D級テイマー、継承式の日を迎える
夜明け前。
薄明かりが城の尖塔に差し込み、厳かに鐘が鳴り響いた。
この鐘の音は、国中に継承式の始まりを告げるものだった。
城下町では、既に人々が集まり出し、祝いの旗や装飾が彩りを添えている。
一方、城内では早朝から大勢の従者たちが忙しく立ち回り、騎士達は警備の最終確認を行っていた。
廊下を行き交う足音、衣装の布擦れの音。
そして侍女達が慎重に運ぶ、銀食器が立てる微かな音が交錯する中、緊張感が漂っていた。
アルデールの部屋では、専属の従者達が王族の正装の準備を進めていた。
彼は鏡の前に立ち、王位継承者としての威厳を示す為の深紅の衣装に袖を通していた。
従者の男は、慎重に衣装を整えながら満足げに頷く。
「皇子。この衣装は、国王様もご使用になられた伝統の品です。とてもよくお似合いですよ」
アルデールはその言葉に微かに頷きながら、静かに鏡越しに自分の姿を見つめていた。
その目には不安や動揺はなく、ただ静かな決意が宿っていた。
「この国を護る。それが母上や父上の願いであり、今の私の使命だ。」
エルヴィンがその背後から現れ、嬉しそうに兄の横に立った。
「兄上。今日の貴方は、何だか少しだけ父上に似て見えます」
アルデールは、その言葉に苦笑しながら振り返る。
「それは褒め言葉だと受け取っておこう。だがエルヴィン、今日はお前も、この国の新たな一歩に誇りを持って立つ日だ。決して怯むな」
「はいっ!」
エルヴィンはその言葉に少し驚きながらも頷き、心に静かな決意を宿した。
準備を終えた二人が部屋を出ると、其処には既ににレン、スライム、マオ、ディーネ、ウォルター、フウマが揃って待機していた。
彼らはいつもの護衛の姿だが、その表情からは緊張に色が窺える。
「おはようございます。お二人共、準備は万全のようですね」
「お前達はそのままなのか」
「生憎、式典に来て行く様な衣装は、持ち合わせておりませんので…」
少しだけ苦笑するウォルター。
深く息を吸い込み、アルデールの前で真剣な目を向ける。
「殿下、護衛の立場である以上、我々は貴方の為に出来る限りの事をします。例えこの命をかけてでも」
アルデールはその言葉に少し驚いたような表情を見せたが、すぐに頷いた。
「あぁ。よろしく頼む」
「いいなっ。俺もあんな格好いい服が着たいぞっ!」
「高そうだから駄目だよ、マオちゃん…」
少し眠たそうな声でレンが言う。
結局のところ、昨日は夜が明けようとする頃に眠りに就いてしまった。
「眠そうだな?」
「あはは…緊張して寝付けなくて」
「レンはディーネに叩き起こされたんだぞっ」
良くて一時間の睡眠だろうか。
ディーネに激しく叩き起こされたのは、いい想い出である。
「そ、そんな事ないですよっ。ただ引っぺがしただけじゃないですか…っ」
「いや、あれは鬼気迫る勢いだったよ…?」
「だ、だってっ。レンさんが幾ら起こしても起きないから、つい…」
申し訳なさそうに頭を下げるディーネ。
悪いのは寝付けなかった自分であり、彼女の所為ではない。
途中、厨房のあるパントリーの前を通りかかった。
「これほど多くの来客を迎える式典は久しぶりだ。ミスのないよう、全ての料理を完璧に仕上げるぞ!」
「「はいっ!!」」
料理人は、少し嬉しそうに厨房スタッフに話しかけている。
その意気込みと共に厨房内は、まるで戦場の様に慌ただしくなることを予感させた。
式典会場の大広間へ行くと、シリウスが警備の最終確認を行っていた。
来賓達を迎える為に準備された広間は、豪華な装飾が施され、煌びやかなシャンデリアの光が会場全体を照らしていた。
金箔が施された壁面には王家の紋章が飾られ、広い空間に高級感と格式を感じさせる雰囲気が漂っている。
中央には、豪華な立食形式のテーブルが並べられ、大皿には色とりどりの料理が美しく盛り付けられていた。
ローストされた肉料理、色鮮やかなサラダ、新鮮な魚介の盛り合わせ、そしてデザートには煌めくゼリーや芸術的に飾られたケーキが並ぶ。
ワインやシャンパンのサービスも行き届き、既に到着している来賓達は、それぞれのグラスを手に早くも談笑していた。
「会場内は一見平穏だが、念には念を入れろ。特に来賓の中に不審な動きをする者がいないか、徹底的に見張れ」
シリウスは険しい表情で、騎士達に指示を出している。
あと数時間もしない内に、この場には多くの来賓の姿でごった返すだろう。
そんな緊張感もあってか、誰一人としてにこやかに笑う者はおらず、各々が指示された配置場所へと移動して行くのが見えた。
「シリウス」
「おぉっ。皇子様方! いよいよですな!」
「警備の方はどうだ?」
「概ね順調…ですな。しかし、不審者を見つけるのは容易じゃないでしょう」
「そうか」
警備人数を増員したとはいえ、来賓の数に比べると、少しばかり心許ないと考えたのだろう。
アルデールの表情には若干の曇りが見えたが、シリウスはそれを払拭するように、首を振った。
「ご安心を。何か起きる前に察知するのが我々の役目です」
「頼りにしている」
その言葉に、シリウスは少し驚いた表情を見せた。
未だかつて、アルデールがこんな風に、誰かを頼った事があっただろうか――?
