良い結果となれば良いが、片思いとなり、一方的な行動となればそれは虚飾的人生となり、自己欺瞞の生き方となってしまう。一方的相互浸透はだめで、やはり送双方が想いを交わさないといけない。村山の場合、そのダメな方である。そのため、自己疎外を感じ、自己欺瞞を感じ、虚しさを感じてしまうのであろう。このような自己疎外の問題が深刻化するのは、かなりの実存的な人間疎外の問題が、この現代に広まっているのかもしれない。
最近、精神状態が危険な状態が続いている。もう駄目かと思う時がある。それも日に何度もある。なにか村山は異常である。でも村山は自分自身を信ずる。自分自身の先祖代々受け継がれてきた精神の強さ、優しさ、そして賢さを信ずる。
これを書いていることすら異常に思えてくる。今、自分の頭の中には、太宰治や芥川龍之介、そしてアルベール・カミュの顔がチラついて見える。特に芥川の印象的な深刻な顔が、村山に語りかけてくる。君も狂えと言っているように思う。
弱いガラスの管の心を持っているのか。村山の心は、今にも壊れそうに思える。少しの振動でも、そのガラスの管を砕くのは容易いのではないかと思う。そのことに対して、立ち向かう術がないように感じる。すぐにでも大きな音とともに粉々に砕け散っていくのではないかと思える。
自分が悲しく愛おしくなってくる。ナルシストと言われても構わない。それでいいじゃあないか。人間は悪い。心の清き人は馬鹿か。心の弱い人間は糞か。教えてくれ!
ああ! 人間! 何と弱く移ろい易き心を持っているのである。昨日は敵、今日は友と昔からよく言われるが、その逆も含めて全く人間の考えていることはよく解らない。女心と秋の空ともよく言われるが、どうもそれは男心と秋の空だろうと思える。それぐらい男心は変わり易い。
人間は様々な心を持ち、千差万別である。ほんの些細な縁に触れて、人間はその心を簡単に変えてしまう。心に一貫性、信念らしきものがないようである。人間はすべてに、幸か不幸かその体と同時に心も持ち合わせている。ただその個人的要素が、その人の生い立ちや家庭環境、経済的理由のよって、その現れ方が大きく異なっている。
そんなことを意識しながら生きているわけではないので、意識せずに済んでいる人は幸せである。彼らは人間関係でも悩まず、人生をスムーズに生きていくことができるのであろう。一方、意識する人々は悲しくもあり、壊れやすい人生ともなる。彼らは、人間関係においても、自分に嘘をつけずに、他人から見ればニヒルにも見えるような生き方をしてしまう。そのせいで、まわりの人たちから誤解され、疎外され、人生が辛く厳しく覚えてくる。
時間はめざましく進んでいるのにも拘わらず、村山は、ひとつの場所に執着して、停滞してしまう。外は小雨が降っている。わたしにはそんなことはどうでもよい。村山は四畳半の間借りした部屋で、あたかも心に楔でも打ち込まれてしまってかのように、微動だ。何なのだろう。この心の奥底から込み上げてくる、苛立たしさ、嘔吐をしそうな気持の悪い気持ちは何なのだろう。今まで生きてきた時間が、すべて幻であったかのように村山の頭の中をぐるぐる回りながら、萎んで消えていく。
愛する故に苦しまなければならない男心の悲しさよ、自分自身までも置き去りにして燃え盛るのか。いくらこの暴走を止めようと思っても、どうにも防ぎ切れない。人生の極限を生きているような毎日である。
その村山を狂わせている女の名前は、瀬川玲子さん、今年で二十歳になる同じ職場の女性である。華奢なスタイル、それでいて女性らしさが滲み出ている京女である。ミニスカートがとってもよく似合う。一見、気が強そうにも見えるが、心は清純で、そのギャップに参ってしまった。どちらかというと美人顔ではない。どちらかというと古風な感じのする女性である。
村山は彼女にいつの間にか魅せられてしまった。一体どうすればこの気持ちを整理できるのであろうか。そんなことを考えていると、勉強は手につかない。なぜか胸が詰まるように痛み、こんな苦しいことが続くのなら一層死んでしまった方が良いのではないかとも思う。ある科学者はこう言っている。「人間の性に源泉を持つ愛という感情は、一種の人体の遊びのようなものである。それがなくとも、人間は生命の危機を感じない。その代り、生きるという歓びも湧かないであろう。」
村山は、とりあえず生きなければならない。人を愛さなければならない。この片思いを続ける男心の悲しさを誰か分かってくれ!
村山は、何と駄目な男なんだろうか。本当に取るに足りない人間であるとつくづく思う。詰まらないことでよく悩む。くよくよ悩む。こんなことをしていては駄目になる、なんとかしなくてはと思っても悩む。これが自分という人間なんだと諦めようともする。
それにしても、この神経質なまでもの村山の性格はどこからきているのであろうか。この性格を直さなければ、一生、悩み続け、苦しみながら生きることになる。人生の敗北者になってしまう。最終的には尊い命すら投げ出さなければならなくなる。
無意味な人生とは知りつつも、尚も人間は生き続けなければならない。そう運命付けられているのであるから。人間が、いや宇宙ができた時から、生命は永遠に生き続けている。先祖代々、その命は引き継がれ、親を通じて自分という生命体がこの世に出現した。これは必然的なことなのである。ここから話を考えないと、自分の命すら軽蔑し廃棄してしまうことになる。それでは、本末転倒になる。
しかし、いま自分は、死にたいと思っている。無性に死にたいと考えている。瀬川玲子さんを愛してしまった苦しさから逃げたいのである。どうして、自分の気持ちをまず伝えることができないのか、小さな弱い心は逃げることしか考えない。十分、傷ついているのにこれ以上傷つくのが怖い。俺は駄目な男だ!
ひとりの女の人を愛する男純情の辛さ侘しさは今日も続いている。この泥沼のような生活から早く脱出したいのである。村山は最後の脱出を試みることにした。もうこれ以上苦悶の満ちた生活が永く続けば自分が駄目になると思うからだ。自己保存本能とでも言うのか、村山は自分自身を守ろうと行動をする。
その第一日目として、新興宗教的なものに入ろうと考えている。朝のお勤めなるものに挑戦しようとした。試しに、今日はいつもより、少し早めに起きて、お勤めの準備に取り掛かる。この準備とはいっても、祭祀を拵える必要もないし、経文を読んだりお題目を唱えたりする訳でもない。ただ、自分なりの方法で、お勤めとはこういうものかと試みているのである。まず、机の前の壁に向い「詰まらないことで腹を立てずに、今日も一日明るく生きていこう。」などと書いた宣誓の文字を書き、その文字を心の中で唱えるのである。精神統一をしながら、心の安定を図るのである。
これがかなりの効果があった。知らず知らずのうちに健康な精神を維持しながら。一日の生活を送ることができたのである。こんな、魔法のようなことはあるまいと思っても、現に見事に健康的な生活を送ることができた。
明日は、そうなるかは分らない。明日は再び、悲しみの涙と苦しみの涙が村山に襲いかかってくるかも知れない。それでも良い。とにかく我武者羅に足掻きながら村山は生きていこうと思う。生命は必然であるので、生きるしか自分の存在を証明できないと考えるからである。
それにしても村山は生きていること自体が侘しく虚しくてどうしょうもない。どうしたのであろう。一時は回復してきたかに見えた村山の精神の安定性が、また、悪い方へとぶり返しているように思える。とにかく悲しくて涙が止まらない。村山には、BBキングの「クロスロード」の苦悶する旋律と叫びが遠くから聴こえてくるようであった。胸が痛く、後から後からとめどもなく涙が溢れて出てくる。これは異常な精神状態だとは頭では分かっていてもどうにもコントロールできない。そのせいか、先ほどまでもう死のうと思っていた。
家庭から引き離され、友人から見放され、片思いの女性からは無視され、後村山は何を信じて誰を頼って生きて行けばよいのかと思うと、もう明日を生きる勇気をなくしてしまった。しかし、村山の本能的生命は、自分をこの世から抹殺することなど出来ない。椎名麟三も「自分は何度自殺を試みても死ねなかった。それで生きることにした」とある本に書いていた。自分も多分同じだ、死ぬことができない。死ぬ勇気がない。
何か一つに打ち込めるものが欲しい。それがあれば、村山は生きる勇気を持つことができるだろう。そして、その何かは「愛」だと思う。この「愛」に見放されてしまったら、死ぬしかない。村山は辛うじて、父母や兄弟たちからもたらされた義理的愛に縋り付き生きている。毎日、毎日、生存を伸ばすことができている、有難い父母や兄弟たちよ!
