男の子のリアルが見えてしまう姉という座標〜『死にたくないので暴虐将軍にモブ酌婦としてすり寄り、媚びを売りまくった結果』
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「……カブトムシを、俺が喜ぶと?」
「そりゃあ」
色気がないので愛嬌で勝負するしかない私は、両手を頬に当てるなどしてポーズ。
「男の子って、こういうの、お好きでしょ?」
「ぶっ。はははは!」
いきなり、将軍は笑い出した。
「男の子、と来たか! このカレドを! ははは!」
作品:死にたくないので暴虐将軍にモブ酌婦としてすり寄り、媚びを売りまくった結果/作者: 遊森謡子/短編。今日現在(25/06/13)短編ランキング5位
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大人目線ではどうやっても開かない「箱」の名前は何だっけ? 十歳ぐらいまでは知っていたような気もするけど忘れてしまったな──。この短編を読んで考えていたのは、そんなことだった。
作中の暴虐将軍カレドのセリフとダブってしまうのだが、作者には男兄弟がいるのだろうか。かくいう私は姉もちの弟で、「男の子」をとらえる作者の視線が姉に似ているというか、妙なところでリアルを押さえているように感じて、そこに親近感を抱いたのかもしれない。
知っている人は知っている通り、リアル男の子というのは汚い、臭い、ジャマだから外で遊んでろ!というのが私の少年時代だったが、それでも身近にいれば、まあ見るべき部分がない訳でもない──といった感覚も生まれて来るようで、それが家族としての姉や妹になるのではないだろうか。とくに「男の子ってそういうもの(昆虫とか釣り竿とか)に興味もつんだ」と、男子が何に興味をもつかに興味を向けてきたのが私の姉で、私の方は逆に「何でそんなことに興味もつんだ?」とふしぎだった記憶がある。
で、この作品は、強者に迷わず媚びを売って生き残る主人公フィルゼの弟語りが自然というか、四六時中弟のことを気にかけている訳ではないし(それは子離れできない母親の感覚だろう)、それでも家族として心配はあるし──といった距離感が、私には妙に説得力があった。
弟のために頑張る健気なお姉ちゃん──。これは女の子をヒロインにする一つのテンプレで、私自身そういうヒロインも好きだから、「現実は違う」などと力むつもりはない。フィクションはフィクション、リアルはリアルという棲み分けで楽しめばよい部分だし、この作品のようにフィクションをひょいと“横切ってゆく”リアルもある。それがうまくハマるとテンプレでは伝わらない感覚が伝わるようになる。
……と、こんな書き方では「何言ってんだこいつ」になりそうだから、これも私の体験で恐縮だが、昔の恥をさらしておこう。せっかく捕まえたカブトムシを森へ帰しに行った日、姉はめずらしく麦茶を冷やして私の帰りを待っていた。空っぽの虫カゴが寂しかった私は、見抜かれたような気がして、ぶっきらぼうに対応してしまった。他愛のない話だ。
書いてみたら、物語の本筋とは関係ない感想文になってしまいました(作中で弟が絡むのはごく一部)。申し訳ありません。(_ _)
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