E級僧侶、水の異変を探る
『ラ・マーレ』の街――
街の中央には、大きな噴水広場がある。
月に一度、イベントや催し物が行われ、時に人々の待ち合わせの場所として用いられ、活気ある場所だ。
広場からは大きな時計塔が見え、その直ぐ傍には一つの教会があった。
結婚式と言った晴れの舞台から、別れを見送る場。
はたまた己の罪を告白し、自戒する場として、教会はいつでもどんな時でも、人々の為にその扉を開いている。
その教会に一人の男が居た。
彼は長年、この場所で『司祭』を務めており、迷える子羊を救う相談役として、街の皆から慕われている。
普段から笑顔を見せる彼だが、最近になって感じ始めた『異変』に、頭を悩ませていた。
「あぁ、何て事だ…」
その異変の一つとして挙げられるのが、深刻な『水不足』である。
水は人々の暮らしに潤いを与えてくれる、なくてはならない必要不可欠な存在だ。
その水が今。人々にー―いや、このラ・マーレの街全体を脅かそうとしている事を、誰よりも早く彼だけ気付いていた。
「まさか、あの『泉』に何か問題でも…?」
この街の水源は『始まりの泉』と呼ばれるダンジョンの奥深くに在る。
森や草花に囲まれたその場所は、駆け出しの冒険者達が一番最初に、言わば『ダンジョン』
昼も夜も、神秘的かつ幻想的な風景に彩られ、冒険者達の始まりを豊かに見守る――そんな場所だった。
その泉がある事で、この街にはいつでも綺麗で美味しい水が飲めると言っても過言ではない。
しかしその泉が今、一つの問題を抱えていた。
「司祭様…?」
頭を悩ませる司祭に、優しい声ながら心配する少女が居た。
彼女の名はディーネ。
冒険者としても僧侶としても、まだまだ駆け出しの少女である。
「あぁ、ディーネ。今日もお仕事ご苦労様だね…」
「はい。あの…何か悩まれているご様子ですが?」
心優しい彼女は、司祭が何かに悩んでいる事に心配をしていた。
普段は人々の相談役として、親身になって話を聞く傍らで、彼が直面する悩みには誰にも相談する事はない。
司祭であれど人の子。
しかし、彼の様に位の高い人間が、他の誰かに相談する事はなかなかに難しい。
その為、この街における問題にも一人、頭を抱える事態となる。
「何かわたしに出来る事はないでしょうか?」
「ディーネ…」
心優しいディーネは、そんな司祭の抱える悩みを、まるで自分の事の様に苦しみ、表情を曇らせた。
僧侶としてはまだまだ半人前な彼女だが、人の心に寄り添い、誰かを救いたいという気持ちは、司祭自身がとてもよく認めている。
「ありがとう。ディーネ」
だからこそ、彼はそんな彼女にだけは、自然と『相談』を持ちかけていたのかも知れない。
「…そうですね、貴女には話してもいいのかも知れません。私の話を聞いてくれますか?」
「は、はいっ。勿論です!」
幸い、この問題にはまだ、誰も気づいてはいなかった。
気付いてはいないものの、街には少しずつ、怪しげな兆しが出始めている。
「『始まりの泉』がこの街の水源となっている事は、ディーネも知っていますね?」
「はい。人々の暮らしを支えている大事な水です」
「そうです。しかし今、その泉が少し問題となってましてね」
「問題…?」
「最近は、水の流れがどうもおかしい…普段は清らかな水であった筈が、いつしか濁った様な気配を感じます。見た目には解りませんがね」
神職に就く者であれば、自然と物や人に対し、何かしらのオーラを感じ取る事が出来る。
水は全ての命の源。
清らかで美しいとされる水には、常に僧侶が使うスキル『水の加護』のような『護り』のオーラを感じている。
しかし最近、そのオーラに淀みが生じている――と、司祭は口にした。
「『水の精霊』がそれを伝えて来ました。語り掛ける声はとても弱々しいもの。どうやら、泉に何か悪い影響が出ているのだと思います。その原因を突き止めない限り異常は続き、更なる深刻化を生み出す事でしょう」
「それは…駄目ですっ。どうにかして原因を突き止めないと…!」