夕方頃、近くの中華料理店へ、この生存状態を少しでも伸ばそうと思い出かけた。ところが、付いていない時は、死に神でも憑いているかのように、ウェイターは三十分も村山の注文した「餃子」を運んで来ない。仕方なく再度注文をしたら、やっとのことで運ばれてきた。その「餃子」が運ばれてくる間の時間、待たされながら、村山は死のうと考えた。そして、その死への恐怖からか、それとも生きることへの辛さからかは分からないが、瞼の奥が熱くなり、目の奥の方からじわっと、熱いものが溢れてくるのを感じた。
そんなとき、脳裏に浮かんだのが、瀬川玲子さんの姿であった。しかし、その瀬川さんは、いつもの微笑を浮かべた彼女ではなく、冷たい視線で自分を見つめる彼女であった。
村山は本当に馬鹿な男であろうかつも自分で自分の首を絞めようとしてしまう。犬や猫は自分で自分の命を断とうとするのであろうか。昔、地震が起きる前に、大量のネズミが死んだとかなんとかいうことがきいたことがある。何かを予感して、大量に死んでしまうのである。そんな時には動物でも自分で自分を死に追い込むことがあるのかも知れない。しかし、それ以外に動物が自殺したというような話は聞いたことがない。それなのにこの村山は、犬畜生にも劣るような、愚行をしようとしているのである。
いつものように日経新聞社の経済部証券課のグループが仕事をするテーブルに就くと、あの瀬川玲子さんが来ていなかった。休暇予定表にもその名が無く、何か寂しさとショックが重なったような衝撃を受けてしまった。よくよく考えれば、そんなことで衝撃を受けるのはどうかしていると思う。あまりにも些細なことであるように思える。
多分,村山は生活の座標、人生の軸のようなものを見失っているのではないかと思う。「愛」を生活軸の中心に据えたことによる、衝撃であって、普通に生活をしていれば何でもないことであったのである。
村山は人間や多くの生物が持つ本能的生存に対する執着心を忘れ、さらに否定しかかっていたのである。狂っていたのである。人間はその長い人生で、幾多の困難や驚異的事件が待ち構えている。それらに対して、健全な人間は悠然と戦いを挑み乗り越えていくことができる。弱い人間、村山のような愚弄な人間は、それらと戦いを挑む勇気も姿勢もなにも持ち合わせていなかった。人間として生物として未熟で、反本能的生き方と言える。
一時は、過酷な人生に対して、悠々として構える姿勢を持ち生きながらえていたが、「愛」という魔の大軍に恐れをなして逃げていたのである。だとしても、「愛」そのものを否定することはできない。脅威となる「愛」もあれば。幸福をもたらす「愛」もある。その両者の愛は表裏一体なのである。そこのところを良く弁えていないと、幸福となる愛まで否定しまいかねない。
村山は、大人にならなくてはならない。どんな脅威が襲いかかって来ようが、それらを悠然と見下ろすかのように立ち向かい、処理していかなければならない。そんな人間になることが大人になることに繋がる。人間は苦悶や辛辣なことが多い方が、真の幸福を手にすることができる。また、あらゆることをうまく調和させていくことができるのも大人の証拠である。どんな難しい問題や課題に遭遇しても、対立ではなく調和させることにより乗り越えていく力。それを持っているのが大人である。
伊藤整は、調和型の人間が大事であると言っていた。果たして、人間は破滅型であったり、自暴自棄的になったりすることもある。太宰治などそう代表であろう。石川啄木もある意味近いように思えるし、椎名麟三もそうであろうし、自分もその中に入る。
村山は、自分の生活を自分の好きなように生きていきたい。しかし、現実はそういう生き方を行った結果、堕落して、とことん落ちるところまで落ちてしまった。
社会や時代はまだ、そういう生き方を認めてはいない。人間が好きなように生きるのが一番良いが、そうなれば、社会は大混乱、治安が悪く、安全さえ保証されなくなる。村山は貴重な生命を、やたら無駄にすることはできない。明日からは、どんな苦難や障害に遭おうが、敢然と戦いを止めず、生きていかなければならない。悲しんでばかりではいけない。むしろ、苦しいことや理不尽なことが起こってきたとき、それを喜んで受け入れるぐらいの器量が必要である。
明日からは、人生の運命や荒波に身を晒しながらも、一歩一歩、真の人生を求めてその道を歩もう。死んではならない。まず生きようと決意するのである。人類の明日のために。
村山は、今まで女みたいに生きてきた。村山は外界に世界との接触を神経質なまでにも気にするあまり。八方美人的に振る舞うことが常で、それによって外界の世界と繋がってきた。今、思えば、ひとつだけ分かったような気がする。それは、村山があまりにも男らしくないということである。どうして、こんな簡単なことに今まで気が付かなかったのであろう。自分自身に自信がないため、男らしく生きることができなかったのである。
村山は、ついに人生の裏側に直面してしまった。いままではロマンチックな青春時代を生きてきたが、これからはリアリズムの人生、大人の生き方をしなければならなくなった。
この前の日曜日、村山は、片思いの愛する女性を電話で呼び出して、交際を申し込んだ。見事に拒否された。彼女には彼女に好きな人がいたのである。それを知らずに馬鹿な村山は、苦しんできたのである。自分自身をおとしめてまで、醜態を晒し続けていたのである。恥ずかしも悲しくもあり、辛いことである。
今だからこそ、割り切ったように言えるが、振られた直後は倒れそうになった。すべてが真っ黒で、絶望的な暗闇の中を歩いているように思えた。汚れた四畳半の部屋で、畳に顔を擦りつけて泣いた。泣きに泣いた。畳が涙で湿ってしまった。そうして魂が抜けてしまったように、生きることができるかどうかでさえ分からない状態であった。
そんなとき、優しい母、父、家族の顔が浮かんできて、たまらなくない電話をかけに外へ飛び出した。下宿に戻ってからもまた泣いた。母はもう、田舎へ戻って来いと言った。その言葉に逆らう力はなく、素直に田舎へ最終列車に乗り帰ることにした。
故郷は良かった。すべてを包んでくれ、山や星までも村山に微笑んでいるように思えた。しばらく落ち着きを取り戻してから、再び大阪へと戻ってきた。精神安定剤を密かにポケットに入れていた。
村山は再び 一人の女性を愛していた。約六か月にもわたって苦しみ悩んできた。結局振られてしまい、その苦しい精神の安定を求めて、彼女と同じ会社は辞めることにした。同じ職場ではあまりにも村山の精神の良くないと思ったからである。
最後に賭けるような気持で、瀬川玲子さんに村山は交際を申し込んだ。
「付き合ってほしい」「友達でもいいからつきあってほしい」と村山は嘆願するように言い放ったが、彼女の返事は「自分好きな人がいるんです」だけであった。同じ職場の印刷部門の瀬川の彼氏が働いているらしい。本当なのか嘘なのかはわからない。虚飾に満ちたこの世の中で真実のことを言える人間がどれだけいると言えるのか。虚飾の太陽にまみれた不誠実な人間どもが、一見誠実そうな振りをして嘘を言う場面に嫌というほど出くわしてきた。モナリザの微笑みなどはどう見ても誠実そうには見えない。その視線は一体何を見ているのか。真実の太陽を見ているのか。それとも悪にまみれた虚実の太陽を見ているのではないのか。疑いは尽きないが、世間を渡る時はそれらもすべて受け入れて生きなければ生きてはいけない。
兎に角、村山は彼女から拒否されたことは間違いのない事実である。これだけ拒否されるともうこれ以上彼女に近づくことはもうできないだろうと思った。その悲しみと苦しみを胸に深く刻み込んだまま村山は田舎へ帰ることにした。田舎で心を落ち着けるしか、この傷心した自分を癒すところはないと思ったのである。
大阪に戻ってきてからも二日間、休養をとってから出勤した。瀬川玲子は休暇を取っていた。仙台に旅行に出かけたということである。六日間の休みだそうである。村山は何故か打ちひしがれていた。彼女に振られながらも、彼女のいない職場が火の消えたように寂しく思えたからである。彼女に嫌われたと思え、悲しく、もう生きている価値はないとまでも思えた。自分では彼女のことはすっきり忘れようと思っていた。それが彼女と彼女の彼氏のためにも一番いいことだと思えたからである。
頭ではそれがわかっていながら、感情的に忘れることができない。一時としても忘れることはできない。彼女は旅行を終えれば職場へ戻ってくる。村山はどうしても彼女のことがこの心の中から消えてなくならないことを恨んだ。
その時である、もう一度彼女にあたってみようと、変な勇気に似た気持ちが湧いてきた。最後の最後にもういちどアタックしよう。それで駄目ならば、彼女が村山には不似合いで合っていなかったんだと思うことにしょう。
村山はやっと分かった。虚飾の人生の悲しさ、虚栄の太陽の虚しさを、今日という日はよく分かった。そして、虚飾の人間は決して信用されないことも、そして、人から好かれないことも分かった。ましてや人から愛されることは絶対ない。村山の虚飾の人生も今日で終わりにしよう。
村山は、太宰治と同じ辛酸を嘗めらされている。日蔭者の苦悩、人間不信の苦悶、愛情飢餓の苦しみ、劣等感の辛苦、生活の倦怠感の辛さ、なすことすべてが無意味で見返りはなにも無い。辛うじて綱渡りのように人生から落ちないようには生きてはいる。日ごとに吸うたばこの本数は増えている。その本数に比例して精神的不安定さも増え続けている。とにかく生きることが苦しい、辛い。
この苦しみが始まったのは、去年の五月ごろからである。それ以来、中休みもあったが、まだ今日も続いている。勉強も手に付かない。眠ることすら困難な状態である。こうして日記を綴っていても何を書いているのか、論理不整合に思えてくる。ただ苦しいという感情だけは、脳裏で感じている。
村山は、やはり、かなりの重症である。この病状は、恋病ともいえる。昔から恋にやつれて死んでしまった人や、恋に焦がれて燃え尽きてしまった人など数多くの恋煩いで死んだり、挫折したり、立ち直れない人が多くいる。誰かに騙されたのか、良く分からないが、そんなことまで考えている。その誰か分からない奴に騙されたことに怒りを持ち、あまりにも腹立たしさに精神錯乱に陥りそうだ。村山は、気が狂うことになるのか。こんなことで人は人生を駄目にして、精神を潰してしまうのか。村山にはなにが何だか解らない。理解不可能だ。
今年もあと残すところ、二か月となった。今日は十一月一日である。結局、村山は瀬川玲子さんを、本当に愛していなかったのか。愛とは無償の愛とも言い、本来はその代償を求めるものではないからである。ただ自分の本能的な欲望だけから彼女を好きになっていただけではないのか。すべてが終わった今、彼女は村山の自慰の対象でしかなかったのかと思う。なかなか理性だけでは統制し切れない。愛に似た欲望の塊に操られながら、感情を激昂させながら半年にもわたってその苦悶を背負わされ続けていたのか。何て馬鹿なことをしていたのか。人間には自分ではコントロールできない部分があろうか、いやひよっとしたらコントロール出来ている部分の方が少ないのではないかと思う。そのほとんどの行動や現象は、外界からの何等かの働きかけに応じて、自分の内面から現れてくるような気がする。
単なる石ころには、凄い力を持つ石がある。何にもないところから火を産んでしまう石である。まさか冷たい何の変哲もない、石と石がぶつかることで火が発生する、マジックとしか思えないことが現実に起きる。これが、世界であり、自然であり、宇宙である。