「…アルデール皇子は、本当に立派に成長されましたね」
「何だ急に」
「いえ。ふとそう思っただけです」
戸惑うアルデールに、シリウスはそっと微笑む。
「皇子様方。どうぞこちらへ」
「まもなく来賓の皆様が入場されます」
「王都イーグレアより、侯爵ヘルバート家のご一行、到着されました!」
その声に呼応するように、騎士達が敬礼を行い、来客を城内へと案内する。
来賓達はタキシードやドレスなど、それぞれ豪華な衣装を身に纏い、華やかさと共に圧倒的な威厳を漂わせていた。
「この王城も随分と立派だが、今日の式典でどれほどの力を見せるつもりなのか、見ものだな」
「次代の王の実力が試される日でもある。我々も目を光らせておくべきだ」
さらに、大商人や各国の外交官たちも到着し、貴族だけでなく幅広い来賓が揃っていた。
周囲には式典を見守る城下町の民衆の姿もあり、人々は次代の王の登場に、期待と緊張を抱いている様子だった。
鐘が再び鳴り響き、大広間には要人や来賓達が次々と集まっていく。
「人が多くなってきましたね」
「うん。注意して警戒しよう」
「レンっ。あそこにご馳走があるぞっ!」
「あれはお客さんの為のものであって、マオちゃんのじゃないよ?」
『えーっ! こんな美味しそうなニオイがするのにー?」
「スライムまで…」
会場の隅では、マオとスライムが豪華な料理を前に、興味津々な様子だった。
マオは、用意して貰った子供用の小さなフォークを片手に嬉々としている。
「こんなに美味そうな料理、どれから食べていいか迷うなっ!」
もう既に、彼は料理に目が釘付けだ。
スライムも彼の頭の上で、だらーっと涎を垂らしている。
気持ちは解るけれど、スライムまでそっちに行かれると、有事の際どうしたらいいいんだろうね?
「魔王様っ。どれでも好きなもん言うてくれたら、ウチが取ったるでぇ!」
「って、フーディーまで!?」
「あっ。レンちゃーん! また会うたなぁ!!」
その隣には、何と来賓に紛れてフーディーの姿があった。
ぶんぶんと大手を振って笑う彼女につられ、レンもまた手を振り返すものの、直ぐにはっとした。
「な、何でフーディーが此処に居るのっ?」
「今日はパーティーがあるって言うやん? ちゅー事は、美味しいもんがぎょーさん食べられるって事やんっ!?」
「「もう、バレたらどうするの?」
「大丈夫やで。食べたら直ぐに帰るし! それにこう見えて、ウチも『お祝い』に来たつもりなんやで~」
「お祝いって…招待で儲けているの?」
「いや? こっそり紛れ込んだった!」
招待どころか、不法侵入じゃないか。
これは護衛として、追い出すべきなんだろうか、うーん。
すると、マオは肉料理を一口頬張りながら、嬉しそうに笑った。
「フーディーは何もしねぇし、オレがさせないから大丈夫だぞ。継承式の邪魔をしなければいいいだろ?」
「マオちゃんがそう言うなら…?」
「まあ、食うにしても。ほどほどにしておけよ、フーディー」
「はいなっ。魔王様!」
彼女は片手に皿を二枚持ちながら、力強く頷く。
もしかして、彼女はその二枚分をぺろりと平らげてしまうのだろうか。
「レン。俺達も配置につくぞ」
「あ、うん」
「何を見ているんだ? …フーディー?」
「えぇと…何か来ちゃったみたい」
ウォルターも、来賓に紛れるフーディーの姿に気付いた様だ。
「こっそり紛れ込んだのか? あの格好では目立つんじゃないのか…」
「だよね…」
良くも悪くも、フーディーの格好は、露出度の高い小悪魔スタイル。
まるでパーティーのTPOなど気にするつもりもない様子で、盛大に料理を楽しんでいた。
目の前に並ぶローストビーフ、オマール海老、豪華なデザートの数々。