「えぇ、私もその判断です。しかし私は今、此処を離れる事が出来ません。少しでも街全体に被害が拡大しないよう、今からでも祈りを捧げる必要があります」
司祭は胸の前で十字を切り、両手を組んで神に祈りを捧げる。
強い信仰心に呼応し、神がこの街全体を『護りの力』で包み込む。
そうして少しでも、人々に起こる影響を遅らせようと考えていた。
「このまま何もしなければ、いずれは街に住む人々に影響をもたらす。病気や伝染病等、最悪な事態を引き起こすやも知れない」
『始まりの泉』で何かが起こっている。
その原因を突き止めたい。
その相談を耳にし、ディーネは賛同する様に頷く。
「そ、そうですね。わたしも何か、人々の為に何かしないと…」
「其処でディーネ。貴女の出番です」
「え…?」
「どうか、私の代わりに泉の原因を突き止めてはくれないでしょうか?」
「わ、わたしが…!?」
それを聞いたディーネは、ぎゅっと胸の前で拳を握り締めた。
その表所には、明らかな不安の色が見て取れた。
「わ、わたしに出来るでしょうか…司祭様の代わりなんて、とても…」
「私の代わり…と言うと余計なプレッシャーを与えてしまうか」
不安気な顔のディーネを少しでも和らげようと、司祭は少しだけ笑って見せる。
しかし、彼女が感じるプレッシャーはそれだけではない。
僧侶としては半人前であるディーネは、未だに『回復』と『補助』のスキルしか使う事が出来なかった。
その回復も同じランクのヒーラーに比べれば回復量が少なく、補助スキルに至っては『水の加護』と呼ばれる水のバリアを張る事しか出来ない。
『攻撃』と呼ばれるスキルが、一切ないのだ。
その為、クエストに出る時はいつも、誰かとパーティを組んで行動をしていた。
「貴女ならやれます。何故なら、かつては聖女と讃えられたおばあさまの血を、受け継いでいるのですから」
「…っ。す、凄いのは、おばあちゃんだけです…わたしなんて、とても…」
だが、いくら自分の祖母が『聖女』と呼ばれるヒーラーだったとしても、孫である自分がその才能を受け継いでいるとは限らない。
それはディーネ自身が、一番よく解っていた。
「貴女はまだ僧侶として半人前の身。しかし、この依頼は貴女にとって、大きな試練となるでしょう―ーきっとやり遂げられると信じているよ」
「司祭様…わ、解りました。頑張って泉の原因を突き止めて見せます‥っ」
そして司祭もまた、ディーネが僧侶としても冒険者としても未熟である事は、理解している。
理解しつつ、彼女の成長の可能性を信じていた。
「頼みましたよディーネ。貴女に水の神のご加護があらんことを――」
『この街は、水の精霊の加護によって護られている』
街を歩いて居ると、そんな話を耳にしなくもない。
人々の信仰心が篤いのか、何かにつけて『水の精霊』『加護』と言った言葉をよく聞く。
ラ・マーレの街は、今でこそ緑豊かな森林と草原に佇まいを見せているが、かつては『水の都』とも呼ばれていた。
その呼び名の由来は、この町周辺が緑ではなく、水――海に囲まれた土地だったからだ。
しかし、長い年月と共に水は干上がり、土は乾き、代わりに緑が生まれ、森となり草原が出来た。
大きな海がなくなり、一時は『水の精霊の加護が失われた』とも思われたが、時代の変化がそうさせた。
しかし、ラ・マーレに流れる水は常に清らかで美しい。
水の精霊が居るからこそ、この街の水源は豊かであるのだと。
この街の名前やお店お由来などは、海にちなんだその名残なのだと。
とある『マニュアル』と言う名のシステムが教えてくれた。
「一応、この街については一通り読んだけど…」
そう呟き、レンは目の前に座るディーネを見た。
彼女が司祭から依頼を受けた後、真っすぐに向かった先。
それは『始まりの泉』ではなく、レンが住まう『ロイヤル・ハウス』だった。
「この泉に何か起きているかも知れないから、一緒来て欲しいーーだよね?」
「は、はいっ」
「構わないけれど、私が行って役に立つのかな?」
「レンさんが居てくれるだけで、わたし、心強いです…!」
そう言ったディーネの表情は、見るからに不安気だ。
