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D級テイマー、旅立ちの日を迎える




眠りの中で、身体がふわり、不思議な感覚に包まれていた。

夢と現実の狭間に居るような、心地よい浮遊感が続いている。


出来る事ならこのままで居たい―ー




ぷにっ





そんなレンの想いとは裏腹に、突然頬に何かが触れる感触がした。

ぐりぐりと執拗に押し付けて来る謎の力に、レンはピクリと反応を示す。




「ん…?」




レンがゆっくりと眼を開けたが、視界がボヤけてはっきりしない。




『ぷー!』


「ぷぷーっ!!」





笑いを堪える一人と一匹の声。

ぼんやりとしか見えなくても、それが誰かなんてすぐに解った。




「…何か、デジャヴ…」




治癒院で目覚めた日と全く同じだから。




「おはよう、レン!」


『おはよー!』




朝から元気いっぱいのスライムと小さな魔王。

耳元でキンキンと煩いと、レンは静かにベッドの中に潜り込む。




「おはよ…でもあと五分、寝かせて…」

「駄目だっ! 今日は旅立ちの日だぞ!」

「寒い…」




ガバッと布団を捲られ、居心地の良かった空間から強制的に脱却させられる。

身体が少しばかりひんやりとするのは、夏がそろそろを秋に近付いている証拠なのだろうか。





『レン、おーきーてー!』


「スライム…人の上で跳ねないで…」




小さなスライムが、懸命に起こそうと身体の上に乗っかって来た。

ぷるぷるとした感触が地味にひんやりしてて、あと何かマッサージみたいで気持ちいい。

起こそうとするのなら、その行動は逆効果だよと言ってあげてもいいが、蕩けるような睡魔には勝てない。



いつもの様に元気な声で、スライム達はレンを起こしてくれる。

それは朝の日課とも言える行動。


そして『旅立ちの日』だろうが、いつもと変わりない光景だった。




「早く起きないと、ウォルターが待ちくたびれちまうぞ?」


「約束の時間は10時だから、まだ大丈夫だって…」

「何言ってんだ。もう10時前だぞ?」

「へぇ、そうなんだ―ー…えっ!?」




今、とんでもないことを耳にした気がする…!


