物語という宝石の発掘〜『なぜか男爵令嬢に親切な公爵令嬢の話』
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「良かった。そのドレス、とてもお似合いですわ。ルシアさん、紹介しますわね。昨年学園を卒業した私の婚約者のレスター第二王子よ。レスター、こちらはルシア・ノーザン男爵令嬢」
「やあ、君が裏庭の天使か」
とんでもない二つ名に周りがざわめく。最も驚いている私は、淑女の礼も吹っ飛んで呆然と王子を見るだけだ。そもそも「王族への挨拶」なんて、私のキャパには無い(泣)
作品:なぜか男爵令嬢に親切な公爵令嬢の話/作者: あんど もあ/短編
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この作品は短編で、ネタばらしは作品ぶち壊しとなってしまうため、関心ある方は作品を直接読んでいただきたい。私はこの作品が短編部門の第1位にランキングされた週に何の予備知識もなく読みはじめて、オー・ヘンリー(『最後の一葉』作者)の上手な短編みたいだ──と感心してしまった記憶がある。
転生ものに代表される“なろう系”小説は、文章による創作表現と創作者の裾野を大きく拡げてきた。出る杭は打たれるで「しょせん素人の遊び」とか「なろう系作者はバカ」とか、口汚く貶める向きが賑やかなのは周知の通りだが、誰も読まない大手文学賞作品などもはや森林資源の無駄使い。新聞雑誌(とその読者世代)に歩調を合わせて天寿を全うすることだろう。
いつの時代でも創作表現は楽しんだ者の勝ちで、近年ならボーカロイドが進化させた音楽と表現者の裾野拡大は記憶に新しい。こうしたムーヴメントの根っこにあるのは「面白そう。自分もやってみようかな」という素朴な感覚だと思う。なろう系小説でいえば「君を愛する気はない」で始まる“白い結婚”が甘々の溺愛に変化したり、異世界召喚で一人だけ無能扱いされた主人公が隠れスキルでざまぁしたり──というテンプレートは、同じ状況なら自分はこうしてみたい・ああしてみたいという、想像と表現意欲をかきたてるキャンバスになっている。
で、ちょっと強引だが、自分でも物語を描いてみたくなるこのテンプレートを、ここでは「なろう系キャンバス」と呼ばせていただく。このキャンバスに描ける絵、描かれてきた絵は当然、中世ヨーロッパ風の貴族社会とか、剣と魔法のファンタジー世界を舞台とする恋愛や冒険の物語になる訳だが、このキャンバスには、悪役令嬢の逆転ストーリーや勇者パーティーから追放された主人公が実は最強、だけでなく、まだまだ多くの物語が埋もれている。それこそ未発掘の宝石のように埋もれている。ではテンプレ以外のどんな物語が埋もれているのか。
今回とりあげた作品『なぜか男爵令嬢に親切な公爵令嬢の話』は、短編だが、この「なろう系キャンバス」に描かれた作者独自の絵、埋もれていた一つの物語になると私は受けとめている。冒頭に引用した会話は、公爵令嬢と婚約者の第二王子が、身分や立場という自分の役割をきちんと果たそうとしている場面。二人はなぜ、背負わされた立場と役割を、ここでは誠実に果たそうとしているのか。作者はそこにどんな物語を見つけたのか。それはきっと、無名の老画家が壁に描いた最後の一葉に何の意味があったのか──それと同じ問いになるのだと思う。
■蛇足
公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵という爵位の序列を、私は悪役令嬢ものを読むようになって自然に覚えてしまった。だからこの作品の公爵令嬢と男爵令嬢の上下関係も自然に「分かる」けれど、これは必ずしも世間一般の常識ではない。中世貴族社会に関する厳密に正しい知識でもない。それでも、以前の私は公爵と侯爵の違いを意識したことはなかったし、ましてや辺境伯の存在や独自性など全く知らなかったのだから、確実に一つの学習になっている。
誤解を怖れずにいえば、それは史実としての貴族社会の学習ではなく、身分という序列と役割を軸にした社会の「再発見」になるのだと思う。なろう系の令嬢ものでは、貴族社会の一見不自由な結婚=家の都合による政略結婚が、頭から非難されるよりも「そこから始まる結婚もあってよいのでは」という視点で活用されることが多い。事実「そこから始まる結婚(=役割を軸とする盟約)」を舞台に面白い物語が書かれてきた。それは結局、両性の合意に基づく平等な婚姻=幸せという神話が色褪せた現実の反映でもあるのだから、別に保守的でも反動的でもない。むしろ前向きな手さぐりといえる。色褪せた神話にしがみつくより、よっぽど建設的かもしれない。
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