司祭様から承った『クエスト』に、彼女はどう挑むべきかを考えた。
一人で行くには実力不足。
それならパーティを組んで誰かと行って貰いたい。
その打診を、彼女はレンにしていた。
「うん。ディーネの頼みなら勿論引き受けるよ」
「ほ、本当ですかっ。ありがとうございます、レンさん!」
「それじゃあ早速支度してくるね」
そう言って、彼女はソファから立ち上がるとその場を後にした。
「…凄いお家…」
ディーネは周りを見渡して、思わずそう呟く。
煌びやかな調度品と心地よい空間に囲まれ、落ち着くんだかそうでないのか、ディーネ自身も解りかねていた。
彼女がハウスを持ったという話は聞いていたが、まさかこんなにも豪華で素晴らしいとは、思いもしなかった。
ロイヤル・ハウスなんて、本当にお金持ちが済むような夢の豪邸である。
そんなレンに『凄い!』と感想を素直に述べたら、予想に反してその表情は暗かった。
『ふ、ふふ…これから借金地獄が待ってるんだ…』
そう嘆いた彼女の落ち込んだ姿を、ディーネは忘れられないだろう。
悪魔だ何だと呟くレン。
魔王の次は悪魔…とは、一体どう言う事なのか。
しかしディーネには、考えてもそれが何なのか解らなかった。
ディーネがレンを待つ間に紅茶を口にしていると、不意に扉が開いた。
もう戻って来たのかと視線を其方にやれば、そこに居たのはレンではなく、小さな子どもとスライム。
「おっ、いたいた!」
『わぁい、ディーネちゃんだ―』
「あっ…こんにちは、お邪魔してます」
ディーネは『彼』を一目見て、一瞬だがドキッと心臓を高鳴らせた。
「レンから聞いたぞっ。どっか遊びに行くのか?」
「遊びに…という訳ではありませんが…クエストに行くんです」
『魔王』が小さくなった事は知っていた。
今は無邪気で子どもであっても、魔王は魔王。
彼がどんなに強大な存在であるかを知っている為、肌で感じる恐怖は完全には拭えないでいる。
『クエスト! いっぱいやってお金を稼がなきゃー!』
スライムがソファの上をピョンピョンと跳ねている。
彼が何を言っているのか、テイマーでないディーネには解らない。
首を傾げていると、それを代弁するように、小さな魔王が言った。
「レンは今、金に困ってるからな!」
「そ、そうなんですか?」
「マモンに借金で追い立てられてるから、毎日涙目なんだ!」
マモン――と言うのは、彼の配下らしい。
ディーネはまだ会った事がないのだが、このハウスを買う事が出来たのも、彼の助力によるおかげなんだとか。
そんな自分のテイマーの苦労を、スライムは寧ろくすくすと、魔王と一緒に笑っている。
まるで悪戯を楽しむ子供の様な姿に、ディーネの表情は少し和らいでいた。
―ーこうしてみると、本当に子どものようです…
そんな事を、彼女は思った
◇◆◇
此処に来るのは二回目ですーーと、誰に言うでもなくレンは思っていた。
このダンジョンに初めて挑んだ日は、まだありありと鮮明に思い出せる。
しかし、二度目である場所にも拘らず、レンの表情は少しだけ硬い。
戦闘があるかも知れない――そう思うと、自然と顔が強張っていた。
何せまともな戦闘はセンジュと戦ったあの日以来である。
ダンジョン自体が『E』であったが、其処に表れたボスは『D』
更にパーティ全体が壊滅寸前に陥った。
かく言う自分自身も、命を落としかねるような瀕死の状態を負う。
その時の記憶が、痛みが、苦しみが、忘れられる訳がない――
「このダンジョンの奥に、泉があるんです」
「あ、あぁ…そうだったね」
「大丈夫ですか…?」
ディーネはそんなレンを振り返り、少しだけ首を傾げた。
「ちょっと緊張してるだけだよ」
そう告げると、彼女は『私もです』と少しだけ肩を竦めて見せる。
緊張しているのは、お互いに同じだった。
最近まで同じ『F』だった冒険者二人が『E』になった。
しかし、レンもディーネも戦闘にはまだまだ不慣れな部分がある。
そんな彼女達を応援するように、レンの足元でスライムがピョンピョンと飛び跳ねた。
『がんばろー!』