はっとベッドから起きたレンは、未だぼやけている目を擦った。



枕元に置いてある『通信機』は『9時50分』を示している―ー




「ち、遅刻っ! 遅刻するっ! スライム、マオちゃん、準備して!」


「とっくにしてる」


『あとはレンだけだよー?』




魔王の背中には小さなリュックが背負ってある。

マモンが彼の為に、着替えやアイテムを色々と詰めていた。

装いはいつも通りの『お子様ジャージ』だが、旅立ちの日に備えて新しく新調したらしい。

どう違うのかはレンにもよく解らないのだが。


急いで用意していた衣装に着替え、髪を整えに洗面所へと走る。

このロイヤル・ハウスは広くて快適なのはいいが、広すぎるが故に移動するにも、何かと時間をロスしがちである。




「早くしなきゃっ。もう、どうしてアラームが鳴らなかったんだろうっ!?」


「煩いから止めたぞ?」

「余計な事をどうもありがとう!! あああっ。時間はないけど、マオちゃん達に朝ごはん食べさせないと…!」




通信機で設定したアラームは、全てが『オフ』となっていた。

寝坊しないようにと、スヌーズ機能まで使用したと言うのに…


朝が苦手なレンからすると、出来る事ならは時間いっぱいまで眠っていたかった。

自分はともかくとして、スライムや魔王にはちゃんと朝からご飯を食べさせてあげたい。


しかし、眠り過ぎた結果が『コレ』だ。

スライム達も大層お腹が空いている事だろう。




「大丈夫だ。もう食ったぞ!」

「えっ!?」

「マモンが昨日、冷蔵庫に作り置きしてくれてた」

「神!」


『神様じゃないよ、悪魔だよー?』




朝の光が差し込み、慌ただしく準備をする中、レンの視界は完全にクリアになっていた。







朝早くから街の入り口には、多くの人の姿が見える。

冒険に出かける者、行商へ向かう者、今しがた街に到着した者など様々だ。

その中には、いつもの様に門の入り口で出迎える門番の姿もある。




「おはよう! いい天気だな! 行ってらっしゃい!」




今日も彼は元気だ。


レン、スライム、魔王、ウォルターは街の入り口で静かに立っていた。

入り口には『剣の王国』へ向かう馬車が、定期的にこの街との間を行き来している。

今も、定刻の出発を控えた馬車が一台停まっていた。

中には冒険者や商人と言った人が乗り込んでおり、レン達も予定ではそれに乗るつもりだ。


しかし、レン達が未だにその場所に乗る気配はない。




「お前達。馬車の出発時刻は近いぞ?」




先程からレン達がその場に居る事は、門番の彼も気付いていた。

焦りを感じながらも、レンはただそれに苦笑して頷く。



ディーネは、何処にも姿を現さない―ー




「やはり、来られそうにないか…」




ウォルターがぼそりと呟く。

彼の声には、不安そうな響きがあった。


ディーネの返事をギリギリまで待っていたが、此処まで待っても来ない事を見ると、彼女が旅に出ないと言うのは明白だ。

しかし、ディーネなら断るにしても一言言ってくれる筈と、レンは密かな希望を捨てない。

それはウォルターも一緒だった。


だからこそ、冒険者ギルドではヒーラーの募集はしていない。



馬車の出立時刻は刻々と迫っている。

最悪、来られないなら次の剣の王国で募集を掛ける手もある。




「流石に剣の王国から先は、ヒーラーなしではキツい部分もあるからな」


「うん…」


「おーい。あんたらまだ乗らねぇの?」




そんな時、馬車の中からフウマの声がした。

彼もまた、剣の王国へ戻る為に馬車に乗り込んでいた。


クエストでこの街に滞在していたフウマは、自分の家がある『剣の王国』に帰る為だ。




「時間がないぜ」

「もう少し待つ」

「その言葉、さっきも聞いた」




誰かを待っていると言うのは、フウマにも理解出来た。

そしてそれがディーネだと言う事も…




―ーぐいっ




「ん?」




すると突然、ウォルターは何かに引っ張られる感覚を感じた。

見ると、マオが自分の鞘を引っ張っている事に気付く。




「な、何だ?」

「マオちゃん?」




更にレンを見ると、彼は彼女の手をしっかりと握り締めていた。




「迎えに行くか!」

「何?」

「迎えって…」





その瞬間、レンの視界がぐにゃりと歪んだ。



その瞬間、空間がぐにゃりと歪んだ

明らかに景色がおかしい事に気付いたウォルターが、慌てたように叫ぶ