今、全身から魂がすべて無くなったような虫の抜け殻のような、空虚な気持ちである。人間の一生とは、こんなに無常で、非人間的で、偶然的で、悲しいものなのであろうか。自分が思い描くような人生など。ほんの僅かなことしかできない。ほとんどは運命か宿命かによって影響され、自分の思っているような道を歩むことができない。所詮、人間は、動物的本能生活の高度に発展させた生活しか営むことができないのか。精神的高度な生活や、トルストイ的人生観は絵に描いた餅のような空虚なものなのか。幻想に過ぎないのか。
遂に別れの時が来た。冷たい雨の降る晩秋の大阪の高麗橋にある日経新聞社とも今日でお別れだ。約一年間、この会社の営業部証券課でアルバイトをした。毎日のように通った大阪証券取引所や北浜周辺の古い伝統的な建物や渡辺橋、そして、中之島公園ともお別れである。この一年間が今後の村山の人生に与えた経験や教訓は大きなものがあると思う。
人間、青春、恋愛、友情、憎悪、決意、男の世界など本や学校ではなかなか教えてもらったり、知らされたりすることのない人間世界、会社や職業というものも教えてくれた。感謝しなければならない。
別れは何時も辛い。村山は、お世話になった諸先輩や同僚に別れの挨拶を交わした。淋しい、底知れない悲しみが村山を襲ってくる。その悲しみをこらえながら、重役や営業部長、そして社員の皆様にさようならと言った。ニッコリ笑って見送ってくれた。これが人生なのか。「会うは別れの始めなり」とは良く言ったものである。人の一生は出会いと別れの繰り返しが、積み重ってできているのかも知れない。
そして、人間は何人の人と出会って何人の人と別れたかによってその価値が測られるのかも知れない。結局、偉そうなことを言っても人間は一人では生活はしていけない。常に人間は人間を求めて生き続ける。そしてその人間世界の中で悩み、怒り、喜び、苦しみ、満足して生きているのである。
世界中の書物、芸術、科学、宗教のすべてを集めても、人間の存在そのものを解明することはできないかも知れない。しかし、これらの基盤の上で人間は生き続けている。歴史を積み重ね、少しでもよりよい社会や世界を構築するために日々懸命に働いている。諸文化はそれらの人間から明日をよりよく生きるために生み出され、人間に生きる希望や勇気を与えてくれている。
救世主が笑わない世界の果てに何があるかもしれないが、村山は生きなければならないと思った。微笑むモナリザの冷たい視線の果てに村山の求める実像があるのかどうかはわからない。それでも、悲しみのキリストを乗り越え、救世主が笑わない世界に別れを告げ、新世界にいる未だ見ぬ自分を求めて歩んで行かなければならないと思った。もう偽りの太陽には騙されてはいけない、真実の太陽に向かって生きて行こうと思うそんな村山の心の奥底に、BBキングの「クロスロード」の泣き叫ぶような旋律がいつまでも鳴り響いていた。
第4章 コロナショック
テレビを点ければ、今日の感染者は何人、そのうち感染経路が分からない人が八十%もあり、これは市中でオーバーシュートを起しかねない状況で大変危険であると日本医師会の理事が眉をよせて喋っている。それに弁護士や芸人や政治評論家などが加わり、まさにワイドショー化してしまっている。時に大都市の知事がテレビで現在の感染者の数とその状況や感染者の入院病院のベッド数が足りないと訴えている。さらに、サージカルマスク、フェースシールドや防護服も全然足りない、重篤患者のための人工呼吸器やエクモの装置もないだけではなく、それらの危機を扱う専門技師もいないと涙ながらに訴えている。さらに悪いことに、感染者が入院している病院や、老人介護施設などではクラスターが発生し、入院患者のみならず、医者や看護師などにも感染者が広がっている。医療の最先端で一番注意して治療に当たっている専門病院でも大きなクラスターが発生したことが報道されている。
村山三郎は、毎日のように朝から晩まで流され続けているコロナ関連のニュースに、倦んだりしている。もっと明るい生きようとさせるような元気が出るニュースや報道番組はないものかと思う。こんなニュースを聞いているとうつ状態になり、生きる希望も夢も失われていくようで切なくなる。ええ加減にしてほしいと思わず沸き上がる怒りの感情を抑えきれなくなり、ひとり大声で叫んでしまう。誰も聞いてはおらず、部屋中に声が響きわたるだけである。とりあえず、この感情をぶつける対象が欲しいが、誰に対して文句を言い、怒りをぶつけたらいいのかわからない。わからないから余計苛立ち、もうこんな人生ならこのまま終わってしまってもええと悲観的にさえなる。
政府はこの異常事態に対して政府は「非常事態宣言」を発出して、全国的に拡大している感染者数を抑え、何としてもヨーロッパやアメリカなどのようなオーバーシュート、そして医療崩壊を防ぐべき対策を次々に打ち出し続けている。外出自粛はもちろん夜の街の接待や飲食業への休業要請、続いては百貨店や大型ショッピングモールなどの大型店舗への休業要請などが相次いで打ち出され、飲食業の店主などが収入の大幅激減により家賃や従業員の給料も払えない、このまま行けば倒産してしまいかねないと一日も早い休業保障を求めている。
村山は、テレビから溢れ出してくるコロナ関係のニュースをここ数日ずっと聞かされ続けている。最初はどうなるのか、いつ収まるのか、予防はどうしたらいいのか、仕事はどうなるのかといろいろなことが頭の中をぐるぐる回りながら、情報に注意を集中していたが、だんだん倦んだりしてきた。同じ味の食事を何度もしてい集中力が途切れてしまい、せっかくのおいしい料理も、おいしく感じられなくなってくるように、とめどもなく流れ続ける報道に関心が麻痺してしまっている。
「ええ加減何とかしてくれ!もう十分や!もっとプラスになること明日へ向かっての希望や夢も報道してほしい!どうしたらええのかようわからん!」とテレビに向かって怒鳴ってみたところで何の返事もしてくれない。
そう思いながらも、一度、朝起きて朝食をすませて食卓の椅子に座っていると、習慣のようにすぐにテレビをつけてしまう。そのたびに、村山は、報道される医療現場のあまりにもひどい医療体制には、驚かされるばかりで、医療従事者が感染し、病院が機能しなくなってしまっており、その上、防護服やマスクなども全然ない状況が続いていることに、歯がゆい思いがするのを抑えられない。
医療従事者の仕事は、いつ自分が感染するかもしれないという危機感と隣り合わせの状態である。その上、医療従事者に対する心無い人々による差別や嫌がらせが続き、医療従事者は精神的、肉体的、医療的に何重もの重苦を背負いながら働き続けている。人命を救う尊い間を仕事に誇りをプライドを持ち、自分の使命の道である医療従事者として献身的に医療を続けている。ある看護師さんは家に帰って家族を感染者にさせるわけにはいかないので、病院施設内の駐車場の車の中で寝泊まりをしながら仕事を続けているという。睡眠時間もほとんどなく、仕事机の上にそのままうつ伏せになり、わずか隙間時間に仮眠をとったりしながら医療に当たっている。まさに彼ら医療従事者はみな防護服を身にまとった天使、救世主のように思えてくる。全世界中からその献身的で尊い姿に拍手をしたり、音楽で感謝をしたり、イルミネーションを青に染めて感謝を伝えようとしている。村山もこの世界でこれ以上の尊敬でき神々し仕事はあるのだろうかと思い、感動で鳥肌が立つ思いである。
思えば、村山が四十年間勤めあげた会社を辞めたのは、今からちょうど5年前のことである。その当時、仕事もなくなっ時間的にかなりの余裕ができた村山は、退職前には、仕事を辞めたらあれに挑戦しよう、あの勉強を始めよう、絵も描こう、音楽もやろうと次から次へと湧き上がる希望と夢の世界で興奮していた。それが、いざ退職してしまうと、一日中、何をするではなく、テレビを見たり居眠りをしたりしながらぐーたらぐーたらの生活をするだけであった。たまには、気分転換と運動不足解消のために散歩に出かけたりはした。散歩に出かけたときには、忙しく働いている人々をわき目で見ながら、自分は今、仕事から解放された自由人として生きていることに優越感を感じた。忙しいサラリーマン生活では味わえなかった街の景色はなにか時間が止まったような感じがして、新鮮であった。まさに、これがサラリーマン時代に密かに求めていたあこがれの隠居生活なのかと、淀川の土手の上から大阪の景色を眺めていると、この街を世界を自分の手に収めたような何とも言えない優越感が湧き上がるのを覚えた。
そうとは言っても、村山にはまだ平気で街の中をうろうろするのには少し躊躇することがある。自分が仕事をしていないことへの罪悪感と後ろめたさのようなものを感じてしまうのである。それで、近所の人や出かけた先や散歩先で知り合いに出会った時には、思わず「私もう会社辞めたんですわ」と言い訳みたいなことをつい口に出してしまう。定年退職で会社を辞めたので、リストラとか病気で辞めたわけではなく、何の後ろめたさはないのだが、なぜかリストラや早期退職して失業している訳ではないことを強調したくなってしまう。
あの人仕事もしないでこんな昼日中から何をさぼっているのと勘違いされるのが嫌だからである。七十歳前の人間ともなれば、家で老後の生活、いわゆる隠居生活をしていても不思議ではなく、誰も家でぶらぶらしているからといった役立たずの人間とか無能な人間のように思うはずもない。それどころか、逆に悠々自適の生活ができる人なんだと思ってくれるはずである。それで、人の目、世間の目なんか何も気にする必要はないし、正々堂々として挨拶を返すだけいいものなのだが、なぜか言い訳のようなつい口に出てきてしまう自分がつくづく嫌になる。
その退職後からすでに5年近く過ぎた今でもその癖は直らず、この間も、久方ぶりに青空が広がり気持ちの良い日だったので、村山は、近くの河川敷や公園などをぶらぶら散策しようと思い、出かけようとしたとき、エレベータに乗り込んだら上の階の知り合いの女性の方が乗っていた。そのとき、思わず最初に出てきた言葉は「今、コロナウィルスの影響で休職中なんで、散歩にでも出かけようと思うんです。」と言い訳のように言ってしまった。
ただ、「おはようございます。今日はいい天気ですね。」だけでよいものを、わざわざ言い訳がましく言ってしまう。つくづく変な性癖なのかと自分でも自覚し、後で後悔をさせられる羽目になってしまう。
長年、朝から晩まで働き詰めであった悲しいサラリーマンの性なのか。それとも自分はまだまだ若く社会で働き結果を出せる人間だと自負しているからなのか、どちらかはわからないが、今はどちらでもよいと思っている。
そうとは言いつつも、村山は、自分が生き続けるという生の行進がいつかは止まってしまうことは充分に自覚しており、死に向かって着実に進行し続けていることは間違いないと考えている。一日一日の時間の流れでは、そんなに時が進んだという実感はないが、一か月ごと、季節ごと、一年ごとともなると、思わず年を取ってしまったなぁと、ため息をついてしまう自分がいるのである。そんな時には、必ず、「俺はもう若くない、いつ死んでも不思議ではないんや」とふと愚痴のように声をだしてしまう。
特に、コロナウィルスに感染して亡くなる方が多くおられ、特に高齢者は危ないと言われている。その年代も当初八十歳以上が危ない、次に七十歳以上が危ない。最近は五十代でも亡くなられている。だんだん若くなっている。そう思うと自分は間違いなく感染したら死んでしまうと、恐ろしくなってくる。そして、「いよいよ自分もいつ死ぬかもしれへんなぁ」と口をついて出てくる。そんな村山をみて、妻の美佐江や家族の皆は、「また、父ちゃんの愚痴と独り言が始まった」と聞き流すだけで、誰も真剣に反応しようとはしない。ただ黙り込んでスマホをいじってみたり、テレビを観たりして知らぬ顔をしている。また、始まった父ちゃんの愚痴と判断し、そんな非生産的で暗い話は一切聞く気はありませんとというような態度をとっているように村山には思える。
