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思緒

〈芋畑巨大バッタに驚けり 涙次〉



【ⅰ】


 * 時軸の「母ちやん」思緒は、なかなか人間界での生活に慣れない。何と云つても、クルマやバイクがびゆんびゆん飛ばす交通事情は、彼女にとつて、大袈裟ではなく、恐怖だつた。時軸の上司、牧野からしてバイク(ホンダ LY125fi)に跨り通勤して來るのだ。そこのところ、善人になつた山城太助は、主に交通弱者のお年寄りを日頃路傍で助けてゐるやうで、思緒は「人間變はれば變はるものだなあ」と思ふのだつた。魔界にはクルマもないし、バイクもない。それだけは美點と云へば云へた。



* 当該シリーズ第81話參照。



【ⅱ】


 それ以外は人間界、概ね彼女の氣に入つた。スマホも便利だし、テレビも面白い。たゞ交通の事に関しては、命を張つて道を歩いてゐるやうで、落ち着かない。横断歩道でも、信号があるのに、思緒は思はず手を挙げてしまふ。「カンテラさん、クルマにも乘らないし、バイクにも乘らない」さう云ふところがヒーローたる者の第一歩なんぢやないかな、と思緒には思へた。思緒は『仮面ライダー』シリーズは知らない。



【ⅲ】


 然し思緒は未だに、カンテラに直かに會つた事がない。雲上人のやうにも思へるし、また魔界で見知つた顔ぶれを澤山斬つて來た人でもある。近寄り難いのは致し方なかつた。麻(時軸)は一度話をしてご覧よ、いゝ人だから、と云ふ。それでも重い腰がなかなか上がらない。カンテラの方でもそれは大體予測はつく事であつた。



【ⅳ】


「まあ、彼女の氣が向いたら、でいゝよ。出來るならゆるりとお會ひしたい。魔界の事を色々訊きたいからね」とカンテラ。時軸「本当、臆病者の母でして」‐時軸、アパートの部屋に帰つて、思緒に云ふ。「確かに山城さんを善人に變へたのは安保さんだけど、その安保さんを見付けて來て、スカウトしたのは、皆カンさんの働きなんだぜ」‐思緒「それでも怖いのよ」‐時軸「しやうがないなー」



 ⁂  ⁂  ⁂  ⁂


〈隠れ月三日月だつたかもう少し肥えてゐたかは忘れてをりし 平手みき〉



【ⅴ】


 だがこゝで或る事件が起こり、思緒はカンテラ怖し、とばかり云つてはゐられなくなる。或る事件とは‐ カンテラはその日ふと思ひ立つて、閑を持て余すのも何だ、と思ひ、「開發センター」へと徒歩で出掛けた。彼は健脚で、それぐらゐの距離だつたら歩きで充分だ、と云ふ。で、彼は「センタ―」の廣壯な庭で、弓矢の稽古がしたかつたのである。



【ⅵ】


 そこでカンテラは、思緒が、例に依つて横断歩道を手を挙げて渡るのを見た。と、一台のクルマが暴走、危ふく思緒を轢きさうになる。が、カンテラ、弓をきりゝと引き絞り、矢を放つた。間一髪、クルマはコースを大幅に反れ、思緒は轢かれずに濟んだ。クルマの運転者は即死。この場合の即死は、事故による即死ではなく、カンテラの放つた矢による即死、である。「大丈夫かい? 小母さん」‐「貴方様は、カンテラ様では...?」‐「さうだけど。あゝ分かつた、思緒さんだね。時軸くんの『母ちやん』の」‐「今までご無禮してゐて濟みませんでした...」



【ⅶ】


 カンテラは一應、警察の事情聴取を受ける為、その場を離れたが、思緒は「この恩、忘れてはならぬ」と思ひ、改めてカンテラ・オフィスに赴いた。「思緒さん、うちで尾崎一蝶齋と云ふ者を飼つてゐる。そちらから話をするのは、だうだろう?」‐思緒は、健氣にカンテラに詫びを入れやうと思つてゐたのだが、だうしても身躰が震えてしまふ。カンテラとしても思ひ遣りを見せるべきシーンではあつた。



【ⅷ】


 尾崎とはウマが合つたらしい。長話をして行つた思緒。然し、わざわざ警察に出頭してまで、彼女を守り拔いてくれたカンテラを、よもや忘れると云ふ譯には行かない。それから大分時を置いてだが、カンテラとの直の面談が成功し、やうやく思緒、だうにか肩の荷が下りた。カンテラ「俺つてそんなに怖いんだなあ」‐尾崎「まあ彼女は魔界出身者だしね」。何でも輕く収める尾崎に、秘訣を聴きたいカンテラではあつた。



【ⅸ】


 長い時間(とき)が經つた。カンテラはすつかり思緒を手なづけてゐた。話をする度に、「あの横断歩道の」と繰り返す思緒。よつぽど印象的な出來事だつたらしい。カンテラにしてみれば、当然の事をやつた迄なのだが...。こゝ迄辿り着くのに大分時間を喰つてしまつた譯だが、兩者互ひに分かり合へたのは人生の収穫と云へた。これは決して大袈裟ではなく、眞實、だつたのである。追記として。



 ⁂  ⁂  ⁂  ⁂


〈さう云へば「バッタもん」の語源を知らず 涙次〉



 PSのPS:長らくの間、愛讀してくれた人が一人、戰線を離脱した。一言「飽きた」と云ふ。だが、作者としての私は、その一言だけを殘して引き下がるのは卑怯だと思ふ。書く方讀む方事情は違へど、カンテラを一度は愛した身ではないか。その事を胸に、私は明日もこの物語を書き継がうと思ふ。お仕舞ひ。


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