C級大剣使い、旧知を訪ねる
ウォルターは、厚みのあるウィスキーグラスを手に取り、琥珀色の液体をゆっくりと揺らした。
宿の控えめな照明に照らされ、グラスの中でウィスキーが静かに輝いている。
光をまとっては揺らめく様は、まるで炎のようにも見えた。
その豊かな香りが鼻腔を擽り、スモーキーでありながら僅かに甘みを含んだ香りが、彼の心に微かな安らぎを与えていた。
一口含むと、口内に広がるウィスキーの複雑な風味。
強めのアルコールの刺激と共に、樽の香ばしさや、微かに漂う果実のような甘み、そして余韻に残るスパイスの辛味が絡み合い、心の奥にしみ込んでいく感覚。
ぼんやりと窓から外を眺めては、自分が目指した道、そして辿り着いた現在の自分について。
気が付くと、頭の片隅でそればかりを考えていた。
ウォルターにとって、街の模擬試合で見たシリウスの登場は、強い衝撃と同時に懐かしさを伴っていた。
観客の歓声と拍手喝采の中で、シリウスは見事な剣捌きを披露する姿。
若い騎士達をものともせず、堂々たる態度で立っていた。
鍛え抜かれた体、洗練された技、そして騎士団長としての貫禄――
そのどれもが輝いて見え、ウォルターは心の奥に小さな後悔を感じた。
「もし、俺も騎士の道を歩み続けていたら…」
フィオナを支える為、騎士の道を断念した過去が、ふと重たく圧し掛かった。
その瞬間、かつてシリウスと共に未来を夢見た、若き日の自分を思い出し、少しばかり苦笑が漏れる。
直ぐに彼は、思い直すように首を振った。
…過ぎた事を言っていても仕方がないな。
今の道は自分で選んだものであり、後悔はない筈。
しかし、心の何処かに僅かな未練が残っているのは確かだ。
「スライム、マオちゃん。もう寝る時間だよ」
そんな中、周囲からはレン達の声が微かに聞こえて来た。
隣の部屋では、レンが小さな魔王とスライムに優しく言い聞かせているようで、それに対して楽しそうな笑い声がしている。
「そうなの。凄かったんだよ、それでね、お城もすっごく大きくてね――」
その反対にあるディーネの部屋からは、誰かに街の出来事を楽しげに報告する声が、風のように聞こえていた。
今日も彼女は、大好きな祖母に電話をしているのだろう。
ウォルターの口元にも自然と微笑が浮かんだ。
夜も更け、皆が静まりかえった頃。
いつしかレン達の声も聞こえなくなり、ウォルターもまた最後の一杯を飲み干してから、眠りに就こうと考えていた。
明日もまた、街で情報収集をしなければならない。
継承式が終わり日までは手持無沙汰になりがちだが、この国が抱える『王位継承問題』について、もう少し調べる必要がありそうだった。
何せ、街の住民達が心配するように、皇子二人の仲は悪い。
それは見学ツアーで目にした光景からも、計り知れる事。
このまま二人がいがみ合えば、最悪の場合、それこそ国全体を揺るがす騒動になりかねない。
王国の未来を、まだ年若い皇子達に背負わせると言うのも酷な話だった。
かと言って、自分に何が出来るとも思えないのだが――
「…ん?」
ふと、窓の外を見る。
何処からか、低く響く話声の様なものが微かに聞こえてくる気がした。
「何だ…?」
ウォルターはその声に耳を澄ませ、慎重に窓際に歩み寄った。
声だけから男が二人居る事は解るのだが、暗闇に紛れて姿は見えない。
更に声は遠くにある様で、夜風に乗って微かに聞こえて来る程度だった。
「反逆者を一か月以内に始末しろ」
ウォルターの耳に、思いもよらない言葉が飛び込んで来た。
『反逆者』そして『継承式』
聞こえて来る会話は断片的なもので、もっと近づかなければそれは聞こえない距離。
だが、今此処で物音一つでも建てようものなら、その『誰か』に気付かれてしまう恐れがあった。
会話の内容を反芻しながら彼は眉を顰め、其処にある不穏な気配を肌で感じ取っている。
それは『継承式までの間に何かが起こる』と言う話だった。
ウォルターはその話を信じるべきか迷いながらも『誰かが命を狙われている』と不安を抱く。
いつしか、酒の酔いも吹き飛んでしまっていた。
これが単なる噂であればいいが、もし事実ならば対処しなくてはならない。
特に今は、継承式を控えた大事な時期。
何かが起きる前に対処はしておきたい所だ。
