E級スライム、帰郷する
レンとスライムは、街を出てすぐにある森へと向かっていた。
「スライムが『お家においで』だなんて言い出すから、何事かと思ったけど…」
『えへへっ』
嬉しそうに頬擦りをしてくるスライム。
ぷるんとした質感は今日も健在だ。
ある日突然、スライムが『お家においで』と言い出した。
それを聞いた時、ハウスに居るのに『お家』とは何ぞや?と、レンは首を傾げた。
しかしよく聞いてみると、スライムの言う『お家』とは森の中であり、彼自身の故郷の事だった。
暫くお家に帰ってないから――と言うスライム。
それもそうだ。
異世界に来て早々にレンはこの子をテイムした。
その日からずっと傍に居るのだから、お家に帰る事は今日が初めてある。
「私が一緒に行っても大丈夫なの?」
『うんっ。皆にレンの事を紹介したいんだっ』
故郷に帰るならスライムが一匹でと言う考えはなく、寧ろ嬉々としてレンを連れて行こうと考えていたらしい。
さも当然の様に『行かないの…?』と寂しそうに言われれば、それはもう首を縦に振るしかなかった。
「懐かしいな…」
まだ一か月くらいしか経っていない筈なのに、何だか随分と昔の事の様に感じる。
其処は初めてレンが、異世界に来て目を覚ました場所。
そして同時に、スライムと初めて出会った場所でもあった。
葉っぱを食べている姿を見たのがきっかけだった。
もっちゃもっちゃと食べる姿が可愛らしいと、第一印象は圧倒的なその可愛さにやられた。
森に入ると、まるで森全体が活きているように木々がざわめき、草花が揺れた。
まるで『お帰り』と声を掛けられているかのようだ。
『あっちだよー』
二人は森の奥に進む。
森の中は似たような光景が続き、レン自身もどの場所で目を覚ましたかまではもう覚えていない。
だが、先導するスライムには自分の『お家』が解っているらしく、一寸の迷いもなくレンをナビゲートしてくれる。
『その立札を右だよー』
「立札?」
言われて気付いたのは、森の中にポツンと立つ木の看板だった。
『この先、スライムの住処』と書かれている。
何処かの誰かが目印として置いたのだろうか。
看板は長い間、雨風に晒されていたのか、所々が朽ちている。
しかし読めなくはない。
レンは頷き、歩く道を右へと進んだ。
やがて見えて来たのは、大きな大木。
森の中にある樹木の中では幹が太く頑丈で、その高さは天まで上る勢いだ。
枝葉がそこかしこに伸び続け、ユラユラと風に揺られている。
樹木は小さな花が幾つも咲き誇り、まるで太陽の光を一杯に吸収するかのように花開いていた。
『誰か来たよ?』
『あれは…』
『ニンゲン…?』
その時、樹木から声が聞こえてきた。
揺れる草葉の陰に隠れて、何かが見えたような気がする。
それが何なのか目を凝らすと、ひょこっひょこっと何かが姿を見せ始める。
それも一つや二つではない。
『おかえりっ』
『帰って来たんだねっ』
『おかえりっ』
現れたのは、数十匹は優に超えるスライム達だった。
彼らは口々にそう言うなり、ぴょんっと木の幹から地面へと降り立つ。
ぽよんと跳ねるように着地するスライムが居れば、べしゃりと顔面を叩きつける等、落ち方はスライム様々。
しかし直ぐに原型を整えて、彼らは一目散に集まって来る。
まるで、始まりの泉の時と同じ光景だった。
すると肩に乗っていたスライムが、突然ぴょんと肩から飛び降りた。
『ただいまーっ!』
仲間達に会えた事が嬉しいと、ぷるぷる小さな体を震わせる。
『おかえり』と温かく迎え入れる一匹一匹に、スライムはピタッと体をくっつけ合った。
その行動は、彼らなりに再会を喜ぶ行動なのだろうか。
スライムは仲間意識がとても高い。
たった一匹の帰還に、こんなにもわらわらと集まるのは何とも眼福である。
そんな光景を微笑ましく眺めていると、大木の裏から、ぼよんっと一際大きなスライムが姿を現した。
小さなスライムよりも何倍、何十倍、いや何百倍もある大きさだ。
レンの身長を軽々と超えるそれは、他のスライム達とは確実に異なっていた。
『おかえりなさい、可愛いぼうや』
『あっ。ママ―!』
「…ママ?」
スライムの体がぽよんっと大きなスライムに飛びつく。
