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目の前に広がる空間には、禁猟エリアとは思えぬほど穏やかで神秘的な空気が流れていた。
光を拡散させながら水しぶきを上げる滝。流れ落ちた水は穏やかな水面を湛える水源となる。
「さあ、皆で下に降りましょう!」
今いる場所よりだいぶ高低差があるが、壁伝いに下まで降りられる傾斜があった。一人上機嫌なレベッカは、慣れた足取りで下まで続く傾斜を軽やかに歩いていく。
「ダフ、本当にやるの?」
声を潜めたリアナと、返答を待つアデルとメリッサに見つめられ、ダフが腕を組んで前方を睨む。
「ここなら魔物もいなさそうだし、やるなら、いまだ」
ダフの作戦とは、
「アデル。メリッサに呪われろ」
味方に呪いをかけること。
テイム状態にある現時点では、意図的にレベッカを傷つけることや意に反することは制御されてしまっている。
しかし、呪いの状態は別だ。
『昔テイマーと組んでたときがあったが、従えていた魔物たちが呪いの攻撃を受けたとき、制御できていなかった』
黒狼の餌やりのあとでの作戦会議でダフはこう説明していた。
『つまり、誰かを呪い状態にして、レベッカを攻撃するのね!』
『いや、違う。レベッカの戦闘能力がわからない現状で、呪われた状態での戦闘は勝率が低い』
『なら、どうするのよ』
ダフの答えは……。
「アデル、うまく俺を攻撃しろよな」
ダフの答えは、『味方を攻撃する』だった。
「同士討ちは、昇級判定を阻害する、だっけ?」
ダフに苦笑いされたアデルは、自身の愛用の武器である長剣ではなく、小型のナイフを手に取る。
「あまりグズグズしてる暇はない。いけ、メリッサ」
レベッカに懐いているこのヒーラーに逡巡の隙を与えないためにも、ダフは煽る。
「は、はい……!」
勢いに押されてメリッサは呪いの言葉を魔力に乗せ、アデルにぶち当てた。手の平からあふれ出た光は、まっすぐにアデルに吸収されていき、途端にアデルの呼吸が乱れる。
「ヒーラーなのに人を呪えるって珍しいわよね〜」
一人部外者なリアナが呑気に感想を言っている中、呪いで錯乱状態になったアデルがダフを襲う。
「あなたたち! なにをやってるの、やめなさい!」
ようやく異常事態に気付いたレベッカが、ペットのケンカの止めに入るかのように声を掛けたのも束の間。
ナイフを振り回して、近くのダフに襲いかかるアデル。それを盾で受け止める、ダフ。その激しい攻撃音とともに、ズリズリと音を立てて、暗がりから這い出てくる何か。太い木の幹のような影が、ゆっくりと地面を擦っていた。
「なんで仲間割れなんかしてるの! しかもこんなところで!」
同士討ちを目論むダフではあるが、致命傷や重傷はもちろん負いたくない。アデルのちょうどいい太刀筋を選んでいたため、レベッカの警告など無視をしていた。アデルも錯乱状態なので、警告など聞く余裕も無かった。
そんな事に気づかないレベッカは、慌ててアデルとダフの元へ駆けていく。
「やめなさい! ここがどこだと思っているの」
最初は喧嘩をしていることに怒っているのだとダフは思っていたのだが、レベッカの様子がどこかおかしい。とても焦っているようだ。
「あなたたち、なんでここに魔獣が全然いないのか、気がついてないの!?」
なぜ禁猟エリアの、危険な魔獣の蠢くこの地において、ここだけ魔獣がいないのか。考えられるパターンは大きく二つ。魔獣が住みにくい土地なのか。それとも、すでに魔獣がいるのか。
「ここは主の縄張りなのよ! ああ、もう! 争いさえなければ静かにしてるコなのに……!」
静かに勇者御一行に忍び寄っていた、巨大なウワバミの形をした魔獣は、様子見をやめたのか一直線にアデルに飛びかかった。
錯乱状態の中でも意識はすべて消えていたわけではないアデルは、目の前が血に染まるのをただ見つめていた。
自分を庇ってウワバミに腕を噛まれたレベッカの血を。




