D級テイマー、誰かの想いを聞く
いよいよ明日を旅立ちに控えた夜。
リビングにはいつもの様に寛ぐ、レン達の姿があった。
レンはスライムを前に座り込んでいる。
その手には一枚のメモが握られており、様々なアイテム名がリストのように連なっている。
「テントは?」
『持ったー』
「調理器具!」
『入ってるよー』
「食料!」
『たっぷりー』
全ての持ち物は、スライムのおくち―ー『異空間収納』に収められている。
その為、レン自身がとても身軽な状態で異動する事が可能だ。
こんな事が出来るのは、スライムを連れている自分くらいなものである。
『金平糖もあるよー?』
「…よし」
旅の準備に抜かりがない事を確認したところで、レンは満足げに頷いた。
特に漏れがない限り、明日の準備は万端である。
ふとカーテンを開けて夜空を眺める。
今夜も沢山の星たちが瞬いてた。
この分だと明日も晴天に恵まれそうである。
今宵は満月。
もう少し時間が経てば、家の真上を通り過ぎていく事だろう。
「明日に備えて、今日はもう寝ようか」
『うんー!』
「マオちゃんもそろそろ…あれ?」
リビングを見渡すと、いつもソファに居るであろう小さな姿は何処にもない。
お風呂はさっきマモンが入れた所だし、トイレにでも行ったのだろうか。
そんな時、マモンが丁度リビングの前を通りかかる。
「あ、マモンさん。マオちゃんを知らない?」
レンが問いかけると、彼は一瞬だが眉を顰めた。
「…魔王様ならお休みです。『貴女の部屋』で」
「えっ。もう寝ちゃったんだ」
この家にはレン、スライム、魔王にそれぞれの部屋がある。
中でも魔王の部屋は、マモンが丹精込めて家具を選び抜き、レイアウトをした。
勿論其処にはベッドもあるし、最高の空間を作り上げたつもりだった。
「魔王様に添い寝など…しかも毎日!」
ところが、魔王は自分の部屋があると言うのに寝る時だけは、レンと一緒だった。
最初からスライムと一緒に眠るレンを見て、自分もと思ったのだろう。
それからレン達は毎日、同じベッドで眠りに就いている。
せっかく用意した魔王のベッドは、こうして今日も使われなかった。
マオちゃん、寝相が物凄く悪いからな。
ベッドが大きいのも案外そんな理由なのかも。
「いいですか。明日から旅に出ると言う話ですが、決して魔王様がお風邪を引くような事はないように。食事もちゃんとしたものを出して下さい。貴女に料理のスキルは求めていませんがね」
「(マモンのお小言が始まる…!?)」
そんな『危険』を察知したレン。
今日ぐらいお小言は勘弁して貰いたい。
明日からはお互いにこの家を離れるんだからさ!
「それと―ー」
「はは…じゃ、じゃあおやすみなさいっ」
「話はまだ終わってませんが…」
『おやすみー! マモン様ー!』
レン達は、素早く逃げるようにリビングを後にした。
ドタバタと慌ただしく出て行く後ろ姿に『お静かに!』なんて追加でお小言を食らう。
既に魔王がお休み中の為、騒がしくして起こしたくはない―ーが、それを注意するにももう既にレンは居なかった。
居なくなった彼女に、マモンは盛大な溜息を吐く。
「全く…」
あの様子だよ、話の一つも聞いていないだろう。
部屋に入ると、既に魔王がすやすやと寝息を立てて眠っていた。
クイーンサイズのレンのベッドは寝心地が良く、二人と一匹で眠った所で窮屈さを感じない。
やはりいい寝具は身体を安定させてくれるのだ。
これもまたジェリーの作品の一つである。
「スライム?」
『今日は、お星さま流れないねー?』
「流れるのは見たいけど、流れて欲しくはないかなぁ」
窓辺で夜空を眺めるスライムは、ちょっとだけ残念そうな顔をした。
流れ星は別名『災いを呼ぶお星様』と呼ばれる。
普通に見る分にはいいのだが、魔物達にとっては凶兆でしかない。
普段は温厚な魔物でも、お星様に触れてしまうとまるで狂暴な獣に早変わりしてしまう。
森で対峙した小熊を相手にして以来、そのお星様の報告例は聞いていなかった。
だが、耳にしていないだけで、流れる時にはまた、何か異変が起きているのだろうか。
「さ。マオちゃんも寝ちゃったし、スライムも寝ようか」
『はーい』
ぴょんっとベッドに戻るスライム。
レンも魔王を起こさないように横たわると、そのまま静かに目を閉じた。
明日への緊張もあり、直ぐには寝付けないだろうとは思っていた。
だが、案外自分は神経が図太いらしい。
「…すぅ」
数分もしない内に、レンは深い眠りに落ちていた。
◇◆◇
―ー何度も繰り返し見ている夢がある。
それが『いつから』見始めたのかと考えれば、答えは出て来る。
レンが瀕死の重傷を負った『あの日』からだ。
レンが眠りに就くと、毎回同じような夢の世界が彼女を迎える。
夢は、何処か懐かしさを感じ冴える風景からいつも始まっていた。
石畳の道が続き、木造家屋が建ち並ぶ街並みを『誰か』が歩いている。
レンは知らない『誰か』の後を追いかけ、その夢の続きを見ていた。
歩く度に新品のブーツが音を立てる。
新しく仕立てた衣装はまだ慣れていないのか、自分自身が服に着られていると言う感じだ。
腰に差す一振りの剣は研ぎ立ての刃が鞘に収められている。
―ーその人物は、どうやら『冒険者』のようだ。
『とうとう旅立ちか! 気をつけて行くんだぞ!』
其処が少し昔の『ラ・マーレ』だと言う事に気が付いたのは、今よりもまだ若々しい門番さんの姿を見てだった。
いつもの様にハキハキとした声で、彼は『冒険者達』を見送る。
そんな彼に今日から暫く会えないと思うと、少しだけ寂しい気持ちになった。
…寂しいって、誰が?
