D級テイマー、指名される
――夜明け前。
一人の侍女の無惨な死体が発見された。
アルデールの毒殺を目論んでいた侍女が息絶えているのを見つけたのは、夜勤を終えた兵士だった。
その死体は廊下の片隅に放置され、誰かの手による明らかな『口封じ』を思わせる惨状だった。
すぐに城内に噂が広まり、朝はその話が国王の耳にも届いた。
国王はアルデールやエルヴィンを含む関係者を招集する。
薄暗い光が差し込む王座の間には、国王を中心に太后、アルデール、エルヴィン、シリウス、そしてレン達が揃っていた。
侍女の無惨な死体が発見された報告を受けて、事態を重く見た国王が緊急に集めた会議だった。
騎士達も控えの間で警戒を強めており、場の空気は張り詰めている。
やがて、中心に立つ国王がゆっくりと口を開いた。
「侍女の死体が見つかったそうだ。しかもその侍女はアルデール、お前の食事に痺れ薬を盛った張本人だと聞いている。この件、真相を明らかにせねばならない」
アルデールは真っ直ぐに国王を見つめた。
「父上。何故それが解ったのです?」
「遺体のエプロンからは『痺れ薬』が入っていたであろう小瓶が見つかった。既に成分が検出されている。彼女が関与していた証拠だ」
「…本当にその侍女の仕業ですか? ただ小瓶を見つけたと言うだけでは、余りにも早計過ぎるのでは…」
「そ、そうです父上。普通なら、それを何処かへ捨てるなりすると思います…っ」
皇子二人の言葉に、国王は深く頷いて見せた。
「捨てられないからこそ、肌身離さず持っていたのであろう――が、ただの侍女が暗殺を目論むなどとは考えられぬ、そうなると、口封じを狙ったのか…何者かによって命を奪われた。彼女が背後にいる者について何か知っていた可能性が高い」
すると、太后は静かに国王に視線を向けながら、上品な仕草で唇を開いた。
「侍女がした事は許されない行為ですわ。しかし、亡くなった彼女を責めるだけでは、真の黒幕には辿りつけません。私達は慎重に事を進めなければならないのでは?」
太后は柔らかな微笑みを浮かべた。
「彼女は単なる駒に過ぎなかったかも知れません。先日のアルデール皇子の一件と言い、この城には我々の敵が潜んでいるという事ですわ」
「それが本当なら、誰が彼女を動かしたのか調べるべきです。兄上が危険に晒されている事は明らかですから!」
その言葉に、アルデールは眉を寄せる。
「余計な事を言うなと言った筈だが?」
「いいえ兄上。僕は黙りません」
「エルヴィン…?」
「僕だって兄上を護りたいんです」
昨日よりも気丈なエルヴィンに、アルデールはほんの少しだけ驚いた様子を見せた。
すると、小さくぱちぱちと手を叩くような音がした。
エルヴィンの母である太后だった。
「素晴らしいわエルヴィン! 兄想いのよき弟ですこと」
「母上…」
「敵はアルデール皇子を排除したいと考えているのでしょう。でもエルヴィン。貴方も自分の身を危ぶみなさい。貴方が狙われる事がないとは、言い切れません」
「…僕は今まで、一度として狙われた事がありませんっ」
「えぇ、えぇ。でも『万が一』と言う事もあるでしょう? 継承式の日も近いのです。貴方にまで何かあれば、母は悲しいわ!」
「その通りだ、エルヴィンよ」
「父上…」
太后の言葉に、国王はまた深く頷く。
「お前達はこの国の未来を背負う皇子。出来る事ならば手を取り合い、無用な争いはして欲しくはないが――まだ兄弟喧嘩をしているのか?」
兄弟喧嘩?