しかし、ママと呼ばれたスライムの体はびくともせず、ただただ優しい笑顔を浮かべている。
なるほど、あれがスライムのママなのか…
そう思うと再会を喜ぶその顔は、何処か温かく母性に溢れていると思う。
『ぼうやが旅立ってから、心配をしていたのよ? でも元気そうでよかった』
『えへへー。ボクは元気だよっ』
『そちらのニンゲンは…もしかしてぼうやの?』
『うんっ。レンがテイマーなんだっ!』
「ど、どうも…」
大きなスライムママに驚きはしたものの、特に警戒はされずにいるようで安心した。
寧ろ歓迎ムードと言っても過言ではない。
その証拠に、小さなスライム達が、興味津々でレンの足元に集まって来ては、此方を見上げている。
中にはぷるんぷるんの体を押し付けて来る子も居た。
やはりこれは、彼らなりの挨拶なのだろう。
『ありがとう。ぼうやがお世話になっています』
「いえいえ。そんな」
体を前に揺らし、深々とお辞儀をする姿に、レンもぺこぺこと頭を下げる。
スライムママの周りにも、沢山のスライム達が集まっていた。
皆、スライムママの子ども――と言うか、分身らしい。
しかし『兄弟分』だと自分のスライムは言った。
どう違うのかまでは解らない。
一つ言えるのは、スライム達は大人数の大家族だと言う事だ。
『今日はねっ。ボクのテイマーだって、レンを紹介しに来たんだっ!』
キラキラとした眼でそう語るスライム。
放したい事がいっぱい、いっぱいあるのだろう。
スライムにしてみれば、この一か月で起こった出来事は、ちょっとした大冒険にも近い。
それを自分のママに、そして仲間達に話したくてウズウズしていた。
『まあまあ。それは楽しみね。ゆっくりとぼうやのお話を聞きましょう』
『うんっ』
スライムの語る大冒険は、同郷のスライム達の眼を輝かせるには十分過ぎる程だった。
楽しい話を聞けば笑顔を見せ、迫力のあるシーンでは『おおっ』と驚きの声を上げる。
中には怖い思いをした経験から、ガタガタと震える子も居た。
彼らが自分の事の様に一喜一憂する姿は、本当に仲間意識が強く、それでいて優しい家族だった。
そんなスライムの様子を、スライムママはにっこりと笑いながら聞いている。
自分の分身―-子どもが楽しそうに語る冒険に、レンはママがほんのりと涙を見せているような気さえした。
『騙されるなっ。ニンゲンなんて、どれも同じだっ』
そんな中で、あるスライムが声を上げた。
『ニンゲンと一緒に居るなんてあり得ないっ。ニンゲンは怖いんだっ!』
見ると、スライムママの陰に隠れている小さなスライムが居た。
そのスライムは歯を剥き出しに、レンのスライムを必死に睨みつけている。
『ぼうや、おやめなさい…!』
『そのニンゲンも、テイマーなんて言ってるけど、結局はニンゲンだ! お前は騙されてるんだっ』
『そ、そんな事ないよっ。レンもニンゲンも優しいよっ』
『うるさいっ。お前はボクらを裏切ってる! だから『裏切り者』だ!』
吐き捨てるように言うスライムは、ぴょんぴょんっと何処かへ飛び跳ねて行ってしまった。
そのスライムを追いかけるように、何匹かの子達もまた、スライムから離れていく。
先程まではあんなに楽しそうにワイワイとしていた子達も、何処かバツが悪そうだ。
『そんな事、ないよぉ…』
「スライム…」
スライムの柔らかい体が、とても深く沈んで見えた。
―ースライムの中には、レンのスライムの様に『夢』を持つ子が現れる。
普段は群れで行動している彼らだが、『夢』を持ったスライムはいつしか群れを離れて行動する習性があった。
例にも漏れずレンのスライムもその一匹に過ぎず、彼は『伝説のスライムの様になりたい』と言う、壮大な夢を見ていた。
『夢』はスライムによって様々で、それはある意味で『自我』が芽生えた証だと、レンはスライムママから聞いた。
「自我?」
『えぇ…夢を持つスライムには自我が生まれ、ある日突然、自分の意志で行動するようになるのです。私達はそれを『スライムの旅立ち』と称して見送ります」
逆に自我を持たないスライムは、ママの分身として生まれ、生まれた場所で過ごし続ける。
いつまでも可愛い赤ちゃんの様に『ママ、ママ』と、親離れの出来ない子どものまま。