夢の中でレンは、不思議な感覚に包まれていた。
誰かの感情が、まるで本当に自分の感情のように感じられる。
冒険者は、常に数名の仲間と行動を共にしていた。
どうやら旅をしているらしい。
街を出る前、仲間達と共に旅への誓いを立てていた。
草原や魔物の住む洞窟など、あらゆる場所を訪れては、村や街の人々から感謝をされている。
冒険者として旅をする姿は、レンも何処か見慣れた光景のように思えた。
しかし、不思議な事にその冒険者は。レンの夢の中で一番近くに居る存在でありながら、その顔は常にぼやけていた。
仲間達の姿ははっきりと視認出来るのに、どういう訳かレンが追いかけ続けていた『冒険者』の顔だけが識別出来ない。
耳にする声や身形からは、その冒険者が青年だと言うくらいしか読み取れなかった。
だがそれでも、レンはその冒険者に心惹かれる何かを感じていた。
その冒険者はパーティのリーダー的存在であり、仲間達の信頼を集めていたように思える。
仲間を気遣い、常に寄り添う形で傍に居る冒険者に、仲間達はいつも笑顔で応えていた。
それは村や町の人達と同じ、感謝の笑顔と似ている気がする。
『解ってはいたけれど…やっぱり貴方は優しい人なのね』
そして、彼の隣にはいつも、一人の女性が居る。
『彼女』は穏やかで優しく微笑む姿が印象的であり、その笑顔には懐かしさを感じさせるものがあった。
足元には凛々しい顔をした一匹のスライム。
冒険者にとっては『敵』と見なされるその存在は、敵意を剥き出しにするどころか、寧ろ彼女を信頼する様に見上げている。
彼女がレンと同じ『テイマー』だと言う事は、容易に想像がついた。
夢の中ではあるが、自分達以外に見るのは初めての事。
そして、もしかするとその凛々しい顔をしたスライムこそが、レンのスライムの憧れる『伝説のスライム』なのではないか。
そんな確信にも似た考えが頭を過ぎる。
であるならば、このテイマーが所謂『伝説のテイマー』なのだろう。
何をどうして『伝説』と称されたのかは解らないままだが―ー
『共に戦いましょう。いつまでも…』
官女がそう告げる『冒険者』は誰なのか、レンには解らない。
夢は。
いつも突然に終わってしまうから―ー…
◇◆◇
夜も更け、静寂が部屋を包んでいた。
ベッドでは、レンが小さな魔王、そしてスライムと寄り添って眠っていた。
レンは穏やかな寝息を立て、魔王もその体を預ける様にして横たわっている。
月の光がカーテンの隙間から静かに差し込む。
その時、夢見の中に微睡んでいた魔王が、ぴくりと反応を示した。
小さな体は不意に震え出し、眉間に苦しげな皺が寄る。
「…くっ…何だ…?」
魔王の声は掠れ、痛みに歪む。
顔からは冷や汗が滲み出た。
小さな手がベッドのシーツを握り締め、身体が熱を帯び始める。
力が、魔力が。
蠢くように身体中を巡っている。
骨が軋むような音が、身体の中で響いた。
小さな身体は徐々に大きくなり、かつての力強さと威厳を取り戻して行く。
幼い顔つきは鋭さを帯び、筋肉が緊張し、再び身体がかつての魔王の姿に戻り始めていく。
必死に痛みを抑えようとするが、その変化は止められない。
「…戻っているのか…?」
彼はその言葉を呟き、ふと窓の外に目をやった。
空には無数の星が瞬き、満月が煌々と輝いていた。
月光が魔王様の元に降り注ぎ、彼の身体は完全に元に戻っていた。
何故、こんな事になった―ー?
