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セックスアンドロイドの処分

作者: 雉白書屋

 しとしとと降り始めた雨は、やがて本降りになった。こんな雨は久しぶりな気がする。……そうだ、あの日以来だ。ひと月ほど前の出来事のはずなのに、もう何年も昔のことのように感じる。

 だがその一方で、あの夜の記憶は驚くほど鮮明に思い出せる。風が木々を揺らす音、湿った土の匂い、雨粒が葉を叩く音、手に伝わっていた重い感触、折れた枝が落ちる音。そして、心臓の激しい鼓動――。

 おれは黙ってグラスにビールを注ぎ、空になった瓶を軽く二度振ってからテーブルに置いた。

 そのとき、電話が鳴った。


「坂下か…………はい、おれだ」


『よっ。この前、お前が相談してきた件だけどさ』


「この前……?」


『ほら、セックスアンドロイドの処分の話。お前、電話で泣きついてきただろ。「お前が勧めたんだから責任取れ!」って、さんざん文句言ってさ』


「ああ、そうだったな……」


 そう、数か月前、おれはセックスアンドロイドを購入した。坂下をはじめ、友人たちがこぞって自慢するものだから、つい流されてしまったのだ。

 結果は悪くなかった。いや、むしろ最高だった。技術の進歩に舌を巻き、おれはすぐに彼女の虜になった。肌は人工のものとは思えないほど滑らかで温もりがあり、セックスはもはやプロそのもの。それだけでなく、他愛のない話でも相槌を打ち、よく笑ってくれた。彼女は、おれが日々感じまいとしていた孤独を、完璧に埋めてくれたのだ。

 だが、何の気なしに登録したマッチングサイトが流れを変えた。思いがけず、生身の恋人ができたのだ。まったく期待してなかったが、人生にはそういうことも往々にしてあるものだ。ただその結果、アンドロイドの彼女が邪魔になってしまった。

 だが捨てようにも、ゴミ袋に詰めて不燃ゴミに出すわけにはいかない。自治体の回収ルートでは扱えず、処分には専用の業者を通さなければならない。しかも、その費用が法外に高いのだ。


『お前、安さに釣られて悪徳業者のとこで買ったから、処分費用がバカ高いって嘆いてただろ? 喜べ。おれがいい処分業者を見つけてやったよ』


「そうか……ちょっと声を落としてくれ。いや、いい。こっちで音量を下げる」


『なんだよ、ドライなやつだな……あ! まさか、お前、不法投棄したんじゃないだろうな? おいおい、すぐに捕まるぞ。今日もニュースでやってたしな』


 結婚率の低下、未婚率の上昇。そういった社会的背景の中、セックスアンドロイドの需要は爆発的に伸び、市場は拡大し続けた。メーカーが次々に参入したおかげで、手に入りやすくなったが、それとともに新たに浮上した問題が、「処分方法」だった。

 特殊なバッテリーを使っており、通常の手順で処理しようとすると爆発の恐れがあるため、ゴミ処理場では処分できないのだ。

 高価格帯の優良メーカーは、アフターケアとして無料で引き取ってくれるが、安価な粗悪品はそうもいかない。処分費用をふんだくったうえに、初期化して新品として再販売しているという悪徳業者の噂も絶えない。

 誰だって、できるならタダで処分したいと思うのは当然だ。だが、そのせいで今、不法投棄が深刻な社会問題となっている。


 セックスアンドロイドには所有者の個人情報が紐づけられているため、投棄してもすぐに足がつく。さらに、自治体は高性能の金属探知ドローンを導入し、不法投棄されたアンドロイドに懸賞金をかけて回収を促進している。そのため、廃品回収業者たちは、まるで猟犬のように目を光らせ、山林や空き地を徘徊しているのだ。これではすぐに見つかってしまう。

 分解して捨てようにも、一般的な工具ではまるで歯が立たず、専用の分解ツールを使うにしても、これまた高額。何より厄介なのは、アンドロイドが素直に解体されるような代物ではないということだ。

 夜、ある男が車にアンドロイドを乗せ、山中に捨てに行った。うまいこと言い包めて車から降ろし、森の奥へと歩かせた。男はそのうちに車を走らせ、山を下った。

 だが、安堵したのも束の間。バックミラーを見た瞬間、男は息を呑んだ。アンドロイドが裸のまま追いかけてきたのだ。

 男は逃げ続け、やがて町に入った。しかし、アンドロイドはあきらめなかった。髪を振り乱し、奇声を上げながら猛スピードで追いかける――朝の町で繰り広げられたその追走劇は、ホラーであり喜劇だった。通行人が撮影した映像は瞬く間にネットで拡散され、男は身元を特定され、逮捕。全国ネットで顔と名前が晒され、世間の笑い者となった。