そんな家族の無関心な反応に太田は、少し意地になり「俺は明日死ぬかもしれへんのやでぇ。そんなこと分かれへんやろう。この間なんか、会社の後輩は五十代半ばぐらいで亡くなったのやで。朝元気に、家族に挨拶をして玄関を出て行ったそうや。それが家族との最後で、それっきり家には二度と帰ってこれへんやったのや。それ以上にこのコロナの奴は高齢者の死亡率が7割と高く、おまけに男性の死亡率の方が高いといわれているんや!」と、声のトーンを一つあげながら聞こえよがしに妻に話しかける。
さらに、「人生、コロナがなくても、七十にも近づくと、死への確率は高まっているんや。そやさかいにコロナに罹れば一貫のおわりなんや!俺もそんなもの明日どうなるかは分かれへんやろう」と半ばやけくそに言い続ける。それでも、妻美佐江や家族はスマホをいじったり、何かを食べながらテレビを観ていたり、聞こえないふりをしながら、誰も反応しない。あまりにもの無反応さに、「もうこれ以上言うても誰も相手にしてくれへん。なんやのこの無反応は!あほらしい!」と怒りとも愚痴ともわからない言葉を家族に投げ掛け、口を閉じてしまう。そのあとの虚しさと切なさに、いつもいたたまれなくなる村山なのである。
「お父ちゃん、何を言っているの、まだまだこれからやないの、元気で頑張らないとあかんのと違うの。生きて孫の成人式や結婚式に出てあげんとあかんのと違う。」とか、「お父ちゃん、体を大事にして無理したらあかんよ。また、外へは極力出ないようにして、家でじっとしておくのが一番大事やから!」とか言うぐらいは、社交辞令でもええから言えるやろうと村山は思う。単なる慰めかも知れないが、それでもええから何か言うて欲しいねんと、スマホをいじりながらうつむいている妻美佐江の頭頂部を眺めながら、叫びたくなる衝動をぐっと飲みこむようにして押さえつける。これが毎日の日課のようでもある。
「たとえ本心からではなくとも構へん、愛想程度に言ってもらえればそれで得心するんや、頼むさかい、それを無視されるのが一番辛いんや、40年間もサラリーマンとして家族のため、会社のため、昼夜を問わず一生懸命働いてきたのに、何のねぎらいも有らへんし、なんの感謝の気持ちもないんかと思うと、俺の人生は何だったのかと懐疑的になってしまう。お父ちゃんは本間に落ち込むわ。家族のために自分のしたいこともせずに我慢して人生の大半を働いてきたのに、結局、それは当たり前のことで、特に何という特別な事をしたわけでもでもないといわんばかりの態度をするのだけはやめて!そんな無関心な態度だけはほんまやめて!」と村山は心の中で思い切り叫んでみた。
妻や家族は「そんなことだらだらと、わざわざ自慢げに言われても困る」とでも思っているようやし、そんな労いや労わりをねだる父親なんかもう飽き飽きしたとでも言いたいんやろう。
「ウザイ、恩着せがましい、自慢話しばかり」と言い返さかいれるのが関の山やから、いつものとおり、ある程度喋ったら止めることにしている。
「ほんまに、ここんとこ年を感じることが多くなったなぁと思う。2、3年前までやったら、自分はまだまだ若いと確かに思って生きていた。年など気にしてへんかった。それが、なんか知らへんけど、ちょっとしたことで段差に躓いたり、よろけたりしてしまうと、えっ!俺一体どうなっているんやと年を感じてしまうことがようある。さらに近ごろ、人の名前が思い出せへんことも多くなってきてしもうた。テレビを見ていて雛壇に座っている女性タレントや男性タレントの名前が出てけえへんのや。あの人はだれだったかいな?とふと口が開いてしまう。そばで観ている妻もなにも知らへんのか誰誰とは決して言わない。外国人の映画俳優の名前ともなるとさらに出てけえへん。
あのデカとかあの映画に出ていたやんか、あいつや、もうハリウッドの男優というたらこいつらしかおらへんがなぁ、といっても妻の口からは何の音も聞こえてけえへん。この前まではではよく口に出ていたのに今は全然出てこやへんわ。どないに思い出そうと頭の中の神経をパンパンにしながら働かせても、脳は反応してくれへん。なんか淋しく悲しくなってくるわ。年を取るとはこういうことなのかんかなぁ」
と村山は口の中をカンカランに乾かわせながら、大きな溜め息をついて見せる。
そんな強気の村山だが、最近、新しい人の名前を覚えるのも苦痛になってきている。これは明らかに年齢から来ているものであることは間違いない。今年になってからボケ防止のためと家計を支える目的で週3回働いている。近くの小学校と中学校の学校図書館補助員の仕事である。小学校の図書館で、本の貸出しをするときに、相手の出席番号や名前を聞いて、そのクラスのバーコード一覧からその生徒の名前を探し出し、そのバーコードをバーコードリーダで読み取り、本人を特定し次に本に貼り付けているバーコードを読み取り貸し出しをすることになっている。
その際、少しでもスムーズに処理ができるように、生徒の名前を憶えようとしているのだが、これがなかなかうまくいかない。生徒たちの顔や名前が覚えられないのである。無理やり、何か印象付けて覚えようとするのだが、なかなか覚えられない。その都度、生徒たちから、名前覚えてよと怒られてしまう。そういわれても、二百名程度の生徒の名前を覚えるのはかなり困難である。確かにサラーリンマンの現役時代には、すぐに人の名前を憶えられたが、それが今は無理である。何度も間違えてしまう。こんな時も情けないやら辛いやら、やっぱり年なんだとつくづく考えこんでしまう。
これだけでは済まないのだが、これらの村山を取り巻く現象はいよいよ老いが始まっていることのエビデンスである。あれほどまでに、自分だけはまだまだ若い、自分だけは年は取らないと思っていたのに、やはり年を取る。人類や動植物など生命を持っているものは、例外なく年を取り、病気になり、やがては死んでいくものなのだ。それが自然の摂理なのだから仕方がない。それに逆らっていくら頑張って生きても、大きな濁流のような生命の寿命という現象に飲み込まれてしまうだけである。これが人間というものの宿業といわれるものに違いない。永遠の命が欲しいとか、不老不死の薬が欲しいのなんだとか言ってはみても、それらは試してみたら、少しぐらいは効果があるかもしれないけれど、大宇宙の流れから見ればそんなものなんの足しにもならないことは必然である。
村山は、現在70歳で、既に厚生労働省などが定義する前期高齢者の範疇に入ることになる。そういえば、孫を連れて遊園地へ行けば、老人パスの割引があり、ショッピングモールでは、食べ放題のレストランでも老人割引をしてくれる。さらに、理髪店や映画館などでも同じように割引がある。そんな老人ならではの特典も、なれとは恐ろしいもので、今では何の衒いもなく遠慮もなく使えるようになっている。
村山はそれでもまだ仕事は続けている。それは小学校の図書館の司書である。この小学校の図書館には、いろいろな生徒が目を輝かせて入ってくる。本当に真っ白なキャンパス見たいという表現がぴったりする。どの生徒も、新しい世界への入り口を探すように様々な種類の本を探す。気に入った本が見つかれば私のいるカウンターに本を運んできて、元気一杯、「四年二組の山田大雅です。この本を借ります。」と声をかけてくる。私は、生徒別バーコードファイルを開いて、四年二組を開く。五十音順に並んでいるので、「や」は最後の方だと目を付け、そのあたりを探す。出てきた「山田」「大雅」という名前、その横にあるバーコードをバーコードリーダで読み取る。パソコンの画面には、「山田大雅」と表示された画面が出る。次に本の裏の登録番号のバーコードを読み取る。画面は「山田大雅」くんが「鉄のひみつ」の本を借りましたと表示され、過去の履歴と累計貸出し冊数、そして今回借りた本の返却期間が表示される。これを確認して、本を山田大雅君へ渡す。そうしたら大雅君はすこし頬を赤めながら借りた本を大事に小脇に抱えながら図書館を去っていく。村山は司書として何か良いことをしたようなある種の優越感と満足館を覚える。これがこの仕事の醍醐味の一つでもある。
毎日、こんなことの繰り返しであるが、生徒たちが目を輝かせて図書館の中で本を探し借りていく姿に、村山はいつも幸せな気分になる。この純粋な気持ちが大人になっても持ち続けてほしいと願う。村山が勤めている小学校は大阪市に南に位置し、生徒数が六百人程度が通っている公立の小学校である。これらの生徒の名前と顔はなかなか覚えること難しい。それでも村山は、必死で顔と名前を関連付けようと毎日努力し続けている。偶然にその場では名前と顔を覚えられたとしても、次にはもう忘れてしまっている。
「先生!早く名前覚えてよ」とか「また、間違えた!いつになったら名前覚えてくれるのよ!」と露骨に怒ってくる生徒もいる。
それでも、可愛らしい生徒、賢そうな生徒、人懐っこい生徒、面白い生徒などは、印象に残るので比較的覚えやすい。あまり贔屓することはいけないと思うが、やはり特徴のある生徒や人懐っこい生徒は割と簡単に覚えられるときはある。
その一人に、村山がこの図書館に赴任してきてからよく顔を出してくれる五年生の女子生徒の子がいる。名前は「夏井香蓮」ちゃんという身長はである140センチぐらいで髪の毛は短く活発そうな生徒である。最初に来た時から、明るく懐っこい笑顔で村山に話しかけてくる生徒であった。赴任間もないある日、図書館にやってきてさも馴れ馴れしく「暗号クラブ」の本はどこにあるかと村山に尋ねてきた。その本は新書サイズの本や文庫本などを収めている棚にあるのを教えたら、すぐ見つけ本を嬉しそうに両手に載せながらカウンターまで持ってきた。
何かその姿に今まで忘れてしまっていた村山の小学生時代のあどけなくそれでいてしっかりとした姿が蘇ってきた。それで、村山も少年時代の村山に戻ったかのように、なぜか弾んだ声で、「夏井香蓮ちゃん、暗号クラブ貸出し。」とか言いながら、バーコードリーダ-で名前と本のバーコードを読み取った。
「香蓮ちゃんは本が大好きなんだね」と声を掛けたら、「うん、大好き、また借りに来るからね」と言い残し教室へ戻っていった。そのあとに彼女の清楚な香りがいつまでも図書館に残っているようで、村山もさわやかな檸檬の香りを嗅いでいるような懐かしく素朴な気がした。もちろんその日より、「夏井香蓮」ちゃんの名前は覚えた。香蓮ちゃんがこの小学校で最初に名前を覚えることができた生徒となった。
その一週間後位であった。突然、香蓮ちゃんの身の上に思いもよらないに重大な事件が起こってしまった。それは、この学校ではお昼休みの休憩時間の前にお掃除をすることになっいる。の時間がある。五年生の各組が一週間交代で掃除をする当番になっている。その日は香蓮ちゃんのクラスが当番に当たっていた。また、香蓮ちゃんが掃除当番の委員長であった。村山と親しくなった香蓮ちゃんはいつもより一層ハッスルして一生懸命図書館の掃除の指示出しながら、自分も雑巾で机を吹いていた。そんなとき少し大人びた顔で、子供にしては少し人相も悪く見える小柄な男子生徒が、「図書館の中まで掃除しなくてええんや!何、勝手にしとんや!」と香蓮ちゃんに怒鳴りながら食って掛かってきたのだ。香蓮ちゃんは必死になって、図書館の中も掃除しないといけないことを訴えたが、それを聞こうとしないばかりか、男子生徒たちは、リーダーの香蓮ちゃんを無視して、教室へ戻って行ってしまった。香蓮ちゃんは追いかけたが、だめだったみたいでかなり落ち込んだように萎れて図書館へ戻ってきた。