「おい、待てっ!?」




それが『空間転移』だと気付いた時にはもう遅かった。

それ以上の静止をする間もなく、レン達の姿は全員が闇に包まれて消えた。




「…は?」

「ん? お連れさん達は何処に行ったんだ?」




御者は愚か、門番ですらもその光景には気付かなかったらしい




「あ、いや…」




しかし、一部始終を目の当たりにしていたフウマは、ただぽかんとした表情を浮かべる事しか出来なかった。






◇◆◇







辺りが闇に包まれたのは一瞬の出来事だった。

それは自分達が何かに飲み込まれる様な感覚を覚え、眼を閉じたのも言ったんの原因だったのかも知れない、


次に目を開けた時。

その景色は街の入り口ではなく街中の何処かで、小さな家が一軒建っていた。




「着いたぞ!」

「はぁ…いきなり移動するな。吃驚するだろう」




ウォルターの少し疲れたような声に、マオは振り向く。




「此処からディーネの気配がするぞっ」

「おい。聞け」

「まあまあ…此処がディーネの家なのかな?」




木造で出来た家屋だが、この周辺の家々に比べると一回り小さい。

軒先にはこれまた小さな花壇があり、可愛い季節のお花が幾つも咲いている。

丁寧にお世話をされているのか、どれもが元気だった。

その隣には漸く芽吹いたばかりの新芽が、土の中からちょこんと顔を出している。


ディーネか、はたまたその祖母が、一生懸命にお世話をしているのだろう。

心優しい二人の愛情と水が、たっぷりと注がれているような気がした。




「おばあちゃん。あのね――」




ふと家の中から、ディーネの声が微かに聞こえた。

彼女は祖母と何やら話しているらしい。

その鼓動は何処か早くもあり、言葉の節々からも動揺が少し感じられる。




「もしかしてディーネ。まだ話せてないのかも」

「出発ギリギリまで、悩んでいてくれたのか…」




レンがそう呟くと、ウォルターは顔を顰めた。




「行くぞっ」

「えっ。マオちゃんちょっとっ!?」




すると突然、マオが扉を開けて中に入ってしまった。

家に鍵が掛かっていない事には驚きだが、それよりもまずは彼を捕まえなければならない。


このままでは不法侵入待ったなしだ。









―ーカチコチと時計の秒針が音を立てて進んで行く。


昔から家に在る少し古びた柱時計は、時刻を『10時』ぴったりになった所だ。


ボーン、ボーンと規則正しい音が室内に響き渡る中、祖母はソファで編み物をしている。

その両手は素早く器用な作業工程で、次々と網目作り出していた。


目の見えない彼女だが、人や物には特有の『オーラ』と言うものがあり、その力を感じ取って行われている。

知らない人から見れば、本当に眼が見えないのかと疑ってしまうほどだ。




「どうしたのディーネ?」

「えっ…?」

「さっきからずっと、オーラが乱れているみたいだけど」

「そ、そうかな」




そんな祖母の傍で、何処かそわそわとしているディーネの姿があった。


今日がレン達の『旅立ちの日』だと言う事を、彼女は理解していた。

しかし、当日になっても結局のところ、祖母には話すら出来ていなかった。


旅に出る事になれば、祖母を一人にしてしまう。

目が不自由な彼女には自分が必要で、居なくなれば当然困る。

そんな理由があるのだから、早々にウォルター達のお誘いを断る事は出来た筈だった。


だが今、彼女はとても迷っていた。

祖母は確かに心配だ。

でも、彼らの旅について行きたいと言う欲は確かにある。


決して祖母の事を重荷と感じている訳ではないが―ー




「さっきからじゃないわね。昨日の夜からかしら」

「おばあちゃん…」




いつもの様に優しい顔で彼女は笑う。

ディーネは祖母の笑顔がとても大好きだった。


だからこそ言えない。

言えば、きっと祖母を悲しませてしまうし、苦しませる事にもなる。



優柔不断で、決断もままならない自分を、彼らはきっと街の入り口で待っていてくれているのだろう。

街から隣街までの馬車が出る時間は、定刻通りであれば10時。

もう、時間はとうに過ぎていた。




「(やっぱり、早々にお断りを入れておくべきでしたね…)」




最期の最後まで言い出す事が出来なかったと、ディーネは俯きそっと唇を噛み締めた。




「ディーネ!」

「えっ…マオさん…!?」