「うん。頑張ろうねスライム」
スライムの声はディーネには届かないが、レンが代弁する様に告げると、彼女は少しほっとしたように頷いた。
この子の言葉が直接ディーネに届いたらいいのに…なんて思う。
「本当はわたしも、僧侶としてもっと強くなりたいんです。でもまだ回復と補助しかスキルがなくて…」
そう言いながら、彼女は両手でぎゅっとロッドを握り締める。
「わたし、おばあちゃんの様な強いヒーラーに、早くなりたいんです…っ」
ディーネは、E級ダンジョンに挑んだ際も、同じような事を口にしていた。
『おばあちゃんのように』そう言った彼女の顔は必至で、まるで何かに追い立てられているような、そんな気さえする。
「私は逆にディーネの様なスキルがないから、大助かりだけどな?」
「そ、そうですか…?」
「うん。お互いにないものを補って行こうよ」
「は、はいっ」
街を流れる水に異変が起きつつあると、ディーネから聞いた。
異変が起こったの影響で、街の人が病気がちになり、作物が枯れるなどと言った事態が起きている事は、レンも耳にしている。
街の人は最初、原因が夏の暑さや日照りが続き、雨が降らないなどの自然現象、夏風邪なんかが原因で偶然だと思っていた。
人々は水の異変に気付いていない。
だが、身体に異常が出始めているのは確かで、時に体調を崩しては治癒院へ運ばれると言う姿もあった。
そして誰よりも早く、水源の源である泉の様子がおかしいと感じていた司祭は、ある時悲痛な声を聞き届けた。
それは、この地を護る『水の精霊』からのSOSだった。
このままでは街が危ないと、信仰心の高い彼に救いの手を求めたのである。
「ふああ…」
そんな詳しい話をディーネとしていると、後ろから退屈そうに欠伸をする魔王の声がした。
彼は陽気な天気に微睡んでいるのか、それとも本当に退屈なのか。
そんな事を考えながら、レンは少しだけ笑う。
「マオちゃん。疲れたら言ってね?」
「んー…」
レン達がクエストに行くと言う事で、彼もついて来る事にしたのだが、のどかな雰囲気にやはり眠そうだな――なんて思ったりした。
ディーネは、レンが彼を『マオちゃん』と呼んでいる事に、初めは驚いた。
小さくなったとはいえ、魔王は魔王である。
しかし、まるで本当に小さな子どもとして見ているかのように、彼女の声はとても優しい。
「本当に…ただの子どもみたいですね…」
「でしょ?」
「はい。この人が魔王だなんて、まだちょっと信じられない…」
「魔王だぞ?」
本当に一緒に居ていいのかと、ディーネは少し心配していた。
「マオちゃんって…魔王なのに何だか可愛いですね…?」
「ふふっ。人前じゃ『魔王様』だなんて呼べないもの」
「えぇ、確かに」
彼が『魔王』だとは、誰だって考えもしないだろう。
しかし、センジュとの戦いでディーネは『魔王』を目撃し、彼が小さな子どもになる姿を、しっかりと目撃している。
『魔王』がどれほど強大な力を持ち、恐ろしい存在あるかも、勿論知っていた。
だが――…今の彼からは、そう言った『厭な気配』を感じられない。
「あの…わたしも『マオさん』と、お呼びしてもいいでしょうか…」
「いいぞ!」
「あ、ありがとうございます…っ」
にぱっと明るく笑顔な魔王様。
ディーネはほっとしたように、息を吐いた。
「今日は、あの門番さんは居ないみたいね?」
ふと、レンが話しかけて来た。
ディーネははっとして、彼から視線をレンへと向ける。
「門番さん?」
「ほら。ラ・マーレの街に居た門番さん。彼に似た感じの人が、前は此処に居たと思うんだ」
『始まりの泉』へ向かうダンジョンの入り口。
いつもは『門番』と呼ばれる彼の存在が、今日は居ない事に気付いたのだ。
「そう言えば変ですね。門番さんはいつもこの場所で、冒険者さん達を見守っている筈ですが…?」
「休憩にでも行ってるのかなー」
「いえ。此処の門番さんに、休憩は必要ないんじゃないかと思います」
「休憩が必要ない?」
レンは驚きに目を丸くした。
休憩がないなんて、そんな事があり得るのだろうか?