よく見ると、その眼には涙が一杯あふれ出し、肩を震わせていた。驚いた村山は思わず「香蓮ちゃんが悪いのと違うよ。正しいことをしたのやよ。正しいことしたのに泣く必要はないから」と慰めた。彼女の可憐な姿に思わず村山はきゅんとした気持ちになり「可愛い」と思った。図書館司書としてそれはしてはいけないことなのだが、思わず抱きしめて「大丈夫」と言ってやりたい気持ちに駆られた。さすが、学校でそんなことをしたらセクハラやとかパワハラとかなんだかんだといわれて非難されることは分かっている。それで、優しく触れるか触れないぐらいに香蓮ちゃんの肩に手をそっと添えて、「もう泣かないで。香蓮ちゃんはいいことしたんやから。泣くことはないよ。」と優しく声を掛けた。香蓮ちゃんは涙を拭きとりながら、図書館を出て、自分の教室へと戻っていった。そのあとにもやはりあの清純な結晶のような涙から出た清涼剤ともいえる檸檬の香りが図書館内に漂っているようなきがして、村山はいとおしい気持ちが一杯となり、落ち込んだまま教室へと戻っていった香蓮ちゃんが気がかりであった。
数日後、香蓮ちゃんは、いつものような元気な姿で図書館へやって来てくれたので、村山はひとまず安心できた。香蓮ちゃんはそれまでより頻繁に図書館へ来るようになった。一時間目の次の休み時間、二時間目の次の休み時間、三時間目の次の休み時間に、さらにはお昼休み時間、五時間目の次の休み時間、最後は放課後家に帰る前にと、ほとんどきゅそく時間のすべての時間に図書館に足を運ぶようになった。村山は、きっとあの時、自分が香蓮ちゃんをかばってあげたことへの感謝の気持ちが、私への信頼感に代わったのだろうと思った。これからは一層、弱い立場の生徒や理不尽な目に遭った生徒たちなど自分が守ってやらないといけないと、秘かに心に誓う村山であった。
ところで、香蓮ちゃんの彼女の本好きは収まらず、学期末、そして年度末の生徒別貸出冊数では、百冊近くに達して、ダントツで学校全体でトップであった。同じクラスの生徒や別の学年の生徒たちからも少しやっかまれるようにもなっていた。そのため香蓮ちゃんをライバル視した生徒たち例えば、その一つのやり方は一冊の本のし借りを何度も繰り返すことで貸出累計冊数を増やしたりする方法である。本人の貸出履歴に同じ本の名前が並んで表示されるので、すぐにばれるのだが、とにかく貸出冊数を増やしたいわけである。村山は当初は無視していたが、あまり目に余る場合には注意せざるを得なかった。それでも図書館利用者と貸出冊数が増えることは、図書館司書にとっても、その評価が上がることになるので、司書の立場では嬉しいことではある。それに、概ね教育委員会や図書館本体の中央図書館の管理職は外形的に表れる数値でしかその図書館を評価しないので、そういう評価も上がるので司書としては悪いことではない。生徒間の公平な競争では問題があるということである。先輩コーディ―ネータが、よく「中央や教育委員会は、書類でしか見ないからある程度外形的数値はあげないといけないよ」と村山に教えてくれていた。
それにしても香蓮ちゃんはすこぶるひたむきに、本を求めて図書館へ足を運んでくれた。彼女は図書館大好きになってくれた。この気持ちを一生忘れずに中学、高校、大学へ行ってもこの気持ちは忘れないようにしてほしいと村山は思った。そして、こういう図書館と本が大好きな生徒をたくさん育てることも司書の仕事だと思い、次から次へと図書館に居場所を求めてやってくる生徒を大事にした。
そのうちの一人、四年生の道下桃李君はいつもは本とは縁がないような、どちらかというとジャージ姿がよく似合うスポーツマンタイプの男子生徒であった。ところが、道下君のクラスの授業がある図書館で行われていた時のことである。道下君が女性の身体を描いた漫画で描かれた性教育の指導書を見ていたところ、いつもは仲良しと思っていた小太りの女生徒から「なに見てんの!あんたスケベやなぁ」といきなり言われたのである。
突然の雷が落ちたような予想もしていなかった言葉が頭の上から響いてきた。あまりにも突然な発言に、純粋な道下君もどう反応したらいいのかわからなかった。そして体中から込み上げてくる恥ずかしさと、その恥ずかしさを隠そうとする反動のような怒りが爆発してしまった。その怒りと恥ずかしさを、その小太りの女生徒にぶつけ、怒鳴りながらその女生徒を追いかけだした。真っ赤な顔をして追いかける道下君は、必死であった。それはこれくらいの年頃の子供にはよくあることである。しかし、彼女をつかめたところでこの怒りと恥ずかしさはどうなるわけでもないかもしれないが、怒鳴りながらお図書館内を走り回り、彼女を掴めようとした。女生徒の方もちんぷんかんで何を怒っているのか、チンプンカンプンで、「何をそんなに怒っているの?」という風な怪訝そうな顔で、捕まえられたらどうなるのか分からないので、図書館の机と机の間をよけながら必死で逃げ回った。それでも、道下君は怒りに満ちた声で「おい!まてよ!こらぁ!」と何度も言いながら、女を追い回し続けた。
ある程度道下君の怒りも頂点から少し和らいできた隙間を見つけて村山は、このままでは本当に喧嘩になり危険な状態であるし、他の生徒にも悪い影響を与えると判断し、走り回る道下君を力一杯羽交い絞めするようにと捕まえた。そして道下君をぎゅっと抱きしめながら、こう言い聞かせた。
「大丈夫!大丈夫!落ち着こう!道下君!男はみんな女性の体や姿に興味があるんやよ。それが悪いこでも恥ずかしいことでもなんでもないんやよ!当たり前のことなんや。私も道下君と同じようにメッチャ、女の人の体にも興味もあるから。なにも心配することでも怒ることでもなく、当たり前のことなんやよ!ちっとも恥ずかしいことでも嫌なことでもなんでもないんやよ。」
男同士やから抱きしめてもええやろうと思って道下君をできるだけ優しく抱きしめていると、道下君の目からは涙が出ていた。悔しかったのだろう、女性のことを書いた本は図書館には必ずある。セックスや赤ちゃんが生まれる理由などについても書いた教育上の指導書も置いてある。それは、生徒たちにも見てもらい学んでもらいたいから置いているのである。その本を見たからと言って、その生徒をなじったり非難したりするのは良くない。人間という生物の成長に欠かせないものであり、家庭や社会や国家の基盤ともなるものである。村山はそのことをわかってほしかった。今は道下君も分からないかもしれないけれど、中学生ぐらいになると理解できるようになるだろうと思いながら、ひとまず道下君を落ち着かせ、平静にさせようということで頭の中は一杯であった。
そこで、村山が咄嗟に思いついたのが道下君と腕相撲をすることである。道下君は「スポーツマンで体格も良いからその力を腕相撲で発散してもらおうと考えたのである。まだ少し興奮気味の道下君に村山は力強く「腕相撲をしよう!」と声を掛けてみた。そうしたら道下君も何かよくわからないが、図書館の先生から試合を申し込まれたら受けるしかないと考え引き受けることにした。図書館の机の一隅で、男同士の戦いが始まった。4年生にしてはかなり道下君は手強かった。しかしここで負けては大人として恥ずかしいと村山も一度は盛り返した。しかし、最後は、若い道下君粘り勝ちで道下君が勝利した。
「すごいやん!道下君さすがやな」と称えたら、道下君はかなり落ち着いてくれたようで、その後は暴れずに静かに本を読んで、授業の終わりとともに図書館を出て行った。
その後道下くんは、そのことがうれしかったのか、村山を友達のように思ったのかは分からないが、毎日のように、図書館通いをするようになった。余程うれしかったのか、何休み時間には必ずと言っていいぐらいやって来て、村山が座っているカウンターの横の椅子に座って、村山と少しその日のことを話してから、本を読んで帰るようになった。
その後も香蓮ちゃんや道下君以外にも多くの生徒たちが図書館へ足を運んでくれるようになった。例えば後ろ髪に接着剤のような白いものを付けられた五年生の生徒が数人で図書館へやってきた。その後ろ髪に接着剤をつけられた女生徒は安藤沙耶さんである。彼女は結構運動神経がよく横転などを図書館のカウンターの前の空きスペースでも見せてくれたり、軽くダンスを見せてくれたりする生徒である。そのらしい。村山は安藤さんの頭についている白い汚れを持っていたハンカチやティシュで取ろうと試してみたが、なかなかうまく取れなかった。次に思いついたのがブラシで髪を漉きながら試してもがそれもダメだった。女生徒の髪の毛を触ることはセクハラといわれても仕方ないことだが、この時ばかり緊急事態で仕方がないことである。村山は安藤さんの頭の毛から漂ってくるシャンプーのような匂いに一瞬女性らしい香りを感じた。その匂いを嗅ぎながら濡れたハンカチでもう一度こすってみた。少しはましにはなったようだが、まだ少しは白いものが見えている。ある程度見えにくくなったようなので後は家に帰ってからシャンプーで洗うんだよと言い聞かせて教室へ帰らせた。その後、安藤さんも当然ながら図書館によく足を運ぶようになったことは言うまでもない。
このようなことは数え上げたらきりがないくらいある。毎日が生徒とのドラマである。確かに担任の先生や教頭先生などともエピソードもあるが、やはり生徒とはその時が真剣勝負のような気持で接しているので、ドラマが生まれやすいと思う。
ところで、香蓮ちゃんとは学校以外でもよく出会った。冬休み前には、普段から仲の良い、大林今日子ちゃんと一緒に鶴橋に出かける前に今日子ちゃんの家の前で出会った。「気を付けて言ってくるんやぜぇ」と声を掛けた。また、近くのスーパーから帰る時に村山が駅に向かって歩いているときにも偶然出会った。「ライフに行ってきたんや」と二人で楽しそうに帰っていった。そして、三学期も思わる時、図書館に来て、記念の写真を撮った。今もその写真は大事に村山のスマホの中に残っている。
つまり村山の印象に残る生徒たちの名前は覚えられるし、忘れないが、初対面の人や特徴のない生徒の名前はなかなか覚えられないということである。これが年齢から来ていることは間違いないと思い、村山は少し悲しくなりながら年をとったなぁと溜息をついてしまうのであった。
第5章 人生は常住壊空
ところで、村山三郎は退職後すぐに今の学校図書館司書の仕事に就けたわけではない。高齢者であるゆえの障壁や偏見がそこには限りなく横たわっていた。まず、家でブラブラして仕事をしていないフーテンのような人間に思われたくない、まだまだ自分は社会で必要とされている人間であることを世間や家族に証明したいという想いから、第二の就職活動を開始したのである。当初は求職雑誌やインターネットなどで職探しを始めてみた。驚いたことには、非常勤でも会社員でもほとんどが六十歳未満と年齢制限が設けられている事実である。露骨に六十歳までとか五十歳までと記載されている。それだけで心が萎れて、やっぱりそうなんやと悔しい思いがする。
ヨッシャーヤッタルゾーと思って求人に応募しようとしても年齢の壁が大きく立ち塞がってくる。年寄りは要らないんやと半ばやけくそになりかけながらも、このまま負けるわけにはいかない。何としてもまだまだ仕事を続けたいという心が押し上げてくるので探し続けることにした。仕事の内容は殆どが軽作業や雑務的仕事で給料も安いものばかりであった。いっそのことシルバー人材センターで仕事を探した方がいいかもしれないと、探してみたが、こちらは手に職がある人、例えば大工、庭師、左官、電気工など専門的な知識や技術が必要とされるものが多く、サラリーマンにはやれそうな仕事は少ない。
仕事の能力や実力は年齢を加えれば加えるほど消えていくものでも減っていくものでもない。それが、いざ募集する際はその事実を前提としてくる。年寄りイーコール能力低下と思っているのである。まさか、60歳で会社を定年退職したり、雇用延長して65歳まで運よく働き続けることができたとしても、辞めたという事実だけで能力が落ちたり、仕事の実力までもが下がったかのように思われてしまう。