そんな彼女の視界に、居る筈のない子どもの姿があった。

いつも元気でニコニコしている彼は―ー小さな魔王だ。




「おやおや。元気で可愛らしい声だこと」

「あっ、えっと…」

「マオちゃんっ。勝手に入ったら失礼でしょ!」




そんな彼を抱き抱える姿に、ディーネの眼は驚きに見開かれた・




「レ、レンさん? ウォルターさんまで…!」

「すまない、突然」

「ど、どうして此処に?」

「お客さんかい、ディーネ?」




ディーネは驚きつつも祖母を見た。

目の見えない彼女は、人の気配を感じたらしく、編み物をしていた手を止めて顔を上げる。




「此処に居るのは、レンさんとウォルターさんなの」

「あらあら。貴女達がそうなのね。話はいつもこの子から聞いているわ。ディーネがいつもお世話になってます」

「こ、此方こそっ。突然入ったりしてすみません」

「いいのよ。別に。初めまして、私はディーネの祖母のルーナよ」




ディーネの祖母――ルーナはそう言って優しい笑顔を見せた。


レンは一瞬、その笑顔に何処か懐かしさを感じた。

多分、夢の中で見たあのヒーラーに面影があると気付いたんだと思う。


しかし、ただ雰囲気が似ているだけかも知れないと、レンは直ぐに判断しなかった。

彼女が昔、どんな姿をしていたかなんて、自分には解らないのだから。




「ディーネ。早く行こう!」

「マ、マオさん…」




ディーネの少し戸惑ったような声がした。

腕の中でジタバタするマオを、レンは困った顔で見る。




「ごめんねディーネ。マオちゃんが迎えに行くって言い出すもんだから…」

「今日は賑やかね。もしかして、何処かへ出かけるつもりだったの?」


「…う、うん」


「それで何だか様子がおかしいのね。そうだわ、お茶でも入れましょうか」


「あっ。わたしがやるよ、おばあちゃんっ」




ソファから立ち上がろうとするルーナを、ディーネが素早く立ち上がって制止した。




「頂いて行く?」

「そうだな…せっかくだし、ゆっくりさせて貰うか」

「いいんですか? 馬車は…」

「こんな時間だ。当に出てしまっているだろう」

「あっ。そうです、ね…すみません」





ディーネが申し訳なさそうに頭を下げた。


どのみち、もう10時をとっくに過ぎている。

次の馬車が来るのは、大凡にして2時間くらいは空くだろうとウォルターは呟いていた。


定期便には乗り遅れてしまったが、まだ次の馬車を待てばいい。




「お待たせしてしまっていたのはディーネの方だったのね。ごめんなさい」

「いいえ。大丈夫です。ね?」

「えぇ。先を急ぐ訳ではないので」





まだ旅立ち前の段階だ。

それに旅の中で、全ての工程が順調に進むとも限らない。

トラブルでもなんでも、時に適宜対応していく事で順応していくのだろう





「熱いので気を付けて下さいね」

「うん、ありがとう」




ディーネが淹れてくれたお茶を口にしていた時だった。




「…ところでディーネ。レンさんやウォルターさんは解るのだけど、其方の方はどなたかしら」




ルーナの言葉に、ディーネはマオを見た

レンの話は祖母にしていたが、話したのは彼女がテイマーである事やhスライムを連れている事だけ。

『魔王』に関しては一度も伝えた事がなかった。




「おばあちゃん。此方の子は…マオさん。レンさんが面倒を見ている子どもさんなの」


「子ども…?」




ルーナはその言葉に、少し驚いた表情を見せる。

彼女はマオが居る方へ顔を向け、その存在をじっくりと感じるように目を閉じた。




「なんだ?」

「あぁ、ごめんなさいね。じろじろと…」

「別に構わないぞっ。オレの顔ならいくらでも見てくれていい! でも目を閉じたままだぞ?」


「まあ…ふふ、ごめんなさいね。私は今、眼が見えないの。だから貴方がどんな顔をしているのかが解らないのよ」


「えっ…」




レンは思わず声を出してしまった、

ルーナの眼はしっかりと此方を見ていたが、確かにその眼には光が感じられない。

ただ何もない空間を彷徨うよう見ている。




「昔、冒険者だった頃に色々とね。でも普段は自分の能力で人や物のオーラを感じ取る事が出来ているから、生活には問題がないのよ」

「そんなことないよっ。この前、何もない所で転びそうになってたでしょ?」

「あれは、ちょっと疲れてしまっただけよ。ディーネ」