国王は、この二人のいびつな関係を、ただの兄弟喧嘩だと思っているのか。
国王が何処か呆れたように言うのに対し、レンは眉を顰める。
すると、傍に居た太后もまた、困った王に頷いた。
「えぇ。二人は本当に仲が悪いようで…」
「全く…お前達もあと数年もすれば成人だろう。いい加減、仲直りをしたらどうなのだ」
「…仲直りなどする気はございません」
「まっ。可愛いエルヴィンの前でそのような事を!」
会話が緊迫する中、シリウスが一歩前に出た。
「いやはや。確かにエルヴィン様の仰る通りですな!」
「シリウス…?」
シリウスはまるで、その場の流れを両断するかの如く、大きな声で宣言する。
「しかし、侍女が何かを知っていたからこそ、命を奪われたという線も捨てられません。この事件を調査する必要があります。誰が侍女に命じたのかを突き止めなければなりません」
レンは隅で静かにこのやり取りを見守っていたが、スライムがその緊張感を無視してレンに囁きかけた。
『難しいお話、解んないやー』
「そうだね、ややこしい事になってきた」
レンは頷き、小声で答えた。
「シリウス、今後の調査は騎士団に一任する。このような事態を二度と許す訳にはいかぬ。譲内に潜む裏切り者を全員洗い出せ」
国王は厳しい声で命じる。
「御意。即座に行動を開始致します」
シリウスは深く頭を下げた。
「侍女の死は悲しい出来事ですが、私達は冷静であるべきです。この国の未来を守る為にも」
太后は僅かに口元を歪めながら、皆に向かって言葉を投げた。
その声は何処か優しさを装っていたが、レンには違和感を拭えなかった。
太后が本心から言葉を発しているようには、感じられなかったのだ。
そんな彼女をじっと見つめていると、その視線がかち合った。
その瞬間、太后は深い笑みを讃えたのを見て、レンは何だか少し気味が悪くなった。
女の人に、しかも国の太后に向かってそう感じるのは、失礼な事だろう。
しかし、レンは彼女の姿を見た途端、身の毛のよだつ様に身震いした。
『違う』――
何がと言われればそれまでだが、あの太后には、決して気を許してはいけないような気がした。
程なくして会議が終わり、漸く重苦しい空間から解放された時には、もう陽が昇っていた。
城内には騎士や使用人、侍女と言った人の姿があちこちに見られる。
しかし皆、侍女の死を既に聞き及んでいるのか、その顔には深刻そうな表情が見て取れた。
「城の人達の顔もだけど、雰囲気もちょっと暗いね…」
「そうだな」
ウォルターが頷く。
「継承式の日まではそう遠くない。俺達もより一層気を引き締めて護衛に当たろう」
「はい、そうですね」
「腹減った…」
ぐぅ…と、お腹を鳴らすマオに、レンは少しだけ苦笑する。
どんな時でも、マオの食欲は変わりない様だ。
「朝早くに起こされたから、ご飯もまだだったもんね」
「ハンバーグが食いたいっ」
「殿下達は、これからどちらへ?」
「僕は朝食に。兄上もですよね?」
アルデールの表情は硬かった。
「あぁ」
「解りました。念の為、お食事は先に味を見させて頂いても、構いませんでしょうか?」
「…構わない」
アルデールとエルヴィンは、これから朝食の為に食堂へ向かうとの事。
それなら、一先ず皇子達を食堂へと送り届けてから、今日は先に朝食をとらせて貰う事にしよう。
「今日は、レンさんがお先にどうぞ」
「そうさせてもらうよ。ありがとう、ディーネ」
「フウマっ。フウマも一緒に食おう!」
「俺、何かお前に気に入られる様な事したか…?」
昨日と言い、今日と言い、マオがフウマに懐くような素振りに、レンはまたしても軽くショックを受けた。
やはり、男の子同士がいいんだろうか…!?
「ちょっとよろしいかしら」
「母上…?」
声を掛けて来たのは、太后だった。
彼女は微笑を湛え、ゆっくりと此方に歩み寄って来る。
ウォルターが護衛らしく姿勢を正した姿を目にし、レン達も同じように倣った。
「レン」
名前を呼ばれた瞬間、レンは思わず体を硬くした。
太后から直接名指しされる事など、予想していなかった。
周囲の視線も一斉にレンへと集まり、スライムは肩の上で小さく震えている。
「少しお話をしたいのです。後ほど私の部屋にお越しいただけますか?」
「え…」
その声は柔らかで礼儀正しかったが、何処か押しつけがましい威圧感が滲んでいる。
レンはとっさに答えられず、ただ太后の視線を受け止めるだけだった。
この場で自分を指名するという意図が読めず、場にいた誰もが一瞬息を飲んだ。
特にエルヴィンは困惑を隠せず、母である太后に口を挟む。
「母上、レンさんを呼ぶ必要があるのですか? 彼女はただの護衛です。何か関係があるのですか?」
「彼女がテイマーだからですよ。私も少し興味があるのです、どんな人物なのかをね」
その言葉には皮肉とも取れる含みがあった。
「…何故、今になって?」
口にを挟んだのはアルデールだった。
太后の眼が彼に向けられる。
「太后。貴女は何をお考えなのか」
「あら。貴方が私の話に興味があるとはね、アルデール皇子? いい加減、母と呼んでくれてもよろしいのですよ」
その眼は、エルヴィンに向けられるような優しさがないような気がした。
「…誰が呼ぶものか」
「まぁ酷い」
太后がレンをどう見ているのか、アルデールもエルヴィンも推し量る事は出来ない。
ただ、レンを巻き込もうとしているのは明らかだった。
「…この者に何を話すつもりだ?」
「アルデール皇子、貴方が心配するような事ではありません。これはただの私的な会話です」
「私的だって?」
「えぇ、えぇ。たまには外の世界の話も耳に入れておかなくては。彼女はテイマーであり、冒険者なのですから」
アルデールは睨みつけるように、太后を見た。
しかし、太后はアルデールを一瞥し、その微笑みを崩さない。
そんな二人の間を割って入るように、エルヴィンが言った。
「は、母上.止めて下さい。兄上も…っ」
太后の視線は依然としてレンに注がれている。
彼女はその瞳に強い意志を宿しており、拒否する余地はないように感じられた。
…どうして私を指名するの?