訝しみ、思考を巡らせている彼の視界に、ふと何者かの影を捉える。
「――どうやら、満月が原因のようですね」
「マモンか…?」
窓際の外には、マモンが『浮かんでいた』
彼は数刻前、自分を寝かしつけると同時にこの家を去った筈だった。
『帰ったら城で魔王様の代わりに、書類仕事をしなければ…』と散々愚痴を零していた彼を思い出す。
「もうとっくに帰ったのかと思っていた」
「えぇ…ですが、魔王様の気配を感じたので飛んで来たのです」
マモンは至って冷静。
そして淡々と語っていた。
そんな彼の後ろには、煌々とした満月が昇っていた。
「月の力は呪いを解く―ーだなんて迷信かと思いましたがね」
「満月…そうか、これが原因か…」
魔王は月光の力によって、自分が再び元の姿に戻った事を理解した。
「とは言え、そんな事で全てが解決した訳ではありません。そのお姿もあくまで一時的なものでしょう」
「…そうだな」
隣で眠っているレンは、その変化に気付かず、安らかに眠り続けている。
魔王は彼女の寝顔を静かに見つめた。
その表情は、以前の冷たさや無敵の自信とは違い、何処か柔らかく、優しさに満ちていた。
彼は、自分のテイムしたこの少女の無防備な姿を見つめ、まるで愛しい人を思い出すかのような目で、彼女を見つめていた。
「…魔王様?」
それを見たマモンは驚き、そして直感する。
この女は、危険だ。
主を、魔王様を本当の意味で『駄目』にしてしまう―ーと
「…いつまで、その女の元に居るつもりです?」
月明かりに照らされたマモンの顔が、冷ややかな視線を投げかける。
マモンは崇高なる魔王が人間であるレンと一緒に過ごす理由が、どうしても理解出来なかった。
単に『退屈だから』と城を抜け出したのは、いつもの事。
しかし、テイムされたとはいえ魔王は魔王。
最初は彼が、一時的な興味を持っているからだと思い、見守っているだけに過ぎなかった。
本人が飽きればすぐに城に戻って来ると思い、今日の今日まで見てきた。
しかし…彼は未だに城に戻る気配がない。
「人間と共に在るなど、貴方様には何のメリットもない。それなのに、…何故?」
彼にとって、人間は弱く短命で、争うばかりの醜い存在にしか思えなかった。
特に『魔王』には不要の存在だ。
「それは―ー…レンがオレのテイマーだからだ」
その言葉に、隠された魔王の心の温かさを感じ、マモンは非常に嫌悪感を抱いた。
魔王にではなく、その隣で眠る『女』に。
それが非常に不愉快だった。
だから、彼がレンに心を寄せる事が許せなかった。
自然と握る拳に力が込められるのも、致し方のない事だった。
「…ならば、その女を殺せば、貴方は解放されるのですか」
彼は酷く冷静な声で呟くマモンの眼は鋭く光り、その手には一振りの短剣が握られていた。
冷たく輝きを放つ刃が、月明かりに照らされて一瞬光る。
マモンはその短剣を強く握りしめながら、レンを見つめていた。
「マモン」
しかし魔王は、そんなマモンの言葉を静かに受け止めつつ、一切の揺るぎを見せなかった。
暫く彼はマモンを見つめ、マモンもまた魔王を見つめていた。
やがて、小さく息を吐いたのはマモン。
そして、折れたのもマモンだった。
「えぇ、えぇ、承知しております。私は貴方の忠実なる配下ですから…では、失礼します」
そう言って、深々と頭を下げたマモンは、闇夜に紛れてその姿を消した。
居なくなった彼の最後の表情は気になりもしたが、まあいい…
「ん…マオ、ちゃ…」
レンが僅かに身じろいだ。
寝ぼけているのか、小さな声が微かに自分を呼んだ気がする。
魔王はそっと手を伸ばし、レンの髪に触れる。
その指先が彼女の頬に触れ、彼女は僅かに反応して顔を動かずが、まだ目を覚まさない。
その仕草が微笑ましく、魔王の口元にまた微かに笑みが浮かんでいた。
「こんなに無防備で…オレを恐れないとは」
彼は静かに息を吐き、再びレンの顔を見つめた。
彼女の寝顔には、何処か安心した表情が浮かんでいる。
彼が恐ろしい魔王であろうと、今の彼女にとってはただの仲間であり、護るべき存在である事が見て取れた。
『それでも―ー私は、マオちゃんの…魔王様のテイマーです』
『私は彼を護る。彼が私を救ってくれたように、私も彼を護る。例え世界中を敵に回しても、私は彼と一緒に戦う』
魔王はゆっくりと身体を近付け、彼女の額にそっと唇を押し当てる。
キスは、優しく。
そして深い感謝の念を込めて。
彼女が気付かないように。
慎重に、そして丁寧に――
「お前には、感謝しなければならないな…」
そう囁くと、彼はレンの身体をそっと抱き締めた。
その腕は、かつての魔王としての力強さを持ちながらも、今は護るべきものを大切に抱きしめる、優しさに満ちていた。
満月の光が二人を包み込む中。
魔王が自分の胸にしまい込んだ感情を、ほんの少しだけ解き放つように、そっと目を閉じた。
そして、何も知らずに眠る彼女の穏やかな寝息を感じながら、魔王は再びベッドに身を沈めた。
彼がこの夜の出来事を口にする事はないだろう――
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