しかし自分はただの冒険者。
しかも『C級』ではそう簡単に、国王へのお目通りも敵わないだろう。
「あいつなら…」
そんな思いから、ふとシリウスの顔が脳裏を過った。
そしてウォルターは翌日、シリウスに会おうと決めたのだった。
翌日。
ウォルターが城へ向かおうとすると、彼の傍には小さな魔王の姿があった。
辺りをキョロキョロ見回すその様子に、ウォルターは思わず首を傾げる。
「…レンはどうした?」
其処には、彼のテイマーたるレンが居なかった。
するとマオは腕を組み、ふんっと少し得意げに笑う。
「レンは寝坊助なんだっ」
その言葉に、ウォルターも少々呆れたように苦笑いを浮かべた。
旅を始めて以来、レンがよく寝坊するのには驚かされたものの、今朝もやはり起こさない限り目を覚まさないようだ。
「全く…相変わらずだな、あいつ」
肩をすくめるウォルター。
そんな時、彼女を起こすのはスライムやマオの役目なのだが、彼が此処に居ると言う事は、スライムに任せているのだろうか。
「スライムなら、ディーネと一緒に出掛けて行ったぞ」
「…人の心を読んだのか、お前?」
「まさか。そう顔に書いてあるんだ」
「そうか…それで、お前は一緒に行かなかったのか?」
「あっちよりこっちの方が面白そうだと思ってなっ!」
マオはにやりと笑って言った。
『こっち』と言うのは、ウォルターの要件の事なのだろう。
昨夜の事は誰にも話してはおらず、今から自分が旧友に会いに行くと言う事もレン達は知らない。
だからこそ、この小さな魔王が知っている筈もないのだが…
「それにレンが居真似てるんだ。オレが代わりにお前について行ってやるよ」
「えっ、いや、お前は来なくていいだろう」
ウォルターは慌てて手を振ったが、魔王はしれっとした顔で返す。
「何言ってんだ、お前はオレの『監視役』なんだろ? オレを放っておく訳にはいかないだろ」
その言い回しに、思わず押され気味になってしまい、どうしたものかと暫し考え込んだ。
監視役としての立場もある為、無理に突き放す事も出来ない。
そもそも本来の監視対象は『彼』なのだ。
いつもはレンが傍に居るから見ていてくれている事もあり、こうして二人で過ごす時はそうそうない。
けれど、小さな魔王の言い分もまた正しかった。
「仕方がない…ついて来い」
「おうっ!」
仕方なく。本当に仕方がなく、ウォルターは一緒に連れて行く事にする。
しかし、出発してすぐに、彼はその決断を少し後悔し始めていた。
マオはあっちへちょろちょろ、こっちへちょろちょろと小さな体で好き勝手に動き回り、ウォルターは目が離せない。
「おい、こら魔王。そっちは危ないぞ!」
慌てたように注意すると、マオはウォルターを振り返り、少しむくれた顔で言い返した。
「お前、いつまで『魔王』なんて堅苦しい呼び方するんだよ。オレの事はマオって呼んでいいんだぞ?」
「いや、さすがにその…お前は、あくまで魔王だからな…」
困ったように言うウォルター。
人通りが多い中で『魔王』と呼ぶにも気が引けるのだが、それ以外に彼を呼ぶ言葉がない。
レンやディーネは親し気に名前で呼んでいるが、ウォルターは未だに彼を『魔王』と呼んでいる。
それが気に入らないマオは、なおも食い下がった。
「こうして一緒にいるんだ。それとも、お前にはそのくらいの柔軟さもないのか? でないとオレもお前の事を『おっさん』って呼ぶぞ?」
「お前までおっさんは呼ばわりはやめてくれ…」
その言い方に少しムッとしつつも、ウォルターは考え込むように沈黙した。
確かに、この小さな魔王は彼にとっても、何処か憎めない存在になっているのかも知れなかった。
「…解ったよ、マオ」
少し照れ臭そうに言葉を詰まらせつつ、ウォルターはぽつりと彼の名を口にした。
それを聞くや否や、マオは満足げに頷く。
「それでいいんだよ、ウォルター!」
ウォルターも、何処か不思議な親しみを感じつつ、マオを連れて再び歩き出した。
二人は王城の壮大な門をくぐり、城の内部へと足を踏み入れる。
今日も『見学ツアー』は大賑わいで、中にはは昨日と同じガイドの姿もあった。
マオがひらひらと彼に手をやると、その姿に気付いた様で優しい微笑みと共に手を返している。
