それぞれの前夜、明日への決意②
「…うーん」
レンは寝室の中で何度も寝返りをうっていた。
無駄に床を蹴ったり、毛布を引っ張ったりして、眠れない自分を苛立たしく思っていた。
今日の夜ばかりは心が落ち着かない。
理由は明白。
明日の継承式の事を考えると、興奮して眠れないのだ。
まるで遠足前の子どもである。
「すぅ…すぅ…」
こうして寝返りを打つ度に、隣のベッドではディーネがすやすやと、穏やかな寝息を立てて眠っている事を思いだす。
ベッドに入る前、彼女はレンと同じように『緊張する』と言って眠れない様子だったが、数分も経たない内に、彼女は眠ってしまった。
正直、ディーネの寝付きの良さには本当に脱帽する。
そして、一度寝たらなかなか起きないと言うのも、彼女と同室になって漸く理解した事だった。
通りで、ウォルターの鼾とやらも聞き逃している訳である。
そんな訳で、無駄に打つ寝返りも何とか鳴りを潜めようと努力し、時間だけが過ぎていた。
アルデールとエルヴィンの二人はそれぞれ別の部屋にいるが、彼らはしっかり休めているのだろうか?
レンは寝室の片隅で横たわりながらも、耳を澄ませる。
ベッドの隅にちょこんと座っているスライムは、すでにうつらうつらと眠っている様子だ。
レンはスライムの無防備な姿を見て、少しだけ気が緩む。
何処かで不安を感じつつも、自分に出来る事はただ一つ。
明日、無事に護衛の役目を果たすこと、それだけが大事だ。
そんな静けさの中、部屋の空気がふと変わった。
小さな声がレンの耳に届く。
「眠れないのか?」
「マオちゃん…」
それはマオの声だった。
マオはベッドの上で、僅かに声を潜めて話し出す。
「そうみたい」
「そんなに緊張する事か?」
レンは目を閉じたまま、肩を竦めた。
「いや。ただの護衛だし、緊張する事もないんだけどな…」
レンは心の中で、それが嘘だとは思わなかった。
確かに、自分は当事者ではないが、明日には良くも悪くも、この国に大きな変化が訪れる。
それを感じ取っている自分の心が、何処か重く、うまく眠れない理由だ。
すると、マオがケラケラと笑い声を上げた。
「当事者じゃないと思ってても、心はそういうもんだろ。まるで、お前が継承式を受けるみたいじゃねぇか」
レンは口元を僅かに緩めるが、すぐにまた表情を引き締めた。
「それだけ、この国にとって大事な事なんだろうな…」
この王国に来て一か月も経てば、それなりにこの地にも感慨深いものが出て来る。
特に、国の未来が左右されるであろう時に、自分が立ち会う事になるのだから、それはより一層自分の心を震わせた。
「安心して寝てろよ。明日はきっと、何もかもうまくいくさ。」
マオがベッドの中でひっそりと身をひねり、レンに向かって囁く。
その言葉には何処か、深い意味が込められている気がして、レンは再び目を閉じたが、眠りにつけなかった。
マオの言葉の裏に隠された思惑や意図が気になり、何かが引っかかっている気がしてならなかった。
「…明日は満月か」
マオが不意に呟いた。
レンはその言葉に驚き、無意識のうちに眉を顰める。
「満月?」
ベッドから見上げる空には、僅かに欠けた月が昇っていた。
明日の夜には、綺麗な満月が夜空に浮かび上がる事だろう。
しかし、明日の天気予報は雨だったような気がする。
やはり拝む事は出来ないかも知れない。
「満月の夜って、何か特別な事が起きるんだろうな」
マオは、レンの疑問には答えず、何処か遠くを見るような目で呟いた。
レンはその言葉に重きを感じたが、何も聞き返さなかった。
マオが言うように、満月の夜には何かが起こるのだろうか。
「うーん…満月の夜は…狼男とか、大猿に変身するんじゃないかな…」
「狼に猿か。面白そうだなっ」
「でもマオちゃん、魔王だから…うん…」
しかし、その『何か』が何なのか、レンは想像もつかない。
だが、マオの口ぶりから、どうやらその夜はただの月夜ではないらしいと言う予感がしていた。
「眠くなったか?」
「全然…マオちゃんは?」
「レンが眠くなるまでは、お話してやるよ」
「…何か、まるでこっちが子供みたいだね」
明日の継承式がどれほど重要なものかという緊張感と共に、しかし穏やかな時間ゆっくりと流れていく。
だが、マオの呟いた言葉は、陀羅尼深い謎を呼び起こしていた。
レンは再び、眠れぬ夜を過ごしながら、明日の事を考え続ける。
それがどんな意味を持つのか。
そして、何が待っているのか。
全く見当もつかないまま――
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