クタクタテイマー、宿屋に泊まる
門番にお礼を言うと、彼は手を挙げて見送ってくれた。
一歩一歩を動かす足が、鉛のように酷く重く感じる。
おまけに踏み出す度にやっぱり足は痛い。
「宿屋があるって聞いたから、行ってみようか」
『やどやー!』
門番さんに教えられたとおりに大通りを進んで行くと、暗がりの街並みにぽつぽつと灯りが灯る。
ランタンの様に炎が燃えているのだと気付いたのは、僅かに揺れる炎がじっと目を凝らして解った事だ。
別の場所の建物には、ピカピカとネオンが輝いている。
あそこは電気だ。
あっちはに見える竃では炭が焼かれているし、建物自体何だか古めかしく感じる部分もある。
文明が滅茶苦茶な気がした。
宿屋の名前は…確か『海月亭』と門番が言っていた。
「何処かに看板か何かあればいいんだけど」
そう思っていると、『INN』と言う看板をまさに見つけた所である、
このマーク…宿屋だ!
「何か本当にRPGみたいだな…」
しかし、無事に宿屋を見つけた事もあって、ちょっとだけほっとした。
とりあえず今後の事を考えたい、
歩き疲れたし、お腹も空いた。
睡眠だってロクにとってない。
――カランカラン
扉を開けると、上部に付けられたドアベルが音色を鳴らした。
早く休みたいと入ったはいいのだが、お金はどうしたらいいんだ。
そもそもお財布すらないし、コード決済に頼ろうものならスマホは充電切れ。
普段は通勤時に使用している鞄も、この世界に来た時には手元になかった。
スマホが使えない事は、現代社会にとって本当に死活問題だ。
充電器、宿屋で借りられないかな。
『いいニオイだねー!』
「そうだね」
言われてみれば、確かに何処からか香ばしい匂いが漂っている。
更には賑やかな声も聞こえて来ていた。
笑い声や怒号等、色んな感情が入り混じった声でいっぱいだ。
まるで居酒屋で呑んだ時に似た雰囲気と、人が居ると言う喜び。
そして、鳴り続けるお腹の音に、レンの感情は色々と忙しい。
あぁ、本当にお腹が空いた…!
「いらっしゃいませー! …って、スライムぅううう!?」
宿の受付を担っているであろう女性が、レンを――そして肩のスライムを見るなり仰天した。
門番の人や、道行く人にもそうだが、こうして驚かれるのは何人目だろう。
「も、もしかして貴女は…テイマーですかっ!?」
「えぇ、まぁ…」
「凄いっ! 初めてお会いしました! テイマーをお泊めするのは初めてですっ」
「はぁ…」
「あっ。すみません、お泊りですか? お食事付きであればお一人様と一匹様で、一晩50Gになります」
どうやら、スライムの分も宿代には含まれるらしい。
それも『G』だなんて、本当に此処は異世界なのか。
ゲームの中と言われても否定は出来なそうだ。
「えぇと…スライムも居るんですが、いいんですか?」
「勿論ですっ。大切なお仲間ですから!」
「仲間…なるほど」
「どうされますか?」
どうするも何も、即刻休みたい!
でも、お金がない!
「あー、実はお金が無くて…」
「まあ、そうなんですか。どうしましょう、冒険者とは言え、女性を野宿させる訳にはいきませんし…」
そう言って、受付の女の子は困った顔をする
「…冒険者?」
ぽよんっ
『おかねー?』
その時、言葉に反応したスライムが、肩からカウンターへぴょんと降り立った。
『ぴかぴかー?』
「そう、ぴかぴかしてると思う」
んべー
チャリン、チャリーン
『おかねー。ぴかぴかー、これー?』
カウンターの上に散らばる金属音。
突然それが、スライムの口から出て来た時は、レンも彼女も正直吃驚だった。
見た事のないお金どころじゃない。
何で口から出たっ!?
少なくとも日本円ではい。
外国のお金であれば納得は出来るが、レンはそこまで通貨に詳しい訳でもなかった
それ以外にも小石だの葉っぱだの木の枝だの、頼んでもないのに色々と出てきている。
中にはもぞもぞと動く虫も居て、正直悲鳴を上げたくなった。
「キャー!?」
「ギャー!!?」
いや、実際にもう上げていた。
って言うか、先に受付嬢が上げていたので、私もつられて声を上げてしまった。
同じ女性でも、彼女と私ではこうも悲鳴に違いがあるのか、泣ける。
「し、しまって! 他はしまって!」
『? わかったー』
まさかスライムの身体の中に、あんなものが…と、背筋がぞぞぞっと寒くなる。
スライムは直ぐにお金以外のモノをしまってくれて、私も彼女も一安心だった。
ちょっと、いや物凄く嫌だった。
もしかして、葉っぱじゃなくて虫も食べるのっ!?
いいや、葉っぱにたまたまついていたんだと信じたい…!