これは重大な偏見であり差別である。肌の色の違いだけで人を差別したアメリカの白人などと同じである。まさに老人差別といえるものである。この日本ではまだこの思想が蔓延っているのである。この思想が就職活動において、学歴偏重、男女差別、障がい者差別につながっていると思う。そんなことを考えながらも、政府の力や、社会の力で解決を図るには時間がかかりすぎて、自分の就職時期を逸してしまう。それで、村山はハローワークに行くことを決意する。定年後、自分がまさか自分がハローワークで仕事探しをするなんてことは一切考えたこともなかった。
神妙な気持ちでハローワークの門をたたき、受付で求職者カードと番号札を受け取り、まずはずらりと並んだ求人情報が検索できるパソコンの中から番号札と同じパソコンを探す。そして、そのパソコンで、仕事の種類、職種、場所などの希望をチェックして、検索をする。村山はとりあえず仕事場所を絞り、アルバイトで、公務の地方を選択した。そしたら、求人がたくさん出てきた。これだけもあるのかと驚きながら、自分の求める仕事がある情報を探した。ある程度は絞れた。税務署の非常勤から、市役所の臨時職員、職業安定所の臨時職員など結構あったが、自分ができそうな仕事を選ぶ。そして、仕事時間や給与などをチェックして、自分にできそうな仕事を探す。これはいけると思う仕事を見つけても、応募資格をよく見ると年齢制限が明示されている。55歳とか、60歳とか、そして最高年齢が65歳と表示されているものが多い。65歳を過ぎれば能力がなくなり、仕事をする能力がなくなるからともいうのかと怒鳴りたくなる。
その中で、辛うじて年齢制限が付されていない仕事を見つけて、ある程度は可能性があると思い、ハローワークの職員に相談をしてみる。職員は紹介状を作成しますので、お待ちくださいと、パソコンに向かい操作をし、プリントアウトした紹介状を私に渡しながら、この紹介状をもって、いついつまでに先方の担当者へ連絡をしてから面接に行ってくださいという。一安心しながら村山は神妙な面持ちで紹介状を長年サラリーマン生活で使いこなしたチェック柄のカバンしまい込む。
その仕事は大阪南部のH市役所の税務課の仕事に応募であった。簡単な筆記試験と面接があった。面接会場の市役所の2階へ上がると、試験会場には何人かが集まっていた。紺色のスーツ姿の中高年や比較的若そうな女性の方々もおられた。この中で何人採用されるのかと考えた。もし五人採用れるのならばここにいる人たちが十二名だから、七名落ちることになる。若干名採用と表示されていただけなので、一体何人が採用されるのかは、結果待ちである。緊張しながらも自分のできる精一杯のアピールをした。過去に経験してきたことや以前の仕事について話もしもした。とりあえず試験まで漕ぎつけることができた安堵感で、少しは満足であった。しかし、何を基準に選ばれるのか、どんな才能がある人が選ばれるのか、どういうところを見て選ばれるのかは、さっぱり不明である。悪く言えば試験官の目に留まる人や受ける人や扱いやすい従順そうな人が選ばれるのではないかと考えているうちに試験は終わり、あとは一週間後の合否の結果待ちということになった。
少しは期待しながらまった。あっという間の1週間後に届いたのは「残念ながら今回は採用を見合わせていただきます。」と書かれた通知書が来ただけであった。何かむなしさを感じた。こんな紙切れ1枚だけで、採用不採用が通知される。
一言何か気の利いた文句を書けないのか。例えば「あなたの才能や誠実さは素晴らしいと思いますが、厳重な審査の結果、仕事の内容があなた様の才能や知識をそれほど必要としていないため、不採用とさせていただきます。今後のあなた様のご健闘とご健勝をお祈りいたします。」とか名何とかもっと書きようもあるものと思う。きつく言えば失礼な通知書と思う、人間を何と思っているんだ。紙切れ一枚のちっぽけな存在と考えているのでないのか。採用する側ももっと人権に配慮してもええものと違うかと、村山は少し怒りながら思った。
不合格の原因は教えてくれないが、自分では年齢が大きいだろうと思わざるを得なかった。そりゃ若い方が柔軟だし、素直だし、仕事を覚えるのも早いし、その上、扱いやすいだろう。その後も、大阪府の教育委員会の仕事、区役所のホールスタッフ、大阪市の非常勤の仕事など、手当たり次第に面接を受けた。中には村山に「どこか障害があるんですか」と露骨に聞いてくる面接官もいた。もちろん村山にはどにも障害らしいところはないのだが、たぶんそのように見えたのか、大変失礼な面接官が、大阪市の教育委員会の面接官の中にいたことは間違いない事実である。たとえそう見えたとしてもそれは面接の際に尋ねることではないだろう。まさに人権侵害も甚だしいと思わざるを得ない。それもよりによって人権擁護を推進する教育委員会の面接の際の行われたことは今でも信じられない。
そういうことで、それならと最初から年齢制限もなく、働きやすそうな仕事を探していたら見つかったのが「学校図書館司書」の仕事であった。助かったという思いと本当かなという不信感とが交差する中、とりあえずダメ元で面接を受けてみることにした。面接には女性の応募者が八割程度の残りが男性であった。よく見ると女性の方は若い世代の方も多く見受けられたが、男性の方はほとんど六十を周り、六十五を超えたような人も見受けられた。少し安心して、面接を受けた。面接官には「生徒同士が図書館内で一冊の本をめぐって喧嘩していた場合あなたはどう対応しますか。」となどの質問をされた。村山はいつものようにとりつくろわず次のように答えた。「その本は消えてなくなるわけではないので、一週間すれば返されてきますので、今はどちらか一人して、次に君にしましょう。」
それがよかったのか何が良かったのかはわからないが、とにかく合格をすることができ、晴れて就職を勝ち取ることができたのである。第二の人生の就職活動はこうして終えることができたのである。村山は、今もこうしてこの仕事を続けられていることに感謝をしている。
第6章 老春を生きる
ほとんど人生の大半を生き抜いて来た。今振り返ると、一九七〇年代はどうであったのか、その当時の日記を再び読み始めてみよう。日本における一九七〇年代とは、政治面では、「七〇年安保」を意識した学生運動が前年の一九六九年の東大安田講堂占拠事件の失敗による敗北 から急速に衰え、政治的無風を意味する「シラケ」の時代と突入した時代である。その後、一部過激化した赤軍派などの学生運動家がゲリラ集団化し、よど号ハイジャック事件やあさま山荘事件など数々の事件を起こしたりもした。これらの事件後全国の学生活動家も少しずつ、活動家ら身を引き本業に戻り勉強し、社会人へと成長していくことになる。
一方、経済面では、一九六〇年代から続いていた高度経済成長が一九七三年のニクソンショックと第一次石油ショックで終わりを告げ、しばらくは深刻な不況に入り込んでしまった。積極的な省エネルギー化による産業の改革で不況から脱し、その後大発展を遂げることとなる。 一方のテレビ業界は黄金時代に突入していく。特にTBSが黄金時代を迎え、「八時だョ!全員集合」「クイズダービー」「Gメン'七五」「ザ・ベストテン」などで高視聴率を取ると、それに対抗して日本テレビが巨人戦や全日本プロレスなどのスポーツ中継や「太陽にほえろ!」などのヒット番組で高視聴率を取った。
音楽産業では、阿久悠がピンクレディーや沢田研二など数多くの歌手に作詞曲を提供して隆盛に貢献したほか、若者達を中心にフォークソングが支持を集め、自分で作詞・作曲・歌唱する「シンガーソングライター」が人気となって一世を風靡した。
理想と現実のギャップはいつの時代にもあるが、一九七〇年代は、不可能なことがないように思えた時代であるように思える。それに較べ、この二〇一七年の現在に生きている、若者は、気力を無くし、夢を無くし、ひたすら、自己中心的享楽に堕しているように思える。会社へ入社しても三年ももたずにすぐに辞める。新卒で苦労をして内定を勝ち取り、やっと入社できた仕事でも、何の未練もないようにすぐに辞めてしまう。ある意味では、自分の生き方を大事にしているようで、自分に合わない仕事は、早く辞め、自分の本当にしたい仕事をすべきということなのだろうか。まあ、私も小学校の事務職を一年間で辞めてしまったので、あまり偉そうには言えない。
とにもかくにも、進学も、職業の選択も経済的裏付けがあって、初めて実現できるものなのか。貧乏では、やはり進学も職業選択の自由の保証はない。どんな仕事でも見つけて働かないと、生活に行き詰まってしまう。サラ金に頼るか、生活保護を受けるしかなくなる。選択の自由はないように思える。そう考えると、一九七〇年代も、あまり変わらないのではないかとも思える。あの時も、村山三郎は、学問と経済的裏付けの無さとの葛藤に悩んでいた。学問を立てれば仕事が立たず生活ができなくなる。仕事を立てれば、勉強する時間がなくなる。このジレンマにいつも悩んでいた。
詰まる所、この問題は、永遠の問題なのかも知れない。本当に学問をしたくとも、金がなければ、塾にも行けないし、優秀な付属幼稚園や小中高、そして大学へは行けない。確かに東大生の親は比較的お金持ちと言われていることある程度頷くことができる。
確かに偉い学生は、きちんと生活設計を考え、自分でアルバイトをしながら昼の大学に通っている。本当に、自分をコントロールできる凄い奴だと思う。しかし。そんな奴はまれだと思う。ゆとり世代と言われている方々はもちろん、そうではない中高年にいたるまで、自分中心の快楽的生き方、苦労をせずに楽しく生きていきたいという考えを主張したがる。会社に縛られたくない、自分の好きなことをやって生きていきたい。
それは、かなり甘いと思う。そりゃあ、自分の好きなことをして生きていけたら良いに決まっている。でも、会社は、就業規則や先輩後輩の関係やら、上司からの圧力など、ヘトヘトするぐらい多くの縛りがある。それを承知で入社しないと、長続きはできない。もちろん仕事がまともにできなければ、即刻解雇されるであろう。
一九七〇年代と二〇十九年の違いは何なのか。ひとつ言えることは、一九七〇年代はまだ、希望や夢を持つことができたことだ。その夢の実現のために、自分のできることをコツコツとやる奴が多くいたことだ。奴らは、それこそ、生活を無視してまでも、例え飯が食えなくなっても、創意工夫をして、自分の夢目や目的に向かって生きていたと思う。今より、センスは悪いかも知れないけれど、泥臭く荒削りの生き方かも知れないけれど、一生懸命生きていたような気がする。しかし、二〇十九年の今は、ほとんど刈り取られた後の田んぼや畑のように、なにも残っていない。それでいて何を植えたら良いのかも検討がつかない時代、いわゆる先行きが見えない時代でもあるのかもしれない。多くの若者が生きる希望や目標を明確にできない時代とも言える。悲しいことである。
村山はある程度自由で夢があり何でもやろうと思えばできた、まだまだ未開拓の分野がいくらでも広がっていた一九七〇年代が懐かしくもあり、羨ましくもあった。タイムマシンでもあればもう一度、その時代に戻ってやり直したい気持ちもある。
同窓会も終わり、大学の学舎も取り壊され、その跡地にはマンションが建設中である。自国に戻ってから早一年が過ぎようとしている。ちょうどインチョン空港で乗り継ぎをしようとしているときにクリスタルからSNSが届いて、五十年振りにコンタクトが取れた。今度はまたしても不思議なことが起こった。それは五十年振りに村山は中嶋玲子さんと再会することになったのだ。学生時代の憧れの人、大学入学後最初に好意を持った女性が中嶋玲子さんであった。まったく漫画の世界かドラマの世界だけだと思っていたことが今起ころうとしているのだ。相次いで起こる奇跡的な出会いいや再会、これは何を意味するのか。また、こんな偶然を誰が仕掛けているのかと考えたくなるくらいサプライズでミラクルであった。