「おや。また来てくれたのかな?」
「今日はシリウスに会いに来たんだっ!」
「シリウス…もしかして騎士団長の事かい? 君は一体…」
「まだ会えるとは限らないぞ」
そっとウォルターが声を掛ける。
シリウスは今、騎士団長と言う立場に在る男だ。
幾ら旧友とは言え、アポもなしに直ぐに会えるとはウォルターも思っていない。
「シリウス団長なら、先程城に入って行くのを見かけましたよ」
「そうか、ありがとう」
ガイドの彼は不思議そうに首を傾げてつつも、自分の仕事に再び戻る事にした。
門を入ったすぐの所には、厳格な衛兵が数人立っており、ウォルターは彼らに一礼してから話しかける。
「すみません、シリウス団長にお会いする事は出来ますでしょうか?」
「本日はお会いするお約束をされていますか?」
「いえ、そう言う訳では…」
衛兵たちは一瞬、二人の姿を上から下までじっと見つめた。
そして衛兵の一人が、少しばかり困惑した顔でウォルターに答えます。
「団長は非常にお忙しい方ですから、お約束もなしに突然の面会は難しいかと。どのようなご関係でしょうか?」
ウォルターは言葉を詰まらせ、一瞬返答に戸惑う。
シリウスとは、確かに過去に共に騎士を目指した仲間だが、今の自分は冒険者。
シリウスの居る場所に相応しい存在かどうか自信がない。
どう説明すれば良いのか迷っていると、マオが唐突に幼い声で口を挟んだ。
「シリウスと友達なんだ! そうだろ、ウォルター?」
「そう…だな。まあ、昔の仲間なんだ」
マオの無邪気な言葉に、ウォルターは少し焦りつつも苦笑いを浮かべる
しかし、衛兵は怪訝な顔をした。
いきなりそんな事を言われても、直ぐには此処を通す事も出来ない。
「団長はお忙しい方ですので…」
「あっ! 居たぞ!」
衛兵がそう断ろうとしたその時、偶然にもシリウスがエントランスを歩いているのが見えた。
シリウスは一瞬此方に気づき、驚いたような表情を浮かべた。
「ウォルター…? ウォルターじゃないか!」
シリウスは懐かしそうにウォルターを見つめる。
ウォルターはその気さくさに、彼が昔と変わっていないと言う事を再確認した。
その表情には、何処かほっと安堵した様子も見られる。
「シリウス。…久しぶりだな」
「本当に! 元気にしてたか?」
「ああ。お前も元気そうで何よりだ」
「こ、これはとんだご無礼を…!」
「失礼致しましたっ!」
衛兵達は二人を不審に思っていましたが、シリウスが親し気に話している様子を見て、慌てて敬礼をして後ろに下がった。
シリウスは衛兵達に軽く手を挙げ、困った様に笑っている。
「何だ。門前払いでもされていたのか? 悪かったな…」
「いや、大丈夫だ…あぁ、この前の模擬試合を見ていたぞ」
「そうか、見ていたのか」
「おめでとう。よかったな」
「あの場にお前が居たと解っていたのなら、騎士の相手ではなく、お前を指名したかった」
「よしてくれ。王国騎士団の団長に剣なんて向けられない」
そう言ってウォルターは苦笑する。
そんな彼を見て、シリウスは何処か複雑そうな表情を浮かべた。
「お前は、まだフィオナの所に?」
「ああ、相変わらずさ」
「相変わらず、仲がよろしい、と」
「変な言い方はよせ。ただの腐れ縁だ」
そんな会話をしていると、マオがじっとシリウスを見つめているのに気付いた。
「この子どもは? …まさかお前の?」
「ない」
「だろうな。しかし、フィオナの子だとも思えんが…」
「俺は魔王だ!」
「…魔王だと?」
早くもウォルターは頭が痛くなった。
「こいつは『マオ』だ。そしてこれはそう言う『遊び』なんだ。気にするな」
「なるほど」
「ところでシリウス。お前に相談したい事があって来たんだが…」
積もる話もあるが、本題は其処じゃないとウォルターは話を切り出すが、シリウスの表情は少し曇っていた。
「相談か…すまない。王に呼ばれていてな。もしよければ夜で会わないか?」
「あぁ、解った」
「行きつけの飯屋を覚えてるか? 其処で待ち合わせしよう」
そしてまた後ほど会う事を約束し、シリウスはその場を立ち去った。
お読み頂きありがとうございました。
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