そう言って笑うルーナの微笑みは優しく、何処かディーネにも似ていると思った。




「でも不思議ね貴方のオーラ。私の知る昔のあの人に、何処か似ている気がするわ…」




彼女は目が見えない為、マオの姿を直接確認出来ない。

しかし、そのオーラと微かな記憶にある感覚が、何か懐かしい物を呼び覚ますかのようだった。


それでも、目の前に居るのは、余りにも幼い存在であり、ルーナの記憶とはかけ離れている。




「まさかね…」




ルーナは少し笑いながら、自分の思い違いを自嘲した。




「私もそれだけ歳を取ったと言う証拠かしら」

「おばあちゃん…どうしたの?」

「いいえ…この子がとても懐かしい気がしただけ。過去の幻に惑わされてるのかも知れないわね」




ディーネは祖母が心の奥に何かを隠しているのを感じ取ったが、それ以上は深く問い詰める事をしなかった。




「私の事よりもディーネ。貴女はどうするの?」

「え?」

「何処かに行くんでしょう? それでウォルターさん達が迎えに来たのではないの?」

「あ…」

「ただのクエスト――と言う訳ではなさそうね? この子がこんなに不安なオーラを発するんだもの」




ルーナの顔がウォルターに向けられる。

彼女は聡明であり、とても勘が鋭かった。


隠し事をしても直ぐに見透かされてしまう様な、そんな気さえする。




「…実は、魔法王国へ向かう事になりました。それでヒーラーであるディーネの力が必要なのです」

「まあ、魔法王国…そう。それは確かに長旅ね。懐かしいわ」





微笑み、昔を懐かしむルーナ。

彼女が冒険者だった頃、一体どんな風に旅をして来たのだろうか。




「隠していたのはその事なのね。どうしてもっと早くに言わなかったの?」

「それは…」

「もしかして、私が居る事でこの人達に遠慮をしていたのかしら?」

「そ、そんなんじゃ、ない…よ…」




しかし、反論するディーナの言葉は段々と尻込みしていく。

それだけで、決して間違いはないのだとルーナは確信していた。




「嘘が下手ね。貴女は…」




嘘も何もかも、ルーナにはお見通しだった。




「隣の剣の王国を経由して行くつもりなの?」


「はい、そうです」


「なら、急ぎでないのなら歩いて行くのもありだと思うわ。ちょっと遠いかも知れないけれど、ただ馬車を待つよりかは少しでも時間を取り戻せるでしょう」


「えっ…おばあちゃん?」

「すぐに準備をしなくてはね、ディーネ」




ルーナの言葉に、彼女は酷く戸惑いを感じた。

旅に出てしまえば、自分が一人になる事は彼女も解っている筈なのに…




「わ、わたし、旅に出ていいの?」


「ディーネが私の事を気にしているのは解るわ。でもね、後悔しないようにするには旅に出るべきよ。貴女の心に従いなさい」




ルーナの声は、穏やかでありながらも強かだった。




「自分の気持ちを素直に吐き出さなければ、いつか必ず後悔する。私の事なら心配しないで。今までだって貴女が居ない時も大丈夫だったのよ?」




ルーナは、自分がディーネの負担になっている事も察していた。

だからこそ、かつて仲間と共に旅をした経験を思い出し、ディーネの背中を押してあげたのだ。




「でも、おばあちゃん…」




ディーネは躊躇していたが、彼女の温かい言葉がその心には響いていた。

それでも最後の最後まで、その表所は曇ったままだ。




「そんなに悩まないで。何も会えなくなる訳じゃないの。声が聞きたければ通信機がある。言葉では話せない事なら、手紙にして送ってくれてもいいのよ。私はいつまでも、この場所でディーネを待っているからね」


「…っ」


「自分を押し殺してはいけない。言葉を口にしても、それがもう遅い時だってあるんだよ。その人にはもう、届かない時だってあるの…」




ルーナの表情は穏やかで優しい。

しかしその言葉と胸中には、何か特別な意味がある様な気がしてならなかった。




「ほら、皆が貴女を待っているわ。貴女がすべき事は解っているのでしょう?」




その言葉が最後の一押しだった、




「ディーネは、どうしたいの?」

「わたしは…」




ディーネは大きく息を吸い込み、ついに決意した。




「わたし、旅に出たい…!」

「それでいいのよ。…気をつけて行ってらっしゃい、ディーネ」




ルーナは穏やかに微笑んだ。




「レンさん、ウォルターさん。すぐに準備しますっ!