太后が何を意図しているのか全く読めない。
しかし、この場で断ればかえって機嫌を損ねるかも知れない。
そう判断し、レンは小さく頷いた。
「…解りました。朝食後に伺っても宜しいでしょうか?」
「えぇ、勿論です。では、後ほどお待ちしております。…そうそう、私は小さな子どもが少しばかり苦手なの。だから貴女一人で来て頂戴ね」
太后はにっこりと笑って、その場を後にした。
『レン、だいじょーぶ…?』
スライムが小さく耳元で囁いた。
「スライムの方が大丈夫? 震えてるよ?」
先程から体をぷるぷる震わせた振動が、レンの肩に直接伝わっていた。
『…あのおばちゃん。ボク、キライ…嫌なニオイ、する』
スライムの言葉からは深刻さが窺えた。
すると、それを聞いたウォルターが眉を顰める。
「…間違っても、太后様の前で『言語共有』するんじゃないぞ、レン」
「も、勿論だよっ」
レンはスライムをそっと撫でながら微笑んだが、その目は不安に揺れていた。
場が収まりかけた時、マオがレンに近づいて低い声で話しかけた。
「オレも行く」
「駄目だよ。太后様は子どもが苦手なんだって」
「あの女は何か企んでる」
「…うん。そんな感じはする」
マオの言葉にレンは頷いた。
いきなりと自分を呼び出すからには、何か裏があるに違いない。
今までも顔を突き合わせる機会は何度かあったものの、太后がレンに興味示すような事はなかった。
会話をする機会を窺っていたのだと言われればそれまでだが、それにしては何と言うか『タイミング』が良すぎる。
「侍女の事と何か関係があるのかな…」
「行かなくていい」
「アルデール皇子?」
「あの女の事だ。何かしらの理由を付けて、お前を陥れる気かも知れない。例えば侍女の犯人として仕立て上げる、と」
意外にも、レンを止めるのはアルデールだった。
「は、母上に限ってそのような事は…!」
「無いとは言い切れないだろう。既に太后の指示で、騎士や使用人が居なくなったのを忘れたか?」
「…前の騎士団長の事ですか?」
「その話なら、シリウスからも聞いています。アルデール殿下はその方に、とてもよくしてもらっておられたと」
ウォルターが口を挟む。
シリウスがその話をしていたのは、レンも勿論覚えていた。
「シリウス。あいつもお喋りな奴だ」
「はは…失礼。そう言う奴なのです」
アルデールは僅かに眉を顰め、小さく呟いた。
「それもある、が…一か月前には、街で名のある富豪が居なくなったそうだ。あれもまた、太后の息の掛かった者だったと噂程度だが、聞き及んでいる」
「その話でしたら、僕も聞いています。しかしあれは、館の主人が悪事に手を染めたが故に露見になった事です‥! 母上の関与など何処にも…!」
「あ、あのっ。皇子様方っ!」
「ディーネさん?」
次第にヒートアップする二人の会話を、意を決してディーネが口を挟んだ。
「こ、此処で騒ぐのはやめましょう? 人が、見ています…っ」
アルデールの眼がディーネを見ると、彼女は一瞬だけ『ひっ』と小さく声を発した。
そんな彼女の前にフウマが立つと、少し呆れたように肩を竦める。
「おいおい。女の子には優しくしろよ皇子様?」
だが、アルデールは睨むようにその眼をフウマにも向ける。
「煩い。お前達には関係ない」
「あのなぁ。ただでさえ城の空気が重いんだ。あんたらまで喧嘩してたら元も子もないぜ。侍女が殺されたんだろ」
「あ…」
エルヴィンがふと見れば、何事かと侍女や使用人たちが此方を見ている。
自分と兄が言い合う姿に、彼らは不安そうな表情だった。
「アルデール様、エルヴィン様?」
「あ、あの、何が遭ったのでしょうか?」
「…いや、何もない。騒がしくしてすまなかったな」
「い、いえっ。そんな滅相もございませんっ!」
「わ、我々の方こそ、余計なご心配を…」
深々と頭を下げる彼らは、そそくさとその場を逃げるように立ち去った。
明らかに、城の中も人も揺れている。
元はと言えば、レンが太后から呼び出しを受けたのが原因だ。
これ以上、この場が混乱しないようにしなければ、また同じような事が起きないとも限らない。
「私、太后様に会って来るよ。もしかしたら、本当に太后様はあ『テイマー』が珍しくて私を呼んだのかもしてないでしょう?」
「レン? オレが言った事を忘れたか? あの女は怪しいんだ」
「大丈夫だよマオちゃん。何の話か解らない以上、考えても仕方がないし」
マオは不満げな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
お読み頂きありがとうございました。
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