実は、クリスタルさんと違うところは、コンタクトは数年前から取れていたということである。手紙が届いて、近況を知らせてくれたのである。実はそれまで別のところに住んでいたらしく、地元へと帰ってきたので連絡してきたらしい。そういうことで数年前から何回か彼女から手紙が届いていた。しかし、年老いた今、村山は彼女に会うことに何の意義があるのか、その理由が分からなかったので、そのままにしていたのである。ところが、彼女のほうから偶然にも会いたいと電話がかかってきたのである。電話番号は手紙が届いた翌年の年賀状に記載していたものを、彼女はメモしていてくれたからだ。
しかし、何か面倒くさい気持ちもあり、村山からあまり会うことに積極的ではなかったのだ。また、村山は、彼女がどんなふうに年老いていっているのか、あの十代の時のような面影は残っているのか、また自分自身も彼女への気持ちはあの時のようにときめくのかどうかが不安であった。それでも、村山は齢を加えた今の自分が、あの頃の純粋な気持ちを持ち続けられているのか、またその気持ちはどう変化しているのかを確かめたくなり会うことにした。
待ち合わせ場所は彼女の住んでいる町からも比較的短時間で来れる、JR大阪駅の中央口に決めた。彼女は待ち合わせ時間の三時に本当に来てくれるのか少し不安であった。また、たとえ時間通りに来てくれても本当に中嶋玲子さんであることの判断はできるのであろうか。不安は不安を呼び、村山三郎はなぜか青春時代のデートの待ち合わせをしているようなときめいた気分であった。
案の状、しばらくの間、あちこちそれらいい女性を見つけては、その女性にサインを送ったが、誰も振り向いてくれなかった。年格好や背格好と青春時代の彼女の風貌などの四十八年間の変化の過程を想像しながら、柱の陰や改札の近く、待ち合わせがし易い場所などを探したが、中嶋玲子であるという女性を見つけ出すことができなかった。 それらしい人に目を付けて、その人の前をわざと村山であることを知らせるようなしぐさで歩いても無反応であった。少し焦りが出てきた村山は、彼女の携帯に電話をしてもみたがつながらなかった。そうこうしているうちに時間は過ぎ、焦る気持ちがますます大きくなり、もうこれ以上探しても無駄なのかと、あきらめかけたとき、大きな柱に背を持たれるようにして誰かを待っている中年の小柄な女性が目に留まった。ダメもとで声をかけた。「中嶋玲子さん?ですか。」その女性は大きな目を開いて軽く「はい!」と答えた。先ほどから何度も素通りしていた女性であったのに、やはり、その方が中嶋玲子さんであることに気が付かなかったのである。少し、悔しい気分であった。それでも会えた喜びが、早く探せなかったという後悔よりも勝っていた。胸がドキドキしていた。村山は、彼女が年は老いているが、瞳や唇にはかわいらしさの影が残っていたので、あの頃のように嬉しかった。彼女に会えた感動が今までの逡巡を消し去り、心の中は晴れ晴れとして、癒されるように感じた。
五十年振りに出会った彼女は、青年時代より少し太ったように見えた。でも、村山を見つめる瞳は昔のままで、唇からこぼれる声も少し大人びていたが、昔の声と同じであった。当時の純粋な彼女への思いがわいて来るように感じた。背丈は百五十センチ弱の小柄のままで、見た感じは少し丸みを帯びているように思えた。顔は、やはり年には勝てないのか肌の張りや艶は少し衰えかけていた。それでも大人へと変化した彼女の姿を見られて感動した。
彼女の若い時の写真を四枚程度いただいた。自分であることを証明するためにわだわだ持ってきてくれていたのだ。その写真に写る十代の彼女、中嶋玲子さんはアイドルのようにめちゃくちゃ可愛い。土手の上に足を放りだして座り笑顔で髪をかき分けている写真、芝生の上で腕枕にして横たわって、こちらを誘惑する目で見ている写真」どの写真を見ても、思わず村山は「可愛い!」と声を張り上げてしまうほど可憐で美しい写真ばかりであった。その村山の歓喜の姿を嬉しそうに眺めながら中嶋さんは、少し恥ずかしそうな響きで「もう年を取ってしまったからね」と言い訳のように小声でつぶやいた。その声を聞き逃さなかった村山は、直ちに「いやぁ、今の中嶋さんも可愛いけれどねぇ」と言い訳のように笑い声発しながら言った。
その声に中嶋さんは「あの頃はよかったねぇ。お互い、まだ生き生きしていたし、何も怖くなく、なんでもできると思っていた。」と語りだした。村山も十代の最後で、まだ初々しく青臭い青年であった。帰りの電車がいつも一緒だったので、乗換駅まで一緒によく帰った。電車では連結部分によく乗った。連結部分は客席から独立してしたので、個室気分が味わえるから、お互い気に入っていた。彼女は電車に乗るや否や、はしゃぐように連結部分に向かう。連結で彼女はよく笑った。その笑顔はものすごく可愛く、思わずため息をつきそうになる。そして何よりも、その瞳の輝きには誰もが魅せられてしまうに違いない。そこで、将来のこと、住んでいる街や出身などについてはもちろん趣味や休みには何をしているのとか話をした。本の他愛のない話だが、それが楽しかった。お互い時間ができたら、どこか楽しいところへデートをしようと約束していた。
ところが、大学一回生の時の冬から、中嶋さんとは急に連絡が取れなくなってしまった。授業にも姿を表さなくなってしまった。村山が最後に彼女を見たのはあの学生運動のデモに青い鉢巻をまいた彼女が真剣そうな面持ちで行進している姿であった。それが最後でその後、彼女を見かけることはなくなった。まったく連絡はとだえてしまった。村山は、彼女の身に何があったのか、心配したり、いろいろ想像したりした。誰か好きな人ができたのか、別の道をたどるつもりなのか、それとも最悪、彼女に身に何か悪いことでも起こったのかと考えたりした。
そして、年が明けて、授業が始まって学友と再会を喜んで会話をする中で、風のうわさでは彼女は中退したと聞かされた。彼女にとっては約半年ぐらいの学生生活であったと思う。その間に彼女は様々な経験や苦労をしたのだろう。授業が終わって、一緒に帰ることがよくあった。いや村山から彼女に合わせていたのかもしれない。彼女とは阪急電車の淡路駅まで一緒だった。小柄だが、活発でそれでいて、何か人生を冷めた目で見ているのか、自分の世界を持っているのか、独りで耐えているような雰囲気を醸し出していた。男の村山としては何とかしてやりたくなるような、放っておくことができない女性であった。その彼女がどうしてなぜ学校に来なくなったか不思議であった。彼女を支えることも救うこともできたはずなのに、そんな思いを抱きながら大学を卒業して、会社員となり四十年間働き詰めで生きてきた。そして気が付けば七十歳も直前の身となってしまっていた。
しかし、卒業後も彼女に連絡だけは入れてあげたく、度々行っていた同窓会の連絡だけはしてやろうと思った。彼女の実家に連絡をしたのは三十年ほどまえのこと、その時には彼女は結婚をして、広島に住んでいるということであった。その時初めて長年燻り続けていた彼女への想いが、少しだけ肩の荷が下りたように楽になった気分がした。ところが、その後、不慮の事故で彼女のご主人が亡くなられ、それを契機として神戸に戻ってきたらしい。今は娘さんと同じマンションの一階と十階に住んでいるという。娘さんは現在三十代で結婚もされて子ども居られるらしい。娘さんのご主人は野菜屋さんを営んでおられ、家族でその店を切り盛りしているという。ということは、彼女には孫が存在することになり、それは世間でいうところのおばあちゃんになっているということになる。
なんという時間の悪戯であろうか。あのまだ高校生のような彼女が次に出会った時には、老婆へと変化の過程を立っていたことになる。何十年という時の流れが、映画でも見ているかのように、ほんの数時間の間に青年が老人へと変化をしてしまったように感じがした。
二人を引き裂いたこの時の流れが今度は二人をめぐり合わせることになる。人生とは何が起きるのかわからないとよく言われるが、それを実感できる村山であった。
二人の時間を埋めるように二人は良く喋った。最初は梅田の百貨店の珈琲店で、コーヒーを飲むだけの約束であったが、二人の空白を埋めるのはあまりにも時間が足りず、お昼のランチも一緒にした。現在の中嶋玲子さんは旅行が好きで、よく旅行に行くらしい。特に沖縄が大好きで、沖縄の人たちと話していると癒されるという。その沖縄人の開けっぴろげで、飾らない人柄が好きらしい。また、北海道も好きでよく行くらしい。さらに本を読むのもが好きで村上春樹さんのエッセイ集をよく読んでいる。しかし当初は村上春樹が少し気取っているようで嫌いであったらしいが、エッセイは自分をさらけ出しているので、好きらしい。
映画も好きで、テレビのオンデマンドでよく観るそうである。特に社会派の映画が好きらしい。洋画が好きだが、邦画もよしという。幅が広い。ただ、韓流は見ないという。また、お姉さんとお兄さん、お母さんとこの十年以内に相次いで亡くされ、落ち込んでいたという。胆のうも切除したという。村山と共通点が非常に多い。不思議なことである。
はるばる人生の長旅を続けている村山にとって、彼女との出会いは衝撃的ですらあった。十代の最後の年にであった彼女はまだ高校生の面影を残していた。たわいのない話でも、村山を見つめる彼女の瞳は輝いてキラキラしていた。村山は、これが夢に見た青春時代なのかと、自分がその主人公でもあるように舞い上がっていた。どんな話題でも唇からこぼれる言葉がすべて初々しく、楽しかった。
五十年振りに出会った中嶋玲子さんは、少し老けたようではあるが、当時の純粋な彼女への思いには変わりがないと思った。もし可能ならば、もう一度彼女と恋をしたいとも思った。しかし、危険であると思う。不倫になるし、過去に女性のことで何度もやけどをしたことがあるので、村山は、もう二度とそんな苦しい思いはしたくなかった。
しかし、体の底から彼女に惹かれている自分がいることに村山は気が付いた。それと同時に、すでに高齢者となっている村山の男性部分の塊が固くなってくるのを覚えた。えっ俺はまだ若い、まだ女性を愛することができるのかと、思わず村山は自分自身に感動してしまった。俺はまだ生きている。俺は高齢者ではない、まだ壊れてはいないと絶叫したい気分であった。そして、村山は思った。高齢者という狭い範疇だけで人間を判断するようなことはやめてもらいたい。人それどれに個性があり才能が異なり、身体的機能も違うのだと、村山は叫びたい気持ちであった。
厚生労働省の物差しで高齢者呼ばわりはしてほしくない。確かにたまにシニア割引とか何とか労わってくれて、助かる場合もある。そんなことに自分の命まで売り飛ばして、お年寄りになり切るのは、もうたくさんだ。この間、仕事を探しにハローワークへ行ったら、求人票には六十五歳以上の求人は非常に少ない。六十五歳以上の高齢者を甘く見ないでほしい。高齢者でも体力や能力や知力でも現役世代と変わらない。それどころか現役時代より力をつけて能力や知力をアップしている人もいる。この現実を見てほしい。村山は心の中で叫んだ。
人生、成住壊空は、年齢とともに生じるものではない。そういう工程が人間に組み込まれているとしても、目に見えるものではない。ある日突然やってくるものかもしれない。自分が予測しているより早いスピードでやってくることもあるかもしれない。逆に自分が想像するよりはるかに遅く進行するものかもしれない。ひょっとすると住の劫にいたはずなのに、気が付けば壊の劫の末で、空に劫の直前に立たされているかもしれない。これだから人生は不可思議で、奇妙で、面白いものと思う。