短い時間であればそうかも知れない。
しかし、それなら交代で誰か居てもいい筈だ。
「レンさんにも門番さんの姿が見えるんですね。わたしだけかと思ってましたが…」
「えっ」
「此処に最初に来た時、他の冒険者さんとパーティを組んでいたのですが、見えていたのはわたしだけの様でした。皆さん挨拶をされても反応がなく素通りでしたので…」
「何それ怖い」
では、自分が見ていたのは、まさか幽霊だったとでも言うのだろうか。
そう思うと背筋が凍る。
まだ夏だと言うのに、早くも秋到来かと肌寒さを感じた。
道をなりに進んで行くと、次第に森が見えて来る。
以前、この辺りにはスライム達がいた。
レンをテイマーだと知るや否や、興味津々で近付いて来たのだが、今日に限って言えばその姿は何処にもない。
スライムどころか、見かけるのはフゴフゴと鼻を鳴らして辺りを闊歩する、すっぴんボアの姿だけだ。
「スライム達、居ないね?」
『うんー…』
少しだけ落ち込んだ声で、スライムがきょろきょろと辺りを見渡した。
『なんだろう…みんな怖がってて、出て来ないみたい…』
「怖がる…?」
『森の奥…何か嫌な感じ、するー!』
「森の奥が嫌な感じ?」
「泉がある方角ですね…やはり、此処のスライムさん達も何かを感じているのでしょうか」
何かが起きている――そうレンは感じ始め、歩く速度を少しだけ上げた。
森の中は、昼間であるにも関わらず鬱蒼としていて、少しだけ霧が出ているような靄が掛かっていた。
前に来た時も霧が掛かっていたが、こんなにも視界を阻む様子はない。
寧ろ色濃く、何処か悪い空気感だとレンは思う。
「…これは、瘴気だな」
声のトーンを落とし、マオが静かにそう言った。
「瘴気?」
「森全体に満ちている…けど、そこまでの強さじゃない。何か結界の様なもので、此処は護られている様だな」
「結界…? もしかして、水の精霊様のお力で…?」
「恐らくな。しかし結界そのものが弱々しい…水の精霊って言うのは弱いのか?」
「そ、そんな事ないと思いますが…っ。もしかすると、泉に何か原因があるのかも知れません」
『泉はこっちだよー!』
スライムがレン達を誘導するように、飛び跳ねている。
森の中を進む度、濁ったような空気―-いや、瘴気がどんどんと強くなっているような気がした。
瘴気の大元が、もしかするとこの先に在るのかも知れない。
少しだけ息苦しさを感じつつ、レン達は進んで行く。
やがて、森の奥に泉が見えた。
あの夜見た光景は、しっかりと目に焼き付いている
――が、今目の前に広がる光景は、それとは違う雰囲気を感じた。
森は更に鬱蒼としており、濁ったような空気感は変わらない。
朝露が枝葉を濡らしても、それが綺麗だとは感じなかった。
泉周辺には綺麗な草花が咲いていた筈だが、それも今は元気を失くしたように茎をしならせている。
「これは、一体…?」
「ディーネ。泉が!」
その問題は泉にあった。
水は濁りをみせて淀んでいら。
それだけで、この不気味な雰囲気の理由が納得出来た気がした。
「泉の水が瘴気に当てられ、淀んでいるのが原因のようですね」
「早速原因が分かったのはいいけど、これをどうするの?」
「司祭様に教わった『浄化』の方法があるんです。それを使ってみます」
ディーネは両手でロッドを掲げた。
彼女は目を閉じ、静かな声で何やら呪文のようなものを唱え始める。
すると、ディーネが持つロッドの先に光が溢れ出した。
その光が真っ直ぐに線を伸ばし、泉へと向かって行く。
だが、泉には何の変化も見られない。
「浄化が、出来ない…?