いつ『夢』を持つかはそのスライム次第で、中には持たずしてその命を終えることも少なくはない。
それもある種スライムの一生である。
親になるのも同じ事で、このスライムママもある日突然『夢』を持ち、分身ではあるが子宝に恵まれたそうだ。
「じゃあ、もしかしてさっきのスライムも…?」
『…実はあの子も、かつては『夢』を持っていました。しかしニンゲンの住む街では、あの子に刃を向ける事も少なくはない。酷く怖い目に遭ったのでしょう。『夢』を叶える前に『夢』を絶たれてしまったようです』
刃を向けられ、怖い思いをした。
その所為で、ニンゲンが恐い等と言う事を口にしたのだろう。
想えばあのスライムは、レンを見て何処か震えていた気がする――
レンは話を聞きながら、ちらりと自分のスライムを見た。
スライムは先程の会話がまだ堪えており、しょんぼりとしたままだ。
せっかく故郷に帰って来たと言うのに、ああも気分が落ち込んでいては仲間達も心配する。
「スライム…」
こう言う時は、何と声を掛けたらいいんだろうか。
『気にするな』と言っても気休めにしかならないし、かと言って変に声を掛けてもよくない。
どうにか仲直りが出来ないものかと思案しては、レンもまた表情を曇らせていた。
言葉が、見つからない――
その時、レンの目の前にふっと『ログウィンドウ』が表示された。
【■スライムとの『契約』を『解除』する事が可能です。▼』
契約?
解除?
「一体何の事…?」
【■テイムした魔物との契約を解除をすると、魔物は野生に還ります。しかし、一度解除した魔物は二度とテイム出来ません。▼】
野生に還る。
それはつまり、スライムはこの森に戻って来ると言う事になる。
森に戻ればあのスライムも、人間と一緒に居るこの子を見直すだろうか。
裏切り者と罵った事を謝ってくれるだろうか。
この子は、あのスライムと仲直りが出来るのだろうか…
「――ねぇ、スライム。テイマーは魔物との契約を解除する事が出来るんだって…」
『え…?』
「森に戻る事が出来る。そうしたら、あのスライムとまた仲直り出来るよ」
『…仲直りなんて出来っこないよ。また嫌われちゃう。だってボクはレンと…』
「解除したらもう私とは旅が出来ないけれど、嫌われるよりはマシだよっ」
その瞬間、スライムは小さな眼を見開いた。
『…え、…なんで…?』
その体はぷるぷると震え、様子がおかしい。
そう思ったのも束の間、スライムの眼からは大粒の涙が溢れていた。
『何で、そんな酷い事言うの…?』
「…スライム?」
努めて明るく告げたのが間違いだった。
全てはスライムの為、そう思っての行動。
でもそれは、スライムの気持ちを全く考えていないのと同じだった。
しまった、怒らせた。
そう思って伸ばした手が、突然弾かれた。
「スラ―ー」
『帰って!』
「…えっ」
『帰って! そんな事言うレンなんて大キライ!』
いつもは手を伸ばせば、自分から擦り寄って来るような甘えん坊な子だった。
それが今はどうだろう。
ぽよんっとその体を揺らし、触れようとする手を自ら払い除けた。
スライムが自分を『拒絶』したと言う事実が、信じられい。
『今日は此処で寝るっ!』
やがてスライムは、仲間達と共にぴょんぴょんと飛び跳ねて何処かへ行ってしまった。
そんな様子をスライムママが見つめ、悲しそうな顔をした。
言い出したのは自分だ。
そして傷つけたのもまた自分である。
レンはショックを請けつつ、今日の所は引き下がる事にした。
スライムママも『それがいいでしょう』と頷いていた。
『あの子は今、きっと混乱しているだけ…朝になったらあなたの元へ戻るように言い聞かせましょう』
「…ごめんなさい」
『いいえ、いいえ。あの子の為を想っての事なのでしょう? 貴女はとても、とても優しいニンゲンなのですね…』
「…優しい人間なら、自分のスライムを手放したりなんかしません」
自分で言っておいて、何だか悲しくなった。
スライムと初めて喧嘩をした。
誰かと喧嘩なんて、久しぶりだ。
しかもあんなに小さい子を、私は平気で傷つけた…
◇◆◇
『…レンのばか…』
スンスン、とすすり泣く声。