そのどれもが瞬く間に彼女の手に取り込まれ、皿の上から姿を消していく。
隣にはマオが座り、子ども用の小さなフォークでパスタをくるくると巻いている。
彼の顔には満足げな表情が浮かび、目の前の料理を堪能することに夢中だった。
加えて彼女はよく食べるものだから、注目を浴びるのは時間の問題である…のだが、来賓の殆どはそんなフーディーの姿に見向きもせず、楽しそうに談笑をしていた。
「魔王様。そっちのパイも美味しそうやな。分けてくれへん?」
フーディーがフォークを持ったまま、ニヤリと笑う。
「嫌だ。これは全部オレのだ」
マオが子どもらしく頬を膨らませる。
「なんや、ケチやなぁ」
「また来るだろ」
「せやな!」
フーディーは頷くと、自分の皿に盛られた肉料理をまた一口、満足そうに頬張った。
「…何故、あれが目立たないんだ?」
「さ、さあ…」
ウォルターとレンが、この状況を奇妙に感じるのは当然だ。
来賓達は相変わらず、洗練された会話を楽しみながら、優雅にグラスを傾けている。
その横で、フーディーは食べたい放題の料理を次々と手に取っていた。
彼女は豪快にナプキンで口元を拭いながら、目の前のローストビーフをさらりと平らげる。
その様子は注目を集めてもおかしくない筈だった。
だが、フーディーの姿は、来賓達にはまるで見えていないようだった。
「あ、あの…多分、結界を張ってるんだと思います」
ふと、ディーネが後ろでそんな事を言い出した。
「結界?」
「フーディーさんの周りに、バリアのような物が見えるんです。薄っすらとですけど…」
ディーネが言うには、そのバリアの様な『結界』のお陰で、周りの来賓には姿も気配も感じさせないらしい。
ただし、効果があるのはただの人間――所謂『一般人』である。
ディーネの様な駆け出しの聖職者や、ある程度視認出来るほどの力がある者であれば、フーディーの姿は見えるのだと言う。
現に魔法の力はないものの、ウォルターはフーディーの姿を確認する事が出来ていた。
「あっ。丁度いい所にシャンパンが来たわぁっ。魔王様も飲むやろ?」
その時、シャンパングラスを運ぶ使用人がフーディーの横を通り過ぎた。
彼女は片手でさっとグラスを掴むと、満足げに目を細めた。
だが、使用人は一切気付くことなく、そのままスムーズに歩き去っていった。
「レンがジュースじゃないと怒るんだ」
「お堅いんやなぁ、レンちゃんは~!」
しかしマオは首を振り、テーブルに置かれた子ども用のジュースを手に取った。
「ふふん、ええ感じやな。この国の料理はやっぱ最高や!」
フーディーが満足げに言うと、マオが小さな声でぼそりと呟いた。
「そんな国がどうにかなれば、この料理も今日で食い収めだな」
「あー。そら困るなぁ。ウチ、結構この国は気に入っとんねん」
「お前が入れ込むぐらいだから、相当なんだろうな」
「今度、魔王様にもっと美味い店紹介したるで?」
「今度があればいいんだけどな」
その様子を見ていたレンは、心の中で小さな疑問を抱いていた。
何故フーディーが、此処まで料理に執着するのか。
それはレンがまだ知らない、彼女の根本的な欲望が関係しているのだろう――
『暴食』を司る悪魔。
食べることこそが、彼女の力の源であり、存在理由なのだから。
フーディーとマオが会話を交わす中、他の来賓達の喧騒が遠くに感じられた。
何処か別次元での出来事のように、繰り広げられる彼らのやり取りは、まるで別世界のようだった。
「まぁええやん。今日ははお祝いやし、食べられる内に食べとかなな」
フーディーは、そう言ってグラスを持ち上げた。
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