そうでなければこの先、スライムを見る眼が酷く変わってしまうから。
「これがお金…?」
カウンターの上には、ピカピカの丸い硬貨の様なものが数枚、鎮座している。
「あ、ありがとう…これで足りるの?」
『ニンゲンの使うモノだから、わかんなーい!』
「えぇ…」
確か料金は『50G』だった筈だ
これに一体、どれくらいの価値があるのか、レンには解らなかった。
「す、凄いっ。スライムはおくちから収納が出来ると言うのは、本当だったんですね!」
「え?」
「しかも、ちゃんと意思疎通が出来てる! 本当にテイマーなんですねっ」
「えっと…其処まで驚く事なんですか?」
「テイマーじゃないと、魔物の言語は理解出来ないんですよ! 勿論魔物の中には意思疎通の出来る種族も居ますけどねっ」
え、何それ。
喋れるのが普通だと思っていた。
そう言えばスライムも、自分の言葉が理解出来てるって言ってたし、テイマーだから出来る事なのか。
ちなみに彼女には『プルプル』しか聞こえないんだって、なるほど。
「金貨一枚だけで、十分お釣りが来ますよ」
「そうなんですか?」
「はいっ。では、一部屋お取りしますねー!」
何はともあれ、野宿の心配はなさそうだ。
こんな訳の分からない世界に飛ばされて、初めての夜を恐怖して過ごしたくはない。
絶対に危険な匂いしかしない。
無事に朝を迎えられる保証だってない。
「此方、950Gのお返しです」
返って来たのは、ジャラジャラと色の違う小さな硬貨ばかりだった。
大きさ的には元の世界と似たようなものだが、量が…量が多い!
一枚だけ渡したのに、こんなにも返って来るとは思いもしなかったよ…
これは、この世界の通貨も勉強しないとならない。
あとはお財布も必要だ。
ポケットには入りきらないし、本当にどうしよう。
捻じ込む傍から一枚、また一枚と落としてしまう。
ぱくっ
ぱくっ
ぱくっ
…落ちた硬貨を拾う――いや、飲み込むスライム。
そんな小さな貴方に、レンはそっと硬貨の山を差し出した。
『あーん!』
スライムは、喜んでおくちの中に収納してくれた。
なるほど、収納能力って便利なんだな。
「では此方がお客様のお部屋の鍵となります。階段を上がってお進みください。朝は11時までに此方まで鍵をお返し下さい。お食事は彼方のご飯処で出来ますが、お部屋にお持ちする事も可能です。ちなみに今なら夕食も食べられますよ」
「解りました!」
「それではごゆっくりお寛ぎくださいませ。良い夢を」
「はい。ありがとうございます」
部屋番号のタグが付いた鍵を渡された。
洋館で使う様な、ちょっと古めかしい鍵の形状。
此処に来てから、見る物感じるもの、全てに驚かされっ放しだ。
いい加減、ちょっとは慣れた方がいいのかも知れない。
「えぇと、階段を上がって…此処だ」
小さな鍵穴に差し込んだ鍵が、ゆっくりと回る。
カチリと静かに音を立てた扉は、ノブを回すと少しだけ軋んだ音を立てて開いた。
ホテルでも旅館でもそうだが、旅先での宿では鍵を開けて扉を開けるこの瞬間が好きだ。
どんな部屋なのかと、期待に胸を膨らませる。
「わぁ…っ」
シングルサイズのベッドが二つ。
皺ひとつなく、きちんとベッドメイクがされている。
机と椅子と、ちょっとしたメモ書き様に紙とペン、それと内線電話が置いてある。
荷物を入れたりするクローゼットはないが、コート掛けみたいな棒状のポールが置いてある。
扉の向こうはトイレとシャワー室が完備されており、別々になっている事がとても有り難かった。
このお部屋で50Gとは、値段的に見たら高いのか安いのか。
何分相場が解らない。
しかし、それなりに過ごせそうな居心地の良い空間だと、辺りを見渡す限りそう思う。
せめて冷蔵庫があればよかったと思うのは、ちょっとした贅沢だろう。
「ホテルみたい!」
『わーい、ふかふかー! 太陽のニオイー!』
スライムも喜んでいるみたいで良かった。
まさか普通に宿に泊まれるとは思わなかった。
案外この世界も魔物に寛容な部分があるんだなぁ。
『いつもはねー。葉っぱの上で寝てるのー』
「それは…寒そうな」
『あったかいよー。でもねー。朝起きると葉っぱがなくなってるんだー。ふしぎー!』
…それは、無意識に食べてるからじゃないのかな。
「はー、くたくただ…」
とりあえずベッドに横になる。
それだけで、一日の疲れがどっと現れるのが解った。
一日仕事を終わらせても、こんなに酷く疲れはしなかった。
それだけ、自分が歳をとったと言う証拠だろうか…何だか物悲しい。
しかし、漸く一息付けた事にほっと安堵の息を漏らす。
今日一日、とんでもなくハードだった。
朝起きて出社して仕事して、お昼食べて仕事して、残業して、残業して…
コンビニ寄って、事故に遭って、カミサマに会って、異世界転生して、森に出て。
スライムと出会って、この街に来てーーもう、本当に疲れていた。
…テイマーと名乗れば、人には驚かれた。
門番の人だけじゃなく、傍で聞いていた人達もまた、同じように目を丸くしていたのは覚えている。
宿屋でもそうだ。
受付の人は驚くと言うか、喜んでいたけれど…
「テイマーって…なんだろう…」
眼を瞑れば、自然と夢へと誘われて行く事は明白だった。
眠気にも、疲れにも抗えなかった。
あぁ、着替えなきゃ、メイク落とさなきゃ。
お風呂に入って、ご飯食べなきゃ…
掃除して、洗濯して、明日のゴミ出しの準備をしないと。
それから明日の会議の準備、朝早く起きて出社して、やらなきゃ…
それに書類とデータを打ち込んで…
「…すぅ…」
『…寝ちゃった』
ご飯も食べずに寝てしまったこのニンゲンは、葉っぱを食べなかった。
水も飲んでないし、ぐうぐうとお腹が鳴っていたのも知っている。
美味しいのになぁ、葉っぱ…
『ボクもねよーっと』
そうして一匹のスライムは、テイマーの元で幸せな眠りについた。
お読み頂きありがとうございました。