一匹のスライムが、ずっと泣いているのをママは知っていた。
朝になる頃には泣き止んでいるといい。
そんな願いを込めて、ママは大きな体で大切な我が子に寄り添う。
『あのテイマーは、良いニンゲンね…』
『…でも、今はキライ…』
『そうね、そうね。でもね。ニンゲンが優しい事は、ぼうやが一番よく解っているんでしょう?』
スン、スンと泣きじゃくる声は尚も続いた。
その中で、小さい体は静かに頷くのを、ママは優しい微笑みで見ていた。
『朝になったら、テイマーの元へお戻りなさい。兄弟が何を言おうとも、ぼうやはぼうやの道を進むのよ』
『…うん』
謝らなきゃ。
ボクが悪いんだ。
ボクが悪いから。
レンの隣にいる自分が余りにも無力だから。
レンはいつでも笑顔で自分を可愛がってくれる。
強い魔物に襲われた時、自分の身を挺してボクを護ってくれた。
ボクもレンを護れるように強くなりたい。
それがスライムの切なる願いだった。
『お星様…』
こんぺとうのようにキラキラと輝く星を見つめた。
お星様、どうかボクを強くして。
レンを護れるように。
お星様はお願い事を気ッと叶えてくれる。
お星様はきっと、ボクの小さな声でさえも聞いてくれる筈だから――
◇◆◇
森の奥深く。
静かな風がそよぐ馬鹿、その魔物はゆっくりと歩みを進めていた。
魔物は一見する穏やかでで優し気な森の住人。
人間が眼にすれば、それはまるで『クマ』のようだと口を揃えて言う事だろう。
小熊の様な小さな体躯だが、力は大人の人間を軽く吹き飛ばすほどの力を持っている。
しかし、その凶暴さとは裏腹に、大きく円らな瞳が愛らしさを醸し出していた。
魔物は普段、森の生き物たちと共存している。
特に争う姿勢はなく、怒りを買う事さえなければ本当に穏やかで温厚な性格だ。
その夜も、魔物は森の中で静かに朝が来るのを待っていた。
「…くぅん?」
だが、夜空に突如として流れたお星様が、魔物の運命を変える事になる。
空から一つの流れ星が落ち、魔物に向かって真っすぐに降り注いだ。
星は魔物の小さな体を目掛ける様にぶつかり、次の瞬間には身体全体を電撃のような痛みが襲った。
魔物には、何が起こったのか解らない。
ただ、心の奥に封じ込められていた狂暴な感情が、急速に鼻垂れて行く感覚がした。
穏やかだった顔つきは痛みに表情を歪ませ、やがて魔物に変化をもたらし始めた。
円らな瞳は次第に赤く光り、優しかった表情も見る見る内に狂暴な物へと変わっていく。
魔物はまるで、敵に襲い掛かる直前の様にはを剥き出し、涎を垂らし、興奮状態にあった。
手足は鋭い牙を持つかぎ爪に変わり、その爪が地面をひっかく度に、深い溝が出来ている。
―ーグルルルル…
喉の奥からは激しい獣の様な鳴き声が響き、優しかった面影はもう一切残っていなかった。
魔物の顔は更に恐ろしく、強い憎悪と飢えに満ちた獣の様に歪んでいる。
口角は引き裂けるほど上がり、鋭く尖った牙が光っていた。
森の生き物でさえ、今の魔物を恐れ、ひたすらに逃げ惑った。
月明かりの差し込む静かな森の中。
流れ星に当たった瞬間、魔物は一瞬にしてその運命を狂わせた。
恐怖を振りまく魔物に、変わり果てたのだった。
静かな夜を、一つの星が流れ落ちた。
ただの流れ星。
『あれは…【災いを呼ぶ星】…』
『ママ―』
『ママ―』
しかしそれは、スライムママや他のスライム達にとっては、別の意味を持っていた。
星を眼にしたスライムが一斉に怯えた様子を見せ始める。
どのスライムも、伝染する様に体をぷるぷると震わせ、恐怖を感じていた。
『ママ―、お星様が落ちたよー』
『こわいよー、ママー…』
『大丈夫。大丈夫よ…今日は早く寝ましょう。戸締りをしっかりしましょうね』
『『うん―…』』
スライムママは、怯える我が子を安心させるように、優しく声を掛けた。
スライム達は怯えて震え、ママからぴったりとくっついて離れなかった。
『お星様…!』
レンのスライムのまた、夜空を流れた星を見て表情を曇らせる。
今夜、何かが起きる。
そんな恐ろしい予感がして、スライムの体はまた少し震えていた。
お読み頂きありがとうございました。
ブクマやご感想等を頂けましたら、励みになります。