「あ、あぁ…」




ディーネは直ぐに家中をバタバタと駆け回り、荷物をまとめて旅の準備を始め出した。

『あらあら…』と笑うルーナの表情は嬉しそうだ。




「あの…本当にいいのですか?」

「えぇ勿論。あの子にもいろんな所へ行って、いろんな物を見て貰いたいですからね」

「…ありがとうございます」




深く頭を下げるウォルターに倣い、レンも頭を下げる。

ルーナもまた、静かのレン達に頭を下げていた。




「ディーネの事。よろしくお願いします。あの子はまだまだ未熟で、心も弱いですから」


「オレが居るから大丈夫だぞ! なんせオレは魔王だからなっ」

「マ、マオちゃん…!」

「魔王…? ふふ…ありがとう、小さな魔王様」






◇◆◇







ルーナに見送られ、ディーネと共に再び街の入口へ空間転移を果たす。

いきなり出て来たレン達の姿に、街の門番はそれはもう驚いていた。




「お前ら、まだ出発してなかったのか…!?」




時間は既に出発の時間を過ぎている、

定期便の馬車の姿は何処にもなかった。




「どうするの?」

「次の馬車を待つしか、それとも歩くか…」


「おい。遅ぇぞ」

「え?」




声がした方を見ると、先に街を出ていたと思われるフウマの姿があった。

更には馬車の姿もある。




「ど、どうして?」




当然、レン達は驚いた。

出発の時間は過ぎている、

しかし、其処にはフウマの他にも馬車の姿もちゃんとあったのだ。

驚くレン達に、フウマがにやりと笑う。




「御者のおっちゃんが『急に』腹痛を起こしやがってな? 急遽別の馬車が先に出発したんだよ」

「では、この馬車は…?」

「遅れたお詫びに、特別に俺らだけを乗せてってくれるってよ。ほら、やっと戻って来たぜ?」




みると、青い顔をした業者の男が今しがた、馬車に戻って来ている姿が見えた。

その足取りはふらつき、とても真っ直ぐに歩ける状態ではない。

苦しそうに呻いては、腹と口を抑えている姿に、レンは何処か尋常じゃないと思った。




「ひぃ。ひぃ…なんだ急に…朝に食った朝食がヤバかったのか?そ れともさっき貰った飴玉か?」


「人があげたのにケチつけんじゃねぇよ。可愛いチビ達からの贈り物だぜ?」


「あぁ、すまない、すまない…腹の調子がどうしてもな…うぅっ…」


「しょうがねぇから薬分けてやるよ。どんな腹痛もピタッと止むんだ。特別にタダでやるぜ」

「く、くれっ!」




勢いよくぶんどる御者は、藁をも縋る思いで薬を一気に飲みこんだ。

すると、先程まで真っ青な顔で苦しんでいた様子が、驚きに一変した。




「…な、治った、だと…!?」




まるで全ての苦しみから解放されたようだった。




「…と、まあそう言う訳だから。出発には間に合ったぜ?」

「フウマ、お前って奴は…!」

「フウマが時間を稼いでくれたみたいだね」




そう言って笑いかけると、ディーネも静かに笑顔を見せた。






全員が馬車に乗り込み、いよいよ街を出立する。


この街とも暫くお別れだ。




「いってきます」




それはまるで。



袈裟、夢で見たような旅立ちの日と同じ光景の様だと思った。





~第2章『代償と責任』 ~完~



この度は『〇〇テイマー冒険記 ~最弱と最強のトリニティ~』をお読み頂きありがとうございます。

今回を持ちまして、第2章 責任と代償 篇 が完結致しました。

読者の皆様、そして執筆を支えてくれた方々には、心から感謝しています。


第2章は、小さくなって弱体化した魔王を巡り、人間の葛藤や想いを描きました。

人間達が思い描く『魔王像』と本来の『魔王』とでは、何かと相違点があると考える者も、少なくはありません。

そんな中、魔王をテイムしたレンだけは、彼女の命を救ってくれた魔王を信じ、そして護る事を決意しました

果たして魔王は、本当に絶対的な『悪』なのか?



今後も引き続き物語は進みますので、どうぞ応援のほどよろしくお願い致します。

このお話を読んだ感想もお待ちしております。


第3章も是非、お楽しみ下さい!



紫燐



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