「ど、どうして?」
「も、もう一度やってみます…っ」
同じように、ディーネがまた浄化の呪文を口にする。
しかし結果は同じで、泉には特に何も起こった様子はなかった。
「呪文は合っている筈なのですが…」
「うーん…」
困惑した表情のディーネはレンを見た。
彼女に解らないのであれば、レンにも解る筈がなかった。
「何か他に原因があるのかも?」
「原因…たしか、泉には元々水源があると司祭様が以前、仰っていた気がします」
「水源? この泉がそうなんじゃないの?」
「泉はあくまで、水源の水が流れ出て溜まっているもの。街へ流れる水は此処を水源としていますが、本来は別の水源が大元なんです」
泉の異変は、もしかしたらその『大元』に在るのかも知れない。
「その水源は何処に在るの?」
「泉のもっと奥―-森を抜けた先です。普段はこれ以上、冒険者は入る事が出来ませんが…万が一を考え、司祭様が許可を下さいました」
「じゃあ、入れるんだね」
「はい。わたしと一緒であれば、レンさんも大丈夫な筈です」
こっちです―ーと、ディーネは泉を迂回し、更に森の奥へと足を踏み入れた。
此処から先は、彼女の先導に従って進もうと歩き出せば、瘴気がまた少し濃くなった気がする。
目の前を黒い霧のようなものが横切り、鼻には腐った卵の様な嫌な臭い。
肌に纏わりつく様なジメッとした空気に、レンは少しだけ表情を曇らせた。
「ディーネ、大丈夫?」
「はい? 何がでしょう」
「…あ、いや。大丈夫ならいいんだけど」
「?」
振り返った彼女には、この漂う空気感に全く気付いていないようだった。
不思議そうな顔で此方を見る彼女は、きょとんと首を傾げている。
ディーネは何も感じないのだろうか?
それとも自分がこの空気に慣れていないだけで、彼女には普通の事なのかも知れない。
その時、心配した様子のスライムが、レンの肩に飛び乗って来た。
『レン、だいじょうぶー?』
「スライムは…感じるんだね?」
『うんー。すっごい嫌な空気ー!』
どうやらスライムには同じように感じているらしい。
だとしたら、彼もそうなのだろうか。
心配しつつ下を見れば、マオは鼻歌交じりに歩いて居る。
「黒いなー、此処はっ!」
「何だか楽しそう?」
「明らかに敵意向けてて、笑っちまうよ」
「マオちゃんが…魔王が居るのに?」
「魔王の座を降りた瞬間、手の平を返す奴だっているからな」
ケラケラと笑ってはいるものの、レンにしてみれば、その話はとても物騒だった。
仲間――と呼んでいいのか解らないが、少なくとも傍に居た存在が反旗を翻すなんて、そんなの謀反と一緒である。
「マオさんが居ても構わない…と言う事でしょうか」
「寧ろ喜んで牙を向いて来るだろうなっ」
自分の身が危ぶまれると言うのに、マオは嬉々としてそれを語る。
本気なのかそうでないのか解らないが、少なくとも彼は『自分を殺そうとする者』には容赦がない。
センジュだってそうだ。
彼は相手が魔王であろうとも剣を向け、そして魔王はセンジュを跡形もなく粉々にした――
お読み頂きありがとうございました。




