転生者とは誰のこと?〜『乙女ゲームの当て馬悪役令嬢は、王太子殿下の幸せを願います!』
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「最近学院の一部でリーゼがアイメルトを虐めているという噂が立っている」
「ええ。そうですわ」
「…事実なのか?」
「はい」
「アイメルトにも直接聞いてみたが『それは違う』と言われた」
「アリス様の言う事に惑わされないでくださいませ。平民出の小娘と婚約者のわたくしと、どちらを信じるのですか!」
作品:乙女ゲームの当て馬悪役令嬢は、王太子殿下の幸せを願います!/作者:waga/第7話「想いは届かない」より
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悪役令嬢ものはとっくに飽和状態で内容も大同小異、作品は玉石混淆という現状だが、この作品の悪役令嬢は個人的に推し。あさっての方向に突き抜けてるキャラが潔い──などと屁理屈を並べるより、要は好きなタイプと言う方がそれこそ潔いかもしれない(笑)
この悪役令嬢エリザベータは転生者だが前世の記憶はほとんどない。どんなふうに生きてどんなふうに死んだかも思い出せない。覚えているのは「どハマりしていた乙女ゲームの事」だけで、とくに攻略対象の一人、婚約者でもある王太子クラウスが「最推し」だった記憶と感覚は、転生エリザベータのキャラにそのまま反映されている。
転生エリザベータは王太子クラウスが暗殺されて終わる未来を全力で潰し、原作ヒロインと結ばれて「末永く幸せに」暮らす未来を実現すべく奮闘するのだが、その努力と献身のズレ具合が傍目には健気で、婚約者からも原作ヒロインからも最も愛されるキャラに育って行く。本人は原作通りの悪役として虐めてるつもりが、肝心の悪意がないものだから結果として親切になっていたり、徹底して推しの幸せをもとめる姿勢が、「クラウス様に顔がかわいくて性格もよい嫁を!」という偽善を突き抜けた純愛にまで達していたり(もちろん無理はしているけれど)、コミカルな展開がシリアスを上手に引き立てている。
前述のように、この転生エリザベータは前世の自分の名前も年齢も家族のことも覚えていない。前世での生活や性格にかんする記述もない(作品終盤に感覚的な記憶が少しだけ出てくる)。そうなるとこのエリザベータがいわゆる転生者なのか、初めからこの世界にいるエリザベータが前世の記憶という形で異世界のゲーム知識をもっただけなのか、正直微妙という気がする。そもそも転生とは何なのだろう。
いま仮に、現代の日本で生きる私が、異世界で死んだAという男の記憶を不意に思い出したとする。これはAが私に転生した状態、私がAになってしまった状態だろうか。そうではないと思う。むしろ私は私のままで、私の記憶にAの記憶が足されただけ(人格は私のままでAの記憶を共有するようになっただけ)──ではないだろうか。
けれども、思い出した記憶が情報でなく「前世の私はAだった」という自覚であったとすれば、Aが私に転生したと言える状態になるかもしれない。……と、ここまで書けば明らかなように、転生というのは表現次第でどのようにでも定義できる実体のない用語でもある。だからこそ注意を向けたいのは、転生者というのは人格的に誰のことなのか──という部分になる。
この感想文シリーズで最初にとりあげた作品『はめふら』の悪役令嬢カタリナは、事故で亡くなった高校生の記憶=前世の記憶を8歳のときに思い出し、思い出すと同時に人格はリセットされてしまう。甘やかされて育った我儘なカタリナ=本来のカタリナはここでお役御免となり、以後は転生者の人格がカタリナとなる。この作品にかぎらず「目覚めたら悪役令嬢だった」の作品は大体このパターンだが、これは要するに人格乗っ取り型の転生、転生という名の人格乗っ取りでもある。(そのあたりに着眼して、乗っ取られた本人が乗っ取った転生者に復讐する作品もどこかで読んだ記憶がある。)
一方、二作目でとりあげた『ティアムーン帝国物語』の場合は、現代の誰かが異世界の他人に転生するのではなく、主人公ミーアが12歳の自分に戻る──つまりは同一人物の時間遡行と若返りの転生だった。この転生では人格はそのまま継承され、経験というアドバンテージ(未来がどうなるか知っている)をフル活用して「やりなおし」を試みることになるパターンなので、人格の排除や衝突は起こらない。
以上のように、乗っ取り型の転生なら人格は転生者、若返りの転生なら人格は自分のままになるけれど、この三作目エリザベータの場合はどうだろう。小説の記述では人格は転生者になっているようだが、この人格には元のエリザベータも引き継がれているんじゃないだろうか(エリザベータは元のエリザベータであると同時に転生者でもあるという状態)。そう感じたというだけで根拠はないのだが、もしそういう転生もあり得るなら、それは人格共存型の転生ということになる。それを可能にするには、この作品でいえば前世をバッサリ切り捨てるなど、それこそ転生というドラマツルギーを自ら否定するような思いきった設定が必要になると思う。
異世界で赤ん坊からやりなおすにしても、十代に若返るにしても、転生先の肉体にも必ず人格はある。仮にそれが子どもを虐める継母であったとしても、その人格を勝手に押しのけて転生者が自分の正義や価値観を語り出せば、盗人猛々しいと言わざるを得ない。そういう意味でも転生悪役令嬢ものは原作キャラ(前世の記憶を取り戻す前の人格)と転生者の人格を共存させる工夫、とくに転生前の人格を尊重する姿勢が必要ではないか──と個人的には感じている。
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