村山は、自分の人生の工程がいつどんな時に進行するのかはわからない。わからないから楽しく生きられるのではないかと考えた。DNA遺伝子とかで寿命が解明されたとしても、命の傾向性や個性の判断はできても、人間の生命の存在感や時間的情熱までは図ることはできないだろうと思った。そこにこそ人生の醍醐味があるからだとも思った。
中嶋玲子さんからは、何回もその後連絡があり、会いたいという連絡もあった。しかし、村山には一歩踏み込んで彼女に会える自信はなかった。このまま何もなかったかのように時の過ぎ行くまま生きていく方がよいと考えた。年を重ねやがてこの世から消滅してしまうまで、もう彼女には合わないほうがいいような気がした。
考えてみれば金原恭子さんともあれ以来逢うことはなかった。また、中島玲子さんともこのまま逢わなくなってしまうのだろうかと考えた。人生の出会いと別れとその苦しみを愛別離苦ともいう。その苦しみに人生の脆さ儚さを実感する村山であった。
それにしても、世間から見れば高齢者である自分が、青年時代と同じように恋や仕事や希望ということで悩んでいる姿は、村山自身にも滑稽に思えた。もうどうでもいいどうともなればいいと半ば捨て鉢になれば、それで気持ちもすっきりするとは思う。自分の好きなように生きればよいと思えば、それでもいいと思う。この老いていくという事実についての苦悩を救う術は、これからの人生で果たしてあるのだろうか。ただ、お墓への準備と終活生活だけを考えておけばそれで良いのだろうか。年を取るということは苦痛や苦悩を増すことでもあるのか、それとも苦痛や苦悩を和らげてくれるものなのか。以前あるテレビで見ていたら、高邁そうな医者がしゃべっていた。
「人間は年を老いて痴呆症や認知症になるが、それは死への苦痛や苦悩を感じさえないようにしている人間の装置みたいなものなのである。」
ということは、認知症になってもそれはそれでいいのかも知れないということである。しかし、できるならば死を直前にするまで自分は自分であり続けたい。家族のみんなに心配や手をかけさせずに「グッドラック」と言ってあの世に旅立つ直前まで元気で歩き回りたい、図書館へ出かけたり映画館へ出かけたり、散歩もしたいと思う。
ところで、輪廻転生って本当にあるのか、死んでもまた、この世に生まれてくるのかと村山はよく考えることがある。今生の行いの良し悪しでよい境遇で生まれてきたり、反対に悪いところに生まれてきたりするものなのか。宇宙はエネルギー不滅の原則によって、動いているので、決してエネルギーはなくなることはない。それでは人間の生命エネルギーはどうなのだろうか。生命も永遠になくなることはなく、この宇宙中を漂うのであろうか。それは魂が残るということなのか。これは不思議であり、不可思議でもある。生命あるものすべて、この森羅万象の全てが輪廻転生の法則で動いているのか。あれやこれやと逡巡しながら、村山は、自分は、この大宇宙の中に溶け込んでいくような死に方をしたいという結論に達した。宇宙や銀河や星空は自分の人生の苦悩や苦痛や全てのしがらみを忘れさせてくれるような気がする。
最近、村山は仏教でいう「成住壊空」という言葉にもなにか深く感じるものがある。この言葉は仏教用語で、釈迦の経典の中にある言葉である。仏教の世界観で、この世界が生成し消滅する過程を四つの時期に区分したものであるという。長阿含経巻という仏典で説かれており、その意味は成劫、住劫、壊劫、空劫の四つの宇宙の法則を示しているらしい。空劫が過ぎればまた成劫が始まり、この成・住・壊・空の四劫が循環して尽きることがないという。この『成』とは、宇宙空間にあるガスや塵が集まって塊となりやがて星となって輝き始めることであり、『住』とは、太陽となって周りの星や宇宙を照らし生命を育無ことであり、『壊』とは、やがて寿命が尽き赤色歪星等になって、最後には大爆発して塵やガスになることである。最後の『空』とは、塵やガスの状態でまた徐々に集まり始めて最初の星になっていくことである。
この繰り返しの中で宇宙は動き生きている。同様に、宇宙の一つである人間もこの法則に則って動き生きていることになるという。『成』とは誕生までの期間であり、『住』とは人生の主要期間である少年期から壮年期のことをいい、『壊』とは老年期から死に至るまでをいう。そして『空』とは死を意味し、宇宙の中へ溶け込んでこの世には何も存在しない状態のことである。この「成住壊空」は「輪廻転生」ともよく似ており、どちらも人間の生命が永遠に生死を繰り返していることを言っているようにも思える。また、科学でいうところのエネルギー不滅の法則にもよく似ているようにも思え、村山は、つくづくその奇妙で不思議な宇宙と人生との関係性に想いを馳せた。
自分も、この世に生を受け、親や学校や社会に育てられ成長し、やがて年を老いて動けなくなり死んでいくのは間違いない事実である。そういう観点から見れば、自分は今、『壊』の段階に入っているともいえる。『壊』の次には必ず『空』がやってくる。この順番を変えたり、入れ替えたりすることは不可能である。村山と同様に多くの団塊世代の人々は、今この『壊』の中にいることになる。いわゆる高齢化社会の中で、四人に一人が、この『壊』劫の中にいることとなる。これから先にはその人口比率は高まり高齢者が三人に一人となるに違いない。
赤ちゃんから成人までの人々はすべて『成』と『住』の時期を生きていることになる。この時期は、まだこれからという希望も大きく持て、積極的にまえへ前へと生きていく情熱もある。一方、悲しいことに『壊』の人たちには、生きる情熱とか希望とかあまり感じないような気がする。それが孤独死を生み、高齢者の生存の理由を蝕み、前途を暗くしているようにも思える。
村山は、ただ死を待つだけの『壊』の劫を生きたくはない。いつまでも青年と同じように夢を持ち、情熱を持ち、恋をして生きていきたいと思っている。老け込むという言葉は大嫌いである。生涯青春の生き方がしたい。いわば、青春時代のような希望と夢にあふれた情熱的な人生を、死の直前まで生き抜きたいと考えている。それはあたかも肉体的には老人かもしれないが精神は未来永劫、『成』『住』の劫を生きるということである。これができるかどうかはこれからの村山が自分の人生をどう生きるかに係っている。村山はこのように生きることを、自分で「再春時代」と呼んでいる。もう、そんなネーミングまで考えて、世間にその言葉をはやらせて、流行語大賞でも取りたいのと違うのかというご批判のお言葉もあるだろう。しかし、村山は本気でそう考えている。
とにかく、死を迎える寸前まで、もう一度、青年時代のような夢や希望や情熱を持ち続けて生きていきぬきたい。そして、『空』に入る直前に「Thank you Good luck!」と笑ってあの世へ旅立ちたいと決意している。
それまでは、夢をあきらめない、希望を捨てない、情熱的に生きたい。そういう生き方を司馬遼太郎の言葉を借りて「老春」を駆けるような人生を生きたいと思ってきた。しかし、「老」という字に抵抗を感じた。年は取ってもまだ、「老」人ではない、「青」人であるということを主張したいから、これを「再春」と呼ぶことにしたのである。
老人という範疇に入れられたからといって、人間としての人格や夢や希望や情熱が消えるものではないし、ましてや、人生一〇〇年時代といわれ、七十歳や八十歳など洟垂れ小僧ともいえ、まだまだ青春時代の想いや恋や希望や情熱を失ったわけではないいう高齢者たちの反乱ともいえる。もう一度、青春時代を生きよう、一生青春時代だという意味である。「生涯青春」という言葉もあるそうだが、それとほぼ同様の意味で「再春」だと思う。
これから老人といわれる年齢層の人口が三分の一ぐらいになるといわれている。それももう近い将来である。そんな時、自分はもう老人だから何もできない、体も動かない、頭も悪く忘れっぽいとか言い訳をして、働かず、酒を煽り、パチンコやゲームばかりの非生産的なことばかりをして、しんどくなったら病院へ駆け込み命乞いをする。そんな人生は生きたくないのである。国民の年金や健康保険料を食いつぶすだけ食いつぶし、歴史や現実の責任や目標は若い世代に任せるというそんな身勝手で自分勝手な老人だけにはなりたくない。
世間や社会もこれらの老人たちを、もっと元気で働き生き生きと生きられるように手を打つ必要がある。老人だからという枠を作ってしまい、ひとまとめに「老人」という定義で一括りして、固定観念のように差別するのはもうやめよう。老人たちはまだまだ社会や地域で活躍したいのである。光り輝く存在として一生この世で働きたいのである。
帰国前夜にインド料理の店で妻や娘夫婦と孫とでディナーをした。ウエイトレスの女の子は白人の美人の女の子であった。村山は気が多過ぎるのか、凄くかわいいと恋心をときめかせた。帰りの飛行機の中でも、これまた美人の白人女性が乗っていた。彼女たちは村山にとって天使のように美しく可憐に見えた。青く大きな瞳に鼻筋は綺麗に通り、肌の色は透明な白さをたたえている。村山は、文句なしに凄く綺麗だと心惚れ惚れとしてしまい、夢見心地で彼女たちを見ていた。そして、心の中で、「美しいものは美しい、まだ自分にはそのような若い情熱が残っていて、まさにこれが「再春時代」なのか。」と一人で思わずほくそ笑んだ。
村山は限りない喜びと力を感じて生きている。俺はまだまだ生きられる。まだまだ働ける。働ける間は働いて社会に貢献したい。世間や地域で必要とされる人間として役立ちたい。自分の特技や技術や知識がまだまだある。これらを使い切るまで生き続けたい。
そうだ、これからも自分を年寄りと呼ばせないような生き方を心掛けなければだめだ。これからはスタイルもファッションもカラフルで若々しいものにしよう。生きるということは、すばらしいことなのだ。その素晴らしい人生や宇宙や自然に感謝しながら、生きることが何よりも重要である。と村山は飛行機の中でずうっと考え続けた。
それにしても老いるということの苦しみや寂しさは、人間や生物、植物、この宇宙上のすべての物質に共通しているものなのだろう。苦しみや寂しさを感じられるかどうかは別にしても、その宿命的ともいえる、成住壊空の繰り返しは、終わることはない。永遠に続くだろう。そんな中で、地球という宇宙の中ではちっぽけな虫にもならないぐらい小さな星で生きている人間にとって、自分だけの小さな頭で考えても理解することができない人類の永遠の課題を解決することはできない。
死は必定である。特に、この度のコロナウィルスが多くの老人たちを恐怖の底へ突き落とし、死がすぐ自分の傍にいるという事実を強烈に突きつけた。死への道程が見えたが、この道がどこで終わるかも分からない。また、この死への行進を止めることはできない。これを否定してこの星に存在することなどできやしない。それならば、潔くその宿命と宿業を受け入れて、この人生を謳歌するほうが、賢いと思える。小さな悩みや苦しみなど、爪の上に乗せた砂粒ほどのものでしかない。そんなことに心を縛られ動かされて生きることなど、あまりにも非合理的である。
そう思考をめぐらせた村山は、自分の人生も老いは必定、死も必定であると悟り切り、この生を全うすることが大事であると結論した。もう、ちっぽけなことで悩んだり、失望したりすることはやめよう。死が直前に迫ってきても、自分の希望を失わずに情熱的に生き抜こうと決意した。
村山三郎は、大空を眺めながら思い切り叫んだ。
「誰が、夢や希望や恋や仕事にその年齢制限をしたのだ。そんな権利は神や仏でも、また、この大宇宙でもできないぞぉ!」
こう叫ぶ村山を、この星の、山や川や空や海などが祝福してくれているのを祈るばかりである。
(おわり)