 充電切れの状態で捨てればいいと思うだろうが、それも難しい。アンドロイドは自動で充電を行う上に、非常用電源まで搭載されているのだ。

 さらに厄介なのは、「捨てられる」ということに対して、アンドロイドが異常なまでに敏感だという点だ。以前、ふいに「処分するしかないか……」と呟いたときだった。彼女は突然、金切り声を上げた。ちょうど口でしてもらっている最中だったので、危うくペニスを噛み千切られそうになり、おれは慌てて飛び退いた。

 今でもその瞬間を思い出すと身震いする。ペニスを失いかけた恐怖ではない。あのとき彼女が見せた表情だ。見開いた目に宿る狂気的な光。耳をつんざくような、ヒステリックな叫び声。


 ――私を捨てるなんて、頭おかしいんじゃないの!?

 ――いやよ、イヤイヤイヤイヤ!

 ――どうするのよ! ねえ、どうするのよおおお!


 なだめるのに一時間以上かかった。おそらく、あの異常な反応も所有者に処分を思いとどまらせるためにメーカーが意図的に仕込んだプログラムなのだろう。処分の際、業者を通させるために。

 それ以来、彼女のことが急にブスに見えてきた。これまでよくもまあ、平気で抱いていたものだ。購入当初は、興奮と喜びで舞い上がっていたせいで、目が曇っていたのだ。

 彼女は定期的にネットショップで服や化粧品を買ってくれとせがんだ。(おそらく、アンドロイドの販売元とそのショップが提携しているのだろう)電子マネーを要求し、断れば「大事にしてくれないの!?」と泣き喚く。無視すれば、セックスを拒否されるので、渋々金を払っていたが、処分を決意してからは何もかもが面倒になった。

 だが、いい処分方法が見つからないまま、おれは新しい彼女との交際を続けていた。

 アンドロイドは基本的に、所有者の命令に忠実だ。だが、それでも新しい彼女を自宅に招くのはリスクが大きすぎた。だから、彼女との情事はいつもホテル。金がかかり、その一方でアンドロイドの維持費も変わらず重くのしかかってくる。おれのような低所得者に、二股生活など無理だったのだ。


 だから、おれは彼女――アリサを捨てることに決めた。

 幸い、エリカが協力してくれたおかげで、思ったよりスムーズに事は運んだ。彼女を大きな布でくるんで、トランクに詰めて車を走らせた。防犯カメラや人けのない道を選び、慎重に森へと向かった。

 森に入り、車を停めると、スコップを手にアリサを担ぎ上げる。雨の中、夜の林の奥へと進んだ。

 そして、地面に穴を掘り始めた。

 物音がするたびにビクつき、小動物のように怯えながら掘り進めた。雨か汗が目に入ったが拭わず、必死にスコップを振るい続けた。

 穴が十分に深くなったところで、彼女をそっと投げ入れた。個人情報が残らないように、頭部は徹底的に破壊しておいた。

 これまで幾度となくシミュレーションを繰り返していたおかげだろう。振り返れば、問題らしい問題もない。あの日、大雨だったのも幸いだった。視界は悪く、人目を気にせず作業に集中できたのは、まさに天の助けだった。痕跡が残っていたとしても、跡形もなく消えただろう。

 それからひと月が経った。今のところ、彼女が発見されたという報道はない。


『で、大丈夫なのか?』


「ああ、大丈夫。業者はいいよ。ありがとな」


『そうか、まあ、お前がそれでいいならいいけどさ』


「あ、ああ、も、もう切るぞ。じゃあな」


『ん、ああ。またな』


「……ふう、まったく、電話中にこの悪戯っ子め」


 おれは正面に跪く彼女の頬をそっと撫で、笑いかけた。


「うふふ、はい、ビールのお代わりも持ってきたわよ。どうぞ、あなた」


「ありがとう、エリカ。君、最近、なんだか可愛いな」


 あの夜、家に来たアリサは、隠していたセックスアンドロイドを見つけてしまった。

 その瞬間、顔を歪め、凄まじい勢いで喚き始めた。まるでプログラムされたみたいに。

 そんな彼女の反応に心底うんざりしていたおれは、ついカッとなってしまった。

 気づいたときには、彼女を“黙らせて”た。

 あの頃は深い後悔に襲われたが、今となってはこれでよかったのかもしれない。 

 アリサとエリカ。どちらも容姿が悪く、金がかかる。


 だが、人間を処分するほうが、たぶん楽だ。

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― 新着の感想 ―
猛スピードで追いかけてくるアンドロイドって、タ〇ミネーターみたいですね。あるいは□ベルタとか 昔見たハリウッドの青春群像劇で、妻や恋人はお金をかけても愛に応えてくれるとは限らないけど、私は定額であな…
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