強欲の悪魔、命令に従う
とある昼下がり。
街はいつもの様に活気に溢れ、賑やかな人の声がいろんな場所から聞こえていた。
通りを行き交う人の中を縫うようにして、目の前を歩く小さな背中を追いかける。
今は小さくとも、自分にとって大切な『主』だった。
「魔王様。何処までもお供しますと言ったのは俺ですが…一体どちらへ向かわれているのです?」
マモンの声に振り返った主―-魔王は、にぱっと笑顔を見せた。
「適当だ! マモンにこの街を案内しようと思ってな!」
「魔王様…!」
感動の余り、泣き出しそうになるのを堪える。
しかし――と思い直し、マモンはコホンと一つ、咳払いをした。
「ご厚意は有り難いのですが、俺は人間の街に興味は…」
「あっ!」
「って、魔王様っ!?」
其処まで言いかけた所で、小さな魔王が不意に走り出した。
何かを見つけたのか、その足取りは軽い。
やがて、マモンは彼が誰かの姿を見つけて駆け寄ったのだと言う事を理解した。
それは、テイマーと呼ばれる『あの女』…ではなかった。
「ディーネ!」
「まあ、マオさんっ。こんにちは!」
「マオさん…?」
その言い方に、マモンは引っ掛かる物があった。
魔王様を『マオさん』だと?
何だあの人間は。
あのテイマーと言い、魔王様に対して馴れ馴れしいっ
「ディーネは散歩か?」
「はい。丁度今からレンさんのお家に行く予定だったんですよ」
気さくに会話するディーネに、マモンは訝しむような眼で見ていた。
すると彼女は、魔王の傍に居るマモンの存在に漸く気付いた様で、不思議そうに首を傾げた。
「人間の…僧侶ですか」
「は、はい。そうですが…貴方は?」
マモンは目を細めてディーネを見る。
その探るような視線に、ディーネの肩がびくっと震えた。
「マモン。ディーネはレンの友達なんだっ」
「あの女の知り合い、ですか…」
マモンは魔王に聞こえる程度の声で、ぼそっと呟く。
マモンは人間が嫌いだ。
そして魔王様が小さくなり、弱体化した原因を作ったレンも大嫌いだった。
「レンの友達はオレの友達だぞっ」
魔王がニコニコと笑っている。
特に彼が警戒をする様子は見られなかった。
そして、彼女の強さが特に脅威的ではない事は、マモン自身も感じ取っていた。
「…魔王様のご友人とあれば、話は別ですね」
そう言って姿勢を正すマモンは、先程まで見せていた警戒の目を止める。
「初めまして、俺はマモンと申します」
「あっ。初めまして、ディーネです!」
「マモンは俺の配下だぞっ」
「配下? と言うと、魔物…ですか?」
「正しくは『悪魔』ですね」
僧侶と言えば、神聖な力と清き心を象徴する職業だ。
そんな人間が、悪魔などと言う存在に驚き、警戒するのは至極当然の事…
この僧侶も例に漏れず、浄化だのなんだの御託を並べるに違いない。
「悪魔…っ」
その予想通り、ディーネは驚いた様に目を見開いた。
―ーが、その表情は直ぐに微笑みを見せた。
「そうなんですねっ。お会い出来て光栄です!」
「…? 俺は悪魔なのですが」
「はい、悪魔さんとは初めてお会いしましたっ。通りで何となくですが、気配が不思議だな、と」
「悪魔ですよ? 怖がらないのですか?」
「はいっ。恐いですっ!」
『恐い』と宣ってはいるが、彼女の顔は途轍もなく笑顔である。
決して強がっている様子はなく、寧ろ本当に会えてよかったと言う感情が、前面に押し出されていた。
何だこの人間は…?
「…魔王様。この人間もアホなのでしょうか」
「わたし、も?」
「いえ。なんでも」
つい口走ってしまったが、魔王の手前だ
表立った反応をマモンは避けた
「お察しの通り、俺は悪魔――強欲を司る者。あの女のお仲間ですか?」
「あの女?」
「…テイマーですね」
「あ、はいっ。レンさんにはとてもお世話になってます!」
「そうですか。まぁ俺にはどうでもいい事ですが」
顔には出さずとも、言葉ではチクチクと棘があった。
お察しの通りとは口にしたものの、この人間は寧ろ察しが悪い様だ。
すると魔王は、何かを嗅ぎ取ってるのか、くんくんと鼻を鳴らしてディーネに近付いた。
「何か甘い匂いがする」
甘い匂いーーそれは彼女が手にしているバスケットが原因だろう。
それに魔王が気付くと、ディーネははっとした様にそれを見た。
「そうだ、マオさん。マフィンはお好きですか?」
「マフィン?」
「はい。今日、おばあちゃんと一緒にマフィンを焼いたので、レンさん達にもお裾分けしようと思って、持って行こうとしてたところだったんです」
木製のバスケットの中には、綺麗に個包装されたマフィンがたくさん入っていた。
ラッピングにリボンまでついていて、一つ一つに彼女の小さな優しさが込められている様だった。
「マフィンっ!」
「よかったらおひとつどうぞ」
「やったー!」
「魔王様っ」
人間の作った食べ物だ。
何が入っているか解ったもんじゃない。
呼び止めるものの、しかし魔王は、さも当然の如くマフィンを受け取っていた。
「マモンさんもよろしかったら…」
「いえ。遠慮しておきます」
「そ、そうですか…」
少しだけしょんぼりした様子で、彼女は肩を落とした。
受け取らなかっただけでこの反応。
人間は何でも思い通りに事が進むとでも思っているのか。
人間は警戒して当たり前。
魔王様はともかく、城に引きこもりの悪魔の『ジェリー』でさえ、人間界で商売をする様な関わりを持っている。
「食っていいかっ?」
「えっ。あ、はい…」
「うまっ、うまっ!」
そして我が主は、やはり警戒もなく人間が作った食べ物を口にした。
あり得ない…と、頭が痛くなる思いだ。
しかし、口いっぱいにマフィンを頬張り、食べかすをくっつける魔王の姿は最高に愛おしかった。
まるでリスの様だ。
「レンならスライムと出掛けてるぞ?」
「えっ。そうなんですか? せっかくマフィンを焼いたのに…せめてご連絡してから来るべきでした」
そしてこの人間は、少々抜けている部分があるらしい。
「じゃあ代わりに渡しておいてやるよっ」
「魔王様?」
「いいんですか? 助かりますっ!」
嬉しそうにバスケットを魔王に渡すディーネ。
まさかとは思うが、その中に入っているマフィン全てをお裾分けするつもりだろうか…
「マモン、持っててくれ」
「…解りました」
他ならぬ、大切な主の為である。
それから『また遊びに行きますね』と笑顔で去っていくディーネを、魔王はぶんぶんと手を振って見送った。
マモンの手にはバスケット。
その中には、彼女が焼いたマフィンがゴロゴロ入っている。
「何個あるんだ…」
思わずマモンはそう呟いた。
「マモン」
「はい、魔王様」
「レンが嫌いなのは解るが、ディーネも嫌いになるなよ」
「それは…ご命令ですか? 俺に、人間を好きになれと?」
「そんなんじゃない。でも少しは人間と関わってみろ。面白いぞっ」
マモン表情は不満気だ。
人間に心を開くなんて事、彼には到底考えられない事。
ーー魔王様のご命令でも、それは出来兼ねますね…
しかし魔王の手前、それを口に出す事は出来なかった。
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