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全ての食材は生き物〜「余命わずかだからと追放された聖女ですが、巡礼の旅に出たら超健康になりました」


「怖くないのか?」

 何が?と視線で問えば、アイゼンもまた視線で自分の手元にある獣だった肉の塊を指した。

 血で汚れたそれは確かに恐ろしげではあったが、不思議と嫌悪感は湧いてこない。

 アイゼンの手つきに迷いがないせいかもしれない。

「……私は世間知らずですが、全ての食材が生き物だということは理解しているつもりです」

「そうか」


作品:余命わずかだからと追放された聖女ですが、巡礼の旅に出たら超健康になりました /作者:マチバリ/21話「いいから君は肉を食え」より



弱い生き物を殺してその命をたべて生きる。この最も重要であたりまえの事実、弱肉強食という生存基盤をまっすぐみつめる作品はとても少ない。そこを見てしまえば人は偉そうなことを言えなくなるから、殺したりバラしたりは見えない場所で誰かにやってもらって、美味しい料理=弱者の命を食べた口を拭って児童保護やジェンダー平等を語り、愛らしい動物動画に癒やされ、グロテスクを見ないで済むサバイバルやスローライフを思い描いている方がずっと楽しい。──でもそれで本当によいのだろうか?と、誰でも一度くらいは考えたことがあるのではないだろうか。


今回感想文の対象とした作品は、よくある聖女追放の物語だが、本当にめずらしくこの点──全ての食材が生き物だということ──を、聖女自身の口から言わせていた。そこをきちんとみつめているこの聖女の「祈り」は本物だな、というのが私の感想になる。日本人が敬遠しがちな宗教、信仰という哲学は本来この課題──弱者を犠牲にして生きる自分をどう肯定するのか──に答えを出そうとする有史以来の試行錯誤でもあり、その一つの答えがより高き存在(神など)への「祈り」という行為となり姿勢となる。それを遅れた文化と見下す社会なら、被害者の立場を奪い合う争いが今後も延々とつづくことだろう。


この作品の主人公である王女プラティナ(転生者ではない)は、女王の座を乗っ取った魔女(主人公の継母)によって幼い頃から神殿に幽閉され、生かさず殺さずの状態で聖女の力を奪われ利用されつづけてきた。けれども衰弱による余命宣告と異母妹のわがままをきっかけに、聖地巡礼の旅へと追放されたことで聖女本来の力を発揮しはじめ、最終的に護衛騎士アイゼン(元は流れ者の傭兵)たちとともに魔女を倒して国をとりもどす。プロットはオーソドックスだが、聖女の敵がズバリ魔女という設定はありそうで意外にないというか、そもそも聖女が魔力を使うことが半ば常識の異世界作品にあって、聖なる力と魔の力の区別がある程度描かれていた点は、個人的に注目した部分でもある。


異世界作品の聖女のスキルつまり聖なる力は、瘴気や呪いの浄化、魔物を寄せつけない結界、怪我や病気の奇跡的な癒やし、天候や大地の回復など多岐にわたるけれど、その力は勇者と比較すればより神秘的というか、魔王を倒す攻撃力とは一線を画す普遍的な力(世界に作用する力)であることが多い。勇者が神から力を与えられた人間であるとすれば、聖女は「人の子」として地上に降りた女神ともいえる。作者がそのように設定しているということでなく、異世界作品に出てくる聖女の力と立ち位置を俯瞰してみるとそのような結論になる。


ところで「魔」という文字は人を迷わす、善事を害する、悪をなすものというのが本来の意味で、「聖」とは真っ向から対立する。つまり聖女の魔力とか聖属性の魔力いう表現は、魔女の聖力、魔属性の聖なる力というのと同じ矛盾になってしまう。また聖力せいりょくという日本語は「精力」を想起させてしまうからか、異世界作品では滅多に使われない(この作品でも「魔力」とされている)。これを「聖なる力」という句にすれば違和感は消えるけれど、いかんせん簡潔な二文字単語の魔力にくらべると使い勝手が悪い(別作品で「神聖力」という言葉が使われていたけれど、こちらの方がイメージ湧きやすいかもしれない)。たぶんそのあたりが原因になって、異世界作品の魔力という言葉は聖と魔が混濁した用語として使われつづけている。その結果、聖女と魔女は質的に同じ存在となり、行為の善悪だけが両者を分ける形となってしまっている。


それがフィクション上の設定であるからこそ、魔力とは何か、聖なる力とは何か、とくに魔力と聖力をどのように区別するのか──このあたりに踏み込んでみることも有意義だと思う。そこを明確にすることで異世界というファンタジー世界の成り立ちをより強固にする物語、教会と孤児院しか出てこないような“宗教の利用”をのりこえる作品も可能になるのではないか──そんなことを感じた作品でもあった。


余談だが、この作品には護衛のアイゼンが栄養失調のプラティナに肉や魚を食べさせよう、体力をつけさせようとする場面がよく出てくる。引用した作品本文もそういう一場面だが、どの場面でも現地の食事が美味しそうに描かれていた。大事なことだと思う。異世界作品とくに主人公が転生者の作品には、異世界の食事は不味い、遅れている、味が薄い、香辛料でごまかしている──といった表現が平気で出てきたりする。そういう設定は自由だが、自分が慣れ親しんできた味=現代の食事が一番という目線なら、今一度省みるべきだと思う。中世風の異世界にコンビニスィーツはないだろうが、現代よりも瑞々しい果物の甘味ならずっと身近にあったかもしれない。どちらの「食」がより豊かだろうか。


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